第一部 最終章
第88話 嬉しい知らせ
二階で扉が閉まる音がした。エクヴァルが階段をトトトンと軽快に降りてくる。
「イリヤ嬢! きたきたきた!!」
「どうしたの、興奮して」
台所でお湯を沸かしていた私が顔を出すと、いつにない笑顔のエクヴァルがいた。
「やったよ! ついに魔導師長を捕らえたと連絡があった!」
「本当? これで安心なのね?」
魔導師長が何かする可能性もあるからって、警戒していたんだよね? なら、もう大丈夫!? 結局問題がなくて良かった。エクヴァルが両手を広げたから、とりあえず後ろに下がる。
「いや、まだ刑が確定したわけじゃないし、気を抜かないで」
一瞬、あれ? という表情をしたけれど、普通に手を引っ込めて話を続ける。
「……腐っても元魔導師長だし、公爵だからね。油断大敵!」
「解ったわ」
頷いたところで、玄関の扉が勢いよくノックされる。
「こんにちは、イリヤさんいるかな!?」
「はい、ビナール様。どうかなさいましたか?」
ポーション類を卸させてもらっているお店のオーナー、クレマン・ビナールが立っていた。シャツにシンプルな薄い上着とズボンという、いつもよりラフな格好だ。
彼だとしっかり確認してから、エクヴァルは二階へと戻った。まだ連絡を取る必要があるみたい。
「この前お土産でもらったワイン!! すごく美味しいじゃないか! あれはどこで入手したんだい、取引できないかな!?」
エルフの村でもらったワインのうちの一本を、いつもお世話になっているので差し上げたのだ。よほど気に入ってくれたのね。興奮した様子で、ワインの良さについて一生懸命語ってくれている。
「あれはエルフの村でございます。人間と取引して頂けるかは……」
エルフ達は基本的に人間とは、あまり関わり合いにならないようにしているのよね。
「エルフ!? 何故エルフのワインを、君が!??」
「え~と……、」
これ、どこからどこまで話していいんだろう?
竜神族と
「あ、いやいい。詳しく話せないんだろう? 自分で採取する職人にも、秘密の採取地とか取引先があるしね」
「ええと、まあ、そんな感じです!」
いい具合に勘違いしてくれて良かった。
「しかしそうなると、交易はムリかな……」
「そうですね、かなり森の奥で馬車も進めないですし……。あ、でも家畜が殺される事件を解決したんですよ。山羊や羊と交換できるかも」
「それだっっ!」
ビナールがビシッと指した人差し指が、私の鼻の近くまで伸ばされたので、思わず両目で爪を見た。近過ぎてビックリするんですけど!
そんなわけで、再び東にあるエルフの森へやって来た。キングゥと一緒に訪れた方の森だ。今日はベリアルと二人。エクヴァルは本国とやり取りをしている最中で、部屋で待機中。
結界の前で声を掛けてみる。また壊すと悪いし。
「こんにちはー! どなたかいらっしゃいますか? 先日お世話になりました、イリヤでございます」
間もなくザザザッと音がして枝が揺れ、木の葉が舞い落ちる。
そして葉っぱとともにエルフの女性が飛び降りて来た。長いプラチナ色の髪が背中で踊り、木漏れ日に輝いている。
「こんにちは。こちらこそお世話になりました。ところで今日はどうしたのですか?」
「実はワインを交易したいと仰る方がいらっしゃいまして。もし宜しければ、何かご入用の品と交換を致しませんか? 山羊など被害にあった家畜の代わりも、お望みでしたら準備してくださるそうです。」
「……家畜! なるほど、それは助かります。皆と相談して、返答いたします。貴女はどこに住んでいるのですか?」
やはり家畜には食いつきがいい。なんせエルフは山羊のミルクを好んで飲むらしいし、だいぶ殺されてしまって困っていたことだろう。
「レナントという町です」
行き方を説明して、別れを告げようとした時。
「これ、そなた忘れておるぞ。我の分も交渉せい。もう飲み終えてしまったわ」
「ベリアル様! お望みでしたら人間の町へ返答に行く際に、そちらにお届けします!」
わわ、ほぼ恐喝ですよ! 地獄の王とまでは知らなくとも、爵位ある悪魔だと恐れているハズなんだから!
返答に満足しているベリアルに、女性は胸を撫で下ろしていた。
エルフが近日中に町へ返答しに来てくれる
エルフが人里に姿を見せるなんてあまりないし、来たとしても山中などの人口の少ない村を選んで、こっそり訪れて物々交換を持ちかけるくらいだ。
このくらいの大きな町に来るのは里から出て生活しているようなエルフだけで、それも滅多にいない。町の人も驚くかな。
数日後、エルフが二人、フードを被って町へ訪れてくれた。ちょうど私とベリアルも門の近くにいたので、すぐに合流できた。
耳が長いから、フードの左右が不自然に盛り上がっている。男女で、最初の時にいち早く私達の前に姿を現した男性と、前回もその前も私と話をした、あの長いプラチナの髪の女性。
事前に話を通してあったのですぐに検問を通過でき、そして連絡を受けてやって来たジークハルトが、念の為に護衛として付いてくれている。
今日はシルフィーも一緒。エルフに会いたがったらしい。それでわざわざ守備隊長が出向いたんだろうか。
「臆病でか弱い妖精が人間に懐いているなんて、彼は心優しい人なんだろうね」
エルフの男性は、ジークハルトの肩に乗るシルフィーに笑顔を向けた。
「うん! ジーク、優しいよ。エルフ初めて見た。きれい!」
「ふふ、森にも妖精がいるけど、そんなに言葉を話さないわ。人間といるからか、お喋りが上手ね」
褒められたシルフィーが嬉しそうに笑う。
本来こういう森に生息するタイプの妖精は、あまり喋らない子が多いらしい。家付き妖精はよく喋る。
やっぱり言葉がどの程度必要か、どれくらい触れているかによって違いが表れるのかも。妖精は基本的に知能の高い種族じゃないし。
まずはベリアルにと、わざわざ十本もワインを渡してくれた。ベリアルはご満悦で、受け取った袋を自分で抱えている。誰にも渡さないと言いたそうな。
それから皆でビナールを訪ねる。エクヴァルは冒険者ギルドに行ってしまった後だった。
町ではフードをしていてもやはり不自然で目立ってしまい、振り返ってまで眺める人もいる。そうでなくとも二人とも顔立ちが整っているので、気になるだろう。
守備隊長であるジークハルトが同行しているから、おかしなナンパをされることもなくてスムーズに目的地に到着。
ここは彼の店の本店にある、商談用の部屋。相手方の護衛も入れるように広くなっている。私が案内されたことのある応接間とは、また違う部屋だ。
太い立派な柱に、壁には額に入れた絵画が数枚掛けられていて、壁は茶色い木。商談用のテーブルは広く、そこに木の椅子がいくつも並んでいる。これも細工がしてある高価そうなもの。奥に机があり、本棚や花瓶、華美じゃない装飾が洗練された雰囲気を
入り口付近の壁際にもいくつか椅子が置いてあって、これは護衛の人とか、付いてきた下働きの人が座る。
「遠路はるばるようこそ。私はここのオーナー、クレマン・ビナールです。ぜひ貴方方の素晴らしいワインを、他に人間にも味わって頂きたい!」
「気に入って頂けて何よりです。実のある話をしましょう」
男性二人は握手を交わした。女性はしないみたい。異性だし、警戒しているのかな?
「……では、ワインの対価として羊、山羊、大工道具を渡す。あとは布……これは生地の状態でいいのですね? 無地で、肌触りの良い物、と」
ビナールがメモをしながら確認する。横には秘書が控えている。商談のメモは自分で執らないと気が済まないらしい。
「それと、今頂いているハーブティーも欲しいです。とても美味しいですね」
「もちろん、ではこれも。ハーブティーは何種類か入れましょう。代わりにエルフ族の刺繍の入ったハンカチを頂けませんか?」
「どんな模様がいいですか?」
交渉はスムーズに進んだ。
受け渡しは森の入り口で、絶対に後をつけないことが条件。
最後にベリアルが、
「我が契約者が仲介をした取り引きである。偽りは許されぬ」
と発言したので、
ビナールのお店を後にして、エルフの二人を門まで送る。ジークハルトは最後まで護衛をしてくれるようだ。いい商談ができたと、エルフ達が喜んでいる。
人通りがまばらな道の、向こう側からやって来る紺色の髪は、エクヴァルだ。
「イリヤ嬢、ちょうどいい。これからシームルグの討伐に向かうんだけど、ワイバーンを貸してくれない?」
「「シームルグ!!?」」
反応したのはエルフの二人だった。
「ん……? あ、この前のエルフの方々? 商談は上手くいったのかな?」
「ああ、上々だった。で、シームルグを倒すのか……!? 羽根……羽根が欲しい!!!」
男性がエクヴァルの両肩を掴む。よほど欲しいのかしら。
シームルグはとても綺麗な鳥で、両方の羽根を広げると個体差はあれど、人間二、三人分の大きさ。鉱山で討伐したアンズー鳥よりは小さい。
「シームルグの羽根には治癒力があるって言われているのよ。活用法があまり周知されていないから、一般的には求められないの」
「そうなの? 討伐部位だけ手に入ればいいから、一緒に行きますか? 羽根は全て差し上げますよ」
「有難うございます! シームルグの羽根を使った装飾は、エルフの憧れなんです!」
エクヴァルの提案に、エルフの女性が嬉しそうに大きく何度も頷く。
「美しい女性の頼みとあらば、シームルグなど望むだけ全て貴女に捧げましょう」
うーん、また発病してる。
エクヴァルにワイバーンを呼ぶ笛を渡すと、三人はそのままシームルグ討伐へ向かった。ベリアルはお酒をもらってご機嫌で先に帰っちゃったから、ジークハルトと二人になってしまった。シルフィーもいるか。
ここで解散ねと挨拶しようとすると、彼は家まで送ってくれると申し出た。
「……ところでイリヤさん、さっきの男性は? ご自宅にも出入りしているようだけど……」
「エクヴァルと言います。私の同郷で、二階に居候してるんです」
守備隊長としての調査なのかな? エクヴァルはああ見えても、剣で戦うと強い。言動はともかくとして、立ち居振る舞いは冒険者らしくないし、Dランク冒険者っていう方が逆に怪しいよね。
「居候……。ではその……、恋人じゃなく?」
「違いますよ。彼は女性という性であれば、だいたい誰でも好きなんじゃないでしょうか」
アレシア達に続いて、また聞かれたわ。みんなそういう話が気になるのかしら。
「はは、エルフの女性を褒め称えていたね。じゃあ、ええと……」
「……どうされましたか?」
言い淀むジークハルトを見上げると、彼はなぜか顔を反らす。
「……そう、困ったことがあったら、いつでも頼って欲しい」
「ありがとうございます?」
「ばいばい~、イリヤ」
シルフィーがジークハルトの肩で小さな手を大きく振っていた。
なんだか今日のジークハルトは、いつになく挙動不審。
そのまま会話らしい会話もなく、家に着いた。送ってくれたお礼を伝えて、今度こそお別れする。
ジークハルトは軽くお辞儀して、守備隊本部の方向へ去って行った。
(ランヴァルト兄上……。こういう時は、どんな会話をしたらいいんでしょう……)
一人繁華街を歩きながら、葛藤する後ろ姿があった。
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