第87話 ヘーグステット家の長男
「イリヤさん、アンブロシアって興味あるかな?」
道を歩いていると、反対側からジークハルトが一人で歩いてくる。挨拶をして通り過ぎようとした時、不意に思い出したように呼び止められた。
「もちろんあります。……もしかして入手できそうなんですか!?」
「それが解らないんだ。私の家の領地内に、咲いていると噂される森があって。ただ、まだちゃんと調査されていない。魔物の討伐は定期的にしているとはいえ、危険だから誰も入らなくてね。両親が、それでも良ければ探しに行ってみないかと言っていて」
どうやら以前のことを気に掛けてくれているらしい。ちょっとイヤミを言われたくらいだし、私もイヤな返し方をしてしまったから、気にしなくていいのに。
とはいえアンブロシアが生える森なんて、アイテム職人にとっては宝の山!
多少の危険があろうと行きたいと言うか、大きな危険があった方が喜ぶ人達がいると言うか。
「是非行ってみたいです! 場所を教えて頂けますか?」
そんなわけで、今日はヘーグステット子爵が管理する森を訪問している。
さすがに
しばらく進むと草があまりない場所に出た。
ちょっと休んで辺りの様子を確認する。今のところアンブロシアは影も形もない。もっと奥深くまで行かなければなさそうだ。
「魔物も強いものは出ませんね」
「うむ。狩りができぬ……」
「イリヤ嬢、さっき倒したマンティコアはそれなりな魔物に入るからね」
徐々に森が深くなり、木の葉が重なって空を覆い隠して、昼間なのに薄暗く感じる。背の低い草ばかりになったから、歩くのは大分楽になった。
まだ珍しい薬草は見当たらない。
何故かエクヴァルが、きのこ狩りを楽しんでいる。山中での訓練もあるから、覚えたのだとか。何をさせられているんだろう、親衛隊。
突如木々の向こうから、ガサガサと誰かが移動する音がした。
あまり人が立ち入らない森と聞いていたのに、誰かいるのかな。それとも魔物なのか。近付く葉擦れの響きを警戒していると、背の高いモノが姿を現した。
ウッドワスという、人間に似た体格で毛むくじゃらの魔物。
エクヴァルがウッドワスと私の間に立ちはだかり、剣を抜こうと柄に手を掛けた。ベリアルは任せたとばかりに、私の隣にいる。
「いたぞ、あそこだ!」
「逃がすな!」
どうやら討伐をしている最中のようだ。まさか魔物討伐にかち合ってしまうとは。
声がどんどん近くなる。
ザザザッと風のように素早く駆ける音がして、男がウッドワスへ斬りかかった。
ただ立ったままでいたウッドワスが、避けて鋭い爪で男へと反撃する。それを剣で防いで、男は腕を振って無防備になっていた腹を切った。
痛みに叫ぶウッドワスにとどめを刺し、返り血を拭っている。
「……た、隊長……早過ぎますよ……!」
後から数人の兵士達が、息を切らして姿を現す。木の間を走りにくそうにしていた。
「お前たちが遅いんだ! たるんどる!!」
薄茶色の髪にマラカイトのような深い緑の瞳。ここで討伐をしているってことは、ヘーグステット子爵の兵かな?
「……で? お前たちは何だ? 付近の領民じゃないな。ここは我がヘーグステット家の領地。何用だ! 何の為に入った!?」
我がヘーグステット家。
もしかして、この人が長男? 彼はヘーグステット家の誰とも性格が似ていないような……???
「はい、アンブロシアの採取に参りました。ジークハルト様が……」
「アンブロシアだと! さては盗人か!!!」
ろくに話も聞かず、ズンズンと歩いてこちらを目指す。
「ライネリオ様、お待ちを! まずはお話を伺ってから……」
部下達が呼び止めるも、彼は返事もしない。人の話を聞かないタイプ?
抜身の剣を持ったまま、私の前にいるエクヴァルの近くまで来た。
「貴様らもあの女の一味か?」
チラリと視線を移した先には、部下に捕らえられて手を縛られた女性が一人。質素なクリーム色の服に薄い枯草色のケープを羽織っていて、長い緑の髪を腰まで伸ばし、若草のような黄緑の瞳が心細そうに揺れている。
「……彼女、とても盗賊には見えないけど? 君は何、犯罪者を仕立てあげるのが趣味?」
非難を込めた態度に、ライネリオはカッとなって剣を構えた。
「なんだと……っ!」
怒りに任せて剣を振り上げ、攻撃してくる。
エクヴァルは冷めた目をしてそれを眺め、僅かに左に動いただけで躱した。すぐ脇を剣が振り抜ける。
空を切った剣を、今度はエクヴァルに向けて切り上げようとする。彼が前足をずらして間合いをはかり、後ろの足を引きながら素早くヒュッと剣を振り下ろして合わせると、勢いで体勢が崩れたライネリオは簡単によろけてしまう。
衝撃で落としそうになっていた剣をライネリオが握り直した時には、エクヴァルの剣身が男の首に当てられていた。
「良くないね、興奮して剣を振るうなんて。君は何を習ってきたんだい?」
全くつまらなそう。剣の腹で
その様子に、後ろの方にいた部下の兵が、顔色を青くして頭を下げた。
「申し訳ありません! ライネリオ様、今のは貴方様に非がありますよ!」
「…………」
三十歳過ぎくらいのライネリオに対して、彼をたしなめる部下は五十歳近そうだ。お目付け役みたいな感じかも知れない。
「……君は非を認めるわけ?」
「……認める。確かに事情は聞くべきだった」
あれ? 意外と素直だ。ただ、態度は不貞腐れているようでもある。
エクヴァルも毒気を抜かれて、スッと剣を鞘に仕舞った。
「そなたらは、その森の精を捕らえてどうする気かね?」
「森の精?」
ベリアルの指摘に、捕まえられている女性を注視した。姿は人間のよう。
「……あっ! ヴァルトガイステル……森の守護者ではありませんか! 捕らえるなんて、とんでもない!」
「……守護者?」
どうやら全く気付いていないようだわ。知らない人には魔物に映るかも。
森を風のような音を立てて素早い速度で移動し、声は木霊して位置を特定しづらく、暗いところで出会えば恐ろしい存在に感じるだろう。
ドロボウと間違えるかは、ちょっと……。
「そこの女。これはヴァルト……ガ……、守護者だと?」
「そうです、ヴァルトガイステル。守護者のいる森なら、アンブロシアがある可能性が高いです! 早く解放なさってください!」
自分を知っていてくれたと、ヴァルトガイステルは安堵の表情を浮かべている。捕らえている部下の人達もどこかおかしいと感じていたようで、解放の命令を待っているようだ。
「何故そんなことが解る?」
「何故解らぬのだね?」
なんとまあ、平行線な。ベリアルに説明する気はないだろう。
でもどうやって見分けたかと問われても、説明が難しいな……。彼は絶対、理解できないよね?
「……アンブロシアのある場所まで案内してもらうのは、どうでしょう? 守護者なら存じているはずです」
「アンブロシア、か。数年前に森の奥深くで発見され、その後探そうとして遭難したり帰らぬ者が続出し、探索を控えるよう通達してあるからなあ。確かに生息地を知っている者がいるとは思えん。見つけた者すら再び辿り着けなかった」
ライネリオは顎に手を当てて考えている。
その様子にヴァルトガイステルは、
「案内……してもいい。けど条件がある。かわりに森、もっとちゃんと整備して、欲しい」
と、たどたどしく訴えてくる。
もしかしてこれを頼みたくて姿を現したのかな? それで唐突に泥棒扱いされたら、驚くよねえ。本当に彼は、どうしてそんな勘違いをしたんだろう。
「……よし。お前の発言が確かなら、森の整備を必ず
こうして皆でアンブロシアの生息地を目指す運びになった。
先頭を行くヴァルトガイステルは、カサカサと葉擦れのような小さな音を立てて軽やかに歩いている。さすが森の守護者、早くて付いていくのが精いっぱいだわ。
守護者が一緒だからか、魔物にも出くわさずに森の奥へ順調に進んでいた。
そしてついに、憧れてのアンブロシアの群生地に到着!
想像していたよりもたくさんある。大きな赤い花が、あちこちに咲き誇っていた。私は取り過ぎないように気を付けつつ、丁寧に採取した。
待っている間、エクヴァルはライネリオ達と会話をしている。
「いやいやあの出会いだから、絶対にもっと揉めると思ったんだけどね」
「ライネリオ様は、ご自身を剣で負かせた相手には素直になります。話し合いをしたい時は、コテンパンにのせばいいのです」
「ブルーノ! コテンパンとは何だ!?」
すごい副官だ。指揮官をコテンパンにのせとは……。ベリアルも笑っている。
「本当のことです。私は毎度、呆れているんですよ。このままでは安心して引退できません」
「どうやら懲りぬ男のようであるな。痛い目を見るのも、学びの機会であろうよ」
「全くです!」
ブルーノはベリアルの発言に大きく頷いてから、体ごとエクヴァルへ向き直った。
「宜しければ貴殿を好待遇でお迎えしたい! ぜひこの方の興奮しやすい性格を、完膚なきまでに叩き直して頂きたい!」
「楽しそうなお誘いですが、残念ながら気ままに生きたいもので」
完膚なきまでは、要らないんじゃないかな!?
にっこり笑って断るエクヴァルに、ブルーノは薄く曖昧な笑みを浮かべた。
「そういうことにしておきましょうかな」
どうも大体見抜いていそうな……。さすがに年の功、なんだろうか。
アンブロシアの花の収穫が終わり、ヴァルトガイステルと別れて森を出る。ライネリオ達は、森を整備して討伐の回数を増やすと約束した。
そしてアンブロシアを収穫する時は、番人への合図として木を数回ノックする取り決めもした。合図をしない者はアンブロシアの生息地へ行かせないようにしてもらう。
アンブロシアを保護した上で定期的に収穫できるようになれば、立派な収入源になるね。
その日はヘーグステット家の所有する、森の管理用の邸宅にお泊りさせてもらえることになった。
管理用とはいえ子爵家の跡取りが滞在する邸宅だ、二階建てで質素ながらにかなり広い。何人お客が来ても泊まれそう。私達が到着すると、使用人がずらっと並んでお出迎えしてくれた。隣の棟は兵士たちの宿舎らしく、訓練場まである。
エクヴァルはその訓練場で兵士を鍛えてくれと頼まれて了解し、お茶を一杯頂いてから足を向けた。
ブルーノという副官に、かなり気に入られて意気投合している。
でも大丈夫かな。皇太子殿下の親衛隊が行う訓練って、エグドアルム王国で一番厳しいって有名なんだよね……。
私とベリアルは使用人の人達とお喋りしながら、お菓子を頂いた。
最初はベリアルを見て、高位貴族の友達の来訪だと勘違いしてかなり緊張したらしい。実のところは地獄の王だけど、そこはまあ知らぬが仏で。
ライネリオは短気でも、使用人に高圧的な態度をとるような人ではなく、皆が明るい表情で仕事をしている。ブルーノが手綱を握っていれば問題ないんだな。
一息ついてからお茶を淹れてくれた女性の案内で、訓練場に行ってみる。
付近にはエクヴァルの怒号と、木刀を打ち合う音が絶え間なく響いていた。
「遅いっ! 座るな、立たねばとどめを刺される!! 次……、何をしている!!! それだけの人数がいて私を遊ばせるのか!?」
おお……軍人モードが発動中。もちろんライネリオも相手になっていない。
脇では副官のブルーノが、笑顔で訓練を眺めている。彼もかなり厳しい人物なのね。
「さ、先ほど“美しいお嬢様方にお出迎え頂き、感無量です”と仰っていた方と、本当に同じ人物でしょうか……?」
エクヴァルの豹変ぶりに、案内してくれた女性が驚いている。
「……彼は、女性と戦闘が好きなんです……」
なんだろうな、この二択。
彼の覇気に腰が引けた兵達に自ら迫り、走り抜ける様な速さで倒していく。目の前の五人を打ちのめしたところで、厳しい視線をライネリオに向けた。
「ライネリオッ! 指揮官の仕事をしたまえ!! 君は自分が戦う以上の役目があるだろう! 戦略を練り、味方を鼓舞する立場だと忘れたか!?」
ついに呼び捨てになったぞ。これはテンションが上がってるな。
「は……はいっ!!!」
そして彼は反論もせず返事をしている。倒されれば素直になると言うのは、本当らしい。辺りにチラッと視線を巡らせ、剣を構え直す。
「……皆、固まり過ぎだ! もっと味方の動きも考えろ! 普段の訓練を忘れるな!」
「これで少しはライネリオ様にも、人の上に立って導いていくという自覚が出てくるといいんですがねえ」
ブルーノは満足そうに呟いて、何度も頷いている。
まだ訓練は続きそうだ……。
訓練が終わると怪我をした兵に衛生兵が回復魔法をかけ、お風呂に入ってから夕食を兼ねた宴会になる。エクヴァルはライネリオとブルーノと、楽しそうにお酒を飲み交わしている。
「いやあ、こんな強い男は滅多にいない! 今日は本当に勉強になった!」
「ライネリオ様も、これで少しは短気が治りますかな?」
「こんなに粘るとはね、根性があるね。なかなか楽しめた!」
エクヴァルの言葉に、何度も叩きのめされた兵達は楽しかったのかよ……と、げんなりと呟いていた。
ベリアルはお酒の飲み比べをして喜んでいる。何種類も出してくれたみたい。
私はお酒は遠慮して、食事の後に紅茶とスイーツを頂いた。チェンカスラーはフルーツを使ったお菓子が豊富で嬉しい。
翌日は皆に見送られて邸宅を後にした。
「エクヴァル殿、礼を言おう!」
手を握り合うライネリオとエクヴァル。二人とも満面の笑みを浮かべ、晴れ晴れとしている。
「いやあ、君もなかなかしっかりした男じゃないか。頑張ってくれたまえ、ライネリオ君」
「ぜひまた稽古をつけに来てくれ!」
名残り惜しそうに手を振るライネリオ。
そんな二人の様子を、温かく見守る副官ブルーノ。
そして来ないで欲しいと言いたそうな視線を向ける兵達。
頑張ってくれたまえって……、エクヴァルの方が少し年下じゃないかな…?
どうも奇妙な友情が生まれたようだ。
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