第85話 セビリノ君とお別れ(イグナーツ視点)

 イグナーツ・ウィンパー。それが私の名前。

 防衛都市の筆頭魔導師、バラハ様の輔佐をしている。現在バラハ様は、指揮官であるランヴァルト・ヘーグステット様と共に王都へと出向かれている。気を引き締めねば……そう気を引き締めていた矢先だった。

「敵襲! 魔法使いと思われる男が一人で、こちらに広域攻撃魔法を仕掛けてきます!!」

「広域攻撃魔法だと!? なぜこんな夜中に突然!? ……とにかく防御魔法だ、私が指揮する。君は伝令を飛ばすんだ!」


 最初に使われたのが、吹雪の軍団の攻撃広域魔法、グロス・トゥルビヨン・ドゥ・ネージュ。

 それは防ぐことに成功した。

 一難去ったと安堵あんどした瞬間だった。四つの風の広域攻撃魔法、デザストル・ティフォンが唱えられた。これは別動隊から発せられ、その存在を感知できていなかった私達はマトモに受けてしまい、多くの怪我人を出した。

 人が倒れたり飛ばされたり、隊もバラバラになってしまっていた。この魔法は、相手をかく乱させるのに向いている。風で吹き飛ばしつつ視界を遮り、かまいたちによる攻撃も与えるから。

 統制が崩れてしまったところに、また別の魔法がくる。これは魔法使いが個々に対応し、何とかやり過ごすことができた。

 突然の奇襲に翻弄ほんろうされ防御もままならない状態で、いつまで守りきれるか解らない。せめてバラハ様がいらっしゃれば、このような無様は晒さなかったろうに……!


 しかし悔やんでいる場合ではない。無事だった騎士と魔法使いで少人数の混成部隊を結成し、まずは左右の別動隊に攻撃を仕掛ける。だが反撃も想定されていて、向こうにも剣士や弓兵が控えていた。

 大した打撃を与えられず、撤退するしかなかった。なかなかうまく作戦が進まない中、最初に一人で魔法攻撃を仕掛けた男が、さらに広域攻撃魔法を使ってくる。


 防御し切れないこちらの様子にあざ笑いながら、マナポーションらしきものを服用している。その上でまた最初の魔法を唱えるよ、防御はいいのかなどと挑発してきた。挑発しながらむせてる。

 バカだな、笑いながら飲むなよ……。

 とはいえここでまた、吹雪の軍勢……! 今直撃を受ければ、多数の死者が出るだろう。怪我人の治療どころではない、とにかく防御魔法を唱えろ、騎士は下がれと叫ぶ。魔法使いの数人が防御を張ろうと、前へ進み出た。

 しかし彼らも再三防御魔法や回復魔法を使い、そんなに魔力は残っていないだろう。マナポーションによる補給も、まだ十分にはできていない。

 ついに、男が詠唱を開始。


「吹雪の軍勢よ、枯野を吹きすさぶ“死”なる使者よ、訪れよ。我が前に跪き、その威を示せ」


 ひゅうっと風が髪をいて防壁に強い冷気が吹き込み、白い雪がヒラヒラ舞い降りる。これから起こる悲劇の先触れのように。


 そんな時。希望ともいうべき人物が現れる。

 バラハ様に魔法を伝授してくれた、あの薄紫の髪の女性だ。

 彼女は既にある程度こちらの状況を把握しているようで、一人で防御魔法を唱えると言う。どういう立場の人物なんだ? どこでどう、あの伝令を聞いたのだろう……?

 そしてなぜ、バラハ様よりも早くここに到着できたんだ?


「凍れ、凍れ! 血の一滴たりともぬるむことなかれ。もはやレギオンの軍靴を阻むものはなし。進軍せよ! グロス・トゥルビヨン・ドゥ・ネージュ!!!」


「神聖なる名を持つお方! いと高きアグラ、天より全てを見下ろす方よ、権威を示されよ。見えざる脅威より、我らを守護したるオーロラを与えまえ。マジー・デファンス!」


 彼女が唱えた防御魔法は私が名前しか耳にしたことがない、光属性の魔法だった。このチェンカスラーでは教えてくれるところなどないはずだ。王宮ならともかく。他国で学んできたのだろうか。

 あの吹雪の軍勢、グロス・トゥルビヨン・ドゥ・ネージュを簡単に抑えてしまった。範囲といい効果といい、見事な術としか言いようがない。

 更に不思議な広域回復魔法を唱え、自称弟子が来るから協力してと言い残し、赤い髪の悪魔とともに凶悪な魔導師の元へと向かった。

 おとぎ話のような光景だ。怪我人はほぼ治り、部隊をすぐに編成し直してこちらも警戒を強める。

 彼女は敵の魔導師と対峙たいじしているが、何か少し話をしているようで、まだ魔法戦には至っていない。説得でもしているのだろうか……、無理はしないでほしい。


 しばらくして紺のローブを着用した、高貴そうな魔導師が到着した。この人が、彼女の自称弟子という人? 彼女より格上にしか見えないのだけど……? 目深にフードを被っていて、夜の暗さもあり顔はよく見えない。

「師はどちらに?」

「あ、貴方が先ほどの女性の、自称弟子という方ですか?」

「……自称……」

 ちょっとガッカリしたようだ。人物像が掴めない。


 そんな時、急速に雷雲が渦巻き、雷の魔法の詠唱が始まったことを現していた。この強い雷の魔法を、女性一人にぶつけようというのか!? なんて非情なヤツなんだ……!

 この弟子という人は、応援に行くんだろうか?

「あの、彼女を助けに行かなくていいのですか?」

「それには及ばん。すぐにあの魔法は霧散する。それよりも、こちらもやるべきことをやらねば」

 霧散……、どういうことだろう?

 訝しんでいたが、確かにいつまで経っても発雷しない。やがて雲はすっかりと晴れて、夜空に星が戻った。これが防御魔法の効果……!?

 自称弟子の男は、辺りを見回してこちらの状態を確認していた。だいぶ立て直せたし、部外者にあまり無様を見せずに済んで良かった。

 とはいえ、彼女のおかげなんだけどね……。

「やはり師の雷に対する防御魔法がまさっていた。さて、誰か騎士はおるか?」

「そ、それならバルナバス様が」

 ランヴァルト様の副官、バルナバス様。彼は現在、騎士隊を指揮して隊伍たいごを整えることに当たっていた。

「その者と話がしたい」

 何というか、命令し慣れている男だ。これはどこかの軍の魔導師だな。味方であるのだろうし、質問はせずに言う通りにしておくのがいいだろう。


 バルナバス様に語った内容はこうだ。

 襲撃のタイミングが良すぎる、内通者がいるはず。これはどこかの国の先駆けではないだろうか。夜明けとともにその国の進軍が開始される可能性もある。

 内通者がいるなら跳ね橋を降ろそうとするはず、降ろさせては絶対にならない。跳ね橋を警戒し、内通者を捕縛すべし。


 簡潔で深い読みだ。確かに……偶然とも、このまま終わるとも思えない。こちらは防戦一方で混乱していて、先の展望までは考えが至らなかった。前回も卑怯な手段に訴えてくる国があったが、どの国かまでの確証は掴めていない。しっかりと乗り切って、証拠を掴みたい。

 バルナバス様は、すぐさま信用できる人間と門の守備に当たった。


 女性の方は、光属性の攻撃魔法を唱えて、敵を粉砕する勢いだった。

 シエル・ジャッジメント。見た記憶があるはずなんだけど、ここまで危険な魔法だったか……!? 自称弟子は満足そうな表情で頷いてるぞ!?


 少しして悪魔が魔導師の男を抱え、契約者である彼女と戻って来た。待っていたように自称弟子の男が、ひざまずいて彼女を迎える。

「お疲れ様でございました、師よ」

「普通にして欲しいんですけど……」

「普通です。普通の弟子にございます。もう一隊は私に残されたのでしょうか?」

 普通の弟子もこうではないような…?バラハ様は、師匠ともっと砕けた感じで接しておられたぞ。

 しかしこの弟子というのも、かなりの切れ者らしい。もう一隊の存在を既に感知していたなんて。これだけの魔導師が在籍していれば、魔法での奇襲は全て防げるのだろうな。己の未熟が悔やまれる……。


「攻撃魔法を唱えてくるわけでもなかったので、どうすればいいのかと考えあぐねまして」

「あの攻撃魔法に恐れをなしたのでしょう……。解ります」

 私だってアレをの当たりにしたら、手出しなんて絶対できない。弟子の男は、自信満々な笑顔だ。

「師の魔法は強くていらっしゃいますが、特に光属性魔法は他の追随を許しませんからな。当然です!」 

 敵の魔導師の男は気を失っている間に魔力を抑える拘束具をつけて、彼女の悪魔が監視してくれることになった。この魔道具で完全に抑えられるか、不安があるからだ。適当な部屋に押し込んで、赤い悪魔、ベリアルには酒とつまむものを用意させておいた。


 結局残った撤退途中の別動隊にはこの弟子の男が攻撃魔法を放って、というか師匠の前で披露したかったらしく、地震を起こす土属性の魔法を嬉々として唱えていた。やはり通常以上の、かなりの効果だ。

 その後二人は敵軍が本当に迫っているのか確かめたいと希望したので、同じく気掛かりだった私も同行することに。魔法部隊が撤退していく方向から来るのだろうから、場所を予測して向かってみると、まさに我が国へと迫る大軍を発見。旗印からどの国か判明したぞ。

 しかし作戦が上手くいっていない以上、敵の士気はかなり落ちるだろう。


「ちょっと驚かしちゃいましょう。セビリノ殿、補助を頼みます」

「……師匠」

「……セビリノ、補助を」

「はっ!! 粉骨砕身、務めさせて頂きます!」

 胸に手を当て、バッと勢いよく礼をする。

 本当にどうなってるんだ、この弟子の男は。彼より十歳は年下だろう、この女性。そんなに呼び捨てにされたいものか……?


「渦巻いて高く伸びよ、天を突く竜巻。根こそぎ奪い尽くす、猛威を振るう自然の脅威よ。コマの如く走りて弾け、砂塵を巻き上げ衣として纏え。一切の被造物を刈り取り、高く高くかかげよ。打ち捨てて叩き潰せ、容赦なき螺旋を描く破壊の風! カラミティ・トルネード!」


 敵軍勢の前につむじ風が発生すると、またたく間に風を集めて凄まじい竜巻へと成長し、先頭にいた者たちは風圧に耐えるので精いっぱいだ。土が塊で飛び、木も根こそぎ持っていかれるような恐ろしい暴風が、天に届くほど伸びている。

 巻き込まれた物が竜巻の周囲をぐるぐると舞い、弾かれてどこかへと飛んでいく。


「流れよ、我が誘いに従いたまえ。すそなびかせて進め。地の全てを暴け!」


 男が追加詠唱らしき言葉を唱えると、竜巻はゆっくりと前進する。敵軍は慌てて引き返そうとし、逃げようとするもの、立ちすくむもの、指揮官の言葉を待つ者などが混在して、混迷を深めている。

 この竜巻の魔法だけでも、王宮魔導師の中に使える人間がいるかいないかくらいだろう。それを、よもや追加詠唱だって……!?

 追加詠唱により竜巻を自由に動かし、しかも持続時間が長い。まだ風は弱くもならない。恐ろしい魔力量だ。

「イグナーツ様、敵にキツイ警告でも与えてください」

 なぜか悪戯でもするような表情で、女性が私に告げる。そんな愉快なことかな……。


 まずは竜巻の風を避けつつ近付いた。迫る危機に敵軍は逃げ惑い、既に総崩れだ。

 旗があると風で煽られ飛ばされるので、地面に幾つも打ち捨ててある。騎馬兵の馬は怯えていななき、手綱を手放さないのがやっとくらいだ。魔法使いもいるようだが、防御魔法は使われなかった。間に合わなかったんだな。

 大きく手を動かしながら騒いでいるのが指揮官だろうか。

 私は彼に向かって、出来る限り声を張り上げた。


「……敵将に告ぐ! 我が国を攻めるのであれば、貴様らが仕掛けた魔法以上のものを使用する。この竜巻は、警告に過ぎない。なお、先兵は既に捕らえてある。以上!!」

 こんな感じで良かっただろうか。どんな発言をすればおどせるのかピンとこなくて、あんまり長く喋れなかった。こういうのはバラハ様の仕事なんだ。初がこんな場面だなんて、かなり緊張したよ。

 あの人はいい加減だけど、口上はかっこいいんだよな。でもこれで撤退してくれるならば、かなり助かる。

 戻ると二人が微笑を浮かべているので、問題はないと信じたい。

 

 竜巻はスウッと伸びて弱くなり、大気に溶けるように鮮やかに消えていった。砂埃や飛んでいたものが、糸が切れたように真っ逆さまに地面に落ちる。

 魔力操作の巧みさが際立っている。魔法が使える者なら、コレを見せつけられて戦いを挑みたいとは考えないだろう。

 皆で防衛都市に戻ると、バラハ様と同時にワイバーンに乗った見慣れぬ男性が到着したところだった。

 

「イリヤ嬢……! 軍には関わらないでって、釘を刺しておいたのに……!」

「ちょっと竜巻を出して、おもてなしをね! 当たっていないから関わってない……よ?」

「言い訳の稚拙さが酷い……。セビリノ君まで一緒になって……」

 紺色の髪をした男性は、開口一番彼女をいさめた。まあ普通の反応か。魔導師とはいえ、危険な行動に変わりはない。

 切羽詰まっていたとはいえ、民間人にここまでの協力をしてもらった、こちらにも落ち度がある……。

「すまない、師の魔法を拝見したく……」

「いいなあ、私も見たかった! あとで教えてくれ、イグナーツ」

「……二人とも!」

 男性がキレそうなので、この辺で話を止めた方が良さそうだ。

「それよりもバラハ様、最初に広域攻撃魔法を唱えた男を捕らえております。まだ意識はありませんでしたが彼女の悪魔に監視してもらっているので、様子を確認に行きましょう。」

「やったな! これで今回は全容が掴めるか……!」

 今度こそは正式に抗議してやる、とバラハ様が息巻いている。



「ぅ、うーん……。生きて……る!? ぐへ、全身が痛い……! ……ここは、いやあの女は……」

 男が目を覚ました。暗いグリーンのローブはボロボロで、装備も壊れてしまっている。その上魔法を抑える拘束具を付けさせたから抵抗はできないだろうけど、油断は禁物だ。

 自分の手が縛られていると確認して、部屋の中をゆっくりと見回す。そして私達を確認し、椅子に足を組んで座る悪魔の存在に心底嫌そうな顔をした後、イリヤさん達に再び視線を戻して、弟子と名乗る男に目を留めた。


「おま……いや、貴方は……! セビリノ・オーサ・アーレンス!! エグドアルムの宮廷魔導師が、なぜここに!??」

「あらら。セビリノ殿、有名ですね」

「私が来たのは、少々迂闊うかつだったようです。……それと師よ。呼び捨てになさってください」

 エグドアルムの宮廷魔導師!?? 本当にどうしてここに!?

 しかもその名前、バラハ様が憧れている魔導書の著者じゃないか!? 彼女がその男の……師?


「参ったな。いろいろ喧伝けんでんされると困るから喋れないように、首、切っといていい?」

「良くないっっ!!! 我が国の捕虜だからね!!」

 バラハ様がすかさず止める。この紺の髪の男、本気だ……。躊躇ちゅうちょせずに殺そうとしたぞ。恐ろしいな。

「何も喋んないっての! おおよそそこらの魔法使いの中で、セビリノ・オーサ・アーレンスに敵対しようなんてヤツは、いないだろ!! 中級ドラゴンを一人で倒しに行く魔導師なんて、ヤバすぎる!!!」

 中級ドラゴンを一人で……!? 例えできるとしても、やろうとは考えないだろう!

 驚いて弟子の男、セビリノを振り返る。すると師であるイリヤとともにきょとんとした、この場に相応ふさわしくない表情をしていた。


「回復アイテムを作るなら、中級くらい倒さないとドラゴンティアスは手に入らないものねえ」

「しかしまだ、師のように一撃でとは参りません。研鑚けんさんが足りませんで……」

 わ! 本当にヤバイ人だ! 確かに知ってたら、普通は敵対なんてしないな……。

「いやあの、師って、どういうこと……ですかね? その恐ろしい女……いや、女性は……」

 ボロボロの捕虜の男の口調が、段々丁寧になっている。


「彼女は私の師匠。私など及びもつかない魔導師でいらっしゃる」

 その言葉を聞いた捕虜の男は、あごが外れるほど口を開いて動転し、その場に土下座した。

「ひぃ……っっ!! お許しを……! まさかそのような方とは思いもよらず! 国で犯した罪を免除する代わりに、協力するよう要求されたんです……!」

 だから自分には非がない、という男性。いや、あるだろ。


 捕虜の男性の処遇は、全てこちらに任された。これから尋問が始まる。動揺しているから、かなり色々と喋ってくれそうだ。内通者も無事に身柄を確保でき、一緒に取り調べられる。

 イリヤとワイバーンに乗ってきた男性はレナントへ帰り、セビリノ・オーサ・アーレンスは別の場所へ向かうらしい。彼女との別れをかなり惜しんでいた。


「師匠、また必ず参りますので」

「まあ、はい。……セビリノ、お元気で」

 女性は呼び捨てにすることに、まだ慣れていないようだ。どう見ても貴族の魔導師を相手に一般市民が威張ってるようだからね……、これはやりづらいだろう。

「……セビリノ君。理解していると信じているけど、全部済むまで来ないように」

「どうせならば、その魔導師長とやらを連れて参れ。我が直々に相手をしてやろう!」


「ベリアル殿!!」

 紺の髪の男が声を荒げる。

 バラハ様はその様子を苦笑いで見守っていた。

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