第84話 セビリノ君と真夜中の訪問者

 日付も変わった真夜中に、玄関の扉を叩く音が何度も続いている。とりあえずパジャマにカーディガンを羽織って玄関まで行ってみると、聞いたことのある男性の声で、私の名を呼んでいた。

 こんな時間に訪問者があるのは初めてだ。声を潜めつつも切羽詰まった様子に、扉越しに答えた。

「どちら様ですか?」

「イリヤさん、私だ。商業ギルドの……」

「ギルド長!」

 常識的な紳士だったし、夜中にわざわざ来たのだ、よほどの急用に違いない。

 ドアの向こうには不安を抱えているような、いつになく落ち着かないギルド長が立っていた。


「夜分にすまない。……防衛都市が魔導師の広域攻撃魔法で襲撃されたと、緊急の知らせがあったんだ。ちょうど筆頭魔導師も指揮官も都市を離れているから、かなり混乱しているらしい。特にマナポーション類が不足するはずだし、できれば少しでも早く早く届けたいんだが、……在庫はあるかい?」

「それならば私が自分で届けます、上級のマナポーションも余っていますし。しかし魔導師がなぜ……?」

「今のところ不明だ。何の通達もなく、本当に突然だったらしい。けが人も多く出て、その後の情報はまだ入らない……」

 かなり切羽詰まった状況なのね。これは、一刻を争う。


「大変な事態ですね……、早く行かなければ」

「ダメだ!!」

 突然後ろからエクヴァルが声を張り上げた。

「え、でも心配だし……」

「それは君だ! トップの二人の不在を見計らっているなら、内通者がいるとしか思えない。そしてつまりそれは、何らかの組織が起こした行動……、この場合は軍事作戦だろう。朝の訪れとともに宣戦布告し、軍を導入するつもりかも知れない。そうなると内通者が跳ね橋を降ろし、市街戦に持ち込む計画なんじゃないのか? 魔導師の攻撃は混乱をきたし物資を消耗させる為、そして今回の作戦行動とは別だと言い訳するんだろう。なんの前触れもなく攻めれば、周辺各国から責められるから、その理由づくりだ」


 これだけの話で、ずいぶん考えているようだけど。

「それならなおのこと、行かなきゃ!」

「……何故なんだ? 君が行って何ができる! その魔法で、大勢を殺せるか!?」

 エクヴァルの怒号が飛ぶ。確かに広域攻撃魔法は使えるけど、軍に向かって殲滅するような魔法が使えるかと問われれば、それは自信がない。

「そうだよイリヤさん。無茶はいけない、それは我々の務めじゃない」

 ギルド長も首を振る。マナポーションを提供してくれれば、支援物資として届けると。


「……話が食い違っているように思うのですが。エクヴァル殿、師匠はご自身で作製された物資を届け、その上で魔法使いに対応するおつもりでしょうが、軍との衝突は考えておりませんよ」

 流石に大声だったし、セビリノも起きてきた。

「だから、朝になれば軍が……」

「……夜のうちに、できる支援をするつもりですけど?」

「やはり。到着予定時刻に大きな齟齬そごがある。私はワイバーンより早く飛べますし、師匠はその私でも追い付けないほど飛行速度が速いのですよ。防衛都市程度の距離ですよね? 明け方にはやるべき対策など終わらせられます」

「……は? 早過ぎない……?」

 どうやらエクヴァルは、向こうに到着するのは明け方近くで、敵の大群とお目見えする事態になるかも知れないと危惧していたらしい。私の飛行速度を知っているセビリノとは、結論が違って当然だ。


「エクヴァル殿、軍や組織に所属する魔導師は、普段は本気で飛びませんよ。飛行速度が解ると、移動距離がはじき出されてしまうからです。今回も魔法による作戦が終了するまでは少なくとも筆頭魔導師は戻れない、そう読まれているでしょう。ゆえに我らは速度を知られないようにします。魔力の節約だけではないのです。通常八割程度なので皆そう読みますが、私は六割以下の速度、師匠においては普段は出せる速さの半分も出しておりません」

 丁寧に説明するセビリノ。エクヴァルとギルド長は、呆然として黙って聞いている。


「……ま、いいわ! とりあえず行ってみます、エクヴァルも来るならこれ。この笛を吹けば私のワイバーンが来るわ。着替えたらここをちます、セビリノは?」

「は、無論参ります」

 胸に手を当てて頭を下げる。いや、それ要らないってば。パジャマでやると、ちょっと様にならないわ。

「ではギルド長、急ぎますのでこれで失礼致します」

 固まってるエクヴァルは放っておいて、さっさと着替えて出発。ベリアルも様子を見ていたので、もう出発する気でいる。


「ところで、イリヤさんを師匠と呼ぶあの方は……?」

「……ああ彼。周りの方には内密にしておいてくださいね。お恥ずかしながら、我が国の誇る魔導師です……」



 最高速度で飛ばしてベリアルと防衛都市へ向かう。速過ぎるから寒い…。

 先に伝令を聞いて出立していた、防衛都市の筆頭魔導師であるバラハを途中で抜かし、私より先に準備を終えて出たセビリノも抜かして、あの高い外壁が目に入る。

 バラハは私の速度に驚いて、

「今度はイリヤさん!? どうなってるの、速過ぎるんだけどー!?」

 と、叫んでいた。


 今回は通路に降り立つまで誰も来なかった。敵がいる方向以外の警戒が疎かになっているようだ。

 外から魔力の高まりを感じるのに、防御魔法は切れたまま。慌ただしく人が動いていて、指示を飛ばす声もする。どうやら皆がケガをしたりで、上手くまとまっていないようだ。

「……、誰だ!? どこから……」

「あ、あの私…、バラハ様の」

 どう伝えればいいか、考えていなかった……! 焦ってしどろもどろになっていると、尋ねてきた兵士の後ろから、魔導師らしき別の男性がやって来た。

「貴女は、バラハ様に魔法を教授してくださった方では! その節はありがとうございました、しかし今は……」

「ええ、伝令を伝え聞いて飛んできました。事情はともかく、まずは防御魔法を張ります」

「助かります、我々も協力を……」

「いいえ、大丈夫です」

 私は協力を断って魔法がくると思わしき方へと進み、魔法を防ぐ光属性の防御魔法を唱えた。


「神聖なる名を持つお方! いと高きアグラ、天より全てを見下ろす方よ、権威を示されよ。見えざる脅威より、我らを守護したるオーロラを与えまえ。マジー・デファンス!」


 敵が唱えたのは、吹雪の軍団の攻撃広域魔法、グロス・トゥルビヨン・ドゥ・ネージュ。これは私が以前この都市に迫ってきた魔物の軍団に唱えた魔法なので、もしかしたらそれを知っていて選んでいるのかも。

 攻撃魔法は全てしっかりと防ぐことができた。失敗すれば多数の凍死者が出ただろう。完全に防げたことが、敵に対しても牽制になるはず。これまでのダメージがあるのに、ここに至って全く攻撃が届かないのだ。


「すごい……、さすがです! 自分はイグナーツ・ウィンパー。バラハ様の補助をしています。敵は正面に一人ですが、左右に別動隊がいる様子……、それを掴みきれずかなりの痛手を負いました。お恥ずかしい限りです……」

「なるほど。……まずはこのまま広域回復魔法を掛けます。」

「は? 広域、回復……? しかし皆を集めてからでなければ」

 返事を聞くより早く回復用に使っているアスクレピオスの杖を用意し、闇の広域回復魔法を唱える。回復魔法の広域なものは、全属性を合わせても一桁しか確認されていない。


「天の輝ける船よ、静謐せいひつなるぬばたまの闇に漕ぎ出したまえ。繁栄を約束するもの、完璧なる円周を描く望月は、汝の王冠なり。陰りなき空の月神、微笑みて黎明をもたらしたまえ。我は船頭、導きに応じ森閑とした波紋を帯びて舵を切れ。クレーヌ・ドゥ・リュヌ!」


 この魔法のいいところは、範囲指定の自由度が高いところ。それこそ、怪我人がいないであろう都市の中を外し、外周だけでもいい。天の船が進む道をイメージすればいいのだ。今回は外周を一周し、怪我人が収容されている施設に効果を届ける。

 もちろん消費魔力は高い。


「なんと不思議な魔法だ……」

 イグナーツと名乗った男性は、自分の手を開いて見ていた。どうやら彼も手に怪我を負っていたらしい。効果範囲もだいたい感知したようで、しきりに驚嘆していた。

「さて、どうするのかね?」

 ベリアルが楽しそうに声を掛けてくる。

「そうですね、まずはその魔法使いに挨拶に参りましょう。別動隊に関しては、まずは様子を見て。それとイグナーツ様、後ほど私の、……ん~……、自称弟子が参りますので、協力してことに当たってください」

 私は杖を仕舞いながら上級のマナポーションを飲み、ベリアルと飛び立った。まずは正面の、弓の届かない場所に一人でいる人物へ向かう。

「無理なされませんよう! 危険と判断したらば、すぐにお戻りください!!」

 心配するイグナーツの声が耳に届いていた。



「どうなってるんだよ……!? 今までの攻撃魔法は手応えがあったんだ! 完全に防がれるなんて、そんなわけがない! まさか、もう筆頭魔導師が戻ったのか?」

 男性が一人で騒いでいる。これが攻撃魔法を唱えた魔導師だろう。宝石の埋め込まれた杖を持ち、足元までの長くて暗い色をしたローブを着て、目深にフードを被っている。

「バラハ様はまだお戻りではありませんよ」

「……女!? お前が今の防御魔法を展開したのか?」


 少し離れた位置にベリアルと降り立ち、男性を観察してみる。

 近くに誰かがいるようでもない。別動隊は、大声で指示すれば届くかくらいの距離だ。魔導師や兵士達が木々に隠れているが、現時点で行動を起こす気配はない。

 戦闘でもあったのか道端に倒れている影があり、一部の草が踏み荒らされている。

「その通りです。貴方はなぜ、防衛都市に攻撃を?」

「僕は魔法の研究が好きなんだ。ちょうどいい、実践の場じゃないか。まだまだ遊び足りないよ!」

 遊び。人を傷つけ命まで奪おうとするのが、遊びだと言うの!?


「ならば、私がお相手します。一対一、楽しい勝負を致しましょう」

「強気だね~、受けてやる。ただし命の保証はしないぜ?」

「……一つだけ聞かせてください。これは、戦争になりますか?」

「まさか? 国も軍も、関係ないね」

 言った。これが言わせたかった。

 相手は自分の発した言葉の意味が解っておらず、ニヤニヤと笑っている。エクヴァルが推測していたように、軍とは関係ないとアピールしたいんだろうが、それを逆手に取ったまで。


「……戦争ではない。返答、感謝します。ベリアル殿! 契約にもとづき、同意致します。東側をお願い致します!」

「ふふふ……、ようやく我の出番であるか! ずいぶんと待たせるではないかね、小娘!」

「物事には順序があるんですよ」

 ゆっくりと宙に浮いたベリアルが、赤い余韻を残して東側に展開している敵の別部隊に向かって消える。多分、別動隊は軍の人間だ。それもあって姿を隠しているんだと思う。この彼のお目付け役も兼ねて。

 戦争とは関係ないと言わせたかったのは、この別動隊に対峙する為だ。

 ここには私達二人になった。ようやく事態を把握した男性は、驚愕の表情を浮かべている。 


「……アレはまさか、悪魔か!? やられたっ、戦争に公爵以上の悪魔を投入することは、召喚術師の規範に反する行為……! てことはアレは……、公爵以上の爵位を持った……悪魔!! そんな……そんなバカな……!!!」

 天使と悪魔の最終戦争が地上で起きるのを防ぐ為に、第二位までの天使と公爵以上の悪魔に関しては、戦争への積極的な導入を規範で禁止している。お互いにぶつけ合うようなことにならないように。

 それにそのような高位の存在が本気で関わりでもしたら、一方的な大量虐殺も行われかねない。


 これはマトモに学んだ召喚術師なら誰でも知っている。ただ高位の存在を召喚すること自体が難しいので、普段はあまり意識されない。罰則はないものの、積極投入が知られれば術者としての評価は著しく低下し、危険人物として認識されてしまう。

 国の王などで戦争に使おうと、無理に召喚術師に喚ばせるという事案も過去にあったが、いい結果になった事例は一度もない。

 国に仕えている召喚術師に公爵以上と契約している者がほとんどいないのは、簡単には契約できないからだけではなく、契約したと知られた後に戦争に駆り出されるのを避けるという理由もある。

 ベリアルみたいに戦闘を楽しむタイプもいるけど、そういうのは大抵、人間の敵も味方も関係ないし……。


「ではこちらも、ゲームの開始です。宜しいですね?」

「……うへぇ……っっ!! 恐ろしい女だ……! こんなところにいられるかっ、早く片付けて逃げないと……!」

 戦争に加担しようとした人間には言われたくないんだけど。

 男性は手早く魔法を唱え始めた。これは雷を落とす、強い攻撃魔法。


「雲よ、鮮やかな闇に染まれ。厚く重なりて眩耀げんようなる武器を鍛えあげよ。雷鳴よ響き渡れ、けたたましく勝ちどきをあげ、燦然さんぜんたる勝利を捧げたまえ! 追放するもの、豪儀なる怒りの発露となるもの! ヤグルシュよ、鷹の如く降れ! シュット・トゥ・フードゥル!」


 低い黒い雲が集まり、雷光が闇を白く照らす。ゴロゴロと唸るような音がして、一層雲が厚くなり、武器となる雷を練り上げている。


「光の点滅よ、拡散して花びらと散れ。雲を蹴散けちらす飄風ひょうふうよ起これ、散じて天色は明朗なり。怒れる嵐は過ぎにし、離れし遠雷を聞けり。ボー・タン・シエル!」


 ザアッと天上に風が吹いて集まった雲は霧散し、雷の魔法は発動さえしない。これは雷の魔法専用の防御魔法。通常の防御魔法より魔力を使う代わりに、発動自体がキャンセルされる。

「バカなバカな!! なぜ僕の魔法が消えるんだ……!? 防御魔法にしても、聞いたことがない!」

「研究がお好きな割に、蒙昧もうまいですね。……では私の番です」


「聖なる、聖なる、聖なる御方、万軍の主よ。いと貴きエル・シャダイ! 歓喜のうちに汝の名を呼ぶ。雲の晴れ間より、差し込む光を現出したまえ。輝きを増し、鋭くさせよ。いかなる悪の存在をも許さず断罪せよ! 天より裁きの光を下したまえ……!」


「まさか、これを完成させているのか……? こんなものをどう防御しろってんだ!!しかも、伝えられている威力を凌駕する魔力を感じる! プロテクションでいくしかないか……」

 男性は大きな声で独り言を呟きながら迷っていたが、普通にプロテクションを唱えるようだ。魔法と物理、両方を防げる。この場合は魔法防御に徹底した方がいいと思うんだけど、焦っているのだろうか。


「荒野を彷徨う者を導く星よ、降り来たりませ。研ぎ澄まされた三日月の矛を持ち、我を脅かす悪意より、災いより、我を守り給え。プロテクション!」


「シエル・ジャッジメント!!」


 白い光がスポットライトのように降り注ぎ、男性を照らす。そして男性を中心にした爆発が起こった。ドオオンという大音量が響き、地面がえぐれて土塊が飛び散り、白と黄色に弾ける爆発の煙の中から悲鳴がもれている。防御魔法は一瞬で崩れ、悲痛な絶叫もやがて途絶えた。


「……う、パーヴァリ様が披露してくださったのと、全然威力が違うんだけど……」

 光属性が得意とは、自分でも理解していたつもりなんだけど! こんなに威力が大きくなるとは予想していなかった。パーヴァリもなかなかの術者だったので、それより一割二割は大きいかな? と想像していた。

 そんなもんじゃなかった……。これは個人に向けるものでは到底ないぞ。


 大きくクレーターのできた地面の底で、彼の呻きが聞こえ、体が僅かに動いたのが確認できた。傍らに割れた杖と、壊れたタリスマンが三つ落ちている。

 良かった、生きてる!!

 ベリアルの方も片付いたみたい。魔法を使われた気配もあったとはいえ、さすがに地獄の王。傷一つ、汚れ一つない。

 あとは西側の別動隊が残っているけど……うーん、どうしようかな。とりあえず防衛都市に戻っちゃうか。この人は回収した方がいいんだろうか……、悩みながら眺めていると、ベリアルが隣にフワリとマントをひるがえして立った。

 場に神聖系が溢れてるから、来ないかと思っていた。

「……アレは運ぶかね?」

「その方がいいですよね。でも中心地ですよ、嫌じゃないですか?」

「仕方あるまいて。なぜあんな魔法を選ぶやら……」

 ぶつぶつ言いながら抱え上げて回収している。西側の別動隊が攻撃してくるかと懸念していたが、静観しているようだ。とりあえず都市の外壁まで戻った。

 まだ夜は明けない。夜の長い一日だ。

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