第82話 セビリノ君、怒られる

 ランヴァルトとバラハが訪ねて来てくれた。そしてその後ろに、ここにいるはずのない人。いつも見ていた紺色のローブ。

 もう既に懐かしい気までしてしまう、かつての同僚の姿があった。

「セビリノ殿……!」

「イリヤ殿……いえ」

 彼は私の名を呼んだが、言い直すようだ。二、三歩近付いて、そして……

 跪いた! なぜ!?


「ご無事でなにより! ご尊顔を拝し光栄に存じます、我が師よ!」

「ええっ!? ちょっと待ってください、師ってどういうことですか!? 同僚ですよね?」

 いきなり何を言い出しているんだろう!?

 ランヴァルトもバラハも、かなり引いてるから!

 とりあえず皆に家の中へ入ってもらう。

 私が紅茶を淹れようとすると、セビリノがそれは自分の役目です、とティーポットを取り上げる。いや、むしろ貴族はやらないでしょう!

 目の前で起こっていることが理解できずにいるのに、ベリアルはなんだかすごく笑ってる!!


 そういえば以前、“その者は本当にそなたと同等か”とか、そんな質問をされた気がする……。

 あれって、こっちの意味だったの!? お前なんか相手にもされてないじゃなくて、私が上ってこと?


 彼は胸に手を当てて軽く頭を下げ、万感の思いを込めて語り始める。

「エグドアルムでは貴族や他の者の目があり、師として崇めれば貴女のお立場が悪くなることは解っておりました。今は故国を離れましたので、師さえ差し障りございませんでしたら、是非貴女の一番弟子として名乗る栄誉をたまわりたいです」

 セビリノの思考が解らない!

 それは栄誉なの……? エグドアルムの宮廷魔導師という肩書の方が、よほどほまれだと思うんだけど。

「セビリノ殿……? 私はむしろ、お友達として」

「友などと恐れ多い! お心だけでも、この身に余る光栄です。是非呼び捨てになさってください」

 全然引いてくれない……。五人分の紅茶を淹れてくれたけど、彼は立ったまま。自分の紅茶は棚の上に置いている。

 エグドアルムの魔導師なら、許可がなければ師とは同席しないから。


「あの……、アーレンス様は、イリヤさんのお弟子さんなんですか……?」

 そもそもそこだよね! バラハが震える声で私に顔を向ける。

「私は一緒に研究や討伐をした、同僚だと……」

「師はいつも私を導いてくださっていました。私のつたない魔法にご指導くださり、討伐においても的確な指示を頂き、素晴らしい魔法薬も提供され……」

 そうだったんだっけ!? 私の認識とは大分違うんだけど?

 導いた覚えはないよ? ただ、自分の研究にずいぶん付き合わせてしまったような。


「……セビリノ君。最初っから見てたけど、君、ひっどいわ」

 唐突にエクヴァルがやって来た。ひどいって程かな?

 と思ったが、違うことのようだ。


「私がなぜ、身分を隠して彼女の護衛をしているのか理解できないかな!? 彼女が狙われる恐れがあるからだよ! 私達がここにいたら、彼女が存在すると言っているようなものだろうが!! 君はその師を、窮地に追い込みたいのかな!? 君じゃなかったら、粛清したいところだ! ああ君、エリクサー作れたよね? なら腕の一本や二本、問題ないか。良かった、効果を検証できるじゃないか。私が手伝おう!!!」


 怒ってる! 怒り方が怖い!

「も、申し訳ない。考えが……足りなかった……」

 エクヴァルの凄まじい勢いにセビリノが動揺して、驚いた表情で謝っている。

「足りないで、済むかっ!! 愚か者が!!!」

 怒り方が軍人っぽくなってきた!

 ここでエクヴァルは長く息を吐いた。少し冷静さを取り戻そうとしているらしい。

「この調子でやって来たなら、ずいぶん足取りを追いやすいはずだ。魔導師長がどんな人間か、君の方がよく知っているだろう」

「……権力に固執した、他人を見下すしかできない金の亡者……」


「随分な人物みたいだね、エグドアルムの宮廷魔導師長……」

「噂以上だな」

 こそこそとバラハとランヴァルトが囁き合う。話を中断させると危険そうだからね……。


「あんまり本人の前で言いたくないんだけどねえ、そんな人間が今回のことを切っ掛けに悪事がバレまくって、弾劾の上、罷免はまぬがれない。領地の没収、爵位の廃位もあり得る。平民である彼女を逆恨みするのは目に見えているよね。生きていると知れば、命を狙う可能性もある。そういう腐った男だと思わないかな?」

「……思い……ます……」

 こんな弱々しいセビリノ、初めてかも……。よほど怖いらしい。

 向かい合うセビリノとエクヴァル。セビリノの方が背が高いんだけど、背中を丸めて項垂れているので、凛と立つエクヴァルより小さく感じる。


 それにしても、そんなことで私の命まで狙わられなければならないの!? 貴族っておかしい! 単にエクヴァルの警戒し過ぎ……ならいいんだけど……。


「君は魔導師長が実力的に自分をおびやかすと最も警戒している人物だってこと、理解していないだろう。普段から探られてるんだよ。で、どこかで家名を名乗ったりしてる?」

「途中の防衛都市の、魔導書店で……」

「私が、口止めをしておきます!」

 ランヴァルトが助け舟を出す。エクヴァルは頬に手を当てて少し考えてから、口を開いた。

「いや、口止めすると余計に気になるものだ。それよりもセビリノ君、帰りに他の国の魔導書店にも何軒か寄って、フルネームで名乗って本についてだの聞いて回るように。執筆活動の一端を装え」

「了解……しました」

 明確な力関係が生まれてしまったような。セビリノがシュンとして、叱られた子供のよう。


「まあ、折角来たんだしね。私の話は後にするよ。覚悟しておくように、セビリノ君……」

 ポンと肩に手を置かれ、セビリノがビクリと震えた。あの感じのお説教タイムが待っているのか。エクヴァルの方が年下なんだけど、迫力満点だった。

 あとで私からも、少しとりなした方がいいかも知れない。

 去り際にエクヴァルは振り返り、言い忘れたけど、と続ける。

「そこの二人、確か……防衛都市の、軍の指揮官と筆頭魔導師。この話は内密に。私は今まで暗殺に失敗したことも、証拠を残したこともないから、よく考えてね。それと最後に……。コマが揃い過ぎている。いい予感はしない。警戒を深めるように」

 ランヴァルトもバラハもとばっちりだ!

 私は教えていない情報まで知っている……。エクヴァルの脅し方は怖い。怒らせないようにしよう。


「……まあ、あの……気を取り直して」

 エクヴァルが去ってから、冷めてしまった紅茶の代わりに私がハーブティーを淹れた。セビリノはまだ肩を落としている。ベリアルが立っているので、セビリノにはソファーに座ってもらった。可哀想だったし……。

 意外とセビリノの失態は、ベリアルは気にしていないようだ。そうか彼は、倒すべき敵が来てくれるなら暴れたいんだな。


「事情は今のやり取りで想像がついたくらいなものだけど、……彼の言い分も解る。我が国でも貴族に仕える使用人が、雇用主の法律に反する程のひどい横暴な振る舞いを告訴したら、凄惨な報復をされたという事件があった。そういう人物なら、注意してし過ぎることはないだろう」

 ランヴァルトが言いにくそうにしながら呟いた。

 そっか、そういう逆恨みもあるのか……。

 考えてみたら伯爵に、逆恨みで高ランク冒険者をけしかけられたばかりだった。本人が来なくても、そういうやり方もあるんだ。


「私も平民から魔導師として軍に仕えてるからさ。平民に負けたとか、してやられたと感じると、頭がおかしいのかって疑うくらい逆上する貴族がいるのは見てるよ。イリヤさんなら大丈夫そうだけど、気を付けて」

 バラハも平民だったらしい。やっぱり庶民から魔導師として仕えるのは、どこでも苦労するのね。

「ふっ。来るなら来れば良いではないか。それこそ、我が望みよ……!」

 ベリアルはむしろ、来て欲しい方だったもんね! 魔導師長の話を聞いた時、殺しに行こうとしたんだっけ。


「まあまあ。気にしてもしょうがないし、せっかくなんだ! 魔法について語り合おう!」

 明るく空気を変えようとしてくれる、バラハの優しさが染みる……。

「ていうかアーレンス様がイリヤさんのお弟子さんなら、私もイリヤさんの弟子になりたい! そうしたら兄弟弟子になれる!!」

 かと思ったら、とんでもないことを言ってきた! しかも動機がおかしい!

「……残念ながら、私は弟子は取っていませんから」

「そんな師匠、私は……!?」

「ていうかじゃないぞバラハ。君の師匠は国を出たが、ご存命だろう。怒られても知らないぞ」

 ランヴァルトが呆れた顔をする。筆頭魔導師なんてしてるのに、バラハは意外といい加減だ。


 それにしてもセビリノは自分の立場を解っているんだろうか? 宮廷魔導師の師匠なんて、とんでもないわよ……!

 そしてなぜそんなに弟子になりたがるのか。お友達の方がいいのに。

 とりあえず弟子については保留にして、普通に魔法の話題に転換した。セビリノの魔導書の話もできた。試しに何冊か刊行してから、私に打ち明けてくれる予定だったらしい。

 共同開発した魔法についても魔導書として出していいか聞かれたので、二つ返事で了解した。


 ちなみに後でエクヴァルに、暗殺なんてしたことがあるのかと、恐る恐る尋ねてみた。

 返答は“ないよ。殿下はそんな命令は下されない。したことがないことの、証拠も失敗もあるわけがない”というものだった。しかも全く悪びれもなく、いつもの軽い調子の笑顔で。彼は本当に解らない……。

 なぜ指揮官と筆頭魔導師だと解ったかというと、最初に私が名前を口にしたからだそうだ。名前だけは知っていた、と。

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