第66話 ベリアル閣下のもう一つの称号

「は……、ハッタリだろう! チャンスだ、行くぞ!」

 Sランクの男が怯みかけた仲間を鼓舞する。剣を持って走るが、ベリアルが宙に浮くと追いかけられない。どうやら飛行魔法が使えるのは、最初に私達を呼び止めたSランクの魔法使いだけのようだ。

 もう一人のAランクの剣士が高くジャンプする飛躍の魔法で飛び上がったが、ベリアルはアッサリ躱し、おもむろに言葉を発する。


「日輪の馬車の車輪を外せ。星よ、またたきをやめ目を閉じよ。光の敵にして明瞭なる影、我は暗黒の支配者ベリアル! 闇よ、我が軍門に下れ!!」


 私も初めて見る、ベリアルのもう一つの称号。

 “暗黒の支配者”である姿。

 “宣言”が終わると共に、ベリアルから黒い霧が発生し、四角い炎無効空間に満たされていく。これは、能力低下の効果がある闇属性の霧。

 天使との戦いの切り札、暗黒の支配者としての能力だ。


 冒険者達は息を呑み、冷汗を流している。

 彼らは自ら捕食者の網に飛び込んだようなものだ。

 この“暗黒の支配者”という称号は、ベリアルと地獄で最大勢力を誇る皇帝、サタン陛下が保持している、共通の称号。これがベリアルが重用されている理由の一つらしい。

 炎を減じられ、神聖系に侵されたくびきからは完全に解き放たれている。凄まじい魔力の波が押し寄せて、力がみなぎっていた。炎の力は使えなくとも、既に何の支障もない。

 逆に冒険者達は闇の霧の効果で、力が低減している。


「ベリアル殿。私がこの結界を破るが先か、貴方が彼らを倒すが先か、競争いたしましょう」

 騙されている冒険者達を殺して欲しくなかったが、こうなったら殺さずに済む可能性はこれくらいしかないだろう。何せ炎を封じたのだから、闇属性の攻撃手段を使うだろう。

 その中で恐るべきものの一つが“呪い”。

 人を殺さない契約を守りつつでも、人間には呪いによる死を簡単に与えられるし、それだけではなく、辺り一帯は呪いに汚染される可能性もある。呪いを使わないでもらう選択肢を増やさねばならない……。

「そなたとの勝負であるか。それは面白い!!」

「では、契約に基づき同意いたします」

 相手を殺す同意をする言葉を合図に、気配が動く。


 浮いていたベリアルの姿が掻き消え、まずは槍を持った男性の後ろに現れた。

「う、うわああ!! いつの間に……っ!?」

「我の闇の空間であるに、油断し過ぎておるな!」

 驚く男性に闇の魔力を喰らわせると、簡単にすっ飛んでしまう。

 この、たまに使うドアを開けずに隣の部屋に入れる程度の移動方法、これも闇を使った移動。最初は悪魔なら誰でもできるのかと思っていたが、そうではないらしい。

 今はこの霧の範囲全てにおいて瞬間移動が可能という、捉えにくい状態になっている。しかも闇属性に振り切っているので、一秒も準備の時間を要さない。


「この霧を払わねば……、もう一度神聖系の魔法で……!」

 メイスの男の言葉に、Sランクの魔法使いが神妙に頷く。そして先程よりも詠唱を急いで魔法が唱えられる。


「聖なる、聖なる、聖なる御方、万軍の主よ。いと貴きエル・シャダイ! 歓喜の内に汝の名を呼ぶ。雲の晴れ間より、差し込む光を現出したまえ。輝きを増し、鋭くさせよ。いかなる悪の存在をも許さず断罪せよ! 天より裁きの光を下したまえ! シエル・ジャッジメント!!」


 白い光が降り注いで爆発が起きるのだが、まるで闇に食われたように消されていく。直撃を受けた筈のベリアルは、全く意に介さないという風だ。結界にしてしまったことが災いしている。

 闇が濃くなり、光の魔法は発動自体がかなり阻害されていた。

「この程度の魔法では、我の闇に呑まれるだけよ。限界かね?」

「う……っ」

 遊び相手にもならない。そう言いたいような。これは、急がないと……。


「何で……? どうなってるの!? どうなってるのよう……!!」

 Bランク魔法使いの女性が、もう泣きそうだ。気持ちは解る。

 他に感じていた気配、起動の魔法を唱えていたと思われる二人も、離れた木の影から慌てて姿を現した。


 殺す前に結界を破らないと!

 私は四隅にある仕掛けを確認する。

「これは……アレクトリアの石。強い鳥の魔物から採取される、特別な魔核だわ。なるほど、結界にはいいわね。それと符術……これは東方の魔術……」

「一瞬で見抜いている……」 

 起動させた男二人が私の作業を凝視しているが、構っている場合じゃない。

 薄闇の霧の中からは、戦っている剣戟けんげきの音、何かの爆発、魔法らしき轟音が響いていて、戦いが継続されている。

 時折悲鳴も聞こえるが、まだ誰も死んではいないようだ。


 アイテムボックスから護符を取り出すと、弓を持つ女性があっと大きな声を上げた。

「それ……もしかして!?」

「わかりますか? 惑星の護符です」

 鉛で作った丸い護符。黒色で円の外周に魔術文字で“四方の海、陸を断つ川、海より顏をもたげる大地を統べる”と刻まれている。円の中には五×五のマス目に文字が一つ一つ書かれていて、あたかも魔方陣のような模様になっている。

 ちなみに魔方陣とは、四角いマス目の中に数字が書かれていて、どこから足しても同じ和になるという護符だ。


 今回使うのは、活動を阻止する土星の第二の護符。これを身に付けて、特別な魔法を使う。護符ごとに効果は決まっているので、使用する時は正しい護符を選ばなければならない。

 護符の序列としてはタリスマンよりも上で、万能章の下だが、正しく使えば個別の事案では万能章よりも力が出る。これを使えば壊せそう。


「形ある故に終焉と破壊は訪れる。最果てのマレフィックス、災いの星であり天のビナー。土星のペンタクルよ、上層の空気に包まれ我に力を貸し与えたまえ。我に仇なす全ての活動を止めよ!」


 護符が銀に輝き、魔力が増大していく。

 そしてアレクトリアの石から細く煙がたなびいて、バリンと割れた。符術の札も溶けるように燃えて消える。

 すぐに閉じ込めていた結界の四角い空間が消え去り、黒い霧が外に流れて薄くなっていった。 

「……そなた、早過ぎるわ。もっとかかると思ったが」

 ベリアルは殺すつもりはなかったようだ。ちょっと安心した。単にまだ遊び足りない様子だ。

 しかし冒険者達は皆、うずくまったり膝をついていたり、負傷して満身創痍だ。しかもこの霧のせいで身動きが取りにくくなっている。結界の外にいた二人が、慌てて回復に向かった。



「つまりですね、ベリアル殿は“炎の王”なのですが、同時に“暗黒の支配者”という、火よりも上の、闇の称号をお持ちなのです。それを出させるのは、もう死にたいのかなっていうお話なんですよ。なにせ天使との最終戦争用で、人間には披露するものですらないのですから。私は辺り一帯が呪いに汚染されないか、とても心配でした。闇の称号を確認することが出来たのは、研究者として非常に意義深いものではありましたが」


 戦っていた七人と結界の呪法を仕掛けるのを手伝った二人に、私は説明をしている。みんなもう戦意喪失だ。当たり前なんだけど。

 地獄の王と戦おうとか、基本的に人間にはムリなんだよね……。

 立っている私の前で、全員正座して俯いている。


「起動まで、様子を見て遊んでいらしたようです。ちょっと神聖系に偏っていて、戦いにくかったようではありますが。ちなみに私も光属性が得意なんで、そちら側に回りたかったです」

「……いちいち余計な本音は言わんで宜しい」


 大人しくしている九人にせつせつと話す私に、ベリアルのツッコミが入る。

 彼の口数が少ない理由は、“闇”を使ってしまった申し開きを、皇帝サタン陛下にしなければならないからだ。陛下には気づかれてしまうらしい。

 光属性の魔法を使っていた男性は、「アレで得意は闇でなく光……?」と、小さく呟いていた。


「それから依頼者のマトヴェイ・チェレンチェ・アバカロフ伯爵ですが。彼がナンパを邪魔されて仕込んでいた仲間が負けた、その復讐という程度のレベルの話ですので。命を懸けるのもバカらしいですよ。むしろ彼の余罪がわんさか出ますよ、きっと」


「まさか、嘘だ! 焼かれた村を、この目で見た……!」

 Sランクの、太い剣を持ったリーダーらしい男が叫ぶ。

「……ベリアル殿に? 土台でも焼け残っていたら、それは彼の炎じゃないですよ? 村を焼いて、そんな無様な真似はしませんよ?」

「……煙がくすぶって、燃えた建物の残骸がいくつもあった……」

 答えた槍を持った男性は、非情な光景を思い出し眉を顰めている。

 まあ私も彼の焼き討ちは見たことないけど。火をつけるなら徹底的にやるだろう、燃やし尽くす炎の前で笑っている姿が容易に想像できる……。

「盗賊の焼き討ちでしょうね」

 だいたい、そんなものだと思うんだけどなあ。


「今、私の友達が報告書をまとめてます。代表の方、確認にいらっしゃったらどうでしょう?」

「……報告書?」

 弓を持った女性が聞き返した。

「私はアウグスト公爵の庇護を受けております。伯爵が私に手を出そうとしたこと、そしてそれまでの悪事をまとめて公爵閣下に進言する予定なので」

「公爵様の……庇護!??」

 Sランクの魔法使いの男性だ。魔法使いの方が、公爵の噂は知っているんだろうな。


 色々と話をして、ようやくみんな理解してくれたようだ。

 いい人達だったようで、すごく謝られた。焼かれた村をの当たりにして、冷静ではいられなくなったようだ。

 炎を使う爵位ある悪魔と教えられ、かなり準備してきたらしい。確かに相手によっては倒せそうだった。


 伯爵本人から依頼されたわけだし、証人として公爵閣下への説明をして欲しい。

 そう伝えて、リーダーであるSランクの四十歳の男性と、メイスを持った光属性の魔法を使う男性が私達と一緒に来ることになった。光の属性の男性に関しては、私が話をしたいからという事情もある。

 他の人達は、途中のテナータイトで待っていることに。さすがにこんな大勢で突然、私の家に来られても困る。


 家に帰るとエクヴァルがいて、ソファーで自分が書いた報告書を見直していた。

「……どしたの? 冒険者を雇うなら、私が行ったのに」

 SランクとAランクの冒険者なのは、ランク章ですぐ解る。

 私が事情を説明すると、自分も行けば面白いものが見られたのにと、残念がっていた。しかしすぐに気を取り直して、二人とあいさつを交わす。

「いやあ、さすがに伯爵が相手だからか証人になってくれる人がいなくてね。一緒に行って証言してもらえれば、助かるよ!」

「もちろんだ。迷惑をかけた分、しっかり協力させてもらおう。よろしく、エクヴァル君」

 エクヴァルはSランクの男性と握手して、続いてもう一人とも握手して言葉を交わしていた。これで説得力が増すとご満悦だ。


 フェン公国のアルベルティナが送ってくれたガオケレナは、エクヴァルが受け取ってくれていた。私が職人なので商業ギルド経由で届けられて、こんなにたくさんのガオケレナをどうしたのかと、すごく驚かれたらしい。

 いたのがエクヴァルで良かった……、上手い言い訳で切り抜けてくれたことだろう。

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