五章 作ろう!アムリタ
第63話 死海を求めて
早速、死海を探してゴーです!
今回は飛行魔法であちこちと細かく移動しそうだし、エクヴァルはお留守番。彼は引き続きこの前の伯爵の悪事の調査をするので、ちょうどいいとか。
“追い詰める時は徹底的に”が、モットーだそうだ。笑顔で言われても。
今いるのは死海に近いという町、コアレ。チェンカスラー王国の北にある、ワステント共和国という国の南側の町。ここは国王ではなく、元首と呼ばれる選挙で選ばれた人が治めているらしい。選挙といっても、貴族だけで
まずはこの町で、サバトの時に死海の情報をくれた悪魔と契約者を、ベリアルが訪ねてくれている。私は町なかで情報収集するので、今はベリアルと別行動中。商店街を歩いていた。
死海への観光客も多いらしく、お土産物屋がたくさんある。地面に布を敷いて、塩や色々な変わった雑貨を売っている露店も並ぶ。
店が続く区画を通り過ぎ、公園で一休みしようかと思ってベンチを探していると、花壇のレンガに座り込む男性が目に入った。五十から六十歳くらいだろうか。
ガッシリした体格の、元は兵士か冒険者かと思われる様相で、髭を生やしている。長袖長ズボンに、腰に茶色い布を巻いていて、髪は白みがかったグレー。
腰を曲げて、右手で足をずっと摩っている。顏を歪めているし、痛いのかも。
「あの……、突然失礼いたします。どうかされましたか?」
男性は私を見上げ、戸惑ったような表情をした。
「いや、古傷が痛むだけだ。いつものことよ」
ふくらはぎ全体を手で撫でているところを見ると、かなり大きな傷跡なんだろう。
私はその場に片膝をついて視線を合わせ、アイテムボックスから白い瓶を取り出して差し出した。
「使いかけで申し訳ありませんが、こちら痛み止めの軟膏でございます。宜しければお使いください」
「……どうせもう、どうしようもないのだ。儂のことはお気になさらず。」
男性は苦笑いを浮かべながら、首を振る。
「私が製作いたしました薬です。どうぞ、遠慮なさらずに」
笑顔で更に勧める。こういう傷にこそ使って試してほしい。アムリタ軟膏が、古傷にどこまで効果があるのか。
「……お嬢さんが作った軟膏か。折角のご厚意、では、使わせて頂こうかな」
「イリヤ! 確認は取れた、参るぞ」
男性が受け取ってズボンの裾をめくり、軟膏を塗っている最中に、ベリアルが姿を現した。
予想よりも大きくて、かなり痛々しい傷跡だ。これでは戦えなくなっても仕方ないだろう。
「すみません、連れが来たようです。そちらは差し上げますので、痛みが引かなければ、またお使いください」
「それは悪い、……しばし待たれよ、これからどこへ行くのだ?」
「死海です! ではっ」
私はベリアルの元へ駆けて行った。
軟膏を受け取った男性は慌てて裾を戻しながら、声を大きくして呼び掛けてくる。
「待ちなさい! 死海は強力な魔物が出て、今は封鎖されている……!」
立ち上がり手を伸ばそうとした男性の言葉は、私には聞こえていなかった。
死海へ行くには森を抜け、木が少なくなって石や赤茶けた岩山になるまで進むらしい。観光地になっているから、分かりやすいそうだ。
コアレの町を抜けると森の手前に数件の民家があったが、ちょうど今は誰もいない様子だった。森の道は広めで整備されていて、普段はかなり往来があると思われるのだが、誰にも会わない。不思議だ。
そういえば町からこちら側に来る出口で、門番が出ようとした人を止めているのが空から見えた。
もしかして、閉鎖中だった? しかし来てしまったものは仕方ない、もし誰かに咎められても、知らなかったで済まそう。どうしても死海の水が欲しいっ!
飛行をやめて森を歩いていると、両脇の木が何本も倒れているではないか。これは何か大きな魔物がいるに違いない、だから誰にも会わないんだ……。やはり立ち入り禁止だったのね。飛行魔法で検問を飛び越えてしまったわけだ。
「なにやら楽しいことになっておりそうだな」
ベリアルは面白そうにしている。ドラゴンが出て来て欲しいんだろうけど、ブレスの跡はない。少なくとも中級以上のドラゴンではないんじゃないかな。
更に少し進んだ。ベキベキと樹木を折る音がして、ドオオンと木が倒れる振動が伝わってくる。木や草の間から姿を現したのは。
真っ黒い巨大な蛇だった。それこそ、人間なんて簡単に丸のみにできるような。
「ぬ……! 面倒なものがおったな。地獄の蛇である。誰が召喚したのやら、こやつは火が効きにくいのだ……!」
「では雷撃でも喰らわせましょう」
私はゆっくり詠唱を開始し、巨大な蛇が大きな口を開けて捕食にかかる瞬間を待った。
「光よ激しく明滅して存在を示せ。
これは手から稲妻を放ち、相手にぶつける魔法だ。空から落とすものより威力も範囲も小さいが、痺れる効果もあり、使い勝手は良い方だと思う。
近づいて開いた口の中に雷撃を撃ち込めば、体内で爆発が起きて蛇は一気に動かなくなる。しかしまだ、完全に倒せたわけではない。弱ったところをベリアルが炎の剣で真っ二つに斬り、討伐は終了。
「なんとも手応えのないものよ……」
面倒だと言ったり、手応えがないとボヤいたり。どっちがいいのだろう……。
それにしても、これが閉鎖の原因だったのかな? それとも、他にもまだいるのかしら。
そのまま森を抜けると岩や砂の道になり、遠くに赤茶けた低い山が広がっている。ごろごろした岩が続く先に、水が輝いている!
これが死海!? 岩の表面が白い!
普段は観光客がいるのかな。砂浜のような畔に木の小屋が幾つか立っている。水を舐めてみるとしょっぱくて、確かに塩水!
これね! これでアムリタを作ればいいのね!
しかし人がいない状況が気になる。念のため魔物がいて引きずり込まれないよう、水を汲む前に死海を覗き込む。
「もっと何か出るかと心配したんですけど、出ませんね」
「……いや、おるな」
ベリアルの視線が死海ではなく、岩場の向こうに向けられる。
しんとした空間に、土を踏む足音。大きな岩の裏から、人とも思える何かが姿を現した。
「……これは、ベリアル。地獄の王がこのような場所に?」
「キングゥ。そなたであるか」
知り合いかな? でも悪魔ではないみたい。かといって、天使でもないだろう。
「俺は単に旅の途中だ」
「我も似たようなものであるな。イリヤ、離れておれ」
「はい……?」
敵ではないようだけど、とりあえず言われた通り離れておく。するとキングゥと呼ばれたグレーがかった暗い薄水色の髪をした男性は、金の瞳を輝かせ、素早く腰の剣を抜いた。ベリアルもそれに合わせて炎の剣を出現させる。
え! 戦うの!?
私が狼狽している間にキングゥは軽く岩場を蹴って飛び上がり、ベリアルに届いてそのまま斬りつけてきた。ガキンと剣が合わさり、二人が近くなる。
「アレが契約者か。珍しいな、君を喚ぶのは
「そちらこそ、一人かね。母を
「……里をあけるなと叱られた」
「こちらのアレは、金銭より知識欲の旺盛なものである。厄介な小娘よ」
話しつつ何度も剣を交えている。純粋な剣の腕だけでは、相手の方が上のようだ。
ベリアルが剣から火を燃えあがらせ残像のように残せば、キングゥは水を用いてそれを消し止める。魔法の腕はベリアルが優っている。
踏み込んでキングゥが斬り込んでくると、ベリアルは軽く後ろに飛んで躱し、手を翳して火の柱を二本ほど相手との間に築いた。しかしそれで止まることなく、炎をくぐってキングゥが追いかける。
再び剣がぶつかった。
柱となっていた炎は伸びて細くなり、敵を狙って飛ぶ蛇のように変化し、キングゥを後ろからうねって追いかけた。
「……こうきたかッ! さすが、炎の王!」
すんでのところで横に飛びのき、火の行く末を目で追っている。ふわりと靡いたキングゥのマントも、ギリギリで燃えずに済んだ。
塊になり伸びた赤い火はベリアルの剣に戻り、メラメラと大きく燃える。
「よくぞ避けたわ! では次だ!!」
今度はキングゥがいた場所に爆発が起きるが、既に彼はベリアルに向かっている。
「簡単に喰らうか!!」
繰り返し響く、
私はとりあえず死海の水を汲むことにした。
死海に瓶を沈めて何本か注いだところで、水底で動く長い影に気がついた。
徐々に浮かび上がって、近づいてくる。
蛇のような姿に暗褐色で喉に白い斑点、背中にある海藻のようなたてがみ。塔よりも長い、シーサーペントだ。
ただ、塩が濃すぎるのか元気がない。動きが緩慢なのだ。どこかから死海に紛れ込んだの?
「雲よ、鮮やかな闇に染まれ。厚く重なりて
重い黒い雲が重なり、稲光が走る。ゴロゴロと太鼓のように大きな音が響き、太い閃光が槍のように落ちて刺し、死海の水面に頭をもたげたシーサーペントに直撃した。
「また蛇。竜じゃなくて残念」
死海にぷっかりと浮いたシーサーペントを眺めていると、後ろからベリアルの笑い声がしてきた。
「そ、そなたよくも、この状況でそれを言えたな……!」
そんなに笑うことないのに。
キングゥの方は、なんとも微妙な表情で私に顔を向けていた。
「……なるほど、厄介な女と言うわけだ」
剣を鞘に仕舞い、代わりに何かを取り出して私に投げる。
「……これは」
鱗? くろいうろこ。
「……そんなに竜が良ければ、君にやる。退屈させた詫びだ」
それだけ喋って、キングゥは何事もなかったように去って行った。本当になんだったんだろう。
ベリアルの方はというと笑うのをやめ、ほお、と鱗を見ている。
「これ……??」
「良かったではないか。これは、アレの母の鱗だ。貴重な品であるぞ」
ベリアルが貴重だというなんて、とんでもない品に違いない。
改めてじっくり観察してみる。
艶やかに黒くて固く、厚みのある大きな重い鱗。竜に思えるんだけど……。属性は……水……、潮の匂いがする。人型を取るということは、竜の中でも最上位、……竜神族!?
……海の……黒い……竜!!!
「ティアマト!!?」
「正解だ。アレは息子で黒竜の軍の総指揮官、キングゥ」
「ええ!? なんで戦って……、なんで鱗!??」
私はすっかり混乱してしまった。なぜ地獄の王と黒竜の若頭が、楽しそうに戦ってたの? 友達? 物騒な友達なの?
「あんなものは挨拶程度よ。鱗は、
「彼が竜神族なんて、知らなかったんですー!!」
ベリアルが笑うわけだ。最高峰の竜の前で、竜を倒したかったと言ってしまった。
本当にとんでもない失言だ……。
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