第52話 到着(エクヴァル視点)

 ついにレナントに到着した私は、まずは街を一回りしながら地理を確認し、周りの雑談に耳を傾けた。

 本日は冒険者は休業、エクヴァル・クロアス・カールスロアとして仕事をしなければならない。


 それなりに大きな町で、王都からの道には店が軒を連ね、露店が幾つも展開されている。

 平和だ。悪魔が事件を起こした様子はない。どこからともなくイリヤという単語も聞こえてきた。あの娘の作る薬がよく効く、と。まあ当然だな。どんなに細々と活動しようが、宮廷魔導師見習いだったほどの腕前は隠しようがないだろう。

 本来なら調査をしてから対象に接触したいところだが、高位貴族の悪魔と契約しているとなると、それはむしろ危険だと判断。早々に本人との接触を試みるべきだな。


 運のいいことに、散策中に薄紫の髪の女性を発見。

 傍らにいる赤い髪の男、彼が悪魔だと思われる。赤いマントに黒いブーツ……目立つ男だ。

「すみません、お嬢さん。イリヤ様でいらっしゃいますか?」

「……はい? 確かに私はイリヤと申します。失礼ですが、何処かでお会いしていらっしゃいましたか?」

 振り向いたその顔は、濃いアメジスト色の瞳に白い肌、柔らかそうな唇、清楚な白いローブが似合っている。

 おお、当たりだ! いろんな意味で大当たりだ!! 任務、最っ高!


「警戒しないで頂きたいんですが、私はエグドアルム王国から参りました。少々お時間を宜しいですか?」

「……エグドアルム……」

 彼女が体を強張らせると、悪魔が彼女を庇うようにスッと前へ出た。

 なるほど、彼女を守る意思がある。下手な詮索は禁物だ。

「……今更、何だね?」

「ご安心を、彼女に危害を加えるつもりはありません。とりあえず、どこか誰にも話を聞かれないような場所がいいのですが……」


 空気はピリピリするものの、何とか話はできるようだ。

 案内されたのは彼女の家だった。

 ……もう家を手に入れていたのか。そうだ、最上位アイテムがもれなく作れるんだった。その気になれば家なんて選び放題だ。

 来客用のソファーに腰掛けて待つと、彼女は紅茶を淹れてくれた。悪魔はソファーの脇に立っている。


「貴方を無理に連れ戻しに来たわけではなく、まずは生存を確認したかったのです。魔導師長には知られずに」

「……魔導師長に知られずにとは、どういうことでしょう……?」

「今は魔導師長の不正調査が最優先事項なんですよ。貴方は生ける証人ですからね」

「……話が思っていた方向と違いすぎて、混乱してしまいますね」


 彼女は私を、魔導師長の刺客か何かと勘違いしたようだ。湯気の立つ紅茶を一口流し込むと、ハチミツの甘さが口の中に広がった。まだ警戒を解かれたわけではないので、慎重に話を進めねばならない。

 エグドアルムの宮廷魔導師で、最も召喚術に長けていた者が契約していた悪魔が、侯爵位だった。それは近隣諸国と比べても最高位。そのことから侯爵位の悪魔である可能性を視野に入れていたが……、これは上方修正が必要だ。内包される魔力の純度が違う気がする。最低でも侯爵位、むしろそれ以上の可能性を考慮すべき。

 以上のことから、悪魔との戦闘は絶対的に回避すべきと判断する。

 敵対行為と見做される言動も、得策ではない。


「え~……、回りくどいのはやめます。私はエクヴァル・クロアス・カールスロア。皇太子殿下の親衛隊に所属しております。殿下は魔導師長と敵対していると言っても過言ではないほど、良好な関係です」

 ある程度は率直にいこう。できれば信用を得たい。

「カールスロア様。お初にお目に掛かります、イリヤでございます。敵対とは、どういう意味でしょう……? それは良好とは言えませんよね。そして貴方様はなぜ、私が生きてここにいると?」


「エクヴァルとお呼びください。もしくは愛しい人、と。殿下は魔導師長の不正が許せないんですよ。貴方が生きていることはアーレンス殿との会話で確信し、失礼ながらご実家でお手紙を拝読させて頂きました」

「……アーレンスということは、セビリノ殿の……。エクヴァル様、セビリノ殿は……、私の家族はどのような様子でしょうか……!?」


 スルーされてしまった。不安げな面持ちで家族と、同僚であるセビリノ・オーサ・アーレンスの様子を尋ねてくる。

「皆さんお元気で、貴方を心配していますよ。アーレンス……いや、ここではセビリノ殿と呼ばせてもらいましょうか。彼にもこの件が片付いたら、連絡をしてあげてください」

「……はい。ありがとうございます」

 おお、ちょっと雰囲気が和らいできた。家族の話は効果的でいいな。さて、本題に入るか。


「では質問させて頂きますが、貴方は宮廷でエリクサーを作っていましたね? それは、魔導師長もご存知でしょうか?」

「勿論です、きちんと提出しております」

 彼女は大きく頷いた。よし、証言が取れた……!

「……ありがとう。彼はそれを報告していなかったんですよ。魔導師長としての重大な義務違反になります」

「まあ、そうだったんですか……」

 報告されていなかったと、知らなかったらしい。もしかして、エリクサーを成功させると報奨金が出ることも知らないんだろうか。誰も説明していなかったのか……。

 あの秘薬を給金だけで作らせるのは、さすがにひどいと思うんだが。


「そして討伐は十五歳の時から」

「その通りです」

 よくまあ十五歳の娘を、大人が匙を投げる大変な討伐に行かせようと思うな。やはり討伐で死ぬことを期待していたな。庶民が宮廷魔導師になるのが、そこまで許せないかね。

 しかしそれをこなしてしまう彼女がどんな存在か、そのことに対する認識が薄いな。


「そしてその彼が、貴女が子供の頃に契約したという悪魔ですね?」

 ソファーの脇に立つ男に視線を送る。赤い髪、瞳、爪。整った容貌に高価な宝飾品を身に着けて、かなり高貴な悪魔であることは一目瞭然だ。

「ええ、ベリアル殿です。でもなぜ悪魔と?」

「これもセビリノ殿が勘付いておられましたよ」

 やはり子供の内に契約しているな! 気付いたのは全て、アーレンス殿のせいにしておこう……。

 悪魔ベリアルの方は、私を胡散臭そうに見下ろしているが。


「魔導師長はその他にも、収賄や不正人事、不正蓄財など色々ありますから、近い内に牢に入る予定です。もし、他にも彼と何かあったなら、些細な内容でもお知らせ願いたいのですが……」

「……」

 あ、これあるわ。色々やるな、あのジジイ。

「……大丈夫です。内容によっては報告をせずに、ここで止めましょう」

「……ではその……、恥を承知でお話しいたします…」

 彼女はとても言い辛そうに、両手をもじもじと動かしている。可愛いなあ。


「実は、魔導師長に……正式に宮廷魔導師になりたければ、あ……愛人になれと迫られまして」

「「愛人!??」」

 おっと、悪魔と言葉が被った。本当に誰にも打ち明けていない話らしい。それにしても、自分の子供よりも若い娘に手を出そうとは!!

「もちろんお断りしました! それからは他の男性と一緒にいて一人にならないようにして、それであの機に急いで国を出たのです」

 そういえば準備していたようで慌ただしく亡命していたから、少しおかしいとは感じたんだ! タイミングだけじゃなかったのか、そんな理由まであったとは!!

 エグドアルムの宮廷魔導師には年齢制限があって、二十五歳以上にならないと資格がない。二十四歳の内に、どうしても国を出たかったのか……。

 とはいえ今までの最年少が二十八歳だから、それ以下で正式に任命されるとも思わないが。


「全くそなたは、我に何も申さんとは! 行って来るぞ、良いな!?」

「良いなとはどういうことでしょう!? もう行く必要はありませんよ!??」

 慌てて彼女は止めるけれど、正直止めなくていいと思うんだ。それが世の為人の為、そして国の為になる。

「イリヤ嬢、気になさりすぎです。悪魔に召喚師が殺される事案は、割と多いんですよ? よくある事故です」

「エクヴァル様も何を仰るんですかっ!」

「そなた、なかなか話の解る男ではないか」

 そのまま殺してもらえれば楽だったんだが、結局行かずに終わった。残念だ。


「あ、そうだ、イリヤ嬢。コーヒーを頂けませんか?」

「……はい、すぐにお淹れします」

 彼女は飲み終わったコップをトレイに乗せて、素早く席を立った。

 扉が閉まるのを確認して、悪魔がこちらを見る。

 

「……我と話があるのかね」

 さすがに察しが良いな。目を細めて、警戒するように声を潜めた。

「私は彼女に危害を加えないし、意に沿わないこともしないつもりですので、ご安心頂きたく。ただ私には、皇太子殿下のめいは絶対ですがね」

「我はその、殿下とやらを知らぬのだがね」

「……意地は悪いけれど、人は悪くない方ですよ。無体を強いることはないでしょう。親衛隊以外には……」

「なるほど、良い人間のようであるな」

 どういう意味か、ちょっと気になるところだな。


「我からの質問だ。もしその殿下とやらが、イリヤを無理にでも連れて来いだの、アレの意に反する命令を出したならば、そなたはどうするのかね?」

 ……ないとは思うが……。うむ……敵対した場合を想定しろ、というのだな。

 と、なると。大した手がないな。

「……最も簡単な結論は、私が死ぬことでしょうな」

「何故かね?」

 問い掛けるベリアルの表情は変わらず、もう私がどう答えるかは見当が付いているようにも思える。

「殿下の命には逆らいませんが、貴方と敵対するなど国家を滅ぼしかねない選択になるでしょう。ならば、国を守る騎士としては、命令を遂行できない状況にすることが賢明な判断だと思いますね。そして、私を死に追いやるような相手に、殿下が調査も策もなく手を出しはしないでしょう。警告にもなりますよ」


「ほう……、それはなかなか面白い決断だ。では、それを誓えるかね」

 ベリアルの笑顔はなんとも悪魔らしい、尊大で高圧的なものだ。

「……するしかありませんな」

「ならばそれは、この地獄の王の一人、ベリアルとの誓約である。たがえることは許されぬ!」

 王! 王なのか!?? イリヤ嬢はどのようにして、どんな契約を結んだんだ!?

 恐ろしい娘だな、本当に!!

 これは……とても殿下に報告できないな。悪魔の爵位については、不明で通すしかない。契約と違って魔力による強制がないとはいえ、誓いとして言質げんちを取られてしまったし……。

 これで少しは信用してもらえるなら、安いものだと考えておくか。


 少しすると彼女がコーヒーを手にして戻って来た。

「そういえばエクヴァル様は、これからどうなさるんですか? 国へお戻りに?」

「いえ、しばらくは貴方の身辺の警護も仕事ですから。こんな場所まで仕掛ける可能性は薄いと思いますが、まだ魔導師長に関して不安材料があります。なので、出来ればこの家に置いてもらって、冒険者として仕事でもしようかなー、と」

 思ったより広いし、同じ家に住ませてもらいたい。まだ調査したいこともあるし。護衛の戦力的には、王たる悪魔がいるなら私は必要ないだろうけどね……。


「……そなた、ここに住む気かね?」

「そしてなぜ冒険者を……??」

 ベリアルの方は少し不満があるようだが、部屋は余ってることだし何とか頼み込もう。彼女は国で禁書庫に出入りしていたり、研究所や実験施設など、魔法関係の根幹に関わる部分にもたずさわっている。

 私の本来の任務の一つは、秘密の漏えいを防ぐことだ。まずは彼女のそばで様子を窺う必要がある。

「聞いてください、ここに来るまでに始めたんですよ、冒険者! 現在Dランクです!」

「なにやってるんですか!??」

 イリヤ嬢の驚いた反応はとても可愛くて満足なんだが。

「……ふむ、身分証明書として使うわけであるな」

 遊び半分という風を装ったのに、すぐに見抜かれた! 彼女が護衛と同時に監視の対象であることすら、もう気付いているかも知れない……。

 うわあ……、これは一筋縄ではいかなそうだ。

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