第50話 ヘーグステット子爵
ヘーグステット子爵の屋敷に着いた私達は、ランヴァルドとジークハルトの後に続いて邸内へと入った。
エントランスホールでメイドとすれ違ったけど、何処か心ここに在らずという印象で、挨拶をするも落ち着かないようだった。竜の襲撃を聞いているからなのかな。
大きな窓が並んだ廊下を進み、広い客間へと案内される。中央付近に凝った装飾のテーブルがあって、花瓶に大輪の花が活けてあり、豪華なソファーがいくつも置かれる。きれいに磨かれた窓には立派な赤いカーテン、壁には絵画が数枚ほど飾られていて、天井には模様が描かれていた。
そして正面のソファに、ヘーグステット子爵夫妻が座っていた。
「良く戻ったな、二人とも」
まず二人の父親である子爵が、久々に会う息子を笑顔で歓迎した。
「ただいま戻りました、父上、母上」
頭を下げるランヴァルト。続いて、ジークハルトが挨拶をする。
「お久しぶりです。お二人はお健やかにお過ごしでしょうか」
「私たちは変わりありません。それよりもジークハルト、貴方の病の方が心配でした。無事な姿を見られて何よりです」
母親の言葉に、ジークハルトが苦笑いで答えた。
和やかな会話を遮って、ランヴァルトが厳しい声色で問い掛ける。
「父上、私達は中級クラスのブリザードドラゴンが現れたと報を受け、参りました。状況はどうなっておりますか?」
「現在、ライネリオが討伐隊を率いて出ておるところだ。……で、後ろの二人は?」
ライネリオとは、長男の名。この地での防衛の要を担っているそうだ。
「ご紹介いたします。こちらの女性はイリヤ殿と仰って、立派な魔導師でいらっしゃいます。バラハの代わりに来て頂きました。先日は彼女の作った薬を頂き、ジークハルトの病は彼女のおかげで癒えたのです」
「ただいまご紹介に預かりました、イリヤと申します。多少なれどもお力添え出来ればと思い、ご同行させて頂きました次第にございます」
ゆっくりと頭を下げた。貴族とのこういう対面は久しぶりで、とても緊張する。
子爵はこちらを探るように見詰めている。確かにジークハルトの父だな、と思う。最初の頃の雰囲気に似ている。
「はて、私はこの女性は記憶にないが……。王宮の方ではないし、どの家の者なのだ?」
「……いえ、彼女は庶民で……」
言いにくそうにジークハルトが答えると、子爵はハッと馬鹿にしたような笑いを浮かべた。
この辺は彼とは全然違う。ジークハルトは庶民を理由に軽視したりはしなかった。
「お前たちは、揃いも揃って庶民の女に騙されているのか! このような娘に、防衛都市の筆頭魔導師である、バラハ殿の代わりが務まると? それに大方、薬などどこかで買った物であろう。そしてまた作るから研究費や材料費をくれと、出資を
情けないと額に手を当てるわざとらしい仕草に、怒りよりも悲しみよりも心が静かになる気がした。今までだったら、多少なれども怯えたり不安になったりしたかも知れない。でも、ベリアルの心を聞いて、ジークハルト達と交流した今、こんなことで挫けられないと強く思う。
苛立ちを見せるベリアルに、口元に笑みを作って静かに首を振ると、彼は意外だというような表情をした。もっと
「そのような人ではございません! それに彼女は、バラハが認めた魔導師です!」
「父上、私の命の恩人にあまりのお言葉! お取り消し下さい!」
私の為に二人が反論してくれる。それがとても嬉しかった。胸の奥から、暖かい力が湧いてくる。
「お前達は、そんな娘の為に私に盾突くと……!?」
「それだけではありません! イレーネをお助け下さったのも、この方々です。我が家に大恩ある方です、
「ジークハルト、お前はこの父にそんなことを……」
子爵が言い掛けた時だった。バタバタと慌ただしい足音がして、乱暴に扉が開かれた。
「大変です! ブリザードドラゴンが、この館に迫っています!」
警備兵の一人だろうか。武装した四十代位の男性が、口早にまくし立てた。
子爵夫妻は動揺して目を見開き、顔色を悪くする。
「現在の位置は解るか?」
報告してきた兵に、ランヴァルトが冷静に問いかける。
「ランヴァルト様、お戻りでしたか……。北側から来るようです。ライネリオ様は負傷し、竜を取り逃がした模様です」
「なんだと、ライネリオが……」
子爵は絶句して、それ以上言葉が出ない。
竜が来る、その一言で。まるで喜劇に思えてくる。
私は今まで何を恐れていたんだろう……、不意に目が覚めたような感覚があった。
「……大仰しいことを仰っておりましたが、たかが中級の竜で、ヘーグステット子爵の慌てよう……! 先程の威厳あるお姿が、なんとも
わざとらしく皮肉めいて語る私に、部屋にいる全員の視線が集まる。
ベリアルは一瞬だけ不可解な面持ちをして見せたが、次の瞬間にはいつもの不敵な笑顔になった。
もう、貴族にだって負けていられない。
私は地獄の王の契約者なのだから!
「参りましょう、ベリアル殿。ここにいる方々は、お話になりません」
「ふ……ははは、全くである! 誠に愉快!! 言うようになったではないか、小娘。解ったであろう、貴族であろうとも、いかに卑小な者であるかが! そなたは恐れる必要などないのだ!」
カツカツと耳に心地いいブーツの音で、ベリアルが優雅に歩いて広い窓を開け放った。そして尊大な表情で子爵夫妻に視線を送る。
「そなたは我と共に戦おうとするが、それすらも要らぬ事! そなたが望めば、全て叶えられる。竜も人も、等しく我が
その言葉を聞いた子爵夫妻は、更に顔色を青くした。彼が人間ではないと、今頃気付いたようだ。
「……あら、ブリザードドラゴン。向かうまでもありませんね」
山の手前、木の向こうにブリザードドラゴンが姿を現した。それなりに大きい個体だ。
窓辺へ近づく私と反対に、夫妻と兵はヒイと小さく悲鳴を上げて、扉の方へ隠れるように身を縮めて向かう。
ランヴァルトとジークハルトは両親の態度を気にしてはいるものの、黙って見守っているだけだった。
「どうするのかね? 我の獲物にして良いのかね?」
「……初手は私に譲って頂きます」
少し考えて、笑顔で答える。
ベリアルは満足そうな微笑を浮かべた。
「海洋よ凍りし大陸となれ、大地よ銀盤と化せ。甘き苛烈な毒、
詠唱が始まるとひんやりと冷たい風が吹いて、空気が冴え冴えと張り詰める。
ドラゴンまではまだ距離がある。ゆっくりと丁寧に唱えた。
「……わざわざ水属性魔法で迎えるとは、恐ろしく今日のそなたは挑発的であるな」
「白き闇夜に氷結の
パアっとブリザードドラゴンを囲む意志による白い線が描かれ、効果範囲が決定される。広域攻撃魔法なので、出来るだけ狭めてもまだ広い。
効果範囲内は凍てつく濃霧に覆われて視界が奪われ、竜の絶叫が長く響いた。
「猛毒を持つ絶対零度の、攻撃的な霧……。あのようなものを喰らわされては、我ですらただでは済まされんわ」
霧が晴れると、ブリザードドラゴンは猛毒に侵された上に体の一部が白く凍り、息も絶え絶えだになって横たわっていた。
これが、現在の私が知っている水属性の最強の魔法。
「止めくらいはさせるでしょう」
「ぶ、ブリザードドラゴンが……凍っている……」
「このような魔法は、見たことも聞いたこともありません……!」
子爵夫妻は、震えながら兵の後ろに隠れるようにして身を寄せている。
「……さすがに、バラハが教えを乞うた魔導師……」
「教えを、乞うた……!?」
ランヴァルトの呟きに、夫妻は更なる驚愕の表情を見せた。
「……で、この無礼者共はどうするのかね? さあ、なんなりと我に告げよ、我が契約者よ!」
胸の前に手を当てて、片足を引きわざとらしく礼をする。
凝った
とはいえ、これ以上怯えさせるのも可哀想だ。
「おふざけはそのくらいになさって下さい。帰りますよ」
「……つまらぬものよ」
「イリヤ……さん」
ランヴァルトが戸惑いながら、私を呼んだ。私は子爵夫妻に目に入らないように、“大丈夫よ”と合図するつもりで、笑顔でこっそりと手を振って、飛行魔法を使い窓から飛び立った。
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