第49話 弟妹(ランヴァルト視点)

「ジークハルト! 病は癒えたそうだな。イレーネも無事か!?」

 レナントの守備隊本部を訪ねた私は、執務室の扉を開いた。

 私の姿を見た二人が、こちらに元気な笑顔を見せる。

「ランヴァルト兄上!」

「ランヴァルト兄様!」

 執務机に着いて書類を整理している弟のジークハルトと、来客用ソファーに腰かけてオレンジジュースを飲んでいる妹のイレーネ。


 私が軍の指揮官として任務に就いている、防衛都市ザドル・トシェに、弟が謎の熱病にかかり、高熱で意識がほとんどないと伝令があった。妹は病がうつるかも知れないと止められたらしいのに、馬車で見舞いに出掛けてしまったという。

 そして盗賊に襲われたが、兵に犠牲は出たものの、妹は事なきを得たようだ、などという物騒な伝達が立て続けに届いた。

 無事だったと聞かされても、居ても立ってもいられなくなり、単身レナントまで馬を駆ってしまった。

 二人の無事な姿を確認出来て、ようやく安心した。

 特にジークハルトの病に関しては続報が届いておらず、この町の門番に聞くまでは完治とは知らなかったので、かなり不安になったものだ。


「お兄様! 素敵な女性と悪魔の方に助けて頂きましたの。イリヤさんと仰る方よ!」

「私も、その方に薬を頂いて……。同じものを買って返したいのですが、どこにも売っていないんですよ。心当たりはありませんか?」

 ……イリヤ? そういえば、彼女もレナントを拠点にしていると言っていた! 頭が真っ白になっていた……! 兄弟して彼女に助けられたのか……。

「……私も彼女達が防衛都市に来た時に、お助け頂いた。これは、彼女達に頭が上がらないね」

「ランヴァルトお兄様もでしたの!?」

 驚いてみんなで笑ってしまった。

 そして、ジークハルトはこれがもらった薬だと、瓶を取り出した。二度飲んだだけで熱病が治り、残り一回分あるそうだ。


 確かに売っているのを見ない薬だ。

 いや、この琥珀色。どこかで目にしている。桐の箱に入れられて、厳重にしまってあった気がする。

 あれは……王宮!?

「ま、まさかこれは……」

「兄上? ご存知ですか?」

 薬を受け取り、揺らしてじっくりと観察する。光属性の魔力が流れる薬、これはやはり。

「……どこかの店の者に見せて、これがないか、などとは聞いていないな?」

「この町では解らないと思いますので、王都で伺おうと思っていましたが……」

「人に見せてはならない! これは……私の記憶違いでなければ、市井に流通する品ではない」

 誰かに知られる前に、防げたようで良かった。出所を詮索されるし、作り手を探されてしまう。彼女は目立ちたくないと言っていたのに。


 妹のイレーネは、いぶかし気に私の手にある薬を眺めた。

「そんなに貴重な品なんですの?」

「……ソーマだ。全ての病を治すと言われる薬、ソーマ。王宮で見たことがある」

「まさか、そんな貴重なものの訳が……」

 ジークハルトは薬の瓶をじっと凝視するが、解らないだろうな。この弟は魔法に疎いし。

「……確かに彼女はソーマを作ると言葉にしていた。今思えば、既に作ったことがあるような口ぶりだった」

「作った……。まさか……彼女を傷つけてしまった私に、そんな大事なものをくれるなんて……」

「……傷つけたとは、どういう事だ?」

 とんでもないことを言い出したな……。


「実は、しばらく前にタチの悪い店が進出してきて、色々と悪事をしていまして。彼女が現れた時期と近かったこともあって、彼女を……少し疑ってしまって。あんなにも強そうな悪魔を連れてこの町に来る者は、今までいなかったものですから……。もしやその店の手先だったり、他国の工作員か何かではとも思いましたし……」

 私は耳を疑った。この真面目な弟は頭が固く、一度疑うと盲目になりがちだ。

 困ったところが父上に似てしまっている……。


「どうっしようもない、バカだな! あんな悪魔と契約していて、そんな店の手先になるわけないだろう! 国家でだって、扱い切れないほどだ! 心配することすら有り得ないぞ!! もっと見る目を磨かんと、命がいくつあっても足りなくなる!」

「は、はい。以後気を付けます!」

 久々に怒鳴ってしまった。

 イレーネもびっくりして、言葉が出ないようだ。はあ……、ため息が出る。

「謝罪に行くぞ。私からも謝ってやるから、案内してくれ」


 彼女はこのレナントで家を構えているらしい。

 わりと広そうな家だ。声を掛けると扉が開いて、あの可憐なうす紫の髪がさらりと流れた。

「まあ! ジークハルト様とイレーネ様、それに、ランヴァルト様までご一緒に」

「防衛都市ではお世話になりました。今日は弟の不始末を謝罪に参りました」

 私が頭を下げると、彼女は一瞬きょとんとして、思い至ったというように口に手を当てた。

「弟……? ……あ! お二人ともヘーグステット様でいらっしゃいましたね。それは気付きませんで、失礼いたしました」

「いやだから、謝りに来たのは私達なので」

 この女性のどこを疑うんだ、我が弟は。全く理解出来ない……。

 ジークハルトの妻になってやって欲しかったが、これはムリだろうな。まあ庶民だと、父が許さないか……。勿体ない。


 家の中に招かれ、リビングにあるソファーに座るよう促された。テーブルをはさんで、二人掛けが二つ。私と弟、妹と彼女が隣同志に座った。テーブルの上には暖かい紅茶と、クッキーなどの軽く摘まめるお菓子が用意されている。

「まずは、弟が君に不愉快な思いをさせたそうで。私からも謝罪するので、許してやってほしい」

「いえ、そんな。それに、もう済んだ話ですし……」

 彼女はやっぱり困ったような笑顔をする。

 こんな控えめな女性を、どうして傷つけようとするのかな、我が弟は……!

「それに、ジークハルト様にはベリアル殿がお怪我を負わせてしまって……。こちらこそ申し訳ないことを致しました」

「いえ、弟も騎士ですから、怪我くらい勲章ですよ」

 また謝られてしまった。爵位ある悪魔を怒らせて生きていたなら、儲けものだと思うんだが。アイツにはもう少し、召喚の契約や悪魔について教えておこう。


「あ、あの、イリヤさん。イリヤさんがジーク兄様に下さったお薬は、ソーマなんですの?」

「よく御存知で。その通りです」

 妹のイレーネが遠慮がちに質問すると、イリヤさんはにっこり笑って頷いた。

 やはりソーマか……、返せない借りが増えるな。


「私にはエリクサー、弟にはソーマ、そして妹の命を助けて頂いて……。お礼のしようもありません」

「道具は使う為にあるんですよ。イレーネお嬢様は、通り掛かりだったので」

 誰でも同じことをすると言うが、それは絶対にない。そもそも貴族でもその薬はそうそう持っていないし、盗賊に襲われている馬車を助けるなんて、頼まれても出来る者は少ないだろう。

「兄上……。エリクサーとはどういうことでしょう?」

 そういえば誰にも教えないようにしていたな。

 私は彼女の許可を得て、誰にも、それこそ他の家族にも言わないように口止めをして、防衛都市での出来事を話し始めた。

 猜疑さいぎ心の強いきらいのある父が知れば、国家転覆を目論んでいるとか、突拍子もないことを言い出しそうな気もする……。あれで昔よりはマシになったのだが……。


 二人は非常に驚いていたし、ジークハルトはすっかり固まっていた。

 当たり前だ、この街に広域攻撃魔法なんて唱えられたら大打撃どころの騒ぎじゃない。しかも中級ドラゴンや竜人族ズメウを一人で破る悪魔までついている。

 敵に回してはいけない相手を考えろと言うんだ。

 ジークハルトは彼女の中級魔法くらいしか見たことがなかったそうだが、これほどの魔法を行使する人間が使えば中級魔法も通常の威力では無い筈だから、少しは解りそうなものなのだが……。


「それはそうと、そのビクネーゼという方はどうなったんでしょう」

「そ、そうだったね。殺害を指示したという証言が取れたから、逮捕することが出来たよ。他所の町での悪事についても徐々に暴かれているし、きちんと裁判にかけられるだろう。もう心配はいらない。君がいる時にビナールをスニアス湖に呼び出したのは、前日露店で君が採取に行く話をしていたのを聞いていて、チャンスだと思ったらしい」

 ハッと我に返って説明するジークハルト。

 その商人は、イリヤさんに怪我をさせてまでさらうつもりだったとは……。成功されたら、この町ごと危険に巻き込まれていただろうな……。

 ジークハルトの病気も、この商人の仕業だったらしい。守備責任者を自分の息のかかった者にげ替える為に。死に至る熱病に罹患りかんさせる悪魔を喚び、病に見せかけて暗殺する。

 他の町でも同様の手口を行ったようで、弟が無事だったのは本当に良かった。ちなみに正しい知識もなくそんな召喚を行った術師は、悪魔に殺されてしまったそうだ。


 不意に外で誰かが走ってくる足音が聞こえ、だんだんと音が大きくなった。

「ジークハルト様が、こちらにいらっしゃると伺ったのですが!」

 足音は玄関の前で止まり、扉を叩いて弟を呼ぶ。

 ジークハルトがすぐに立ち上がって玄関に向かった。弟の部下らしい。

「私ならここだが、何かあったのか!?」

「はい、御実家の御屋敷付近で竜が目撃され、討伐隊が出られたと一報が参りました」

 まさか、ドラゴンが!? 私はジークハルトの後ろから、その兵に問い掛けた。

「……竜のクラスは解るか?」

「これは、……ランヴァルト様までおいででしたか! 中級のブリザードドラゴンではないかと伺っております!」

 守備隊の兵士が私の存在に気付き、一礼して答える。 

 中級となるとブレスを行使するので、どうしてもブレス専用の防御魔法が欲しいところだ。下級のドラゴンは基本的にブレスは使わない。


「中級……、バラハを連れて来るんだったな」

 せっかくブレスの防御魔法を、イリヤさんから教わっていたのにな。

「兄上、如何いたしますか!?」

 屋敷の付近に中級のブリザードドラゴンが現れたとあって、ジークハルトも焦燥感に駆られたようだ。長兄は屋敷に近い砦の守備をしているが、ドラゴンとどれほど戦えるのかは解らない。

「我が領での中級ドラゴンとの交戦記録など、殆どない。家の様子も気になる、行くか……!」


「私も参ります」

「イリヤさん……」

 彼女が来てくれるのは心強いんだが、迷惑ばかりを掛けてしまって心苦しくもあるな。

「お兄様、私は……」

 イリヤさんも行くと聞いた妹のイレーネは、不安そうに私達を見上げた。

「イレーネはレナントに残るんだ。心配はいらない、守備隊の連中と待っていてくれ」

 ジークハルトがイレーネの頭を撫ぜる。私も妹を連れて行くのは反対だ。

 

 彼女は少し席を外しますとお辞儀して、廊下を歩いて行った。

「ベリアル殿はどうされますか? 竜が出たそうなので、様子を見に参るのですが」

「おお! またもや狩りとな! 無論だ、我も行こうぞ!」

 楽しそうに、狩りときたか…。思い起こせば、中級のファイヤードレイクは彼が一人で討ったんだった。

 これはもう、何も心配はいらないな。

 いや、むしろ気がかりなのは父上と兄上だ。何か失礼をしないといいが。

「イリヤさん、一度屋敷へ戻って両親への挨拶に向かわないとならないんだ。父が不愉快な思いをさせるかも知れないから、もし気に入らないようだったら、席を外してもらって構わないから」

「……? はい。では、遠慮なくそうさせてもらいますね」


 すぐに妹のイレーネを守備隊の人間に任せて、私達二人は馬で、彼女達は飛行魔法で屋敷へ向かった。

 ジークハルトの部下が護衛をすると申し出てくれたが、竜が相手ではむしろ危険が増えそうなので、断っておいた。

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