第48話 中級回復魔法(ジークハルト視点)
イレーネの護衛が私をヘーグステット子爵の息子だと紹介すると、目の前の女性…イリヤは急に顔色を白くした。もう既に調べて知っているのではと考えていたのだが、そうではなかったらしい。
すぐさま崩れるような勢いで、ひれ伏す。
突然の出来事に、私は思わず目を見張った。
「高貴な方とは存じ上げず、大変失礼致しました…! 今までの無礼、伏してお詫び申し上げます」
今まで会った民達は、最初から貴族だと知っていればそれこそ這いつくばるように伏せる者もいたが、何度も話をして多少なりとも打ち解けた後ならば、いきなり膝をついたりはしなかった。まさかの事態に、妹も瞬きを繰り返している。
「いや、気にしないでほしい……!」
とりあえず落ち着かせようとするが、耳に届いているのか。
どう語り掛ければいいのだろうと悩んでいると、彼女の後ろから漆黒の影が涼やかな音色で声を掛けた。
「
「……閣下……」
ようやく身を起こした彼女は、自らの護衛たる悪魔を見上げた。
……ん? 閣下? なぜ彼女は自分が従える悪魔を、そのように呼ぶんだ?
「そもこの男が、無礼だとそなたを打ち据えるように思うかね? あの国の貴族どもと、同族だと?」
「いえ、そのようには……」
恐怖の象徴のようなべリアルという悪魔が、淡々と諭すように問いかけている。
当初私は、彼女が
ちょうど彼女が現れたのと同じような時期に、ビクネーゼという厄介な店が進出して来たこともあって、かなり警戒心を強めていたんだと思う。少しずつ関わるようになって悪事を企む人間ではないと解ってきても、違和感はぬぐえなかった。
しかしそれは、貴族達に傷つけられて、自分を守るため両手で肩を抱いているような、痛々しい姿の現れだったのかも知れない。私が疑ってかかってしまったのが、壁を作る原因だったような気もする。
この国の貴族の中にも、身分が下の者を軽んじて冷遇したり、民をまるで人とも思わぬような態度で、乱暴狼藉を働く者もいる。彼女もそのような目に遭っていたのだろうか。民達を守る立場でありながら、気遣えなかった自分が恥ずかしい……。
そのようなことが、この恐ろしい存在がついこの前に吐露した、彼女が傷つけられた時に守れなかったという出来事だったのだろうか。
「そして、だ。
「……許さないと、仰られておりましたね」
「解っておるではないか。ならば胸を張らんか! これでは我の立つ瀬がないわ!」
ベリアルは呆れたように手を差し出して、イリヤを立たせた。
イリヤはこちらに視線を向けて少し恥ずかしそうに、いつものように体の前に手を合わせて、綺麗なお辞儀をする。
「申し訳ありません、見苦しい姿をお見せしました」
「いや、事情を話さなかったこちらにも落ち度はある。その……すまなかったな、不安にさせた」
「ジークお兄様は、理不尽な怒り方はしませんのよ」
泣き止んだイレーネが、私の腕にしがみ付きながら照れたような笑顔を作った。
馬車の馬が使えなくなったので、ここからは歩いてレナントまで戻るしかない。
死者が何人も出てしまった。生き残った盗賊の一味は縛ってあるので、見張りを残して、まずは私達数名がレナントへ向かい応援を呼んで来る。
「イレーネ、私の馬に乗りなさい」
「……でも、その助けて下さった女性は……?」
イレーネは自分だけ馬に乗るのを申し訳なく思っているようだ。まだ少し足が震えているので、歩くのは厳しいだろう。妹の護衛の三人も、すぐ近くで様子を見守っている。
「私は平気です。飛行魔法も使えますので、気になさらないで下さい」
「まあ! 優秀な魔導師の方ですのね。確か、そちらの男性がイリヤと呼ばれてましたわ。イリヤさんで宜しいんですの?」
私が支えて馬に乗せる間も、妹はイリヤさんと会話をしている。
「はい、イリヤと申します。そしてベリアル殿は、私の契約している悪魔でございます」
「悪魔なんですの!? こんなに洗練された美しい悪魔、初めて見ましたわ!」
「ほう……兄とは違い、見る目のある娘だな」
さっきまで泣いていた妹が元気を取り戻しつつあって、少し安心した。妹の称賛に満足したような悪魔ベリアルは、私に向けては不遜な笑みを浮かべた。
「ああ、忘れる所だった。イリヤさん、素晴らしい薬をどうもありがとう。イレーネ、私の病気が治ったのも、彼女のおかげなんだ」
「そうなんですの!? イリヤさんは、私達の恩人ですわね。ジークお兄様、お兄様こそ失礼をなさらないで下さいね!」
「そうだね……」
苦笑いで返すしかない。手綱を引いて、妹が乗った馬を歩かせる。
「そういえば、どうしてジークハルト様はお一人でこちらに?」
「ああ、母から“妹が向かったが、感染する病なら会わないで欲しい”と、知らせが来ていてね。病が癒えて風に当たりたかったから、出迎えついでに馬に乗っていたんだ。そうしたら、悲鳴が聞こえてきて……、気が気じゃなかったよ」
久々に馬で駆けていい気分でいたのに、戦闘が行われている喧噪が聞こえてきた時には、本当に気を揉んだ。
せめてもう少しでも早く到着していれば、妹をこんなに怯えさせずに済んだかも知れないのに。それに、彼女の魔法を見たかった。
町まで近付いたところで、妹のイレーネを護衛する三人の内二人が、歩くのが遅れてきていることに気付いた。
「……どうした?」
「いえ、お気になさらず……」
見れば、歩き方が少しおかしい。年若い男が足に怪我を負い、もう一人が付き添っているようだ。
「怪我をしたなら、無理をせずに早く言いなさい。治療をしよう」
「大した怪我ではありませんので……」
「私が回復魔法を使いますわ! いつも助けてもらっていますもの!」
遠慮する護衛の兵に、イレーネが名案とばかりに両手を合わせてパンと鳴らす。
私は腕を広げて待っているイレーネを抱え、馬からゆっくりと降ろした。
護衛が血に濡れたズボンから足を出すと、ふくらはぎがザックリと切れていて、よくこれで歩いて来たなと思う程だった。我慢強いのも考えものだ。
「柔らかき風、回りて集え。陽だまりに
イレーネが詠唱をすると、ふわりと甘い花の香りが漂い、傷口を優しく撫でる。しかし怪我が酷く、初歩の回復魔法では傷を全て塞ぐのはムリだったようだ。すこしでも痛みが違えばいいんだが。
「あ……ごめんなさい、治っていませんわ……」
「そんな、だいぶ良くなりましたよ! もう痛くありません、これなら歩けます!」
ガッカリと肩を落とす姿に回復魔法をかけてもらった男が慰めようとするが、これで歩くのはまだキツイだろうな。むしろ気を使わせてしまった。
「イレーネ様、更に強い回復魔法に致せば宜しいんですよ」
「でも私、まだ教わっていませんわ……。攻撃魔法を中心に習っていたんですの。……怖くて全然使えませんでしたけど」
「それは仕方がありません。今出来ることを、なされば良いのです。どうぞ、こちらの魔法をお使い下さい」
イリヤさんはメモを取り出し、細い指で滑らかに詠唱を書きだして、イレーネに渡した。遠慮しながらも受け取った妹は元気にお礼を言って、目を輝かせて何度も口の中で繰り返し、覚えましたと顏を上げる。
「
なんと、あの傷がキレイに消えた! 風の中級の回復魔法……。
命を助けてくれただけではなく、こんな魔法を惜しげもなく教えてくれるとは。
「ありがとうございます! 先生を驚かせてやりますわっ!」
護衛の兵達も口々に感謝を述べる。彼女は大したことではないからと、照れくさそうに笑う。
「ありがとう、私からも礼を言う。それと……今まで色々と本当にすまなかった。これからは何か力になれることがあったら、何でも頼ってほしい」
「……ありがとうございます。ではその時は、遠慮なく」
初めて目にする彼女の屈託のない笑顔は、春の日差しのように暖かく、それでいてどこか私を落ち着かない気持ちにさせるものだった。
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