第44話 罠と指輪

 久々にやって来たスニアス湖。町の東側にある朝霧の出る湖で、一番最初に行った採取地。

 普通のポーションをまた作ろうと思って。そうだ、アレシアの分も採取しようかな。そろそろ作る練習をしたいだろうし。朝の空気は爽やかで、うすいもやが湖にかかる風景はきれいで好き。

 今朝は他にも数名が採取している。この場所は町から近いから、なりたての冒険者や、たまに他の露店の人なんかも見掛ける。

 奥へ進む人、もう帰る人。冒険者を連れている人もいるよ。

 

 しばらく採取を続けていると、数人が歩いてくる音が聞こえた。今から採取なのかな。特に気にしないでいると、向こうから声を掛けてきた。

 聞いたことがある、男性の声。

「イリヤさん、採取をしてたのかい。で、用って何だい?」

 クレマン・ビナール。私と付き合いのある、商店の会長だ。でも用って、私は何も言ってないけど。

「おはようございます、ビナール様。用とは、どういうことでしょう?」

「え? 昨日、手紙をくれたじゃないか。明朝スニアス湖でお待ちしてますって。これを」

 ビナールの手には、裏側に私の名が入った封筒があった。そこからカードを出すと、確かにそのように書かれている。しかしこれは私の字じゃないし、そもそも手紙なんて出していない。

「……これは、私ではありません。どういうことでしょう……」


 私の返答を聞いたビナールの後ろにいる三人が、即座に私達に近づく。彼らは護衛のようだ。

「まさか……何かの罠?」

「……会長!!!」

 ビナールの隣に立った護衛の一人が、彼を何かから庇うように立った。

 次の瞬間、どこからか矢が飛んできて護衛の男の腕に突き刺さる。

 同時にもう一本の矢が、私の頬を掠めた。

「……きゃあっっ!!」


 思わず口から叫びが漏れる。

 あと少しでもずれていたら、大変なことになった……!

 ドクンと心臓が冷たく跳ねる。

 震える手でブレスレットに触れながら、防御の魔法を詠唱する。


「荒野を彷徨う者を導く星よ、降り来たりませ。研ぎ澄まされた三日月の矛を持ち、我を脅かす悪意より、災いより、我を守り給え。……プロテクション!」


 今日は一人だったので、ちゃんとベリアルが魔法を込めてくれたブレスレットを付けて来ていた。これを発動させれば、異変はすぐに彼の知るところになる。

 その後も数本の矢が射られたが、全てプロテクションの壁に阻まれて地面に落ちるだけだった。

「……どこから狙ってるか、解るか!?」

「木の上に二人、下にも二人って所でしょうかね」

 ビナールの言葉に、先ほど矢を受けた護衛が苦し気に答える。

 後の二人は、周りを警戒しながら敵の位置と数を探っているようだ。


 そうだ、ポーション!!

 さすがに顏の付近を矢が過ぎるなんて、本能的な恐怖を感じてしまっているようだ。早く冷静にならないと……。

「あ、あのこれ、中級のポーションですから。その傷はすぐに治ります」

 動揺しながら差し出す私の手が、情けないけれどどうしても僅かに震えてしまう。

「ありがとうございます。すみません、怖い思いをさせてしまいました。貴女に危害は加えさせませんので……!」

 男性は刺さった矢を一気に引き抜き、ポーションを受け取って飲み干す。

 傷はみるみるうちに塞がり、痛みもないと感心していた。


「さすがにイリヤさんのポーションは効果抜群だな……。大事な職人さんだ、皆、しっかりお守りしてくれ!」

「承知しました!」

 三人とも大きな声で返事を返す。

 そこに、二十人ほどはいるだろうか。薄汚れた軽装を身に着けた男達が、森から姿を現した。

「商人くらい、矢で射殺せると思ったんだけどな。護衛まで連れて来てるとは、用心深いこった」

「最近は物騒だからね……、まさかおびき出すとは思わなかったが。彼女は関係ない、逃がしてやってくれ」


 話し掛けてきた男が頭目のようだ。他の男達より立派な鎧を身に着け、抜身の銀の剣を携えている。

 ビナールは犯人に心当たりがありそう。

 最近彼に妨害をしているという、ビクネーゼという人だろうか……。私にも接触してきていたから、私達が関係があるというのは知っていたのだと思う。

「依頼主が、彼女を御所望でね。腕のいい職人なんだろ? ああ、あの矢は足を狙えって言ったんだよ、逃げられないように。殺しはしないから安心しな」

「……ふざけるなっっ! お二方には、指一本触れさせない!」

 ビナールの護衛が、不敵な言葉に声を荒げた。


 このままでは膠着状態なので、プロテクションは切らなければならない。

「……防御魔法を切ります、戦闘の準備は宜しいでしょうか?」

「勿論!!」

 プロテクションの光が徐々に薄くなり、完全に消えた。

 三人は私達を囲んで守るように立ち、ビナールも私を庇ってくれている。


「では、私はこれより詠唱を開始いたします」

「ははっ、たった三人でどうしようってんだ! やっちまえ」

 広がって歩いて来た男達が、こちらに向かって距離を詰めて来る。


「燃え盛るほむらは盤上に踊る。鉄さえ流れる川とする。栄えよ火よ、沈むは人の罪なり」


 体の前で勢いよく手を合わせれば、パァンと高い音が遮るもののない湖面を滑る。

「あれ?イリヤさん、何唱えてるの……?」

 これは火属性の魔法です。柱が発生するから、助けが来た時に場所が解りやすいかと思って。矢も防げるし、一石二鳥!

 ……とはいえ、説明してる場合じゃないんだよね。


「滅びの熱、太陽の柱となりて存在を指し示せ! ラヴァ・フレア!」


 三本の炎の柱が灼熱を帯びてそびえ立ち、襲撃者を襲って行く手を阻む。

「あ、あちい!! なんだこりゃ、あの女、職人じゃなくて魔法使い……!?」

「うわあ、燃える!俺の手が燃える…!」

 三人の護衛は少し驚いた顔をしたが、混乱の中でも接近してくる敵を確認して戦闘を開始した。


「そこかね、イリヤ」

「ベリアル殿!」

 もう敵に当初の勢いはないけれど、ベリアルが来てくれた。まだ敵の数の方がだいぶ多いし、頭目の強さも解らないし、弓も怖いしこれで安心!

 空から舞い降りる姿を振り仰ぐと、私の顔を見た彼の目が大きく見開かれた。

「……傷を……負わされたか……」

「ほ……ほんのかすり傷で」


「よくも……この我の契約者にっ!!」

 自分の傷を忘れてた! 命の危機に掠っただけの傷なんて、構ってられないもの!

 しかしこれは危険信号だ。契約に基づき、襲撃者は全員殺せることになる!


 ベリアルの怒りに呼応するように、激しく熱い風が彼を中心にして渦のように吹き荒ぶ。木の上にいた二人の射手は、音を立てて地面に落ちた。ビナールや護衛達もよろついて、言葉を失って彼を凝視した。

 地面に落ちている数本の矢を見たベリアルがそれを踏みにじると、儚く燃えて一瞬で灰と化す。

「矢を射かけるとは……」

 怒気に溢れた低い呟きに、憎悪の篭った恐ろしい眼差し。

「万死に値する!!!」

「うがあああ!」

 絶叫がこだまし、弓を持った四人が突然猛烈な炎に包まれる。激しく悶えてやがて動かなくなり、黒く燃え尽きた。最初は周りから怯える悲鳴のような声が聞こえたが、今は水を打ったように静まり返っている。


「ベリアル殿!! 抑えて下さい!」

「黙れっ!」

 強い口調に怯みそうになりながら、私は思わず彼の腕にしがみついた。

「こ、この者たちは雇われただけなのです! 雇い主を吐かせねば!」

「…………」

 怒りの衝動を抑え、ベリアルは黙って耳を傾けてくれている。

「あの男、あの銀の剣を持った男が頭目です!」

 指さすと、男は真っ青な顔をして震えながら後ずさりをした。

 剣呑なベリアルの視線が、彼を捕らえる。

 そして片腕がスッと上げられて。

「来るな、うあ、ギアアっ!! 腕がっ!!!」

 腕を折ったらしい。頭目の男は、右腕を抑えて痛みに呻いている。

「警告は以上である。誰に頼まれたか、答えねば次はない」

 展開が早い!


「言う! ビ……ビクネーゼの旦那だよ! 金で頼まれただけなんだ!!」

「……ビナールとやら。知っておる者か?」

「あ、ああ……。狙われたのは私なんだ。巻き込んでしまって、申し訳ない……」

 さすがに誰も私の“足を矢で射って連れ去ろうとした”とは、言わない。かすり傷でこれなら、どんな反応になるのか。怖過ぎる……。実行されなくて良かった。

 私も助けに来る悪魔が怖い。


 町の方から鎧の足音が聞こえて、守備隊の兵士が何人も走って来た。今日はジークハルトはいない。

「恐ろしい炎の柱が見えたが……何事だ!?」

 あ、ラヴァ・フレアの火が見えたんだ。

 所々焼け焦げた森と草叢くさむら、怯えて腰を抜かしたり真っ青になってる襲撃者達。

 本当に、何があったんだって感じだ。

 事情を告げて捕縛してもらう。ベリアルは特に発言しないが、とりあえずこれでいいらしい。


 帰ろうとすると、唐突にベリアルが私を横抱きに抱えた。

「え、あの!?」

 さすがにこれは初めてだ!

「……傷は痛むかね?」

「いえ、全然!! 自分で飛べますから!」

 彼はそれ以上言葉を発せず、私を抱えて空に浮きその場を離れた。ずっと無口で居る彼の顔を、盗み見る。いつにない無表情で、何を考えているのかは解らない。

 私はこれ以上ベリアルが傷を気にしないように、カバンから傷薬を取り出して塗っておいた。


 家に戻ると、なぜかそのままベッドまで運ばれた。

 重傷じゃないですよ! 貴方が腕を折った人の方が、大怪我ですよ……!

 あまりの過保護ぶりに、ベリアルってこういう悪魔だっけと混乱してしまいそうだわ。


「……我はそなたに報いねばならぬ」

「え? そんな、いつも助けて頂いていて……」

 ベリアルの顏が近づき、傷口に唇が触れられた。

 ビックリして頬を染める私の耳に、とんでもない言葉が落とされた。


「今宵はそなたを、抱いてやろう」

「……は?」

 発想が斜め上過ぎる! 何がどうしてそういう事になるの!??

 飛んでる間、何も喋らない思っていたら、そんな卑猥な事を考えていたの……!?

「喜べ、この王のしとねに入れるのだぞ。人間などには、そうそう与えられぬ栄誉である」

「いえ! 遠慮します!!」

 私が全力で断ると、間近に迫ったベリアルの顏が怪訝な表情を浮かべた。

「何故だね? 安心せい、我に任せておけ。この世のものとは思えぬ快楽を授けよう」

 え? 解らない? 断られるの、解らない……??

 べリアルの手が私の頬に触れる。そして顔をさらに近づけて、唇を寄せてきた。

 私はあわてて、彼の顔を両掌で押し返す。

「そ、そういうのは要りませんので……」

「遠慮するでない。我と契りを結べるのだ、感謝せよ」


 まさか!

 この人、世界中の女は皆、自分に抱かれたがってるって思ってる!??

 しかも本気だ! 怖い!! 考え方が全く理解できない!


「ほんとやめて下さい!!」

 ベリアルはおかしなヤツだと、マントと装飾品を外し始め、サイドテーブルの上に置く。

 やめて! 脱ごうとしないでっ!

「出てって! 出て行って下さい!」

 私が叫ぶと、眉を顰める。そしてははあ、と何か思いついたような顔で笑った。

「さてはそなた、慎ましやかな胸を気にしておるな? 無用である、我はそのような事は気にせん」

 ベリアルの手が私の胸を鷲掴みにして、五指が別々の動きで確かめるように柔らかく揉んだ。

「悪くないではないか」

 

 ……私の中の何かが切れた気がする。

「す、す……」

「ぬ?」

「すけべっ!!!」 

 バチン!

 思いっきり頬をひっぱたいた。

 彼は赤い目をぱちくりさせている。


「……何をするか!」

「それはこっちのセリフですから!」

 私はカバンから慌てて万能章とベリアルの印章シジルが入ったプレートを取り出した。

「精霊の力、この符に宿れり。万能章よ、大いなる偉力を余すことなく発揮せよ! 悪魔ベリアルよ、退け!」

 力いっぱい唱えると、バチンと音がして、ベリアルがベッドから弾かれる。

 しかしまだこの程度なのだ。王が相手だし私も焦ってるし、そんなに大きな効果が出せない。

 とはいえ、引き離しには成功だ。しばらくは近づけない程度の効果もある。


「せっかく我が、情けをやろうと言うに! どういうつもりだね、そなたは!」

「だから! いりません!!」

 私はそう言って、カバンから指輪を取り出し指にはめた。そして魔力を指輪に集中させていく。

「なんと生意気な……、む? いずこかで見たような指輪だな。感じた事のあるような、魔力を帯びておる……」


 手の甲をベリアルに向け、指輪を見せつけるようにした。

「テトラグラマトンに示される偉大なるお方、アナクタム・パスタム・パスパシム・ディオンシムの大いなる御名において命ずる! 王たる者の指輪よ、力を開放せよ!我が意に応えよっ!!」

 指輪からは、万能章とは比べ物にならないほどの魔力が発揮されている。

 先ほど万能章と印章シジルで弾いたのは、時間稼ぎの為だ。これの方が発動が遅い。


「待て……、そなた何故そのようなものを!? デザインは多少違っておるが、その魔力!! その指輪は……」

 鉄とオリハルコンで作られ、中心に六芒星ヘキサグラムを描き、その周りに四つ、黒いモリオンという強力な魔除けの石が嵌め込まれた指輪。四方のモリオンを繋ぐように、「yod-he-vau-he」の文字を配置。そして左右にはエルとシャダイと彫り込んである。


 効果を高める為に、アームの部分には“始まり《アルファ》であり、終わり《オメガ》である”と、“神”を表す言葉も入れてもらった。


「地獄の王、ベリアル! 我が眼前より、く去れっ!!!」

「それはまさか、ソロモ……!!」

 言葉の途中で、一瞬にしてベリアルの姿が消えた。

 指輪の効果が発揮されたのだ。隣の部屋から、悔しそうな叫びが聞こえてくる。


 た……助かった!

 禁書の記実から再現してみた、悪魔と天使を支配するもの。

 神が与えたとされる、ソロモンの指輪。

 どこまで再現できたかと思ったけど、万能章より効果あった…!



★★★★★★★


参考文献 天使百科事典 原書房 ローズマリ・エレングィリー著 大出健 訳 たくさん載ってておすすめです。

あのなんか長いカタカナの神の名前も載ってた。

「yod-he-vau-he」はYHVH(神聖四文字、テトラグラマトン)のこと…だ、そうな。

ソロモンの指輪のデザインはけっきょくあまり解らなかったので、なんとかかっこ良くなるように考えてみました。

チートの無駄遣いしてみた

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る