第36話 ファイヤードレイク狩り

「いやあベリアル様もお人が悪い! 隠れて見ていらっしゃったとは!」

「小娘の切り札を探ってやろうと思ってな。やはり持っておったわ!」

「いやはや、効果のある護符でしたな……」

「……魔法円も、我ですら触れられぬ。まったく忌々しい事よ」


 あれからお酒を買って宿に戻り、再びルキフゲ・ロフォカレを喚び出した。

 そして本当に昼間っから宴会が始まり、現在に至る……。

 気が合うようで、二人はなんだかご機嫌だ。


 ルキフゲ・ロフォカレはベリアルと仲の良い、他の悪魔の手下らしい。

 自分の配下だとすぐに平伏するから、今回は違う悪魔を喚ばせたそうだ。ちなみにどの悪魔を召喚するかは、こっそりベリアルに誘導してもらっていた。さすがにあんな場所で誰が出るんだか解りません、な状態ではやれない。

 それにしても、あの時ベリアルが“あやつは本当の召喚の術を知らん、無知蒙昧な輩に見せてやれ”とか煽ってきたのに、乗せられたのは反省点だ……。契約して下僕のように使って乱暴する、ああいう召喚師は許せないとはいえ。


「閣下、お酒が尽きそうですが……買い足して参りましょうか?」

 たくさん買ってきたつもりだったのに、もうなくなりそうだわ。

「おお、もっと買って参れ! ルキフグス、そなたはどのようなものが良いかね?」

「ベリアル様と頂けるなら、如何様なものでも美酒ですぞ! しかし、ずいぶん躾が行き届いておりますな」

「配下が、知らぬ間に閣下と呼べと刷り込んでおったのだよ。さすがに呆れたわ」


 そうなのである。ベリアルが魔法関係を配下に教えさせようとして、まず私に学ばせたのが召喚だ。そして召喚できるようになってから、教師として配下の悪魔を喚び出した。

 さすがはベリアル閣下の配下、私に一番に教えてくれたのは「無礼のないように、閣下とお呼びしろ」と、いう事だった。すっかりそれを覚えたわけで、今でも無意識だったりすると“閣下”と呼んでしまうらしい。

 とりあえず配下の悪魔などがいて他の人間が居ない時は、閣下と呼ぶようにしている。またうっかり“さん”付けなんかして、閣下と百回言わされたら嫌だ……。 


 気が済むまで飲んでいてもらおうと、適当なお酒を見繕って持てるだけ購入した。周りの人たちは慌ただしく行き来していて、随分と騒がしい。これで普通なんだろうか?

 お店を出て人を避けながら端っこを歩いていると、正面からレーニとエスメが小走りで来る。

「あ、イリヤ! 大変よ、北の防衛都市が竜に襲われたらしいの!」

「何でも、火を吐く竜らしいわ。危険だし私たち、ここを発つことにしたの。貴女も早くした方がいいわよ」

 動揺している治癒師のレーニと、不安を抱えていつになく落ち着かない様子の魔法使いのエスメ。


 説明によると、北にある防衛都市がドラゴンの襲撃を受けたが、そのような場合に来るはずの伝令が来ていないとか。一昨日の夜に防衛戦を目撃した冒険者が、全速力でこの町まで知らせに来たそうだ。徒歩だったので、ずっと走って夕べ到着し、その後は緊急対策会議が始まり、民に公表されたのは今朝になって。

 ドラゴンの襲撃だけではない、何事かが起こっているのかと、この町にも混乱が訪れつつある、という状況だ。取り急ぎ北へは戦闘能力のない市民とBランクよりも下の冒険者を移動禁止にして、援軍を結成、王都や周辺都市にもここから伝令を飛ばして様子を探るそうだ。

 ドラゴンがこちらへ来ないとも限らない為、市民の避難も検討されているらしい。


「教えてくれてありがとう! せっかくアランさんが取ってくれたけど、私も宿を引き払って出立するわ!」

「あ、なら一緒にレナントへ……」

 エスメが誘ってくれるが、私は首を振った。

「違うわよ、ドラゴンの素材採取よ! ちょうど切らしているの、これは千載一遇の好機だわ!」

 急いでいるからゴメンねと、私は宿への帰路についた。


「……ねえ、エスメ」

「……うん、レーニ」

「トレントの森でも行こうか。逃げなくても良さそうじゃない?」

「奇遇ね、私もそう思っていたところよ……」



「閣下! 酒宴は終了です、出立いたしますよ!」

 私は急いで宿に戻って、扉を開けるなり声を張り上げた。

 ベリアルは不満げに振り返り、手に持っている酒瓶を見ると、怪訝な表情を浮かべる。

「何だね突然、無粋な。酒はその手にあるではないか」

「それどころではないのです! 竜です、火竜が北に現れたそうです! 交戦中との情報が入りましたが、どうやら戦況が思わしくない様子。援軍が出る前に、討ちに参りましょう!」

「おお、ベリアル様は狩りがお好きでしたな。それは行かねばならんでしょう、私はこれで失礼します」

 ルキフゲ・ロフォカレは竜と聞いて喜色を浮かべたベリアルを見て、スッと席を立った。空気の読める悪魔だ。

「なんと、竜であるか! 早速出掛けようではないかね。すまぬな。ほれ、その酒は手土産に渡しておけ」

「有り難く頂戴いたします。では……」


 五芒星を描いて送還の儀を行い、悪魔を地獄へ返す。それが終わると、私も出立の支度をした。宿を手配してくれたアランに一言挨拶をして、すぐに出掛けることにする。

 アランは同じ宿で連れの人や隊商の護衛と、何部屋も続きで借りている。その一番奥の一際広い部屋の扉を叩いた。

「はい」

「イリヤです、御挨拶に参りました」

 扉を開けてくれたのは、馬車でも一緒だった秘書の初老の男性だ。ダークブラウンの衣装を着ている。私は軽く礼をして部屋に入った。

 中には護衛団の隊長や隊商の人も何人かいて、地図を睨みながら話をしている最中だった。

「君も聞いたかい、竜が防衛都市ザドル・トシェを攻撃したらしい、と。二日前の話だそうだ。未だに交戦中かは解らないが、そうじゃなくても、まだきっと近くにいるだろう。伝令がないところを見ると、最悪都市が落とされた可能性もある……」

 ソファーに腰かけ真剣にテーブルに向かっているアランが、視線だけでチラリとこちらを窺った。

 私は近くに立って、大きく頷いた。

「はい。せっかく宿をご手配頂いたのに申し訳ありませんが、私達は今すぐに出立しようと思います」

「……いや、正しい判断だ。私達も、仕入れを中断してでも帰るべきか相談していた所なんだ」


 部屋にいる人達は、みな険しい表情をしている。

 これだけの人数の隊商だもの、混乱している中で出発するのも心配がありそうだ。

「竜に限りましては、これより討ちに参りますので、懸念がそれだけでしたら急ぐ必要はないと思いますが」

「そうだね、早く出て討ち……。……討つの?」

「はい。素材が欲しいので。援軍が出る前に行かねばなりません、慌ただしくて申し訳ありませんが、失礼します」

 しんと静まり返った部屋で、くるりと踵を返す。来た時と同じように秘書の方が扉を開けてくれたので、私は足早に立ち去った。

 部屋を去ってから、パタンと閉じられた向こうで何故か急に大声で騒ぎ始めたのが聞こえた。



 テナータイトを出た私たちは、街道に沿って飛行しながら防衛都市ザドル・トシェを目指した。

 広い街道は歩く人影もなく、右手に山、左手には草原と長く伸びて細くなったティスティー川が流れている。


 そしてしばらく飛んだところで、ついに目的の生物を見つけた! 中級の火竜、ファイヤードレイク!

 防衛都市まではあと三分の一くらいの距離で、襲われているのは五人の騎兵だった。兵達は既に疲弊しているようだ。火竜も魔法や剣で攻撃を受けたらしく、手負いで凶暴性を増している。

「なかなかの獲物であるな! イリヤよ、手出しは無用ぞ!」

「はいっ! 私はあの者達の援護に参ります」


「うむ。炎よ濁流の如く押し寄せよ!! 我は炎の王、ベリアル! 灼熱より鍛えし我が剣よ、顕現せよ!」


 ベリアルの肩の辺りから火が発せられ、掌に届いて更に燃え盛る。それは寄って固まり、剣の形を生んでベリアルの手に収められた。

 この、魔王が自らの名において術を行使する行為を、「宣言」という。人間が神の名において何かをするのと同様だ。溢れる魔力が一気に凝縮され、恐ろしい程の威力を生む。何と言っても、このドラゴンも強い炎属性。相性がある意味良すぎる。


「火を吹くぞ……防御を!」

「もう魔力もアイテムもありません……! 逃げるしか!」

「今から動いても、どっちにしろもう駄目だ……」

 騎兵達は予想以上に切羽詰まった状況らしい。既に諦めている人もいる。

 どうやらぎりぎり間に合ったね。私は詠唱をしながら彼らの後ろに降り立った。


「襲い来る砂塵の熱より、連れ去る氷河の冷たきより、あらゆる災禍より、我らを守り給え。大気よ、柔らかき膜、不可視の壁を与えたまえ。スーフルディフェンス!」


「きた……!」

 竜の大きな口から、強大な滝のような炎のブレスが放たれる。

 それこそ建物の三つや四つ、簡単に呑み込むような。

 防衛手段を失い覚悟を決めた騎士達の前に、薄い膜のようなものが現れ、押し寄せる竜の炎のブレスは一切届くことはなかった。

「……何も……起こらない?」

 恐る恐る一人が顔を庇うように出した腕をどかすと、視界を埋めるオレンジの熱は目の前で別れて左右に流れ、色を薄くしている。 

「ご安心下さい、防御の魔法を展開致しました」


 私が告げると、五人は一斉にこちらを振り向く。訓練を積んだ騎士とは言え、状況が状況だ。さすがに私の存在に気付いていなかったようだ。口を開き何か言おうとしている。

「……こ、この防御を貴女が? 貴女は、一体……?」

「テナータイトにて、防衛都市が竜の襲撃を受けたとの情報を入手いたしましたので、竜の素材の採取に参りました」

「素材を採取……? いや、この竜は強い火を吐く、危険な竜だ。そうだ、援軍がくるのか!?」

「まだ編成中のようでした。先んじれば他を制します故、お先に失礼させて頂いたのです」

 

 ファイヤードレイクが顎を上に向けた。

 視線の先に、右手に炎の剣を持つベリアルがいる。

 竜は二本足で立ち上がって大きく口を開き、吼えながら先程よりも強い炎を放った。

「おい、あの人はいいのか!? やられちまう……!」

「彼は君の仲間では? 我々は構わなくて良いから……!」

 騎士の一人が驚愕の表情で、ブレスの先に居るベリアルを指差す。 

 こんな場面なのに自分よりも気遣ってくれるとは、いい騎士なんだと思う。

「問題ありません。あれは所詮、火ですから」

 たとえ竜であっても、そう簡単にベリアルの脅威になるような火を起こすことは出来ないだろう。

 それが故の“炎の王”だ。


 彼の姿はすっかりと紅蓮の中に埋もれ、騎士達は一様に顔を青くしている。

 しかし炎が途切れるよりも早く、ブレスから飛び出した人影が竜の頭上から赤黒いガーネットのような剣を振り下ろした。

「悪くはない! 我を飾るに、相応しい火であるな!」

 愉悦を含んだ声で真っ直ぐに剣を振り下ろす。

 固い皮膚がやすやすと切り裂かれ、竜の咆哮は絶叫へと変化した。

 痛みにいなないた竜が、足を震えさせて体を崩していく。


「あっ」

 あらまあ、こっちに倒れてくる。だって皆、近くにいるんだもの……。


「阿呆か、あやつらは!!!」

 ベリアルの怒りの声が届いた。それはまあ、そうだよね。避難しろって話だよね、そんな暇はなかったけど。

 一旦ファイヤードレイクの足元まで降りたベリアルだったが、暴れるしっぽを避けつつベージュ色の腹まで浮かび、左手を前に出した。

 倒れくる竜に向けて、魔力が収縮されていく。

 ぶつかる!

 そう思った瞬間、蓄積された魔力が一気に放出され、竜の腹に穴をあけて後ろに押し返した。

 ドオオンと大きな音と土煙を上げ、ファイヤードレイクは背から地面に倒れ、空虚に空を見る。

 

「あの竜を……こんなに容易く……!?」

 五人の騎士達はみな驚いて、動かなくなった竜を凝視している。

「容易くではないわ! そなたらのせいで余計な手間であった。非戦闘員はさっさと退避するものだ!!」

「す……すまん……」

 騎士を戦力外扱いだ。まあここは仕方ないので、謝るしかないだろう。竜の場合、ブレスを防げなければどれだけ強くても戦えない。

 ベリアルは、倒れてくる勢いと重みを利用してサクッと首を斬り落とすつもりだったらしい。予定が狂って少々ご立腹だったが、一応獲物にはご満足頂けたようだ。

 私は倒された腹から見つけた、質のいいドラゴンティアスにとても満足。あまり大きくないけど、色々使いたい!

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