第33話 回復魔法とイリヤの杖

 生き残ったリザードマンが全て森へ引き返し、ようやく乱戦も終わった。


 リザードマンという種族は沼や湖に住まう為、もともと人間との接点は薄い。しかし敵対しているわけでもない。こうやって襲ってくるのは、主権争いに敗れ自分達の行き場を失った者や、何らかの理由で食べるものがなくなり人から奪おうとするものが多いそうだ。人間と同じように、罪の意識も持たない強盗もいるらしい。


 薄闇が辺りを覆い、森は一層濃い色に沈んでいる。

 先に数人が野営場所を確保しに行き、怪我人を治療してから残りの全員で移動するという流れになった。

 負傷者は多く、レーニ達回復魔法の使い手の元に、ある人は脇腹を押さえながら、ある人は足を引き摺り、またある人は仲間に支えられてやっと歩いているというていで、治療を求めて集まって来る。 

 

「イリヤさんにポーションを貰って助かった! 早速これも使わせてもらおう」

 アランが馬車からポーションを持ってくるよう指示したので、私はすぐに止めた。使うには勿体ないからだ。

「いえ、私が回復魔法を使いますので、まだお使いにならないで下さい」

「イリヤ様は、回復魔法まで使えるのですか!?」

 隣にいた初老の秘書が、驚いて目を大きくした。

「はい。拙い術ではありますが、このアスクレピオスの杖を使えば、十分な効果を発揮できると存じます」

 上が楕円になった背丈ほどの木の杖に、ミスリルで作った蛇の彫刻が絡みついている、回復の杖。

 こんな杖は初めてだと、二人はまじまじと見つめている。

「私が複数人に効果のある広域回復魔法を使いますので、現在の治療をやめて、この馬車の周りに皆様を集めて頂けますか?」

「それは心強い! ぜひお願いします」


 すぐに執事の男性が走って、皆に知らせてくれている。

 全員集まったと聞かされてから、私は大きく息を吸って、詠唱を開始した。

 先程まで治療に当たっていた回復魔法の使い手や、アラン達、それに一部の護衛達も周りで眺めている。私達もいるから無理しないでとレーニが言ってくれたけど、多分必要ないだろう。


「満月は空にかかりておぼろに明かし。闇のしとねに憩い、一時の休息を求めん。ああ宵の静寂よ、今や虫の音も途絶え、帳は足元まで降れり。誇りしは月、我がきょは岩の苔にあり」


 全員に柔らかな銀の輝きが降り注ぐのを確認して、術を発動させる。

 ふわふわと浮かぶような光を、不思議そうに皆が見回していた。


「フフェラ・ルナエ」


 一瞬眩く輝いて視界を白く染め、誰もが反射的に目を閉じる。

 恐る恐るまつ毛を震わせると、テントの中は元通りの色で、そしてどんな大きな傷もたちどころに回復していた。

「あ……あの傷がこんな一瞬で……!?」

「すごいぞ。中級のポーションよりも効果がある!」

「しかもこの人数を、一気にかよ!」

 口々に歓声が上がり、私は久々におこなった魔法の効果を感じて、誇らしく思った。


「な……何なの? 今のって何の魔法!?」

 レーニが私の両肩を掴んで顔を近づけて迫る。ちょっと勢いが怖い。

「は、はい!? 今のはフフェラ・ルナエ。これは私の回復魔法用の杖で、補助を受けながらなのよ」

「すごい! 私もこんな杖ほしい!! それにこの魔法も……!」

 興奮しながら杖の前で両手を祈るように重ねるレーニ。

 アランと秘書も、改めて杖に興味を持ったようだ。


「残念ながら、それは簡単に手には入らぬ。何せこの我が、ユグドラシルより作らせたものであるからな」

 馬車に腰かけたベリアルが、肩を竦めてみせる。

「ユグドラシル!? そんな最高級の希少素材を、こんなに使って、杖に……!??」

「え、そんなに貴重なんですか?」

 アランは商人だけあって、さすがに詳しい。

 これを貰ったのは魔法の練習をしていた頃。攻撃魔法は合格点になったけど、回復魔法はまだまだだからって、けっこう気軽にくれた気がするんだけど……!?

「イリヤさん! ユグドラシルは非常に珍しい神聖系の巨木で、どの木よりも太く背もかなり高いんだが、世界で一本しかないから伐採禁止なんだよ! 枝卸がされた際、切った枝だけがオークションに出されるんだ。国が国策として買ったりするほどなんだよ……! この蛇だって、ミスリルにこんな精巧な彫刻をして、金で装飾を施して目にはブルーダイヤが……!」

 ものすごく真剣な目で説明されて、思わず顔を反らしてしまった。ベリアルを見ると、涼しい表情で微笑を浮かべている。


 ……は! 価値を説明させるために、今になって素材を明かしたのね! 相変わらず狡いと言うか。

「そ……そうなんですね、大事に致します」

 なんとか絞り出した言葉が、それだけだった。どう反応するのが正解なのか解らなかった。とりあえず話題の転換を計ろう。

「それはそうと! 今のは闇属性の上位魔法だから、レーニにはまだ早いわよ」

「え⁉ 闇属性も回復ってあるの?」

「少しだけね。夜になったから、闇属性を使ったの。月に関係する魔法だったし」

 そっかと呟くレーニは、ちょっと残念そうだ。そういえばエスメにだけ魔法を教えて、レーニには何もしてあげてない。

「レーニには、さっきの攻撃力を増強させる魔法を教えるわね。エグザルタシオンっていうの。メンバーの三人に掛けるくらいなら、大した魔力は使わないで済むわ」

「え、あれイリヤの魔法だったの?」

 気付かれてなかった。まあ戦闘が始まってから攻撃力増強はあまりしないし、彼女自身は回復役だから意識もしないかも。

 でも嬉しそうにしているから良かった。


 野営地へ移動する間、アラン達からも今回の魔法について聞かれ、護衛費用を払うべきではないかと真剣に相談される。なんとか辞退して、町に着いてからの宿の手配と代金を払って頂くことで、折り合いがついた。攻撃力増強の効果はかなり好評だったらしく、護衛達からも感謝された。

 野宿を嫌がるベリアルだったけど、今地獄に帰ると天使から逃げたと思われそうなのがイヤだと、今日はこの付近の適当なところにいるらしい。他人と同じテントには入らないと言い張っていた。



 夜。私はなかなか寝付けずに、一人静かにテントを出た。

 テントには私とレーニ、エスメ、それから隊商で働く他の女性もいる。


 ふと、少し離れた木の向こうから聞こえてくる話し声。

「今日はありがとうな。まさかリザードマンが襲ってくるとは、ついてなかった」

「……しかしあの娘の魔法は、なかなかに大したものだった。あのような悪魔を従えているのだ、当然と言えば当然だが」

 ウルバーノと天使カシエルだ。今日の反省会、と言ったところだろうか。

「仕事だからな、あの悪魔に突っかかるんじゃないぞ。それに……ハッキリ言っちゃ悪いが、あっちの方が上手うわてだと思う。」

「………」

「イヤミじゃないよ、お前が僕を認めてくれる間は、僕の相棒だからな。心配になるんだよ」

 カシエルは言いにくそう眉をひそめたが、溜息を吐いて髪を掻き上げた。

「すまん……。……なぜかヤツの前だと、焦燥感があると言うか……、どこか追い立てられる感じがするのだ」

「まあ、なんか解るわ。ゾクッとするほど冷たい魔力を感じるからな。アレは、尋常じゃない」

 真剣な表情のウルバーノ。どこかで薪の爆ぜる音がした。

 天使と過ごしているだけあって、悪魔についての感覚もあるようだ。


「討つべき敵である事には間違いがない」

「やめてくれよ。……お前一人じゃ無理だろうし、それにあっちは客人だ」

 どうにもあの天使カシエルは、自分がベリアルと戦いたいと思いたがっているようだけど……。

 多分それは違うのだろうと思う。


「本当です。もう少し、お考え下さい」

 私は木の影からゆっくりと歩き、二人の前に姿を出した。

「イリヤさん……」

 聞かれたのかと、ウルバーノがバツの悪そうな声で私の方を見た。

「貴方がなぜ、焦りを感じてしまうのか。それを自身の心にもっと問うべきです」

「……心に、か」

 意外にもカシエルは、私の言葉を神妙に聞いていた。ベリアルに対した時の様子から、悪魔の味方だと糾弾してくると思っていたのに。

「焦燥感とは、どのような時に感じるものなのか、と。私に言えることは、これだけです」


 貴方は彼に敵わないと頭では解っているのでしょう。そしてそれを認めたくない。

 その事により生じる感情……恐れ……を。認めたくないのでしょう。

 

 死、という名の恐怖を。



 私が思考した結論、恐怖が原因であるとは告げずに、その場を後にした。

 二人はしばらくの間、沈黙して立ち尽くしていた。


 明くる昼過ぎ、予定より遅れてテナータイトへと着いた。

 壁に囲まれた町で、木の魔物であるトレントの木材が有名。私たちは検問を抜け、馬車で門をくぐった。レナントよりも大きなこの町は、商業が盛んでたくさんのお店が軒を連ねている。この北には更に大きな都市ザドル・トシェがあるが、こちらは国境に近い防衛都市だそうだ。


 アランに宿を手配してもらって、部屋を確認してから大通りを歩く。

 噂通りトレント素材を扱う店が多く、杖、タリスマン、木の細工物、単なる木札や家具など、さまざまな用途でトレントが加工されている。何か使えそうなものを見つけたら、買おうと思う。

「で! 竜はどこにおる」

 ベリアルの目下の興味はこれだ。

 しかし見たという情報が増えてきただけで、確実な居場所は解らないらしい。もし解ってたら、もう討伐されてるんじゃないだろうか。

「明日、情報収集しましょう。この辺で何が採取できるかも知りたいですし」

「悠長な事を言っておると、横取りされるではないか!」

 貴方のものじゃないですよ、という言葉を飲み込んで初めての町の散策を続けた。

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