第31話 通信魔法

 喧噪に紛れて、どこからか鈍い音と呻き声が聞こえる。

 隠れるように細い路地で、ガッチリした体形ながら低身長の男性が、ごろつきのような男に集団で襲われていた。

「大変!」

 駆けだした私に、ベリアルが後ろから声を掛けてくる。

「待たんかそなた、戦えぬであろうが!! なぜ駆けて行くのだ!」

「来るんじゃない嬢ちゃん、人を呼んで……ぐぁっ!」

 こちらを向いたその男性は、背中を蹴られて言葉を遮られた。

 私は迷わず詠唱を始める。


「揺るがぬもの、支えたるもの。踏み固められたる地よ、汝の印たる壁を築きたまえ。隔絶せよ! アースウォール!」

「魔法使いか! 先にやっちまえ!」

 男の一人が叫ぶと、私の後ろから数人の足音が聞こえた。見張りがいたようだ。

 しかしその足音もすぐ途絶える。

「……全く! どうせならば、もっと手応えのある獲物を用意せよ!」


「くらえ、アイスランサー!」

 建物の屋上の方からも声がした。上にも一人いたんだ!

 魔法が使えるらしい男は、事もあろうにベリアルを狙って氷の槍を放った。

「……この程度かね」

 ベリアルは緩くカーブする赤い髪を揺らして気怠そうに見上げ、手を向ける。

 そこから炎の弾が飛んでいき、氷を一瞬で蒸発させて勢いを落とすことなく建物の屋上まで届き、悲痛な悲鳴がこだました。

 その声が耳に届いた時には、既にベリアルの姿はそこにない。襲って来た無謀な輩が数人、地面に転がっているだけ。

 火に襲われた男は、後ろに身を引いて間一髪で躱し、怪我はしなかったようだ。しかし下がった先にはいつの間にか、たった今、己が魔法で狙ったベリアルが立ち塞がっている。

「……貴様が狙ったものがイリヤであれば、このままくびり殺せたと言うに……惜しい事をした」

 恐ろしさに振り向けないまま背中に衝撃を受け、男はその場で気を失って倒れた。

 今日のベリアルサマは不機嫌なようだ……。


 暴行を受けていた被害者の方は、私が詠唱した魔法の土壁が周りを覆って、敵を遮断するのに成功していた。暴行していたごろつき達は、突如として地面から盛り上がった壁にぶつかって後ろに倒れた。現れた壁を忌々しそうに叩き、術を使った私の方を向く。

 次の魔法を用意しようとしていた私の前に、二回建ての屋上から身を躍らせたベリアルがストンと軽快な音を立てて降り立ち、マントがふわりと靡いた。


「何事だ!」

 騒ぎを聞きつけてやって来たのは、町の守備隊長であるジークハルト。

 見れば通りに野次馬も集まっている。ジークハルトは私達が来た方と反対側から現れたので、ちょうど襲撃者を挟み撃ちにする感じになった。

 男どもはどちらに向かうべきなのか決められず、首を大きく左右に振っている。

「ど、どうすんだよ!」

「あの赤い髪の男もやべえぞ……!」

 ジークハルトは数人の部下を連れて走り、動揺しながらも攻撃して逃れようとする男達を、簡単に打ち据える。

 ばらばらに行動するごろつき達は簡単に捕らえられて、全員しっかりと捕縛された。

「……また君達か」

 えええ。助けに入っただけなのに。


 なんだか嫌な感じのジークハルトは放っておいて、私は土魔法を解除した。

「うおっ……!」

 土と血で汚れたドワーフが現れる。顎から髭を生やしていて、人間で言うなら中年くらいだろう。壁が開いたら周りに守備隊の人がいるし、襲って来たごろつきは縄で縛られているし、状況の変化に驚いたようだ。

「お怪我は軽そうですね。初級の回復魔法を唱えますので、楽になさって下さい」

「いや、大したコトねえから。魔法なんていらねえよ」

 手を振って答えるドワーフの男性の横に膝をつき、私は詠唱を開始した。

「柔らかき風、回りて集え。陽だまりに揺蕩う精霊、その歌声を届け給え。傷ついた者に、再び立ち上がる力を。枯れゆく花に彩よ戻れ。ウィンドヒール」

 ふんわり優しい風が彼にまとわりつき、花の甘い香りがして傷が治っていく。効果は強くはないけれど、軽い切り傷くらいならすぐに治せる。


「おお! すげえな、もう全然痛くねえぞ。さっきの壁といい、ありがとよ。魔法使いさん!」

 ドワーフはぐるぐると腕を回して、手の状態を確かめている。

「いえ、ご無事で何よりでした」

「……そのドワーフの彼は、何故壁の中に?」

 どうやらジークハルトは、全然状況を呑み込めていなかったようだ。ドワーフが襲われている場面は目撃していなくて、おかしな土壁が出来て何か争っているという、謎の状況に映っていたようだ。なるほど、抵抗したから捕らえただけだったのか。


「俺がそのごろつき共に因縁つけられて、細い通りにムリヤリ引っ張られてフクロにされてたのを、この嬢ちゃんたちが助けてくれたんだよ。上にも一人、魔法使う仲間がいたみてえだぞ」

 ドワーフの説明を受けた守備兵の内の二人が、ジークハルトの指示ですぐさま建物に入って行った。


「詰め所で最初から説明してもらおう。被害者なのは解っているから、安心して」

 今回は状況の聞き取りくらいで済むらしい。

 ちなみにベリアルは来ない。連れて行きたければ力尽くで行え、というので、その場合の町の安全は保障できないと守備兵に伝えた。

 ジークハルトは疑ったことを申し訳なく思ったのか、少しバツの悪そうな表情を浮かべている。


 詰所に着くと、ジークハルトの質問より先に、先程のドワーフが私に声を掛ける。

「いやあ、助かったぜ嬢ちゃん! 俺はドワーフのティモ、武具職人をしてんだ。アンタは?」

「私はイリヤと申します、魔法アイテムを作製しております」

 私が名乗ると、ティモはそうかそうかと豪快に笑いながら膝を叩いている。

「あんたがイリヤって娘か! クレマンのヤツ、腕利きの職人とは言ってたが、こんな可愛い子なんて教えてくれなかったぞ」

「クレマン……様ですか? あ、もしやクレマン・ビナール様でいらっしゃいますか?」

「そうそう、そのクレマンだ」

 ビナールと仲のいい人らしい。職人だし、もしかすると仕事仲間かも?

「……君達、すぐに済むから話は後でいいかな?」


 ジークハルトが執務机から、椅子に座るよう促してきた。執務机の前に応接用のテーブルがあり、六脚の椅子が並べられている。

 襟足で揃えられた金茶色の髪の辺りに、何かチカチカ光るものが見える。 

 妖精だ。掌くらいの大きさだろうか。あまり目撃したことがなかったので、ついつい眺めていると、こちらの視線に気付いて妖精は彼の後ろに隠れてしまった。

「……この子は臆病で人見知りだから、あまり詰め所や私の宿舎の部屋からは出ようとしないんだ」

 嫌っているわけじゃないよ、とジークハルトが苦笑する。

「で、この襲って来た者達は以前からの知り合いか?」

「いんや、全然知らねえし、ぶつかったなんてのも言いがかりだ。わざとあっちから当たってきたぜ」

「……わざと。それならば誰かというより、君を狙って、だろうな。見張りもいたし、屋上に魔法使いまで待ち構えていたとなると……」

 ジークハルトの目が険しい。何か心当たりがあるようにも思える。

 最近は治安が前より悪いと聞いていたし、もしかすると、これもビナールへの妨害の一環?


「それで君達が見掛けて、助けに入った、と」

「おうよ、この嬢ちゃんの魔法は発動が早えな! んであの赤い髪のが、クレマンの言ってた悪魔だろ?」

「はい、ベリアル殿です」

 緑色のジークハルトの瞳が動いた気がする。ベリアルを警戒しているのかな、この人は。

 守備隊としては当然なのかも知れないけれど、私はあまり気分が良くない。彼は私を助けてくれているのに、何を疑っているんだろう。

「ほんの簡単に奴らを伸したり、屋上なんてひょいと行って来るし、なかなかすげえな!」

 褒めてくれているティモの言葉を、検証するように聞いている。ティモは途中から壁に囲まれていたけれど、上は開いていたから飛んで行き来するのは解ったようだ。

 私はあまり喋らないようにして、最低限の答えだけにとどめた。



「そういえば、そろそろ手紙を出してもいいかな?」

 部屋に戻った私は、色々慌ただしくて、まだ家族に居場所を教えていない事に思い至った。

 通信魔法は用意できている。ただ死んだと思わせてしまっているので、急がないとと思う反面、どう書いていいか解らなかった。またこの町を離れる前に、連絡を入れて安心させてあげたい。

 それともあんな去り方をして、怒らせてしまうだろうか…。


 新しい便せんとペンを出し、家族への手紙を書く。家族は母と妹だけ。チェンカスラー王国のレナントに移り住んで、元気でちゃんと生活していると伝えなきゃ。私が生きていることは秘密にして欲しいとも、しっかり念を押して。

 そんなに時間が経っていないのに、ずっと会っていなかったような気がしてくる。村を出て王都で暮らしてからは、年に数日くらいしか帰れなかったから、今までとそんなに変わりはないのだけれど……。

 もっと一緒にいれば良かったと、今になって思う。

 私は頭を振って、通信魔法へと改造したマジックミラーを用意した。いや、これには鏡は使っていないから、正式にはミラーではないわ。単なるマジック・トライアングルか。

 家には改良中の物しか残せなかったけど、通じるといいな……!


 正三角形の線を二重に引いて、その中の一辺毎に聖なる名前を黒色で入れる。

 真ん中にはミラーのかわりに“旅”を現すルーン文字、そしてその周りにも独特の模様と文字。


「車輪は回り、風を呼ぶ。森の小道、野の草の道、田のあぜ道。汝と共に旅立たん。舞い上がり行くべし、心は蝶の如く軽やかになれり」

 文字の力を発動させる言葉に合わせて、文字が浮き上がるように見えた。

 被せるように手紙を置いて、次は空間を繋ぐ呪文に移る。


「地の果てまでも、声よ届け。海の底までも、意識よ飛べ。其は全てを透過せし光、偉大なる尊き御名の方の掌の内、全ては収まる事象である。我が一歩は、前に進みて後ろへ行くものなり」

 すぐに変化は現れなかったが、魔力を送り続けると手紙がふわりと浮き、ゆらゆら揺れて忽然と消えた。

 成功!

 ……と思ったけど、届いたかの確認はできないか。とりあえず今回はこれで良し。


 手紙がちゃんと届くといいなと思いながら、布団に入った。

 この宿に泊まるのも、もう少しの間かな。今度の旅から帰ってきたら、住む家を探そうと思う。

 明くる日に連絡が来て、出発は二日後になった。誰と、どんな旅になるんだろうか。

 ドラゴンが出てくるといいな。



 □□□□□□


「ジーク、あの子はいい子だよ。どうしてあんな目で見るの?」

 皆が去った、詰所の執務室。書類の整理をしているジークハルトの周りを、小さな妖精がほのかに光りながら飛んでいる。

「シルフィー。それは解らなくもないが……。しかし私は、そんなにキツイ目をしていたかな……?」

「ううん、キツイっていうより、あの子を探ってるって目をしてた」

「それは、……あの悪魔が気になるからかもね」

 シルフィーと呼ばれた妖精は、ジークハルトの机の書類の隣に舞い降りた。トンボのような薄い羽が、冷たいテーブルにふわりと降りる。


「私とジークは悪魔が怖い。あと、私とあの子は、人の悪意が怖いんだと思う」

「……悪意、か」

 そんなつもりはないんだがと、ジークハルトは苦笑する。

「気を付けた方がいいよ。ちゃんと仲良く契約してる悪魔は、契約者が嫌な思いをするの、怒るよ」

「心配をかけるね。……父は立派だし、兄上は二人とも素晴らしいのに、私は全然追いつけない。この町すら上手く守れないでいる。……焦ってしまっているんだろうな」

「……ジークはがんばってる、私、知ってるよ」

 執務室の灯りは夜半過ぎまで灯っていた。



 ★★★★★★


参考文献 ルーン魔法のことば 原書房 アリ・バーク著  神戸万知 訳

ルーンを発動させる呪文のことばは、この本を参考にして変えてあります。

正しい文章は、買って確かめて下さいませ(*^^*)

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