第15話 バジリスク

 あれから取り調べに協力し(被害者扱いで済んだ)、イサシムの大樹の人たちに“実は魔法使い兼召喚術師です”と明かし、魔法使いのエスメに使用魔法を詳しく教えてと迫られて、アレシアとキアラには泣かれた。

 ジークハルトは難しい顔をして、私とベリアルを見据えていた。危険人物だと思われたのか、単にどの程度の腕なのか気になっていたのか、あるいは別の思惑があるのか。私には解らなかった。


 暴れた三人は、このレナントへ出入り禁止になった。彼らは腕前ならCランクに上がれるレベルだけど、素行が悪く依頼主からの苦情も多いので、改善勧告を出されていたんだそうだ。このままではランクアップできない、と。冒険者の強さなどは解らないが、Dランクになったばかりの皆が無理に戦わなかったのは、正解だったと思う。

 それにしても、人通りが多い時間ではなかったとはいえ、目立ちすぎたのは失敗だった。次の日になっても、見ていた人に色々と声を掛けられた。なぜか女性からベリアルを紹介して、とも言われたけど。


 そんなわけで私は今、上空からエルフの森を見ている。

 しばらくレナントから離れておけば、帰った頃には噂も落ち着いているだろう。ちょうど違う場所へ素材の採取に行きたかった所だし。

 ティスティー川を越えてからワイバーンを旋回させ、そのまま飛び降りて飛行魔法を行使し、森の中の開けた場所に着地した。もちろんベリアルも一緒。しばらくは苦虫を噛み潰したような顔をしていたけど、アレシアの知り合いのマレインという門番に美味しいお酒を教えてもらって、御機嫌取りをしたわけだ。


 エルフの森はレナント付近よりも太い木が多く林立し、見た事もない草が生えている。空気がひんやり心地よく、マナが豊富なのだろう、神聖さが感じられた。さすがエルフが好むだけある。エルフは基本的に魔法と弓術に長けた美形の多い種族で、深い森の奥に集落を作ることが多いという。

 しばらく薬草を探しながら歩いていると、木々を縫うように流れる沢を見つけた。水面が木漏れ日に反射して輝き、透き通ったきれいな水が豊かに流れている。


「……飲めそうかな?」

 私はしゃがんで覗き込み、手を差し入れようとした。

 すると何かに気付いたのか、隣にいたベリアルがとっさに止めてきた。

「触れるでない! 汚染されておる!」

「汚染ですか!?」

 穴が開きそうなほど眺めても、水はただ美しい。

 ベリアルは厳しい表情で、辺りを睨みつけるように見回した。


「……バジリスクである。そなたはそこで後ろを向いておれ」

「バジリスク……!」

 犬よりも大きい爬虫類で、動きは鈍い。しかしその一番の武器は、猛毒だ。目が合ったものを死に追いやるほどの危険な生物なのだ。バジリスクが水を飲んだ川の下流の水を使っても、同じく毒に晒されることになる。距離が離れるほどに薄まる分効果は弱くなっていくが、体内に取り入れれば解毒は困難で、たとえ一命をとりとめたとしても、五感や体の一部を失ってしまう事もあるという。


 風が通り過ぎるようなサアッと軽い音が響き、物音が二度ほどして魔力の行使が感じられた。

 バジリスクの死体や血液が残っているだけでも危ないので、凝縮させた炎で焼き尽くす処理をしてくれているのだろう。

 ちなみにベリアルのような高位の存在には、状態異常自体効果がない。


「終わったぞ。二体いた」

 ほとんど待つ時間もなかったほど、すぐに片はついた。

「さすが、あっという間ですね」

「ふ、我を何者だと思っておるのだ」

 私はそこでふと、先程の沢を見た。水はまだ下に流れている。もしこの下流に住んでいる人たちが居て、川の水を汲んでいたら?

 どの程度まで薄まれば毒の効果がなくなるのかはわからないが、中毒を起こして苦しんでいるかも。


「……ベリアル殿、下流の様子をみましょう。沢に沿って下ってみます」

「そなた、目的を忘れておらんか? 退治しただけで十分であろう。捨ておけ、関係ないではないか」

「気になる性分なのです」

 沢沿いの木の根が張った道とも言えない草の間を、速足で進み始める。

「全く……、おせっかいが!」

 ベリアルは沢の流れの上を飛びながらついてきた。

 その手があった!


 数百メートル先で小道が森へ続いているのが見えた。土が踏み固められているし、誰かが通っているんだと思う。やはりこの水を汲んでいる人達がいるのね。その道を進んで森が薄くなった辺りで、木でできた建物や柵が目に入った。何を言っているかは解らないが、何か叫んでいるような声もしてくる。

 そこは耳と尻尾を持った、猫人族の集落だった。人よりは少し背の低い、服を着たねこ。


 不意に近くで、言い争う声が耳に届く。

「娘はどうなるんだ!?? 助けてくれ、先生!」

「毒だとは思うのだが……毒消しに効果が見られんのだ。近隣に連絡して、一刻も早く治癒師や呪術師にも来てもらうべきだ」

 先生と呼ばれたのは、もこもこした毛にくるんと丸まる角が生えた、羊人族。白いローブを身に纏っている。

 猫人族の男……かな? は、必死にその先生に縋って助けを求めている。

「昨日より顔色が悪くなってるんだ、苦しんでるんだよ……」

「儂も何とかしたいんだが……今も患者が運ばれてきたのだ。このままでは薬も足りなくなる……」

 苦悩の表情をしている。まさかとは思ったんだけど、バジリスクの毒の汚染は予想以上に凄まじいものみたい。私は走って二人に近づいた。


「突然失礼します。もしや皆さま、沢の水を飲まれましたか?」

「こんなところに人族の娘が……? 確かにこの村では沢から水を汲んでいるが、……やはり水が?」

 先生と呼ばれた羊人族は、原因が水かも知れないという可能性も考えていたらしい。

「はい。実は先程、上流で水を飲むバジリスクを見かけました。バジリスクは退治いたしましたが、よもやと思い水を飲んだ者が居ないか、探しに参りました」

「バ……バジリスクだって!? それでは通常の毒消しだけでは、どうしようもない……!」

「し、しかし先生! バジリスクを倒したとこの娘は言っておりますが、アレはかなり危険な筈です! 真実とはとても……」

 どちらかというと、信じたくないのだと思う。バジリスクの毒に侵されて、それまでの健康な状態まで回復するのは困難だからね。違う原因だったと思いたくなるのも仕方がない。


「我が仕留めたものを、よもやそなたらは疑うのかね……?」

 後ろからわざとらしく、ベリアルが魔力を一部開放した。ゆらりと背景が蜃気楼のように揺れる。

「……あわ、あ……悪魔」

 猫人族は魔力に敏感な種族なので、一般人のようだがすぐに理解できたみたいだ。丸い目を大きく見開いて、瞳孔が真っ直ぐになっている。ひげまでぶるぶるっと震えていた。

 話が早いと言えば早いけど……。


「えー……。彼は契約してるんで、恐れる必要はありません。それよりも一刻も早く治療いたしましょう。患者の数と状態を教えて下さいませんか?」

「は、はあ……九人目の患者が出たところで。皆顔色が悪く苦しそうで、毒消しも効きめがないのだ。しかし貴方は……」

 羊人族の先生は、青い顔をしたまま私の質問に答えてくれた。

「私はイリヤと申します。治療のお助けが出来ると存じます。まずは全員を同じ部屋に集めましょう。」

「しかし、動かすのも危険かと」

「それに九人も集まる場所となるとのう……」

 二人は震えながら顔を見合わせ、どうすべきかと思案していた。

 私にも毒を完全にどうにかできるかは解らないので、強くは言えない。

「効率を考慮いたしましても、同じ場所にすべきだと進言します」

「それはそうなんじゃが……」


「ごちゃごちゃと煩わしいわ、早くせんか! この我を待たせるつもりか!?」

「「も……申し訳ございませんー!!!」」

 かくしてあっという間に準備は整った。

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