第24話

「・・・・・・ん?」

よく晴れた、猛暑日の昼日中。そんな日の街を事務所に向かって歩いていた小村は、見覚えのある顔が同じく歩いているのを見かけた。

あの顔は、確か仙崎とか言ったか。


ふと、遭遇しないように視界から外れようかと思って辞めた。どうせ気まずいのは向こうだ。

そうやって考えると、敢えて声をかけてやろうかと小村は思う。

正面から気配を消して歩み寄る。

「終業式以来かしら」

声をかけられた当の本人は不意に現れた彼女に声にならない驚きを表すと同時に、その言葉の意味を考えようと、必死に何かしらを思い出そうとする。一通り考えきった末に、諦めたのか口を開く。

「えーと、ごめん、誰?」

あまりに堂々とシラを切られ、一瞬困惑する。

「屋上に呼び出した上によく分からない通り名まで付けておいて、知りませんはいくらなんでも失礼すぎないかしら」

「終業式?」

もしや双子の類なのだろうか。

「終業式の日、ね・・・・・・」

しかし反応を見るにどうやらその線はなさそうだった。

「実は途中でぶっ倒れちゃって」

「・・・・・・?」

やはり双子の線だろうか、との考えが小村の頭をもたげる。

「保健室に運ばれたみたいなんだけど・・・・・・目が覚めたら屋上にいたんだ」

内容を咀嚼しかかって、そしてやはり噛みきれないという事実に小村は至った。

「どういう意味?」

「分からないんだ」

分からないのはこっちだと喉元まで出かかって小村は飲み込む。

「つまり、終業式でぶっ倒れて、記憶がない期間中に私に会って、得体の知れない言葉を吐いて、しばらくしたところで意識が戻った、ということ?」

「そういうことになるのかなあ?」

さっぱり話が前進しない。

「なんとなく「水に気をつけろ」という言葉に覚えがあるんだけどよく分からない。けど、もしかしたらその途中で何かがあるのかも」

「水?」

全く要領を得ない小村に仙崎は続ける。

「もしそれで変なこと言ってたりしたらごめん。でもホントに何も覚えてないんだ」


そう、とだけしか小村には言えなかった。

「夢遊病には気を付けて」

言葉に困って口から出たのは何となく的を外したコメント。しかし元々の人柄がいいのか、特に気にするでもなくありがとうとだけ言って彼は去った。


「水」とは一体何に気を付けろと言うのか。

それより何より、二重人格か夢遊病か。

じゃあ、わざわざ回りくどい手紙までしたためて小村に話しかけたあの時の人格は一体誰だったのか?

妙に背筋に寒いものを覚えた小村は、不意に鳴動した携帯電話に思わず叫び声を上げそうになった。


電話に出ると、聞き覚えのある声が耳朶を打つ。

「小村、お前最近身体の調子が悪いとかはないか?」

その質問の意図するところがやや分かりかねたが、単に夏バテかどうかという程度の質問ではないことだけは推し量れた。

「ありませんが・・・・・・」

実はな、という言葉から続いた舘山の説明を要約すると、高熱、ヘモグロビン尿、激しい腹痛、昏倒といった症状が鷹取に出たというのだ。


「ハッフ病?」

いや、と舘山は返す。

「症状が複合的だし、発症から昏倒までが早すぎるし、そもそも昏倒するなんざ症状がいくらなんでも重すぎる。生物兵器の可能性もあり得る」

「あいつのことですから、拾い食いでもしたんじゃないですか?」

「ガンジス川の生水を飲んでもぴんぴんしてたような奴だぞ。帝銀事件に巻き込まれても気付かなさそうな人間がああなるということは、普通の人間なら致死量の毒かもしれん」

一体どんな評価を下されてるのか小村にはよく分からないが、ひとまず舘山の中では鷹取は化け物の類だと思われてるらしいと思い至る。


まずは何より、病院へ行き今すぐ感染症の検査を受けろ、と指示を受けた。

「検査を受けたらしばらく療養してろ」

「夏休みですか」

は、と笑って、馬鹿を言うなと舘山は続けた。

「いつ爆発するか分からん時限爆弾を抱えた可能性のある人間を任務に就かせるなんざ狂人の発想だろ。そんなことでお前の利用価値を失いたくはない」

「では待機に付かせていただきます」

「ああ、勉強なり何なり学生らしいことでもしててくれ。後は俺一人で事足りる」

それだけ言うと電話が切れた。


指示に従って検査を受けようと思ったところで、小村はふと気付く。

そんな致死量レベルの毒をどこかしらで盛られていたら、余程の耐毒性を持った超特異体質でもない限りは今頃既に三途の川で川遊びをするか、はたまた賽の河原でバーベキューをしている頃だ。

回り回って「学生らしさ」を満喫する暇が生まれた、と捉えるか。死神以外に感謝する神がいたとは思いたくはないが、たまにはありがたいことの一つももしかしたらあるのかもしれない。


小村はそのまま真っ直ぐに歩き始めるが、すぐに信号に引っかかった。

じりじりと反射熱が照りつける横断歩道の前で暑さを凌ぐこともままならず、ただぼんやりと青信号を待つ。

なに、目的地が病院に変わっただけだ。検査結果がいつになるかは分からないが、病院の帰りにはスーパーにでも行こう。その頃には弁当も特売になってるだろう。

それまでに特売弁当が残っていればいいが。

取り留めのないことを考えている間に信号が変わり始める。

もしも残っていたら、その時は死神以外の神に感謝してみよう。

しかし、もう一つの可能性のある未来────もしも検査に引っかかったら?

目の前の信号が青に変わった。

何故か一瞬、一歩目を躊躇したが、その時は死神に挨拶させて貰おう。

「せめて、三途の川の水には気を付けさせて」

小村は再び歩き始めた。

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