第23話

「つまり、2人いる、と?」

閉め切った薄暗い部屋でスクリーンに映し出された状況図を前に鷹取は質問を受ける。

「最後になって北鮮スパイが語ったところによるとどうやらそのようです」

「その「2人目」とやらは?」

質問を飛ばした、大柄な背広姿の男が質問を重ねる。

「目下、所在不明です」

冷房の駆動音がいやに大きく聞こえる。

「状況はまだ継続してるってことか」

「潜在脅威がまだ・・・・・・ただ、現在は局限の段階です」

ふーん、と納得したのかしてないのか今一つ判断の付かない声を出し、男が鷹取からスクリーンに視線を変えた。

「以上が、本事案の勢力及び現在の概要です。質問等」

鷹取がレーザーポインタを片手に急拵えのパワーポイントの説明をする。

「結局、どこからその、北のスパイは端緒を得たのか?」

眼鏡をかけた、鋭い目つきの痩せぎすの男が質問する。

「はい。どうやら、設置された盗聴器からの便乗盗聴をした際、中国政府側を出し抜こうとした現場判断によって本活動を開始した、と見ています」

「便乗盗聴だと?」

便乗盗聴。設置された盗聴器の電波を受信して、盗聴器の設置者以外が、盗聴器が拾った会話を便乗して聞くことを指す。

「単なる傍受に過ぎないので、ここに北朝鮮スパイの違法性は問えませんが・・・・・・」

「問題はそこじゃない。使用された盗聴器ってのは?」

「未回収ですが、おそらく市販型です」

どよめきが起きる。

「市販型?」

「あの、電気街とかで売ってるやつか?」

ひとしきり口々に意見が出きったとみて鷹取が答える。

「どうやらそのようです」

再び動揺が走る。

「市販型だぞ?今時業者どころか、素人ですら1発で見つけるような代物だ。付近で業者が活動したら即座に露見しただろうに、なぜ?」

「社員寮、という特性があったからやも知れません」

鷹取は続ける。

「社員寮なら盗聴を疑うような出来事は起こりにくい、と判断し、また、あえて安物を使用することで諜報活動であるという部分を隠蔽する狙いがあったのでは?」

どかっ、と眼鏡の男が椅子にもたれ掛かる。

「結果、第三国の介入を招いたわけだ」

「あくまで私見ですが。「お粗末」の一言に尽きるかと」

「お粗末、ねえ」

「その「お粗末」な工作の結果、我が国は危うく着上陸作戦における用兵要領が根底から頓挫するところだったわけだ」

はあ、とあちこちでため息が上がる。

「外務省の鼻は明かした、ということでいいのでは?」

青臭さが抜けきらない、若手の男が聞く。

「外務省がまた何か言ってくるさ。手柄はどうせ向こうさんのもんになる」

「外務省の人間ってのはどいつもこいつも玉無しみてえに軟弱なのばっかりなのに、こんな時だけはしっかり手柄を主張してきやがる」

そこまで言ったところで、この会議に女性が同席してることを思い出した大柄な男が、少しだけバツが悪そうにする。

とはいえ、少しだけ席の離れた位置に同席していた当の本人は、特に気にする様子でもなかった。

「・・・・・・玉無し、ねえ」

その一言は、鷹取にはまた違った意味に受け取れた。

「そこは拾わんでいい」

どことなく気まずそうな空気を纏った男が矢張り気まずそうに呟く。

鷹取自身の身体状況は別段このメンバーには話してはいない。話す必要もないと思っている。

だが、会議に同席しているただ1人の女性は会議室メンバーで唯一この情報を知っており、奥で笑いを堪えていた。


ひとしきり愚痴めいた意見が出きったところで鷹取が軽く咳払いし、再びスライドをめくる。

「続いて、回収したパスポートですが」

鷹取がパッケージングしたパスポートを取り出す。

「これは我が国の政府が発行した本物でした」

「本物?」

「と言いますのも、これは元々入れ替わりの被害者が持っていたもので、偽造の要が無かったと見えます」

「そっくりそのまま盗んだ、ということか」


3等陸尉の階級章を付けた制服を着た紅一点の女性自衛官が、はい、と手を上げた。

「ところで〜、そのスパイたちはその後どうしたのかしらぁ?」

「大使館員は通常業務に復帰、北朝鮮スパイは中国側に拉致されて以後行方不明です」

「取り込まれた、か?」

「いえ、本国に送還か、はたまた2度と祖国の地を踏むことが無くなったか」

「昨今の半島スパイは独立志向が強い。宗主国なぞお構いなしだ」

諦めたような、そんな口調で眼鏡の男が言う。


「・・・・・・質問等なければ、以上で終わります」

「質問も何も、まだ継続中だろ?」

「どのみち最後のピースが一個足りんしな」

声が上がるが、質問の色はない。

「終わります」

鷹取がプロジェクターの電源を落とすのと同時に、若手らしい男が電灯を点け、ブラインドを上げる。昼間らしい明るさが会議室に戻った。


「よし、煙草吸いに行こうや」

立ち上がりながら、大柄な男が鷹取の肩を叩く。

軍事施設においても、分煙が叫ばれる昨今では指定場所にしか喫煙所はなく、その位置は年々片隅の方に追いやられつつある。


がらっ、と引き戸を開け、ぞろぞろと会議棟と屋外階段を繋ぐ屋上部に出る。朝の予報じゃ今日も35℃越えの猛暑日だったか。外に一足出ただけで汗が噴き出しそうになる。

「酷い話だよなあ」

男が安物のライターをまさぐり、咥えた煙草に火を点ける。ふう、と吐き出した一息目の煙が夏の昼空に消えていく。周りに集まった会議室メンバーたちもぷかぷかと煙を吐き出す。誰ともなく、ぱこっ、と間の抜けた音を立ててバケツ型の灰皿────この会社では煙缶と呼ぶらしいが────の蓋を開ける。役目を終えた吸殻が既に数十本鎮座している。

「今回の件ですか」

手前の自販機で買った、よく冷えた缶コーヒーを片手に、やや手持ち無沙汰気味の鷹取が尋ねる。

しかし、その質問に男はいや、と答える。

「俺たち、さ」

旨そうに煙を吐き出す。この数分で既にぬるくなり始めていると錯覚を覚える程度には気温は高かった。心なしか冷たさの失われた缶コーヒーのプルタブを鷹取は引く。

「難儀な仕事ですからねえ」

適当な相槌を打つと鷹取は、熱を帯びた喉に缶コーヒーを流し込む。

「それでもない」

男はややぶっきらぼうに言う。

「じゃあ何です?」

さらに一口鷹取は缶コーヒーを飲む。

「俺たち喫煙者、さ」

ふう、と吐いた煙は再び夏空に消えていった。雲一つない快晴の真夏日は、今さっきまで冷房の効いた会議室にいた身体には堪える。

「煙草一本吸うだけでこんなに温度差の激しいところを行ったり来たりだ。体調崩すぜ」

煙草を吸わない鷹取には今一つ共感し難い悩みなのだが、周りはしきりに頷いていた。そういうもんだと割り切って適当に頷く。


しかし、と鷹取は考える。

「体調、ねえ・・・・・・」

「どうかしたか?」

煙草を半分ほど吸い終わった男が怪訝な顔を浮かべる。

「いえ、なんだか今朝から具合が少々・・・・・・」

男が表情をより一層怪訝なものにする。

「珍しいな。お前が体調不良なんざ」

「お、夏バテか?どうする?精の付きそうな中華でも食いにいくか?」

何やら痛む腹を押さえながら、話に加勢してきた別の男に鷹取は答える。

「早岐さんの言う中華って門を出て右手に5分の店のことじゃないですよね?」

ふう、と紫煙を吐き出し早岐と呼ばれた男が煙缶に向き直る。

「そこまで分かってんなら一人で行けるな」

鷹取は考える。この話の流れならタダ飯には有りつけそうにない。

だが、中華は物理的に鱈腹「貰った」ばかりだ。


「中華は食傷気味なんで、偶には和食が食いたいです」

食い下がった鷹取に早岐はそうか、と言った。

じゅっ、と音を立て、備え付けられた消火水に吸い殻を浸すと、煙缶に放り込む。

「なら門を左手に行け。古江食堂ってえ飯屋がある」

すたすたと手を振りながら早岐は喫煙所を後にした。


「古江食堂ならカツ丼が安くて美味い」

いつの間にか二本目の煙草を咥えていた大柄な男が鷹取の肩を叩く。

まだ吸うのか。そう考えた感情が読み取られたかと思ってすぐに、読まれようが読まれまいがどうでもいいかと鷹取は考える。どうにも考えが一貫しない。

瞬間、異変を口にする間もなく、鷹取の視界が暗転する。

「・・・・・・あ?」

すんでのところでベンチにもたれかかる。

力が入らない。


「おいおい、タダ飯逃したからって何もそこまで落ち込むこたねえだろ」

男にどう説明しようか。そもそも「違う」と言えばいいのか。しかし、考える余地もなく、身体もベンチも何もかもが熱くなる。

「な、にが、起き、て、る・・・・・・?」


痛い。暑い。熱い。猛烈な腹痛がまるで内側から刺すように鷹取を嬲る。

その鷹取の様子に男も異変に気付く。

「おい、どうした?」

「違、う・・・・・・」

それだけ言ってから、別段「違う」と言いたかった訳ではないし、もう「違う」と否定するタイミングはとっくの昔になっていることに思い至るが、そこを抜きにしても頭が動かない。

「何が違うんだよ?・・・・・・って、おい、本当にどうした?何か変だぞ?」

「そ」

その続きをどう続けようとしたのかは、鷹取自身既に分かっていなかった。そして、鷹取の意識が保ったのはそこまでだった。

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