第22話
「貴方が名誉を挽回する機会が一つだけある」
痛む身体を引きずりながら、電話を受ける。
「郵便局員のフリをして亀戸駅付近の郵便ポストの内、指定する場所へ今から30分以内に向かって」
郵便局員の制服を着て、指定するポストの集荷を指定された時間丁度に行えというのだ。
30分以内。咄嗟に腕時計を見る。さっきの襲撃でガラス面にヒビが入ってしまっているが、針はまだ元気に動いている。
「挽回するような名誉、端から持ち合わせてねえよ」
「知ってる」
淡白な調子の、どこか辛辣な含みのある、いつもの声だが、どことなく安心感を覚える。
「ところで、同期が今1人いて、行動を共にしてるんだけど」
「ああ?」
予想外の話が始まって意識が逸れそうになる。
「なんだ同窓会でもしたいって話か?」
「多分ゴースト」
ゴースト。偽物。もしくは「居ない者」。
「なるほど分かった。祝勝会の用意を頼む」
一難去って。厄介そうな案件がまた転がり込んできたな、と鷹取は思う。
仮に「ゴースト」だったとして目的は?そもそもの所属は?
考えだしたところで、現状だと情報処理がオーバーフローするのが目に見えているので鷹取は後回しにすることにした。
「あと」
「なんだ?」
「無力化は成功したわ」
無力化。あの大使館員とそのお仲間のことか、と思うと同時に電話が切れた。
まず鷹取は協力者の元へ走ることにした。折れているのか、肋骨がひどく痛んだが、内臓は無事そうだ。
安アパートのやたらと響く鉄階段を登り切ると鷹取は、見覚えのある表札の付いた協力者の家の戸を半ば転がり込むようにして開ける。表札こそ出ているが、本名は鷹取にも分からない。
「何事か?」
「なんでも。それより郵便局員の服はあるか?」
鷹取が部屋の奥を見ると、横になった大使館員が熱い、熱い、とうわ言のように呟いていた。熱いのはきっと傷口だろう。銃創は痛みもさることながら、かなりの熱を持つ。落ち着いたところで、感覚が追いついて来たことは想像に難くない。
「予算?」
「言い値。急ぎだ」
部屋にはもう先程までの電話相手はいなかった。早速行動を開始したのだろう。
指定されるであろう場所は近い。ある程度の時間的リカバリーは効くが、急ぐに越したことはない。
「あっちだ」
男が立ち上がって別の部屋に案内する。
鷹取からすれば勝手知ったる部屋だが、大人しく男に付いていく。通された先の部屋の衣装棚を2、3度ほど男が左右に漁ると、目当ての服が出て来た。
ハンガーの首に値札が付いている。割高のようだが諸々含めての額だ。文句はない。
「助かる」
既に着ていた背広は脱いでいた鷹取は、早着替えの様相で郵便局員に成り代わる。
「後で返しに来る。前金だ」
財布から数枚紙幣を抜いて卓袱台に置く。
「足りん分は後で言うが・・・・・・今から医者が来る。ついでに受診しなくて本当にいいのか?」
「急ぎだ。応急手当ては後でいい」
そうか、と言うと男が2つ一組の鍵を投げた。
「裏手にある」
「いつものやつだな」
無言で肯定の意を示すと男は茶を一杯飲む。
「いつも悪いな」
それだけ言って、再び灼熱の表に出ると、そのままアパートの裏手に回る。おそらくは違う用途なのだろうが、半ば駐輪場のような機能を果たしている裏手の空き地にブルーシートの被せられたものが鎮座していた。ブルーシートを剥ぐと赤い集荷ボックスの付いたスーパーカブが姿を表す。タイヤロックを外すと、荷台から地図を取り出す。
駅方面に向かうにはどのルートが良いか。考えだしたところで、公衆電話からの着信が入る。相手は声を聞かずとも分かる。そして予想通りの声は、2つのある地点と時間だけを指定してきて、そのまま電話が切れた。
「端的というか淡白というか・・・・・・」
再び地図に目を落とす。
1つ目の目的地と現在地を結び、一方通行の逆走を除外すると最短ルートが浮かび上がる。
時間計算をして決心を付けると、カブに跨りエンジンキーを回す。スターターを回すと、軽快なエンジンの起動音が響く。
遅れるのは論外だが、指定時間ジャストで入らなければ待機時間が生まれてしまう。着いてから、鍵を開け、集荷のフリをしてから扉を閉め、適当な書類にチェックでも飛ばせば多少の時間は稼げるが、あまり長時間の待機は不自然だ。
「全く簡単そうに言ってくれちゃって」
陽の高い昼日中。まだまだ太陽は容赦なく照りつける。汗を拭うと腕時計を見る。
2秒前。用意・・・・・・時間。
アクセルレバーを捻り、発進する。
裏手を出て、表の大通りへ。
最初の信号、赤。遅れ進みなし。
待つほどのものでもなく、信号はすぐに青に変わった。遅れ進みなし。
そのまま直進を続ける。
二つ目の信号、青。左折。歩行者なし。進み10秒。
直進。
三つ目の信号、黄。緩徐なブレーキングに移行。
長い待機時間を経て、信号現示、青。遅れ5秒。
四つ目の信号、青。遅れ進みなし。
まもなく目的地。
用意・・・・・・時間。
「まあ、ざっとこんなもんよ」
誰ともなく独り言が鷹取の口から漏れる。目的のブツはまだ届いてない。
「早く頼むぜお嬢さん方」
集荷ボックスから集荷袋を引っ張り出し、ポケットから鍵を取り出すと、ポストの側面扉を開錠する。ぎい、と音を立てて開いたポストの中には多少の郵便物があるのが見えたが、鷹取は回収の素振りだけしてそのまま閉扉する。
念のために集荷時間を見ると、本来の集荷は3時間前であることを鷹取は知る。本物と鉢合わせる可能性は限りなく低いらしい。安心感を覚え、集荷袋を集荷ボックスに突っ込んだところで、鷹取は声をかけられる。
「すいません、これもお願いします」
駆け寄って来たらしいその女から鷹取は封筒を受け取ると、そのまま集荷袋に封筒を入れた。
それとなく、引き返した女の方に視線をやると、見覚えのある少女が遠巻きにこちらを見ていた。
この女が対象らしいと悟ると、鷹取はポストの扉の閉鎖を確認すると、再びカブに跨り、元来た道を引き返す。
元の空き地に戻ると、タイヤロックをかけ、ブルーシートを被せ、協力者宅に入る。
「早かったな?」
男が目を丸くする。
「言ったろ?「急ぎだ」って」
怪訝な顔を浮かべる男に鷹取は服を脱ぎながら返す。
「金はさっきので充分だ」
「そりゃどうも」
この後はディナータイムだ。また一張羅に着替えて・・・・・・。
ここに至り鷹取は思い出す。
そういやさっき撃たれたんだよな?
ばっ、と床に畳んでおいた上衣を手に取る。
嫌な予感は的中していた。
「お、俺の一張羅・・・・・・」
見るも無惨な、泥と血に塗れ、背中に人差し指大の穴が空いた夏背広の上衣が鷹取の眼前にはあった。
青いワイシャツも襟元に血痕がある。目立ちにくいが、いくらなんでも不自然だ。
2つ目の目的地と指定時間までは余裕がある。
一旦、吊るしの背広を買いに行くか悩んで、辞めた。
ここで貰った方が早いし、何より目立たずに済む。
「ちょっとさ、モノは相談なんだけど・・・・・・」
「風呂はあっち。スーツか?」
「ありがとう。吊るしのやつでもなんでも良いんだけど・・・・・・」
指し示された浴室に向かいながら鷹取は相談を続ける。
「見繕ってやる」
手早くシャワーを済ませ、痛む傷口にやはり医者の診察を受けようか悩みながら鷹取は衣装部屋に戻る。
「こいつでいいか?」
「なんでも良い。助かる」
見たところ、最近の既製品らしい。無個性だが、それくらいがかえってちょうど良い。
「ところでこれは・・・・・・」
新しい背広に着替えながら鷹取は質問する。
「古着屋で仕入れた安物だ。一番高かったのはワイシャツだな」
指を一本立てて男が話す。
「そう。ところで「腕時計」ある?」
任務用の方ね、と告げると2本に増えた男の指が更に4本に増える。
「それも頼む」
財布の中身を考える。ちょっと足りない。
ベルトを通すと、財布からあるだけの現金を取り出す。
「今度払うからさ、ツケ払いでいい?」
男がわざとらしい舌打ちをするが、肯定の意を示す。
被弾した防弾衣を見ながら、「流石に予算オーバーだな」と諦め、防弾衣を再び着込む。そのままワイシャツを羽織り、ネクタイを締めると、ややオーバーリアクション気味に上衣を着る。
「この暑い中よく上まで着るな?」
「ディナーにレディが2人も待ってるんだから、身だしなみ、さ。こんな状況最高じゃねえの」
「どうせ任務だろ?」
「そりゃ言わない約束でしょうが」
勧められた熱い烏龍茶を飲み、一息つけると鷹取は時計を見る。そろそろ頃合いか。
「んじゃ、ありがとう。達者でな」
「ツケは払えよ」
後ろ手に手を振り、鷹取は部屋を後にした。
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