第19話

「いらっしゃいませー、空いてるお席へどうぞー」

祝勝会と小村が称した会は、上野のガード下の居酒屋で開かれようとしていた。

「貴女、中々センスがオッサン臭いわね・・・・・・」

「佐久間の方のセンスに合わせたつもりなんだけど」

「昼食にイタリアンに連れて行った人間に言う言葉かしら、それ」

遅い日没を迎えたアメ横の人通りを尻目に2人はメニューに目を通す。


「決めた?」

「ある程度は」

「ま、たまには悪くないかあ、こういうのも」

両手を頭の後ろに組んで、佐久間がもたれかかったその時、お絞りを運んできた店員が「お客様」と2人に呼びかけた。

「恐れ入りますが、年齢確認にご協力下さい」

店員の求めに応じ、佐久間はパスポートを、小村は学生証を提示する。

「ご協力ありがとうございます」

串物だけは手元の用紙に記入して渡す、というシステムであると説明すると、その店員はそのまま注文を受け始める。

2人が一通り頼むと店員は、かしこまりましたと言って奥に消えて行った。

その姿を見送ると、佐久間が「ねえ小村」と口を開いた。

「貴女いつから大学生になったの?」

たった今小村が提示した学生証では、小村は21歳の大学生ということになっていた。

「そこの敷居を跨いだときから」

「・・・・・・色んなもの持ってるわねえ、貴女」

「パスポートを携行してる貴女に言われたくはないわよ」


程なくして飲み物が届く。小村は烏龍茶を、佐久間はビールを。

「ビールは卒業したんじゃ?」

「一杯目は別よ」

にこりとして佐久間がジョッキを差し出す。小村も烏龍茶のグラスを手にして応じる。

「じゃ、お疲れ様でした、乾杯」

ちん、と甲高い小さな音を立ててグラスが触れる。ぐっ、とビールを飲んだ佐久間が口を開く。

「今日も暑かったわねえ」

「だからこそ肝臓に酒が染みるのね」

本質に触れない、とりとめのない会話が始まる。


調理に手間のかからないものを頼んでおいた甲斐あってか、会話を続ける内に食事が届く。一杯目は別と言っただけのことはあり、佐久間は二杯目から既に赤ワインに移行している。

「やっぱり、この手のワインは美味しくないわね」

「なら、焼酎の水割りでも飲む?」

「そっちの方がマシかもね」

けたけたと佐久間が笑い、グラスを置く。


「小村、貴女もいずれ酒が人生の愉しみになるわよ」

その言葉を受け、小村の脳裏に今までの酒にまつわる種々雑多な記憶が蘇る。どれもロクなものではなく、特に直近の数ヶ月前の記憶は暗い影を小村の中に落としていた。

「そうなったら、きっと私は終わりね」

「反面教師が目の前にいるから?」

さあてね、と小村は目を逸らす。手の内を明かす気は一切なかったが、佐久間はその態度に特に何を察するでもなく安ワインをまた一口飲んだ。


「ねえねえ、お姉さん方、一緒に飲まない?」

見覚えのない2人組の男が唐突に小村たちの席の横に立つ。瞬間、2人して身構えそうになったが、明らかにその世界に身を置く人間特有の匂いがしないことに気付く。

「2人ともキレイじゃん?」

「アレ?そっちの君、どっかで会ったことない?」

もしかして地元が一緒なんじゃないかと勝手に盛り上がっている2人組を小村たちは即座に値踏みする。

金髪に染めているものの、どことなく遊び慣れていない感じのする中肉中背の男に、中途半端なツーブロックが似合ってないチープカシオを巻いた細めの男。追手ではない。


「隣、いいかな?」

答えを待つ前に2人が席に着く。小村たちが特に拒否する様子でもないことに2人組はどこか気をよくするが、既に小村と佐久間はこの男たちに興味を失っている。

「出身どこ?」

「ニュージーランド」

「またまた」

「父が外資系だったからね〜」

「そ、そうなんだ・・・・・・あ、でも育ちは違うんじゃ?」

ワインを口に含み、佐久間が答える。

「インドはカルカッタ育ち。一度使用人が野犬に噛まれて狂犬病で死んだ」

「ふ、ふーん・・・・・・じゃ、そっちの子は?」

続いて金髪男が小村を指す。

「火星出身、金星蟹が好物」

一方の小村は目線も上げずに焼きピーマンを齧る。

「・・・・・・へえ、面白いじゃん」

明らかなあしらいに一瞬動じるものの、すぐに立て直す。

「この子のこれは事実よ」

「冗談でしょ?」

「寝言で「金星蟹はフライより鍋」なんて言うんですもの」

「寝言?」

「なになに、2人シェアハウスでもしてんの?」

「同じ大学だから」

小村が一口烏龍茶を飲む。佐久間は、一見して興味ありげに応じているフリこそしているが、傍から見る分には、勝手に盛り上がるナンパ男たちと意にも介さない女子大生2人、という構図でしかない。

「え、どこ大?どこ大?」

「貴方たちも大学生?」

「そうだよ、俺中央」

対等な立場にあることをアピールしたいらしいのだが、大学の騙りは即評価が真逆に落ちる。

「あなたたち、専攻は?」

「そんな硬い話は置いといて、さ」

「同じ専攻なら話が弾むかな、と思ったんだけど」

どことなく温度が下がってきている佐久間の目線にナンパ男たちが目配せする。会話を誤れば途端に脈なしになる。既に主導権が男たちの側にないことにようやく気付く。


「私は心理学」

助け舟のようで全く助け舟になっていないヒントを小村が与える。

「中央なら法学?」

そして佐久間も全てを見透かしたかのような問いかけをする。

「・・・・・・すいません、ホントは中央大じゃないです」

正直に話して、下手に出る作戦にシフトしたらしい。

「まあ、いいわ」


「じゃあ、話題を変えましょう。普段はどういう酒の飲み方を?」

一気に話の方向性が柔らかいものになり、男たちの緊張が解ける。

「酒、好きなんだ?」

「ジントニックのトニックウォーター抜き十番勝負をよくやってる」

小村が初めて視線を上げて会話に応じるが、あくまでも食べるものが無くなったから仕方なく、であり、実際のところ男たちになんら興味は持っていなかった。

しかし、その様子を男たちは脈ありと受け取る。

「無茶な飲み方するね、君」

「こう見えてもこの子それで3人抜きとかするのよ」

佐久間がよく分からないフォローを入れる。

「へえ、じゃあさ・・・・・・ちょっと離れてるけど、いいバー知ってるんだよ俺。どう?この後?」

ツーブロックが誘いをかける。

「私はいいけど、この女はナンパしてきた会社員を言葉巧みに一晩で破産に追い込んだくらいのワイン通よ」

小村が佐久間を指差すが、当の佐久間は小さく笑い声を上げる。

「中々冗談が上手いね」

「過去の事実じゃない」

2人が顔を見合わせる。

「期待していいの?」

佐久間がツーブロックと目を合わせる。

「ま、まあ、ちょっとそれなら、期待には添えそうにない、かな・・・・・・」

いよいよ諦めが付いたのか、はははと無理くり笑い声を上げて男たちが立ち去る。


2人を見送ったところで小村が口を開く。

「ところで、質問しようと思ってたことが2つあるんだけど」

「なに?」

「次何食べる?」

「んー、串ものにしようかな」

「いい考えね」

用紙と備え付けのペンを小村が手に取る。

「もう一つの質問は?」

「いつからワイン派に?」

用紙に個数を記入しながら、小村が聞く。

「それには答えたじゃない。ここ最近だって」

佐久間が微笑む。

「そう。じゃあ、もう一ついいかしら」

「んー?」

佐久間が赤ワインを口に運ぶ。


「貴女は一体どこの誰?」

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