第18話
「無力化は成功したわ」
全てを伝え終わると、小村は電話を切る。千綿から出された茶はこの炎天下でもなお、熱湯まがいの熱さの烏龍茶だったが、不思議と、腹の底に響くような落ち着きをもたらしてくれた。
烏龍茶を飲んでるその間、千綿の見るテレビから発される音のほかは誰も口を開かない、ひたすら無言の時が流れる。
画面の奥では、高校球児たちがこの灼熱の日差しの下で青春を燃やしていた。9回裏、2アウト2ストライク満塁5-4。打てば逆転、甲子園。球児たちの夢がかかった地方大会は、どこか遠い異国のことのような錯覚を覚える。
奥の和室に目を向ける。いつの間にか茶を飲み切っていた林は、気が抜けたのか、落ち着いた様子で目を瞑って脱力し切っていた。
「医者の手配をお願いできます?」
小村が話しかけると千綿は無言で頷き、肯定の意を示す。
「では、よろしくお願いします」
そう告げると小村は部屋を辞した。後は佐久間と合流するのみ。
年季の入った階段を降り、外に出る。まだ陽が高いものの、夕方と呼ぶに相応しい時間になりつつある。
周囲を警戒しながら佐久間を探し始める。
通行人、近所のアパートのベランダに洗濯物を干す住人、玄関先の植木鉢に水をやる老人、自転車で警らする警察官。全てが追手に見え始める。
「ちょっと」
肩に手を置かれ、小村は咄嗟に振り返り構える。
「誰彼構わず敵意を向けるのはやめてほしいんだけど・・・・・・」
佐久間だった。
「だったらもうちょっと敵意のない方法で接触して」
「それならいっそ敵味方識別装置でも付けなさいよ」
こほん、と咳払いを挟み佐久間が話し始める。
「今報告を入れてたんだけどね、ことは片付いた、ということでいいのかしら」
ふーん、と小村が考え込む。
「それなら貴女の方がいいかもしれないわね」
「なにが?」
小村が鞄に入れた封筒を指差す。
「手柄をくれるの?」
「まだそうと決まった訳じゃないけど、貴女に任せるよう聞いてみるわ」
「どうして?」
「お互い所属は違うけど、目的が一緒なら貴女の組織の方が適任でしょう?」
「・・・・・・なら、勝ち星一つ?」
駅方面に向かい、歩き始める。
「ところでこれ、どうするのかしらね」
小村が目線の高さほどの位置にある、1センチ程度の径に抉れた電柱の溝を指でなぞる。
「まあ、連中もそこまで馬鹿じゃないからどこかのタイミングでこっそり直すんじゃない?」
知らぬ存ぜぬ、分からない。別段困るのは自分じゃないので、どうでもいいか、と2人はその場を去る。
「私は報告を入れに行くわ」
歩き始めて数分。近場の公衆電話に小村は向かう。
「今時珍しいのね?」
「有線電話がかえって安全なときもある」
佐久間が目を丸くするが、小村は今がそのときだと続けた。
「ちょっと待ってて」
電話ボックスに入ると、今や骨董品の仲間入りを果たしたテレホンカードを差し込み、小村がどこかしらへ電話をかける。その様子を遠目に佐久間が見守る。
それからほんの1分足らずで電話から小村が戻る。
「随分早いのね?」
「端的なところしか言ってないもの」
小村が佐久間に封筒を渡す。
「ゴーサインが出た。貴女に一任するわ」
2人して再び歩き始める。
「そういえば郵送という話だけど」
「お互いアナログよね」
小村が渡した封筒を、佐久間が鞄から取り出したさらに大振りな封筒にそのまま突っ込む。その封筒には既に宛先と差出人名が印刷されていた。
「そのダミーの住所ってどこ?」
「毎回変えてるけど、今回は大阪市内の雑居ビル」
まあ、正直存在しない住所を書こうが届くんだけどね、と佐久間は補足する。
「投函?」
「窓口が一番安全」
「ポストごと破壊されて奪取されたら元も子もないものね」
「ここからなら駅前の郵便局が近いけど・・・・・・営業時間に間に合うかしら」
それなら、と小村が言う。
「駅とは反対だけど、この近くにまもなく集荷時間になるポストがあるわ」
「ということは、時間的にそのまま郵便局に向かうやつなのよね?」
「いくらなんでも、曲がりなりにも公的機関の人間を襲撃するような愚は犯さないでしょう?」
佐久間をその位置まで案内する。
「あれかしら?」
それから数分後。佐久間が指差す先のポストは丁度、制服を着た郵便局員が集荷に来ているところだった。そこまで佐久間が駆け寄る。
「すいません、これもお願いします」
佐久間の封筒を受け取った郵便局員は、そのまま集荷袋に詰めると、ポストの戸を閉める。
そして、すたすたと佐久間が小村の元へ引き返す。
「それで終わり?」
その通り、と佐久間が頷く。
「懐かしい顔合わせだったけど、久しぶりで楽しかったわよ」
じゃあ、と言って佐久間が人混みに溶けようとする。
「あの、さあ・・・・・・」
だが、その背中を小村が呼び止める。
「どこか祝勝会にでも行かないかしら」
またしても佐久間が目を丸くする。
「久しぶりの同期会ってわけ?」
「「情けの掛け合い」もできる頃、だと思うし」
「・・・・・・よく覚えてたわね、そんなの」
「忘れるわけないわよ。他ならぬ貴女の言葉だもの」
一方の佐久間は戸惑った表情を浮かべた。
「もう忘れたわ」
「「人を信じないことにきっといつか疲れるけど、少なくとも同期生くらいは情けをお互いかけられるように、どこかで会ったらそのとき同期会でもしよう」。そう言ったのは貴女じゃない」
「もう昔の話のつもりだったけどね」
「たまには懐かしむのも悪くない。そうは思わない?」
それに、と小村は続ける。
「「酒あるところに佐久間あり」なんて言われたのに、そんな貴女が酒の席に消極的になることなんてあり得るのかしら?」
ふふっ、と佐久間が笑った。
「分かった、それなら行くわ。任せていいのよね?」
お安い御用、と小村は顔も合わせずに歩き始める。
夏の夕陽が、歩き始めた2人の影を最大限に伸ばす。長い黒はそのまま人混みに紛れ、最後はビルの影に入り1つの巨大な黒に呑み込まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます