第10話
不思議な依頼が舞い込むこともあるもんだ。
「中国人学校の女子制服一式」
なんだってこんなものを依頼してくるのかは分からないが、確かにストックとして持ち合わせていそうなのは自分のところしかない。
しかし、部屋を探すまでもなく、そんなものは持ち合わせていない。
大抵、その手の物件はお得意先の超がつくほどの変人の元に流している。
「参ったな・・・・・・」
頭を抱えるには至らないものの、ぽりぽりと頭を掻く程度には困った状況だ。
「せんぱい?」
ふと顔を上げると、部下兼後輩兼同居人のナナちゃんが不思議そうな顔をしてこちらを覗き込んでいた。
その顔が随分近くて、驚くと同時に今まで気付かなかった自分にわずかながらの危機感を抱く。まあ、待て待て。人をそこまで警戒しなくてもいいだろう。頭の上で戦い始めた天使と悪魔を私はどうにか諫める。
「いや、ちょっと面倒な話がね」
彼女との同居には少々妙な事情がある。なにしろ、当事者の自分ですらよく分かっていない。
「中国人学校の女子制服一式、なんてのが要るらしい」
それだけ聞くと、ナナちゃんは自分のボストンバッグに向かい、ごそごそと漁り出した。
「せんぱい、これ」
そこには確かに中国人学校の女子制服があった。
メールと見比べてみると、指定のあった学校のもので確かに間違いがない。
「どうしてこれを?」
彼女は答えない。
「要らないの?」
無言で頷く。事情は気になるが、まあいいかと私は先方に「用意あり」の返信を送る。依頼元の寸法とナナちゃんの体型はかなり近い。問題はないだろう。
こんな妙なところも含めて彼女は優秀だ。謎はまだ多いが。
そう言えば、そもそも彼女とのファーストコンタクトからして謎の塊のようなもんだったじゃないか。
ふと私は少し前の記憶を辿る。
最初、そもそもの出会いは出勤しようとしたら勤務先の前で半分倒れるように蹲っていたジャージ姿の彼女を見たところから始まった。
「・・・・・・拾って」
「えー、と?」
この時私は、一体なんの冗談だろうかと考えていた。
直後、そのままきれいにばたりと90度横向きに倒れ、小さく「限界」と呟いた彼女を見て私は、何をトチ狂ったのか、彼女とその荷物を半分引きずるようにして、一先ず事務所に上げることにした。
これが個人宅なら未成年略取でしょっ引かれるのだろうが、「事務所に用件があった」という体ならグレーゾーンを爆進することでなんとか言い逃れは聞く。そう無理矢理自分に言い聞かせながら彼女を事務所に通す。誰か事務所にいるだろうと思ったのだが、困ったことに、こんな日に限って皆、休みだったり早番だったり現場直行だったりで、私しか事務所にいないなんてことがあったりするのだ。
仕方がないので応接ソファに座らせ、茶を出し、持ってきた昼食の弁当を彼女に渡すことにした。さらば私の昼飯。
このとき自前の箸と一緒に事務所にあったプラスチックスプーンを置いてみたが、迷いなく彼女は箸を取った。
机を挟んだ向かいにあるソファに私も腰掛け、彼女を観察する。
喫食態度はお世辞にも良いとは言えないが、それも空腹由来のものだろう。箸使いが悪いものではないことから、少なくとも食事に箸を使う文化圏の出身で、尚且つそれなりの育ちであることは分かる。
ジャージは国内の有名メーカー製。そこまで使い込まれた感じはしない。
ボストンバッグの中身は分からないが、そこまで重たいものが入っているようには見えない。
一先ず自分の飲み物も確保しようとしたが、こんな時に限って茶が丁度さっき出した分で切れたことに気付く。あとはコーヒーしかない。
この事務所はコーヒー派が大多数を占め、茶に関して言えばあまり関心がない。
別段コーヒーでも個人的には悪くないのだが、今はどちらかと言えば緑茶が飲みたい気分だった。
仕方なく、コーヒーメーカーへ歩き、パックと粉をセットする。
彼女の方を見ると、弁当も茶も粗方空になりかけていた。
一段落したところでコーヒーを入れ、私は臨時従業員新規雇用書を引っ張り出す。当然、彼女を雇用する訳ではない。この書類の記入欄を順に埋めるようにすると、聞きたい情報が全て手に入れられる寸法だからだ。
さて。
まずはと私は質問を始めることにした。
「氏名・・・・・・名前は?」
一瞬彼女の口が動きかけて止まった。
「ない」
「ないわけないでしょう?」
「でも、ない」
「もう一回聞くけど、名前は」
「ない」
割と彼女は強引らしく、そのまま名前がないというのを押し通す。
「じゃあ、住所は・・・・・・」
「ない」
「だよねー・・・・・・」
名前を聞いても分からない。住所を聞いても答えない。荷物は小さいボストンバッグ一つ。
「犬のおまわりさん」じゃないが、それにしてもただの家出少女にしては何かまともでないと感じたのもまた事実だった。
正直、面倒ごとのタネにしかなり得ない要素しかない。
このとき、彼女の目が「雇用」の文字を捉えたのか、
「雇うの?」と尋ねてきた。
「いや、違うよ。君がどこの誰だかを・・・・・・」
「書けたら雇える?」
「まあそうだけど・・・・・・」
「じゃあ雇って」
一度瞬きをし、二度瞬きをし。
至ってふざけた調子でないことを確認する。
いつの間にか彼女を雇い入れるために手元の臨時従業員新規雇用書類を作成し始めていることになっていた。
しかしこの二項目ばかりは雇用する上で空欄にするわけにはいかない。
「「雇ってほしい、けど名前と住所がありません」は流石に通用しないよ?名前、ホントにないの?」
「ない」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が場を支配する。
一口コーヒーを飲む。
目の前の彼女も真似して飲んだが、すぐにむせてしまった。
「砂糖入れる?」
「・・・・・・ん」
あいにくミルクもクリームもないが、スティックシュガーだけはある。
砂糖を入れ終わると彼女は一口飲む。
今度はむせなかったようだ。
「名前」
「うん」
「名前付けて」
「うん?」
いきなり何を言い出すんだろうかと私は思う。
名前がないので付けてくれ?
拾ってきた犬猫の類じゃないんだぞと言いたい衝動に駆られたが、冗談を言ってる顔ではない。
名無しのこの少女に名前を。
名無しのこの少女。
名無しの・・・・・・。
名無し?
「じゃあ、椎名。椎名ナナ」
「・・・・・・椎名ナナ」
それからもう一度だけ呟き、彼女はどうやら満足したらしい。
こうなりゃなるようになれだ。仕方ないので住所は私のものを使用することにした。
しかし次の項目で再び行き詰まることになる。
「生年月日と年齢だけど」
「わたし、もう働ける」
あのねえ、と私は言う。
彼女の見た目は明らかにティーンエイジャーのそれだ。
流石に無理がある。
「いくらなんでも未成年は雇用できないよ」
そして私はこの一言を激しく後悔することになる。
「先月で20歳」
そんな馬鹿なと言いたいが、多分ここで否定したところで彼女はきっと食い下がる。
「20歳?」
「20歳」
「20歳・・・・・・」
どんどん嘘だらけの書類が出来上がる。
これを馬鹿正直にファイルして、この目の前の素性不明の少女を雇用する。
正気か?
正気なのか私は?
「身分証とか、ある?」
「ない」
「だと思った」
自称だらけで証明なし。
これを雇い入れるのか?
一人頭を抱えていたその時彼女が口を開いた。
「名前・・・・・・」
「なに?」
「なんて呼ぶの?」
「・・・・・・あ、私?」
「あなた」
なんだか、本名は教えない方がいい気がした。
「まあ、先輩とでも呼んでくれたら」
待て。なんで雇うことを前提に話してんだ私?
「・・・・・・せんぱい」
せんぱい、ともう一度呟く。
そろそろ誰か来てくれないだろうか。
「おーぅ、居るかー?」
そう思った矢先に、建て付けの悪い事務所のドアをがん、と音を立てて開けながら所長が入ってきた。
「お?お前だけか」
「いえ所長、もう一人・・・・・・」
そこで正面に向き直ると忽然と彼女が姿を消していた。
「客でも来てたのか?」
「いえ、その」
しどろもどろになる私に所長はそれはそうと、と話を振る。
「それよか矢野見てねえか?アイツに用事あんだけどよ」
所長が口を開けば質問が必ず二つか三つばかり出てくる。この話題転換の多さには慣れたつもりだったが、今日ばかりはどうにもついていけなかった。
「まあいいや見かけたら・・・・・・あ、そうかアイツ今日直行か」
同僚の矢野を探しているらしい所長が一人納得する。
「まあ、いいや。今日は特になんもねえし俺ももう戻らんから何も無ければ定時でさっさと上がっていいぞ」
言いたいことを言いきった所長は、がさがさと机を漁り、鞄に何かを詰め込むとそのまま出て行った。
がしゃん、といつか窓のすりガラスが衝撃で割れるんじゃないかと思うほどの音を立てて扉が閉まる。
「せんぱい」
と、同時にソファの影から1人の少女が生えてきた。
「いたんだ」
やっぱり幻覚の類ではなく、実在していた。正直、所長には面通ししておいた方がいい気もするが・・・・・・。
そこまで考えて私はかぶりを振った。確かに所長はここの会社の裏の実態も把握しているし、言うなれば清濁併せ持った人間ではある。しかし、身分証明書の類もない怪しい人間を「雇いたいんですが」なんて言おうものなら流石にどうなることか分からない。そういう意味では彼女の咄嗟に隠れるという判断は間違ってなかったような気がしなくもない。
身元を保証できるなら話は別だが、業態がかなり「クロい仕事」な以上、秘密保全が絡むため迂闊に不審な人間は雇えない。このとき私はうっかり通す事務所を間違えたことに気付く。私が今いる事務所は「特殊清掃用」で、同じ階にはドア一枚隔てた先に「一般清掃用」の事務所がある。一般清掃ならなんとか・・・・・・。
待て待て。だからなぜ私は雇うことを前提に話を進めようとしてるんだ?
とはいえ。
相変わらず無表情でこちらを見ている彼女を見ると、慈善事業や難民救済のつもりは全くないのだが、放り出して挙句に野垂れ死にされても寝覚めが悪いなという感想が先立つ。
時計を見るとまだ就業時間は6時間以上残っている。
私は葛藤する。彼女を雇うとなると、臨時の仕事が入らなかったにしても今日いっぱいは偽造身分証の作成に追われそうだ。
残念なことに私の人脈はそうしたものの用意を出来るだけの環境が整っている。
「優しいんだか、自分に甘いんだか・・・・・・」
電話の受話器に腕が伸び、誰ともなく独り言が出る。指に馴染んだ電話番号をプッシュすると、先方に条件を伝えた。
一通り伝えると受話器を置き、封筒に紙幣を詰め、扉のすぐ外に設置された郵便受けに入れた。
その様子を不思議がることなく彼女は見ていた。かえってそこまでいくと私は私で彼女に対して疑問が湧き上がるのを感じていた。
なぜ、ここまで一連の行動を疑問に思わないんだろう?
それから数時間。ナナちゃんに簡単な一般清掃の業務説明をして時間を潰していたところ、かたん、と郵便受けに何かが届く気配があった。
開けてみると紙幣を入れた封筒が消え、代わりに1通の封筒。
封筒を開封すると条件通りの住民票の写しと、追加で必要なものは後日送付する旨の手紙が入っていた。
一丁上がりだ。
時計を見るともう終業時刻を過ぎていた。
「今日はもう帰ろうか」
立ち上がり背伸びをする。
さて仕事をしていたわけでもないのに何だか妙に疲れたな、と思っていたらナナちゃんが口を開いた。
「せんぱい」
「今度は何かなあ」
「わたし、帰るとこない」
「えー、と」
じゃあ君はどこから来たんだ?とは聞けなかった。というか、聞いたところでまともな答が返ってくるとは考えにくい。
「連れてって」
そういえば住所は私のところにしたんだった。
かなり悩んだ末に、「はい」以外の選択肢がないことに気付いた。
まあいいか。彼女は私に借りができたのだ。少なくとも借金分だけでも返済するまでは私の手元に置いておこう。そう強く言い聞かせて自分を何とか納得させる。
てくてくと2人連れ立って、まだ明るい夜道を歩き、途中、スーパーに寄り夕飯と、そして必要最低限の生活用品を調達する。
住民票の写しはあるが、それ以外の証明書がない時点でかなり不自然なので内心、途中で通報されたら終わりだなと、ヒヤヒヤしていたのだが、別段何事もなく。そうこうしている内に家に着いてしまった。私の部屋はアパートの一室で、このアパート自体あまり人気がないのかいつも「入居者募集」の看板が出たままだ。
そして数少ない隣人たちは業態や勤務時間がずれているのか、見かけることは稀だ。
部屋が片付いててよかった、という感想と
なんだかなし崩し的に家に上げて未成年略取もクソもへったくれもないなあ、という冷静な状況分析が私の中でせめぎ合うが、こうなりゃなるようになれだ。まあ、歳の離れた従姉妹か誰かが学校の都合で居候していることにしよう。
一通り部屋の説明を、と言っても大して広くもないので、さっさと済ませて食事を始めた。
ナナちゃんを観察してみるが、今度もやはり食事作法が丁寧で出自の良さがどことなく滲み出ている。
そして、食事を終えたナナちゃんはおもむろに片付けて、歯を磨いた。
割とてきぱきと動いていて、あれこれと考えながら食事していた私は、まだ半分も食べ切っていないことに気付いた。
この一連の流れで自然とナナちゃんは敷きっぱなしになっていた私の布団に向かった。
「せんぱい、わたし、ここで寝る」
「待ってそれ私の布団」
「おやすみ・・・・・・」
ものの数秒ですうすうと寝息を立て始めたこの奇妙な同居人を強引に起こすわけにもいかず。だが、私の寝床はなくなったわけで。
まあ、今日のところは金にモノを言わせて買ったソファがあるので、これで寝ればいいだろう。
表に出せない副業のお陰で実のところ金には不自由していない。あまり羽振り良くやりすぎると税務署の厄介になるが、小市民的に振る舞うぶんには問題ない。あまりの大金は却って自由に使い辛いのだ。
まあその実。大金を渡しても賢い使い方をできる人間しかこの業界は生き残れないように出来ている。
「にしても、変な後輩持っちゃったなあ・・・・・・」
食事を終えた私は、これからの追加の業務説明だなんだを考えると、頭が痛くなってくるのを覚えた。
一般清掃からやるなら誰に引き継ごう?そもそも私の家が住所になっていることの説明は?彼女と私の突然発生した関係性をどう説明付ける?アパート住民には従姉妹で通すにしても職場ではそうもいかない。
頭を抱えていたその時、1通のメールが携帯電話に不意に届いた。
臨時の仕事が、それも副業の方の仕事が入ったことを知らせるものだった。
頭痛の悪化が自覚できた。
えい、もうなるようになれだ。私は立ち上がり、荷物を纏めると戸口に向かう。
その前に彼女宛に簡単な書き置きだけして出て行った。
家を出てから考える。私は書き置きに何の保険を掛けたんだ?
頭を振り、「彼女が逃げて誰かに変なことを口走っても困るからだ」と自分に言い聞かせて夜道を職場に向けて急いだ。
彼女が優秀な私の右腕となるのはこの話から少し後のことだ。
「せんぱい?」
不意に、物思いに耽っていた意識が引き戻される。
「いや、何でもないよ」
私は立ち上がる。時計は23時を回ったあたり。
「ちょっと用事があるから上野まで行くよ」
その時のことを振り返るのは目先の仕事を片付けてからでも遅くはないだろう。
「行く?」
「・・・・・・行く」
表情はやはりあまり変わらない。なんだか「上野」という単語に反応したような気もするが、まだ尋ねるのは時期じゃないだろう。
「まだ寝なくて平気?」
「ん。へーき」
鞄に詰めて、必要最低限のものだけ持って扉を開けると、外は綺麗な星空だった。
「あ、今日は快晴だったか」
ぽう、と2人揃って見入る。
あれが北斗七星。柄杓を辿って北極星・・・・・・。
そこまで考えて、はっ、と意識が戻る。
今は仕事の時間だ。
「・・・・・・さ、行こうか」
声を掛けると、やはり見入っていたナナちゃんも同じように、はっと意識が戻った。相変わらず無表情なので気のせいなのだろうが、最近は最初の頃に比べて少し表情が柔らかくなった気がする。
2人連れ立ってすっかり暗くなった夜道を歩く。
そういえば、最初に家に連れてきたときもこんな風に歩いたっけ。
「ナナちゃん」
どうせ明日は休みだ。
いや、実のところは今も休みだったんだけども。
「帰りはどこか寄ろうか」
こんな時間になると流石に行けるところも限られてくるが。
「・・・・・・ん」
こくり、と肯定する。俯いて表情はよく読めないが否定の感情はなさそうだ。
それを見て私は、「それにしても変な後輩持っちゃったなあ」とやはり初対面のときと変わらない感想を相変わらず持つのだった。
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