第8話

「・・・・・・そんなに頭の悪い作戦で本当に大丈夫か?」

小村と埴生の2人と別口で合流した鷹取の心底疑問そうな言葉に埴生は大丈夫よと返し、目の前の焼き器を一定のリズムで転がる串を眺める。

「貴方たちが想像している以上に相手は馬鹿だもの」

上野駅近くにある、日本語でない言語の飛び交うアジアの空気を漂わせた中華料理店で3人は腹ごなしをこなしつつ作戦会議を行っていた。

この中華料理店は各テーブル毎に独特な機構の串焼き器が設置されており、その串焼き器に乗せると自動で串が回転し手を掛けずに満遍なく火が通る寸法である。つまり、串物はセルフサービスで焼き上げるのだ。

鷹取と埴生がおもむろに頼んだものを小村もちまちまと摘んでいく。メニューには狗肉とあった。狗肉。つまるところチャウチャウ犬の肉である。

「にしても割と美味いもんなんだな」

「お気に召したかしら?」

養成所でも口にしたことはない代物だが、実際に齧ってみると犬の肉はどこかスポーティさを感じる様な珍妙な歯ざわりだった。小村は特に感想を口にしなかったが、割合に不味いものでもないという新たな発見にどう反応したものか少し考えあぐねていた。

この食材もさることながら調味料として皿に盛られた香辛料の味や、店員の無愛想さ加減も本場らしさに拍車をかけており、どことなくぼんやりとしたアジアを小村は感じていた。

「私は警務隊の小園3曹?」

「んで、俺は警務隊の高梨1尉?」

「そう。その方が話が早いもの」

埴生の説明の傍で鷹取がほどよく焼けた串をひょいと持ち上げ、齧る。

「俺は私服で、小村は制服を?」

「それが割と「らしい」のよ」

作戦概要は埴生と出水が密会しているところに警務隊員の鷹取と小村がそれぞれ私服と制服で「機密漏洩の被疑者」として出水のところに乗り込む。そして「後ろめたいことはないか」と手段を問わず尋問し、出水に自白させる、というものだ。

吐かせるだけ吐かせたら「引き続き捜査中につき他言しないこと」と念押ししてその場を引き上げる。もしくは、一晩監視下に置く。

「令状の類は?」

「口八丁。得意でしょ?」

埴生が烏龍茶に口をつける。

「私服ってスーツでいいんだよな?」

「そう。今着てるやつで充分。制服は私のがあるから、絵里ちゃんはそれを」

制服類は小村も持ち合わせていない。アジトに行けば一式あるが、そんな時間的余裕はない。

「モノは?」

「車載してる」

お互い作戦概要は理解した。埴生の言葉通り、相手がアホであるなら第1段階の「習志野から引き剥がす」ことはとっくに完了している。

「腹ごなしは終わった?」

「充分」

まあなと言いかけた鷹取の手前にあった串をひょいと持ち上げ、なら行きましょうかと串を齧りながら埴生は言った。

「俺の串・・・・・・」

「どうかした?」

「・・・・・・なんでもない」

少しばかり鷹取にいたたまれなさを覚えたが特に何をするまでもなく小村は埴生の後に続いた。

「会計は?」

「陸軍将校様に任せなさいな」

上辺だけの謝辞を述べ小村はそのまま続く。

突然埴生が鷹取の方を向き礼をした。

「高梨先輩、ありがとうございます!」

とっさに小村もそれに倣って礼をし、後に残されたのは呆とした鷹取だけだった。

「し、仕方ないなぁ、お前らぁ〜」

鷹取が口調だけは嬉しそうに、口の端を引きつらせながら財布を取り出すのを横目に早々と埴生と小村は店を辞した。

2人仲良く、てくてくと駐車場に向け前進し、埴生が型落ち中古車のトランクを開けた。

「まあ、後でこれに着替えなさいな」

埴生が小村に小さなビジネスバッグを渡す。

小村が中を検めると、制帽と半袖の黄色いワイシャツにOD色のスカート、よく磨かれた黒色の短靴が姿を覗かせた。

「あと階級章はこれを」

3等陸曹の肩章を併せて渡すと、トランクを閉め、鍵をかけた。

「お次はチェックイン〜」

来た道を引き返し、向こうからやってきた鷹取と合流すると安宿に向けて歩き始める。

「名義は私、それと鷹取名義で2部屋抑えてある」

「つまり俺と小村はそっちで待機か」

「そういうこと」


目的地のホテルは歩いて5分とかからないところにあった。年季の入ったドアを抜けると、やはり年季の入ったフロントが顔を覗かせた。

本来の人員から1人足りない状態だが、2部屋4名分のチェックインを終わらせると、乗るのがどことなく不安になるかなり旧式のエレベーターで8階に移動し、それぞれの部屋に向かった。

それぞれ通路を挟んで向かい同士の部屋に入る。部屋の年季も大概だったが、それよりも重要なのは対象の出水が持ち合わせている情報で、この際部屋の古めかしさはどうでも良かった。

さっと盗聴器の類を捜索し、異常のないことを確かめると埴生が口を開いた。

「さあ、絵里ちゃんファッションショ〜」

どこか嬉しそうな埴生の手にいつの間にか握られていたカメラを無視すると、小村は埴生の胸ポケットのペン型カメラを取り上げた。

「やっぱり気付いてた?」

「今時手口が古臭いのよ」

傍にペン型カメラを置くと小村は黙々と服を脱ぎだす。毛頭撮る気は無いと小村にも分かってはいるが、何となく毅然とした態度で接した方がいい気がした。

「・・・・・・」

袖を通してから、小村はそもそも自分と埴生との体格差を自覚する。身長からして違うので、埴生の服が合うはずもないのだ。

「ぶかぶかなんだけど」

「胸が?」

「胴回りが、よ」

「・・・・・・発育不良なの?」

だからこの女は嫌いなのだ。

「無駄な脂肪を胸と腹とにぶら下げて毎日大層しんどいんでしょうね」

「あら、細い胸周りも私は悪くないと思うわよ?」

胸に、という言葉をうっかり付したばかりに付け入る隙を与えてしまったことを小村は後悔する。

「その余分な脂肪に0.3インチの風穴を空けられたいのかしら」

「脂肪吸引は御免だわ」

手をひらひらと振って部屋の浴室に向かった。

「今から入浴?」

「それもあるけど、飲み過ぎたら水を飲んで吐かないと」

埴生が浴槽に湯を張り始める。今一つ要領を得ない小村を残し埴生が入浴準備を始める。


「また後で」

どこか釈然としないながらも上から適当に羽織り、制服が分かりにくくした上で小村は鷹取の待つ部屋に向かう。

部屋に入ると鷹取が浴槽に湯を張りながら下準備をしていた。

「もしかして今私の知らないところでホテルの浴室がブームなのかしら」

「何があったか知らんが俺のはただの脱臭だ」

ハンガーに掛けたスーツの上下を浴室内のカーテンレールに干す鷹取の横に、小村も便乗して私服を干す。浴室内の蒸気を利用する、至って簡易的ながら効果的な衣類の脱臭方法の一つである。

予定通りであれば21時から事態は進行し始める。まだ時間に余裕はある。

「ところで進展は?」

「ああ、電力会社の男について、聞き込みをいろいろやったんだがな」

実際は埴生の策略によるものだったのだが、都合良くスーツ姿だったのはそういう訳かと小村は1人、勝手に納得する。

「上司に探りを入れてみたところ、例の男は真面目な男で酒も飲まなければ賭けも女遊びもしない。借財もなく若いのに真面目な奴だったんだとさ」

「成果なし?」

いや、と鷹取がかぶりを振る。

「人相は分からないが、謎の女が1人浮上した」

「関係性は?」

彼女の類と見るのが普通だろうけども、と鷹取が部屋に備え付けのインスタントコーヒーを作りながらことの顛末を話す。


「まあ、これから現れる奴がもしかしたら何か語ってくれるかもな」

一通り話し終えると鷹取はコーヒーを一口啜った。

社員、謎の女、出水3尉、電力データ。ピースが次々現れるが、このパズルからどんな絵柄が出来上がるかはまだ2人には分からない。

「・・・・・・どうでもいいけどシャツネクタイにパンイチで言っても格好良くはないわよ」

ややバツが悪そうに鷹取がもう一口コーヒーを啜る。

「俺の地元じゃ最上級の礼装なんだがな」

そして腕時計を見ると鷹取は浴室に向かう。

小村も時計を見る。針は20時45分を指そうとしていた。


それからまもなく21時を迎える頃。

狭いフロントの机に腰掛け、新聞を読むふりをしていた鷹取が対象の姿を認めた。その姿を目だけで追う。すっとエレベーターに入り、上り始めたのを確認するとゆっくりと立ち上がる。

「おいでなすった」


21時15分。

事前打ち合わせの通り、鷹取が扉を叩いた。

「失礼します。ルームサービスですが」

中から何か頼んだかしらあ、と甘ったるい埴生の声が聞こえる。

がちゃりと埴生が戸を開けた瞬間、乳繰り合う寸前のような空気感を醸し出す部屋に小村と鷹取はなだれ込んだ。

「動くな!警務隊だ!」

ぎょっとした顔の出水の元に2人は向かう。

「出水3尉だな?」

「・・・・・・そうだが?」

「何か後ろめたいことは?」

「貴方たちは・・・・・・?」

「貴女は関係ありません埴生3尉。それとも貴女も加担を?」

「一体何の話かしら?」

「なんなんだあんたら!所属と氏名くらいは・・・・・・」

「はじめまして。高梨1尉と申します。こちらは部下の小園3曹。所属は先の通りです」

「さて、出水3尉。何か後ろめたいことはありませんか?」

演劇の舞台が幕を開けた。

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