第5話

高校生の夏休みは長い。

夏の休暇期間中だからこそ、自由に動き回ることができる。


「イチ!イチ!イチニー!ソーレ!」

遠くにほんやりと蜃気楼が浮かぶくらいの猛暑の中で、さらに暑苦しい声と重たい半長靴の足音がフェンス越しに響く。

ブリーフィングの後、鷹取と打ち合わせ、小村はひとまず偵察がてら、現地に足を運ぶことになった。

生きる日常の異なる人種を仕切る、有刺鉄線付きのフェンスを見上げる。このフェンスもセンサーが張り巡らされており、近付くと猛スピードで警衛がやって来るらしい。

時折、センサーが過敏に反応することがあり、風に飛ぶ落ち葉が反応したせいで警衛がいらん足労を強いられることもあると聞くが、いずれにせよ情報を得るにしてもフェンスを乗り越える類の潜入はまず考えない方が良さそうだ。

「初降下ァー!二ィ降下ァー!三降下ァー!四降下ァー!」

閑静な住宅街には不釣り合いな爆発的な大声がフェンスの向こうに見える、倉庫のような建物から届いた。


ぐるりと外柵沿いを周り、警衛の立つ隊門まで戻る。

警衛の陸士が持つ小銃には弾が込められていない、と言われるが、弾を持ってないかと言われるとそういうわけではないらしい。だが、万が一弾が必要になった場合、空の弾倉を抜き、装填された弾倉を手に取り、込め直して槓杆を引き、初弾を装填するまで一体どの程度の時間を要するのだろう。

銃を持った人間と対峙したら?

一瞬自分なら真っ向から乗り込むとしてどうするかのシミュレートを始め、すぐにその不毛な妄想をやめた。

いくらなんでも精鋭無比をスローガンに掲げている屈強な空挺隊員や特殊作戦群の隊員相手にケンカを売る程、体力に自信はない。


ふと腕時計を見ると、時刻は昼をかなり過ぎていた。遅めの昼食を取りながら考えをまとめるべく、小村は一先ず近傍の喫茶店に入った。

アイスコーヒーと軽食を注文し、奥の席に着く。店内を一望でき、不審な動きにすぐ反応できる奥の席という、位置取りを咄嗟に行うのは習慣のようなものだ。

アイスコーヒーは早々に出てきた。

よく冷えたコーヒーが、大脳新皮質が融解すると錯覚した程度まで外の灼熱地獄で上がった体温に心地よく染みる。

そして、冷静な思考回路が徐々に戻ってくる。


正攻法では当然打つ手はない。中には民間企業の売店勤務の業者もいるが、警衛に顔が割れている上に入門証が必要になる。

もっと合法的に入門する方法は駐屯地祭という選択肢があるが、その開催日まで悠長に待っていられるほど気は長くない。

防衛省としても勿論事態の詳細把握は早い方が望ましい筈だが、堂々と諜報員に協力を依頼は出来ない。あくまでも無関係の人間でなければならない。それが探りを入れる上での難易度をここまで上げることになっている。


「お待たせいたしました」

ことり、と皿が置かれ、小村は思考を一時中断する。

皿に盛られたサンドイッチの一つに口を付けると、しゃきしゃきとしたレタスのみずみずしさが、忘れていた空腹を思い出させた。

サンドイッチを齧りながら、再度攻略法を練り始める。

となると、中の人間、それも誰か特定の個人に門の外で働きかける戦法を使うことになる。

だが、誰に?

そこまで考えたところで小村は、ある人間の存在に思い当たっていた。

1人だけだが、何かを知ってそうな、というより「繋がり」を持っていそうな人間がいる。

コーヒーを一口飲み、携帯電話を取り出す。

しかし。

どうしてもここで小村は躊躇する。取っ掛かりを得るためだと考えても、指が携帯電話の上を滑ることを拒んでいる。

使えるリソースは全て活用する。理屈では分かっているつもりだが、現実問題としては、できればあまり関与したくない。どうにも個人的に苦手な相手なのだ。過去に一度だけ協力を依頼したことがあり、実際それで当時の任務は達成出来た訳だが、その一件でこの女と関わりを持つことには懲りたつもりだったのだ。尤も、工作員相手に信用もなにもありはしないのだが。


指に「動け」と脳から信号を送り、指が体の拒絶反応を無視して連絡先を押下するまでに小村には、サンドイッチを平らげ、深呼吸を3回、そして残ったコーヒーを飲み干す過程が必要だった。

電話に出なければそれでいい。むしろ出ないなら別のアプローチ法を模索するために頭を使う羽目にはなるが、そっちの方がむしろ気は楽だ、という小村の考えを他所に先方は2コール目で出た。


「はあい、埴生です」

「アイアンネイル」

「ネイルプーラー。あらあ、久しぶりねえ」

「・・・・・・声の調子から察するに、相変わらず、みたいね」

「察しのいい娘は嫌われるわよ?」

「ど、」

どの口が言うかこのアバズレ、という言葉が喉元まで出かかって、すんでのところで呑み込んだ。

この女の中身は小村もよく知っている。何しろ人生の一時期、小村と同じ時期、同じ場所にいて、同じ教育を受けていた。

つまりは同期。養成所の同窓生なのだ。

「・・・・・・本題だけど、今日会えるかしら?」

「いきなり大胆なのねえ・・・・・・夕方に職場の前に来てくれたらそのままピックアップするわよ」

ここから埴生の職場までは2時間弱。今から出ても夕方には着くだろう。

「何事もなければ三連休前で早く帰れると思うから、うちの取引先が気まぐれ起こして変なのを寄越してきたりしないことを祈ってて」

埴生の仕事は本人曰く24時間営業の接客業。

「じゃあ、夕方よろしく・・・・・・埴生3尉」

実態は防人の皮を被った諜報員。


そして、どちらともなく電話は切れた。

小村からすれば、こっちの方が深刻な国家保障の危機のような気もするが、この際知ったことではない。

何はともあれ、第1段階はクリアした。

仮に断られていたところで実際には何一つ損も得もしていない独り相撲なのだが、無駄に緊張を強いられた分、ここで協力を取り付けられなければただただ損をしただけのような気分になる。それだけにとんとん拍子にことが決まって少し拍子抜けした感じは否めなかった。


会計をすませ、灼熱の街に再び小村は消えていった。

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