第4話
首からパスケースを提げたアロハシャツ姿の舘山が、缶コーヒーのプルタブを開ける。
パスケースの中身はこの部屋への入退室に必要なものなのだが、何故アロハシャツなぞを着ているのかは分からない。何かしらの理由があるのだろうが、まるでどこかの南の地方の役所の観光課職員のような風体をしている。
「さて早速だが始めるぞ」
「今回は単独任務ですか?」
普段は、少なくとももう1人くらいは同僚がいるのだが、今回ブリーフィングには元締め役と自分しかいないことに小村は疑を唱える。
「いや、本当は鷹取もいるんだがな。今あいつは出払ってる」
なにか引っかかる物言いだ。通常、二度手間になるためブリーフィングは一斉に複数人に対し実施する。一般社会における会議や委員会の類と趣旨としては変わらない筈だが。
「というか配水管工事をやっとる」
「配水管工事?」
「何が起きたか分からんが、何故かここの上水配管が詰まってな。そんでまあ、暇そうにしてたから命じた」
「・・・・・・」
要はただの雑用に彼は駆り立てられているということらしい。上水が故障していたところに、小村よりも早くここに来たため、手空きならばという程度の感覚で配管工事をさせられたのだろう。
とすると。
もしかしたら今スパナ片手に配管と格闘していたのは自分の方かもしれなかったわけかと小村は考える。
あの中二病患者が意外なことに役に立った。
ここに至り小村は、沈黙しているコーヒーメーカーを尻目に、珍しく舘山が缶コーヒーなるものを手にしていることに納得する。
舘山は季節を問わず、コーヒーメーカーで淹れた熱いコーヒーを好む人間なのだ。
舘山は胸ポケットから煙草の箱を取り出す。前に小村が見た時から数日経っているので正確な日数は把握していないが、その時にはこの軽薄な服装の男は禁煙に挑戦していた。
本人としても健康に留意はしているらしく、禁煙には何度も挑戦しているが、ことごとく失敗している。実際、小村が知る限り最長で1週間、最短で47分という記録を持っている。
一方の本人は「禁煙は簡単で、ざっと50回以上は成功している」と嘯いている。
喫煙は個人の自由だと小村は思うが、1日に最低でも1箱の煙草と、そこに熱いブラックコーヒーを合わせている、健康という概念から全力疾走で遠ざかっているような人間がはたして健康体を手にする日は来るのだろうか。
小村の考えを他所に舘山はマッチを擦った。
ふう、と紫煙を吐き出すと舘山は、昨日の話だが、と本題に入り始めた。
「電力会社の社員が1人社宅で心臓マヒを起こして死んだ」
ここから少しの経緯は協力者の「掃除屋」から聞いている。
実際、そこからの館山の説明と事前の情報は合致していた。
「だが、問題が二つ」
灰皿を求め、煙草が彷徨う。既に吸い殻で一杯になったプレス成形の大量生産品のアルミ製灰皿を見つけると舘山はすっと引き寄せた。上の方の吸い殻が崩れ、机の上にわずかに灰が散らばる。
「一つは「他殺薬」が所持品から発見されたこと」
ことん、と舘山が机に小さな、空のガラス瓶を置く。どうやら現場から回収された現物らしい。
「二つ目の問題はこの男が担当していた仕事だ」
灰皿に灰を落としながら、紙の資料を小村の前に差し出す。
「船橋市のとある地方の電力保安員だったわけだが、同じ船橋市にある第一空挺団の「扇風機」の電力保安員も兼ねており、むしろ本業はそっちの方だ」
「「扇風機」?」
業界用語であることは想像に難くないが、何を差すのかが小村には分からない。
「ああ、まあ、分からんよな」
状況説明を一時中断する。
「
通常の空挺降下と違い、降下中に落下傘を開く降下方法で、より高い技量を必要とする方法でもある。
「やったことはありませんが」
実際にやったことはないが、やり方は一通り教えられている。
「この降下訓練のために、一々実機から降下する訳にもいかんし、ノウハウのないままやらせた訓練でミスって殉職、なんて事態は更に洒落にならん。そのため、フリーフォール中の上空を模擬する、巨大な送風機が床面に設置された筒状の建物の、俗に「扇風機」と呼ばれる施設が同駐屯地内にはある」
そんな便利な施設があるなら一度使ってみたい、と小村は率直な感想を持つ。
昔、養成所でやった訓練は、地面に這いつくばって上空での姿勢を延々取り続ける、というローテクノロジー極まりない内容だった。
お陰で次の日は日頃使わないような位置の筋肉が痛み、誰1人としてまともに腕が上がらず、まっすぐ歩けなくなった思い出がある。
この思い出には「実際は空気抵抗があるのでここまで力を踏ん張らなくてもいいんだが」という教官のありがたくないお言葉という後日談も付いている。
「ここの電気利用量と送風機のモーター性能のデータが揃うと上空何フィートからの降下を模擬できるか、何フィートからの降下を想定して訓練が行われているかが露見する」
「つまり、空挺さんの特殊部隊がどの程度の能力を有しているかが判明する、と?」
小村の質問に、その通りだと舘山は答える。
「この防衛秘密が漏洩したら根本から作戦の見直しを図るなんて次元の話じゃない。国防網に風穴が開く。最近、米軍でも敵味方識別システムがどうにも非同盟国に渡った可能性が強まったとして新型IFFの開発に着手せざるを得なくなったという背景がある」
「で、この保安員は」
「まあ、大方その予想通りだな。どうにもこの男、「扇風機」の電力データを複写した形跡がある」
「そしてその男の部屋から他殺薬」
くくっ、と缶コーヒーを飲み、無言で舘山が頷く。
「どうだ。俄然事態はクロに近付いてきただろ?」
「そのデータは?」
「まだ見つかっていない」
「清掃業者が誤廃棄した可能性は?」
「優秀な「掃除屋」がこの薬瓶を回収してきたんだ。見落としを含め、それはあり得んな」
ない話だとは思っていたが、これで一つの可能性は消えた。残る可能性は第三者の介入以外にない。
「防衛省だって馬鹿じゃない。が、少し遅かった。データの持ち出しに気付いて、辿り着いた頃には本人はこの世の人間ではなくなっていた」
擁護の余地なく、クロの案件だと判断して差し支えなさそうである。
「電子情報は?」
「防衛省のネットワーク保安部署が血眼になって捜索しているが、電子情報としてやり取りされた形跡は今の所ない」
だが、と舘山は続ける。
「ネットは足が着くリスクが大きい。今後、やり取りされるとしたらこのデータを印刷した紙媒体、あるいはこのデータを取り込んだ可搬記録媒体のみと考えて良いだろう」
任務は3つ、と舘山が告げる。
「元情報の確保、親玉の洗い出し。それと接触したとされる関係者の捕獲だ。・・・・・・今のところ怪しいとされる人間は何名かピックアップが済んでいる」
舘山がざっと写真を何枚か取り出す。
いずれも盗撮だろう、正面以外のアングルから撮影された男女が写り込んでいる。
「ハニートラップ疑い、職場の同僚、仲のいい友人、色々だが、ただ、特に気を付けるのはこの男だ」
すっ、と1枚の写真を差し出す。
「この男は?」
「一般人を装っているが、実際は中国大使館の二等書記官という大層な肩書きを持っている」
どこにでもいそうな風体だが、この手の職業に就いている人間特有の気配が写真からも滲み出ている。
「こいつに限って言えばテロリスト相手じゃない。身分ある大使館員だ。国際問題だけは回避しろ」
下手をすると、真っ向から事を大きくしてくる可能性が高い。相手にする上で外交官とは厄介な肩書きだ。だから諜報員としてはよく使われる手なのだが。
「疑わしきを全て疑え。写真を渡したが、先入観だけは持つな。準備は一任する。存分にかかってくれ」
舘山がてんこ盛りになった灰皿に煙草を突き立てた。摺鉢山の米国旗のように、吸い殻が斜めに倒立する。
先入観だけは持つな、という言葉が小村に突き刺さる。
「命令受領。かかります」
小村が立ち上がろうとしたその時、全身ずく濡れのシャツネクタイ姿の男が戸を開けて入ってきた。
咄嗟に腰の飛び出しナイフに手が伸びかけ、その男が鷹取であることに小村は気付く。
「終わったか?」
「お、終わりました・・・・・・」
随分くたびれている。
「いい歳して水遊び?」
「夏を感じられるぞ。お前もどうだ?」
まだ軽口を返すだけの余裕はあるらしい。
「遠慮しとくわ、水も滴るいい男、さん?」
「へ、惚れ直したか?」
「いいから始めるぞ、よかにせ」
舘山が立ち上がる。
流石に水浸しの人間には椅子に着かせたくないらしい。
舘山が新しい煙草に火を点けようとし、灰皿から遠ざかる状態で説明を行わなければならないことに気付き、マッチをしまう。
立ちながら咥え煙草で状況説明を行う、どことなくシュールな絵面を尻目に、厄介な仕事だ、と率直に小村は思う。
要するに、手がかりはあるが、細かいことが分からないのでそちらでもアンテナを張っておいてくれ、という程度のことなのだが、分からないからと言って失敗はそれはそれで許されない。
工作員稼業もはっきり言って業態はブラックそのものだ。
そもそも活動内容自体が
この後はどうせ鷹取と今後を打ち合わせなければならない。説明を受けている間は手持ち無沙汰になるし、鷹取の性格上、ブリーフィングがすんなり終わるようには思えない。
暇つぶしがてら小村は鞄の中を漁る。丁度いい冊子を見つけたので、机にどかっと載せた。
そして、筆箱から鉛筆を取り出すと、そのまま冊子を開く。
ぎょっとした様子で眺める舘山と鷹取に気付いた小村は、こともなげに言う。
「夏休みの宿題」
「なにもここでやらなくても・・・・・・」
鷹取の発言に鉛筆を置くこともなく、小村は呟くように言う。
「去年も今年も、楽しい楽しい海外旅行とかが原因で出席日数がかなり危ないことになったんで、宿題くらいはクソ真面目に提出したいんですが」
かりかりと鉛筆が走る音を背景に気まずそうな空気が漂う。
「あー・・・・・・分かった。そこでやっててくれ。極力手短にやるから」
心なしか、更に少し離れた位置でブリーフィングを再開する。
「・・・・・・従業員の福利厚生、やっぱ見直した方がいい?」
「なんで俺に聞くんすか?」
「こう、定期的に海外、とか・・・・・・」
「命がけのやり取りがくっ付いて来なければそれも魅力ですけど、そもそも海外行きが原因なんじゃないですか今回の」
「じゃあ、なんだったら嬉しいんだよお前は?」
「そんなの週休完全五日制を導入しろって言うに決まってんじゃないですか」
「・・・・・・お前に聞いた俺が馬鹿だった」
どことなくバツが悪そうな雰囲気に、頭の悪そうな会話が加わり、話の進展がなさそうな事を悟ると小村は冊子を片付け、ノートと「物理のエッセンス」を開いた。
本題から逸れた頭の痛い問答はこの後しばらく続いた。
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