第3話

「どうした、熱中症か?」

元気がないというよりは体力を消耗した、という方が適切なような顔を浮かべた小村に、元締めの舘山は声をかける。

当の小村はなんでもありませんと答え、平静を装う。

だが、実際小村は今体力を消耗していた。

それも、任務外の全く関係のないところで。


話は1時間前に遡る。

靴箱には一通の手紙。

恋文。またの名をラブレター。あるいは果たし状。

靴箱に入れられる手紙というものは一般にこの内のいずれかの意味を持つ場合が多い。

恋文というものに、ひいては人から好意を向けられるということ自体が小村絵里という少女にとっては、数ヶ月前に付与されたある任務が原因で今現在トラウマ気味である。

それこそ、人から好意を向けられるくらいなら、真っ直ぐ敵意を向けられた方がマシだと考えられるくらいには。

だが、その経緯は報告書に記入しなかったり誤魔化したりした内容なのだから文句は言えない。わざわざこんな方法を取るということは新たな指示書だろうと小村は判断する。


裏面を見るが、差出人名は無い。

さっと踵を返し、小村は近くの便所にこもる。個室に入ると、おもむろに手紙を広げた。

通信文の暗号は分かりやすい比喩や言葉遊びで書かれただけの単純なものもあれば、暗号表を用いて解読した後に対照表を用いて二重三重に解読しなければならない厄介なものもある。


「光差す影より陰へ」という書き出しから始まる文章から、今回は比較的解読が簡単な指示書らしいことを悟る。もしかしたら世の中には多少は有難いことが存在するのかもしれない。珍しいパターンもあるものだと思いながら小村は読み進める。


陰の者に告ぐ。陽の差す地より影の者が言伝てを渡さん。


文章はそれだけだった。

「陽の差す地より」。

単純に考えて日向を差すのだろうが、「限りなく太陽に近い」という風に捉えると校内では屋上しかない。あくまでも校内という前提の上でだが。

だが、小村は何か違和感を覚える。

普段の文体とは微妙に異なる。

担当者が変わったか?

それとも急ぎで拵えたか?

どうにも、まるでなぞなぞを解いている気分になる。簡単すぎるのだ。知識やひねりを要しないし、何より符丁の指定らしいものもない。

何か腑に落ちないものを感じたが、ひとまず屋上に向かうことにした。

便所から出ると、そのまま階段を登る。

ここの学校も他校の例に漏れず、屋上に通じる扉は当然のごと、施錠されている。

だが、小村はすっとポケットから鍵を取り出す。

大分前になるが、校内の鍵を全て複製したことがあった。日直として鍵を取り扱った時をはじめ、目を盗んで型取りしたものを元に複製したものもある。マスターキーも型取りしたものを入れ替えてからじっくり複製することに成功している。管理が少し厳しく、どちらかと言えば、複製した後で元の位置に戻すことの方が難しかった記憶がある。

その実、校内には小村に開けられない鍵は今のところ存在しない。そもそもその気になれば諦めてバンプキーで全て複製出来る程度のセキュリティの低い鍵しかここでは使われていない。

かちゃりと音を立て、解錠に成功する。


屋上を見渡すが、人気はない。鍵が掛かっていたのだから当たり前だろう。

塔屋を回り込み、梯子から上に登る。ここにも当然のことながら人はいない。

おもむろに小村は塔屋の上に陣取る。誰が来るのかを見極める腹積もりである。


しばらくして扉が開いた。どうやらなぞなぞの答えを引き当てることには成功したらしく、周囲を伺いながら1人の男子生徒が入ってくる。

顔は見たことがある。が、名前は知らない。見た感じでは、随分線の細い印象を受ける。

「レディファーストの意味を履き違えていると認識していいのかしら」

不意にかけられた言葉に動ずることなく、彼は振り返り、塔屋の上の小村を見上げる。

「それは君がまだレディ未満だからだ」

なんだか気障な男だ。

「本題は?」

翻るスカートを気にするでもなく、小村は塔屋から飛び降りた。

「まあ、焦る必要もなかろう。人は皆、死に向かって決定された運命の輪が巻き取られる中、毎日を生きるのだ」

「トラルファマドール星人にでもなったつもりかしら」

「ふむ。中々鋭いではないか」

は、と彼は笑うが、小村には一体何が「鋭い」のか分からない。

「まあいい。本題に入ろう陰の者。いや、小村絵里」

「呼び捨て、とは穏やかじゃないのね」

校則では着用義務があるが、今時誰も付けようとしない名札を律儀にも彼は胸から提げている。大抵の生徒は集会や朝礼のみ着用し、その後は厄介払いのようにさっさと取っ払ってしまう。名札は、胸元に鎮座しているだけで、持ち主がある種丁寧な性格をしているらしいことを証言してくれる。同時に、この持ち主が仙崎なる名前であるということも。


「君は、光の差す側の人間じゃないな?」

小村の頭に疑問が浮かぶ。言葉の端々が引っかかるのだ。気障な男だという感想を通り越して今度は疑念が生まれる。

この仙崎という男は何者だ?

一向に本題に入る気配がないが、協力者や伝令員ではないのか?

よもや敵対勢力か?

しかしここまで回りくどいことを喋る関係者は敵味方問わず今まで見たことがない。

「まあ、話でもしようじゃないか。我が同志」

「同志?」

「陰と影は異なるものだが交じり合わない訳ではない。陰が影になることもあれば、影が陰となることもあり、影が光となることもある」

相反する人間のような言葉を匂わせておいて、同輩のような空気を醸そうとしている。

しかし、なにやら同業者特有の匂いがない。

まさか。

こいつ、まったく無関係の人間なのか?

するとどうにも合点がいく。


小村はここで一つ、カマかけのような符丁合わせを試みることにした。

「同志といえば、舘山さんは元気?」

「ふむ、知らんな。それは君の同志かね?」

舘山はこの一帯の元締めをしている。その名前をとぼけるでもなく、純粋に知らないような反応が返ってくるということは、本当に知らない可能性が高い。

同志という単語にどの程度の意味合いを仙崎が込めているかは推し量ることは出来ないが、少し不満気な様子が口調に滲み出し、ここに至り小村は仙崎の意図に気付く。

人を字面の上などの、言うなれば上辺の情報だけで判断することの危険性は重々承知していたし、つい最近身をもって実感したりもしたはずだった。自分の油断が、ひいては認識の甘さが恨めしい。

こんな、精神疾病患者一歩手前の奴を、よりにもよって伝令者だと?


恋愛感情とは精神疾患の一種である、という結論を少し前に小村は出し、今は自身の格言状態となっている。

しかし、世の中には恋愛中毒とも取れるような人間がいる。というか、同じ組の迫田という女がまるっきり当てはまる。

口を開けば恋だの愛だのが入ってないことがなく、誰彼構わず中身のない恋愛論を説く。

甘ったるい空気が周囲に漂っていて、それこそ、身体のどこかを切断すれば糖の欠片が散り、漏れ出る血液は砂糖水で出来ており、脳ミソには花でも生えているんじゃないかと存在自体が人体と医学を全否定していると疑わしいくらいには小村が辟易としている女だ。

だが、目の前の仙崎はそれに匹敵する。

どうしてこうなったのか、と小村は先入観だけで素直に呼び出しに応じた自分に対し、激しい自己嫌悪を覚える。

「悪いんだけど先約があるの」

戸口に向かう。

よりにもよって、中二病患者を協力者と勘違い?

苛立ちがそのまま歩く速さに現れそうになり、ぐっと抑え込む。

「待て、陰の者」

仙崎が呼び止めるが、小村は意に介さず歩き続ける。戸口を出たところで仙崎の方に振り返る。

「それに私、好意よりも敵意の方を信頼するタチだから」

小村は彼を屋上に残し立ち去った。

やはりこの世には有難いことなど本当は存在しないのではないだろうか、と小村は現世を再び呪う。


階段を降りるが早いか、小村の携帯電話にメールマガジンが届いた。待ちかねてはいないが、ある意味では到着が恋しかったものだ。

差出人名は「船橋スカイダイビングクラブ」。名前は身に覚えがないが、今度こそ本物だった。

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