生きている証
早朝、薄暗い農場をずっと眺めていた。先輩の熱い焔……。生きていると言う証……。ずっと考えていた。あごに生えた数本の長いひげを抜きつつ……。 俺が先輩に出来ることは……?
いつの間にか、日が昇って、明るくなっていた。ふと目を横にやると、1匹の猫が、ちょこんと座っていた。目が合う。じっと見つめ合う。どっちも目を離そうとしない……その時、ネコが大あくびをした。そして、もうこっちの方を見ないで、ゆっくりとことこと畑を横断して、向こうの方に歩いていった。農場の息吹! 先輩の熱い焔! 俺の得意分野! だとしたら一つしかないな……。農場の生命の脈動と先輩の熱い焔のような輝きを小説で表現することだ。
近くのコンビニで買った小さい手帳とボールペンをお尻のポケットに入れると、リンが来るまで、畑のすみずみまで見て回った。そして、農場の事を手帳に書き込んでいく。いつの間にか、リンが車に乗ってやってきた。書き込んでいると、リンが手帳をのぞき込む。そして、手帳を取り上げると、熱心に読み始めた。そして、俺をプレハブ小屋に連れていくと、本棚の前に立った。
「これ、渡の愛読本! 良かったら読んでみて! 役に立つかも!」
一冊を手に取って見る。紐の結び方、肥料のやり方、種の蒔き方など色々載っている。リンに「ありがとう」と言うと、何冊か見つくろってカバンに入れた。そして、イスに座って本を読み始めた。A4のノートを置いて、メモを取りながら……図入りの本だから読みやすい。次は、実践だ。農場で、リンに教えてもらいながら、一つ一つ知識を確認していく。そして、夜、布団に入りながらメモをまとめ、プロットを立てる……。俺の出来ることは、小説だ。一世一代の小説を書くことだ。夜遅くまでプロットを考える。先輩の本を開きながら……そんな日が何日も続いて、いつの間にか、10月になっていた。
納得いくものが出来なかった……。あせってくる。仕事をしている時も考えているから、作業がおろそかになり、リンに大丈夫? と心配される。俺は、「一世一代の仕事だから……」と無理して笑う。リンは何か考えるようにじっと俺を見ていた。
昼休み、リンと二人で、即席ラーメン鍋を作って食べていると、リンから「食べ終わったら付いてきて欲しい」と言われた。昼飯を食い終わると、農場の片隅に行く。そこには1本の柿の木があった。リンは、ハサミで柿を2つもぎ取った。1つを俺に差し出す。
「おいしいよ! 食べてごらん」
食べてみる。うまい。二人でもう何個か取って、草むらに座った。涼しい風が気持ちいい。もぐもぐ食っていると、リンはぼそっと言う。
「一世一代とか、そんなに気負うんじゃなくて、等身大で、書いてみたらどうかな?」
等身大か……。前にもそんな事教えて貰ったっけ……。
「秋の風を感じたり、秋の柿のおいしさを感じたり、自分の目で見たことをそのまま書けばいいんじゃないかな?」
その言葉を聞いて、じっと柿を見る。そういや、柿は何でこんなおいしいのかな? 秋になると、食欲の秋って言う位に色々な作物が出来るけど、なんで秋なのかな……色々な考えが浮かんでくる。そうだ、自然の観察者じゃなくて、自然と一体になりゃ良かったんだ。生命の息吹を感じる、等身大でこの世界を生きるってこういう事?
草むらに寝そべる。目の前に大きなバッタがいた。バッタお前も大変だな。クモとかに食われるなよ。なんて思いながら、バッタを見る。とぼけた顔をしていた。先輩の見ていた世界ってこういう世界なのかな?
「ありがとう。リン」
「私も協力したかったから……」
そう言うと、リンは、農場を遠い目でずっと見ていた。 今日も秋の太陽が畑を照らしていた。秋風と青空が気持ち良かった。段々創作意欲が湧き上がってくる。ポケットに入っている手帳を取り出すと、走り書きで色々書きとめる。何枚も何枚も……。
農作業は、リンが主に行ってくれた。いつも農場を駆けまわっていた……。その様子を見て、心から感謝した。農場にさんさんと照っている太陽に「力を下さい」と願をかけた。
2週間経った。先輩の生きている証。つまり、農場の生命の脈動、そして先輩の太陽のような焔のような輝きを俺の小説にすべて込めた。やることはすべてやった。作品をカバンに入れ、リンと先輩の病室に向かった。向かう途中、ずっと無言だった。汗が一筋落ちる。暑いからなのか? それとも……? 足もがくがくして歩くのがやっとだった。これが、人の人生の重さなのか? 先輩の人生を背負う重さなのか? それでも、やっと病室の前まで来た。ドアを手に掛ける……。足がすくむ……。手が震える。その時、リンの手が俺の手に重なった。
「大丈夫! 信じてるから!」
うなずく。そうだ。俺の等身大の作品だ! 自信を持て! ドアを開けた。先輩は、布団の中で目をつむっていた。先輩の傍まで寄る。先輩の左手が白く細くなっていた。涙がこみあげてきた。右手で涙をぬぐう。とめどなく流れてくる。
「そう泣くな! 男だろ!」
先輩の声がした。顔を見ると、目を開けていた。
「はいっ」
とうなずく。でも止まらなかった。リンの方を見る。澄み切った目をしていた。
「大丈夫! 私もいるから!」
リンが、後押ししてくれる。震えながら言う。
「先輩の生きている証を持ってきました」
先輩が、「どういう事だ」と聞いてくる。
「先輩の生きている証……農場の様子を題材にを小説にしてきました」
カバンから小説を出すと、先輩に渡した。先輩は無言でうなずくと、紙をペラペラめくった。A410枚程だった。先輩は静かに読みだした。
「ここ考証ミスだぜ! 真らしいな!」
途中、途中、色々茶々入れながら読んでいたが、最後の方になると、顔が険しくなった。心臓がばくばくいっている。やがて読み終わる……。先輩は、第一声の感想をぼそっと言う。
「まだまだ青いな!」
焦る。じゃあ……?
「でも、輝いている……」
先輩の顔をじっと見る……。息が詰まる……。先輩の目からぼろぼろと涙がこぼれる。
「すまない! ほんとうにすまない」
リンが先輩に抱きつく! リンも声を出して泣いた! 俺も涙がとめどなくあふれてきた。
先輩は、起き出すと、財布を取り出し、俺に渡す。
「宴会だ! ビール買ってこい! つまみもな!」
30分後、みんなでビールを持って、乾杯し、何杯も飲んだ。泣きながら……。でも、それも20分ぐらいだった。年配の女性の看護師が入ってきて、俺らの醜態を見てびっくりしていた。すぐさま先輩に注意する。先輩は、「は~い」と言って片付ける。片付けるのを手伝っていた時、ふと看護師の顔を見ると、涙がこぼれていた。気付かないふりして一緒に片付けた。最後に看護師は、先輩の頭をくしゃくしゃと乱暴になでると、「じゃあね! いたずら坊主」と言って出ていった。俺たちは、涙を流して笑い合った。いつまでも笑い合った。
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