恩人の先輩の挫折と苦しみと


病院まで着くと、受付で、リンが待っていた。目が合った。泣きながら抱きついてくる。急いで、病室に向かう。病院独特の匂いがつーんと鼻に付く。401号室。名札を見る。大雲 渡と書いてあった。部屋を開ける。先輩は、目を閉じている。近くに寄る。すやすやと寝ていた。とりあえず命に別条はないようだ。ただ、包帯で全身を巻かれていた。横の椅子に腰かける。その時、先輩が明るく言う。

「何、そんな恐い顔してんだよ」

 先輩は思いっきり笑った。看護師が入ってきた。俺とリンは部屋を後にした。後で、リンに聞いたのだが、先輩が自転車で走って角を曲がろうとしたところ車にひかれたのだそうだ。


 それから、何度も先輩の元を訪れた。先輩のお父さん、お母さんも来ていた。先輩のお母さんは今にも泣きそうだった。その間、先輩は、検査、検査、検査! だった……。


 先輩と談笑していると、先輩の主治医が「やあ」と言って入ってきた。そして、「ちょっといいかな」と言って、俺たちを呼んだ。退院の話かなとかそんな感じだった。


 部屋に入ると、先輩の両親もいた。俺たちも腰掛ける。主治医の先生は、しばらくたわいのない話をしていたが、やがて本題に入って行った。色々と言っていたが、左腕が動かなくなる可能性があるとの事だった。部屋が静まりかえった。お母さんの目から涙がぼろぼろこぼれた。リンは俯いて顔を覆っていた。俺は、ショックで考える事が出来なくなった。先生は、「これから長いリハビリが必要です」と言いにくそうに言った。さらに先生がまた言いにくそうに、

「いつからリハビリに入りますか?」

 皆黙っていたが、お父さんが口を開いた。

「用意が出来しだい、すぐお願いいたします」

 お父さんの目尻からは一筋の涙がこぼれ落ちた。お母さんはその場で泣き崩れた。

 俺とリンは待合室に行く。1時間待った。お父さんとお母さんが待合室に入ってくる。お父さんが、目をごしごしこすっている。そうして、俯いて背中を震わしていた。嗚咽が聞こえてきた。俺も涙が止まらなかった。リンも声を出して泣いていた。


 次の日、お父さんは、先輩の部屋に入って1時間話していた。部屋から出てくると、「今日はもう帰って欲しい」と俺たちに話した。先輩が、気持ちの整理をつけたいのだそうだ。俺とリンは、黙って従った。帰り際、お父さんに呼び止められ、

「渡の事をこれからもよろしくお願いします」

 そう言って、深々と頭を下げられた。涙腺が緩む。思わず逃げてしまった。病院の外に出ると、夏空と秋雲が映える青空だった。セミがミ~ンミ~ンと鳴いている。思いっきり地面に落ちていた缶を蹴る。缶はからんころんと音を立てながら転がっていった……


「渡、リンゴむけたよ」

 リンは、カットしたリンゴをつまようじに刺して皿に盛り、先輩に渡す。先輩は見向きもしないで、外を見ている。リンはしばらくリンゴを入れた皿を持っていたが、机に置く。お父さんが、先輩と話してから、1週間が過ぎた。俺とリンは毎日お見舞いに行った。とは言え、俺たちが一方的に話すだけだが……。リンが、農場の様子を一生懸命笑いながら話す。そんなリンにも見向きもしない。急に先輩がこっちを見る。今まで見たこともない憎しみに満ちた表情だった。

「お前らはいいよなあ。人生これから楽しいもんな!」

 そう言うと、机に置いたリンゴを皿ごと地面に叩きつけた。皿が割れ、リンゴが散らばる。反射的に、言葉が出た。

「いくらなんでも!」

 リンは、「もういいから、止めて!」と泣きながら叫ぶと、地面を這って、リンゴを片付け始めた。先輩は、「生意気言うな!」と叫ぶと、俺の胸倉を思いきりつかむ。

 リンが叫ぶ。

「止めて!」

 リンが割って入ってきた。

 先輩が、思い切り俺をどつく。椅子にぶつかり倒れこむ。俺とリンを交互に見る。

「すまん……。そんな気はなかった……」

 リンはこっちを見る。座りこんでさらに泣いた。

先輩は、ただただ、震えていた。先輩のその姿が辛くなって目を閉じた。気がつくと自分も足ががくがく震えていた。

 それでも片付け終わって、帰ろうと先輩に挨拶する。

 返事はない……。

 気が付くと、先輩は布団を被っていた。布団が小刻みに震えていた……。どうしたらいいのか分からなくて、ずっと立ち尽くしていた。



 それから何日かの日々が過ぎる……。俺とリンは、先輩の城である農場の運営を行っていた。種を蒔いたり、水をやったり、収穫したり、手入れをしたり、商品を納品したり、様々な事をした。目茶苦茶やる事がある。リンは、時々見えないように泣いていた。へたれな自分はそんなリンを見ないふりをするしかなかった。慰める資格なんて無かった。

 今日は、雑草を抜いていた。残暑が厳しい中、水分補給を沢山する。


 終わってから着替えてお見舞いに病院に向かう。途中まで、リンに送ってもらった。リンは野菜の納品があるとか来れないそうだ。今農場はほぼリン一人で運営している。情けない話だが、自分はほとんど戦力になっていない。無力さを感じる。そのリンに、車の中で、「帰ったら渡の様子を聞かせてね!」と念を押される。病院に付き、部屋に入ると、先輩の両親が椅子に座っていた。先輩の顔がいつもの顔に戻っているので安心した。先輩が、両親に、

「親父、お袋、ちょっと、席外してくれ」

 先輩と二人きりになった。何を話したらいいか分からない……。黙っていると……。

「大丈夫か……?」

先輩は、ふうとため息を吐くと、

「すまんな」

 その言葉を聞いた時、言葉が反射的に出た。

「悪く思った事は一度もありません」

 先輩は息を吐き出すように、「すまんな」と言った。そして抜け殻のようにじっとしていた。たまらなくなって、

「先輩と一緒に働いて分かった事は、俺みたいな凡人でも輝ける。輝けるんだと思った……一生懸命生きていれば輝ける。教えてくれたのは、先輩です」

 小声で、

「先輩と離れてから、やっぱりフヌケになっちゃいましたけど……」

 先輩は、あっはっはと笑う。やがて、寂しげに笑いが収まっていく。

「そうか……」

 そう言うと、いつまでも寂しげに笑っていた。そんな先輩を見ていると胃がきりきりと痛んだ。


 次の日、リンに、昨日の事を話した。リンはじっと聞いていたが、みるみるリンの目から涙があふれてきた。俺は、

「何とかするから、心配しないで!」

 リンは、ぼろぼろ涙を流しながら、「ありがとう」と繰り返していつまでも俺の手を握っていた。

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