バレンタイン合戦の終幕

夏野蒼

バレンタイン合戦の終幕

「ふふふ……。これでやつに勝ったも同然だ……!」

 スマホの画面をポチりとひと押し。

 購入が完了しましたの表示が現れたところで数日後に訪れるであろう甘い勝利の味を想像しながら、ベッドへと倒れ込む。

 しばらくして確認メールが届くと俺はそれをふんふんと目を通す。


坂井湊様

ご利用ありがとうございます。

以下の通りご注文を承りましたので、ご確認をお願いいたします。

・ご注文内容

商品:ギフトチョコレート

価格:2500円

お支払い方法:コンビニ決済

お届け日:2月13日


 少し奮発した感は否めないが、これもあいつをぎゃふんと言わせてやるためだ。必要経費だろう。チョコレートの味も好みに合わせてあまり甘くないものにしてやった。去年のように値段の割に品がない甘さだと文句を垂れられることもないはずだ。

 完璧だとスマホの画面を消せば、真っ暗な画面にやけに真剣なっている自分の顔が映る。それが盛り上がっていた心を無性に虚しくさせた。

(あー、なんで俺こんなにバレンタインデーに躍起になってるんだ……。しかも男相手に)



 遡ること、3年前。

 中学2年生の2月のことである。

 陸上部の練習を終え、腹を空かせていた俺は途中で買い食いでもするかといそいそ帰りの準備をしていた。

「これ、お前にやる」

 突然、同期の鈴本千尋が後ろの席にプリントを渡すような軽い雰囲気で綺麗にラッピングされた箱を俺の目の前に差し出した。

「何これ?」

「チョコ」

「チョコ?」

「今日、バレンタインデーだろ? なんか女子にもらったんだけど」

「ふーん」

 鈴本は同性の俺から見てもイケメンに入る部類だ。バレンタインに女子からチョコレートの一つや二つもらっていてもおかしくない。しかし、そのもらったチョコを何故俺に渡そうとしているのか。モテる男からモテない男への嫌がらせなのか。

「食べないのか?」

 いつもなら、食べるだろ? それともお前チョコ嫌いだったかと、きょとんとした表情をさせ、鈴本は俺をじっと見ている。

 確かに帰る方向が同じ鈴本とは何度も一緒に買い食いをしているから、この時間帯に俺が腹を空かせているのを分かってのことなのだろう。それでも、女子がくれた有り難いバレンタインデーのチョコレートを他のやつに渡すか?

 鈴本は俺をじっと見つめたままだ。

「あー分かったよ! 腹減ってるから食うよ!」

 奪い取るように箱を受け取り、包みを開けてみれば手作りしてはかなり美味しいそうなチョコブラウニーが綺麗に並んでいた。

 本当に俺が食ってもいいのか?これもしかしてお前への本命チョコじゃないのかという心配が一瞬、脳を掠める。が食べたいという欲のほうが優ったので躊躇なく一口放り込んだ。

(うま……!)

 なにこれ!?

 めっちゃ、うまいぞ!

 チョコレートの味はしっかりとして、ブラウニー生地はしっとりしている。少量入っているナッツもアクセントになっていて全然飽きがこない。永遠に食べていられる気がする。

「こ、これ……マジで美味い!」

 夢中になって声を上げ、鈴本を見遣る。

 その時に、多分落ちてしまった。

 そっかと呟きながら微笑んだ鈴本に。

 どうして貰い物を食べてる俺にそんなに柔らかい笑みを向けているのか。分からない、全く分からない。その上、顔が暑くなる自分も意味が分からない。

「返せって言ってももうダメだからなっ! あーめちゃくちゃこのブラウニー美味しいなー!」

 恥ずかしさを誤魔化す代わりに、次々にブラウニーを口に放り込んでいく。最早、味なんてわからなくなっていた。


 翌日の部活帰り。

「鈴本、これ」

 俺はそっぽを向きながら、鈴本にその辺のスーパーで買ったチョコレートを押し付けた。

「何これ?」

「チョコ」

「チョコ?」

 昨日とは逆の立場での会話。

「昨日の分、やっぱり返す。くれた女子に悪いだろ」

 もっともらしい言い訳を並べてみるが、本当は鈴本にチョコをもらったという事実が自分の中で悶々とし、すっきりしないからだ。それなら、とりあえず返してしまおうというどうしようもない思いつきだった。

 鈴本は少し考えたような表情を見せて、ラッピングもされていない箱を受け取る。

「ありがとう。ホワイトデーにお返しするから」

「は?」

 こいつは今なんて言った?

 ホワイトデー? お返し?

「昨日もらった分を返すって言ってんだ」

「でも、お前がくれたことに違いはない」

 もらったものにはお返しするもんだろとまたあの柔らかい笑み。やめてくれ、直視できない。

「あーもう勝手にしろ!」


 3月14日には、鈴本は本当にお返しを寄越した。(このクッキーがまた美味かったが)俺はなんだか負けた気分になって、翌年のバレンタインデーにその『お返し』を渡した。すると、鈴本はまたもやホワイトデーに『お返し』を渡してきた。それは高校に上がった去年も繰り返され、今年に至る。つまり、これは『お返し』合戦なのである。

 そして今年もバレンタインデーの時期が迫ってきて、鈴本に一泡吹かせてやろうと高めのチョコレートを購入したということだった。

 一人、ベッドの上で寝転がり天井を仰ぐ。

 もう何度も考えた。

 なんであの時、俺にブラウニーを渡してきたのか。

 なぜ、ホワイトデーにわざわざ『お返し』をしたのか。

 そして、どうして『お返し』合戦が続けられているのか。

 少しだけ、期待したくなってしまう。鈴本も俺と同じ気持ちなんじゃないかって。

(あーやめやめ! 考えるなって!)

 期待を持っただけ、そうじゃなかったときの喪失感に耐えられなくなりそうだ。今は同じ高校に通って、同じ部活に入って、一緒に帰るだけで充分じゃないか。そう言い聞かせて俺は自身を納得させた。



「あ、坂井」

 チョコレートの支払いを終えて、意気揚々とコンビニから出てきたところで、このタイミングで一番会いたくない相手に声をかけられる。やはり、朝一で高校に一番近いコンビニでの支払いはやめておくべきだったと後悔しても遅い。

「よ、よう」

 なんとなく並んで高校までの道のりを歩いていくが、変に鈴本を意識して話題が何も見つからない。無言のまま、白い息が目の前に現れては消えていくだけだ。

「なあ」

 先に口を開いたのは鈴本だった。

「な、なんだ」

「さっき、コンビニで何買ってたんだ?」

「え、あっ、チョコだよ。チョコ。昨日、ネットでコンビニ限定のがあるって知って」

「ふーん……チョコといえば、もうすぐバレンタインだよな」

 どくんと鼓動が大きくなる。なんで今その話題を振るんだ。

「あーそうだよな。まあ、俺らには関係のない日だよなー」

 当たり障りのない返し。よしこのまま、話をバレンタインから逸らそう。そう思ったのに。

「坂井さ、毎年、チョコくれるじゃん」

 一番触れて欲しくない話題に鈴本は触れてきた。

「ああ、あれな」

 必死になんでもないふうを装って返事をする。でも声が上擦っているから変に思われているかもしれない。鈴本は何が言いたいのか。俺は次の言葉を待った。

「うん、あれ。……今年はくれなくていいから」

「え、あ」

「毎年、大変だろ。だから、今年は大丈夫だ」

 何を言われたのか、最初は理解が追いつかなかった。

「坂井?」

「ああ、そうだよな! 俺もなんか意地になって渡してたけど、考えたら面倒だし、鈴本も迷惑だったよな!」

「いや、そこまでは……」

「俺、提出する宿題やり忘れてたの思い出したから、先行ってるな」

 そのままそこにとどまると、蓋をして感情が溢れて、自分が壊れてしまうような気がした。そんな姿を鈴本にはどうしても見られたくなくて、俺は逃げるようにその場を後にした。


 2月14日。

 おめーのチョコなんていらねぇと言われて、数日後ついにこの日がやってきた。

幸か不幸か、今日は高校を休んでいる。チョコいらない宣言のせいかどうかは分からないが、その日の夜に熱が出始め数日間寝込むはめになった。今は熱も引いているがまだ本調子ではないので、大事を取って今日は休むことにしたのだった。

 何もやることがないと余計なことを考えるとはよく言ったもので、ベッドの中で暇を持て余した俺は鈴本の言葉を繰り返し思い出しては勝手に傷ついていた。それだけならまだいい。もしかして、チョコレートを渡すたびにウザいと思うわれていたんじゃないのかとか、そもそも一緒に帰ることさえ嫌がられていたんじゃないのかとか、最早、被害妄想に近くなっていた。

 机には2500円のチョコレートが置きぱっなしになっている。心なしか、役目を果たせず悲しそうに見えた。すまないなチョコレート。風邪が治ったら、俺がきっちり食べてやる。そんなことをぐるぐる考えながら、うつらうつらしているといつのまにかカーテン隙間からオレンジ色の光が差し込んできている。

(明日からまた学校か)

 あいつと顔を合わせることになると思うと気が重い。けれどこれですっきりはした。あとは俺がいつも通り接すればいいだけだ。

 気持ちを鎮めるためにふうと息を吸い込む。その時、スマホがぴこんとメッセージを受け取ったことを知らせた。そこには鈴本千尋の名が表示されている。

『今からお前んち行っていいか?』

「い、今から? あいつ何しに来るんだ」

 どう返信しようかと迷っていれば、また鈴本からメッセージが送られてくる。

『というかもうお前んちの前』

「は? もう俺んちの前ってーー」

 嘘だろとカーテンを開ければ、そこには鈴本が立っていた。


「風邪なのに、無理言ってすまない」

「いや、まあ、お前が構わないならいいけど」

 どうしても、今日伝えたいことがあると鈴本が真剣な顔で言うのでとりあえず家に上がってもらった。

 適当にお茶を注いで自分の部屋に持っていけば、鈴本の目線が机の上のチョコレートに向いていることに気づいた。

「坂井、これって」

「あー、それは……」

 お前のために用意してたんだ。もういらなくなっちゃったけどとへらり、笑い飛ばせればいいのに。それがどうしてもできなくて、引きつりながら曖昧に笑顔を浮かべるので精一杯だ。

 鈴本は何も言わない代わりにバッグからそっと何かを取り出した。渡された淡い黄色の箱を開けてみれば、見覚えのあるチョコレートブラウニーが入っている。

「これって……」

 俺の記憶が間違っていなければ、3年前鈴本が女子から渡されたと言っていたチョコレートブラウニーと同じものである。正確に言えば、あの時のブラウニーは俺が食べてしまったから限りなく見た目が近いものだけど。

「これ、俺が作ったんだ」

「え?」

「だから、俺が作ったんだよ。……お前のために」

 鈴本は少し俯きがちに、だけどはっきり言ってくれた。

「本当は3年前のあの時にちゃんと伝えるつもりだったんだ。でもお前を目にしたら、何も言えなくなって。それで女子からもらったって嘘をついた」

 俺ははやる気持ちを抑えるように、ゆっくりと頷いて鈴本の話に耳を傾ける。

「お前が本当に美味しそうに食べてくれてすごく嬉しかった。でも次の日、お前が返すって言って。なかったことになるのが嫌で、ホワイトデーに『お返し』したんだ。そしたら、次の年のバレンタインにその『お返し』ってお前がチョコくれて。それがまた嬉しくてずるずる続けてた」

「嬉しかったって……。お前、今年チョコいらないって言ったくせに」

「それは……。今年は俺が渡したかったからで」

 ほんの一瞬目を泳がせた鈴本だったが、覚悟を決めたようにまっすぐ俺を見た。

「好きだ。お前が好きだ。もし、お前が俺と同じ気持ちだったら受け取ってくれ」

 鈴本が、俺を好きと言っている。

 驚き、喜び、安堵。

 いろんな気持ちが混ざって溢れた結果、ひとすじ雫が流れていく。

「お、おい、坂井……」

「俺、お前に嫌われたかと思ってたからさ……」

 涙を拭って鈴本と向き合う。

「なあ、これ食ってもいいか?」

 その言葉に鈴本の表情が花が開くように明るくなる。

「あぁ!」

 一口頬張ればあの時よりも、もっともっと甘くて美味い。

「鈴本、ありがとう。これ、やっぱりめちゃくちゃ美味しいよ」

 そうやって笑顔で告げてやるが、鈴本はいつものように微笑み返してはくれない。何かを堪えているように少しだけ表情が硬い。

「鈴本……?」

「はあ……。やっぱり反則だ、その顔」

「顔?」

「お前さ……」

 鈴本がぐっと俺との距離を詰めてくる。

「美味しいもの食べてるときの顔、すげー幸せそうな顔してる。こっちがたまらなくなるくらい」

 今度は顔が近くなる。どちらかがもう少し動けば触れてしまうほどに。

「だから、キスしていいよな」

 だからってなんだよと抗議をする間もなく、ふわりと暖かいものが触れる。初めてのキスは甘く優しいチョコレートの味がした。



これにて、バレンタイン『お返し』合戦は終幕を迎えた。

来年は『お返し』を渡す必要はない。今からどんなチョコレートを渡してやろうかなんてもう来年のことを考えたりしている。

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