第3話 隣人にチョコをたかった件
幸せという名のステータス状態があるとすれば、それは今このときではないか。
普通の高校2年生・姫上真璃(ひめじょう しんり)はそんなことを思い、浮かれ顔にスキップを組み合わせて帰宅路を駆けて抜けていた。チョコレートを意中の人からもらった、わけではなく。バイト帰りに立ち寄った店で、安売りのチョコレートを大量に手に入れられたからである。バレンタイン用のチョコを仕入れすぎた店舗が早めの処分価格を掲示し、その直後のタイミングで運良く来店できた結果なのであった。
姫上真璃。花の17歳。趣味は適度な運動と過度の甘いお菓子摂取。
バレンタインは彼女が人生で素晴らしいと思える日の一つなのであった。
いつもならその翌日がそれにあたるのだが、それはそれである。
両手いっぱいに抱えたチョコの総数20個。ホワイトチョコにミルクチョコ、子供の頃から舌になじませてきた老舗のチョコに、普段は手のとどかないようなベルギーブランドの高級チョコも2つほど。初めて見た製品も思わず衝動買いしてしまったが、後悔は一切なかった。
店員からの袋詰めの申し出は断った。その方が幸せを噛み締められるのだから、だんぜんこっちの方が良い。花だって札束だって、そしてチョコだって、直に触れられる方が幸せの実感を持てるのだ。
通行人が自然と道を空けていくのを気にすることもなく。最短距離を歩いて、最後の角を曲がり。彼女は爛々と目を輝かせて1年ほど住んでいるマンション前に辿り着いた。
仁王立ちの月代彌香菜美がそこにいた。
その鋭い眼光が何を見ているかを察し、姫上真璃はひっと短い悲鳴を上げた。
とっさにUターンしようとする体の反射行動を、いやここで動いてはいけないという咄嗟の脳の判断が食い止める。実際、ここで背を見せていたら月代彌香菜美は姫上真璃を一方的に敗者たらしめていたに違いない。
月代彌香菜美は姫上真璃の隣部屋の住人である。
「良い人ではあるが割と結構ダメ人間」というのが姫上真璃に対する月代彌香菜美の評価であり、目の前に立つこの人物が何をやろうとしているか、それがはっきり分かるのが姫上真璃には辛かった。まぁなんというか、食事をたかられたのは一度や二度ではなかったのである。
二人の距離は10m弱。障害物は一切なく、マンションの入り口は月代彌香菜美が立つその後ろにただ一つのみ。
目の前の障害を排除しなければ帰れない。チョコも満喫できない。
姫上真璃はそう理解すると、覚悟を決めて目をきりっと細めた。
5秒ほどの睨み合いが続いた。先に動いたのは、口をニヤリと歪ませた月代彌香菜美である。
「ギブミィーチョコレエェトォ」
「い、嫌です!!」
涙目で姫上真璃は踵を返した。勝てそうにないと本能が悟ったのである。
月代彌香菜は当然、その隙を見逃さない。
切ない悲鳴がこだました。
後ろで見守っていた天寺美癒が耐えかね、ジャーマンスープレックスで止めに入るまで、その声が止むことはなかった。
バレンタインに起きたら18時だった件 浮椎吾 @ukisiia
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