【再生Ⅲ】
憂い、そして後悔
金の装飾が施された白亜の王座には王子が座っている。
この国の主は今や王子となった。
王、王妃、双子の姫たちを手にかけた王子は家臣たちをも殺し回った。
それから次々と民を招集してはその手で殺した。
城からは毎日のように悲鳴が木霊した。
逆らう者はひとりとしていなくなった。
国の人口もかなり減った。
王子は自ら馬に跨り、都で無差別に殺戮を行うこともあった。
女子供も容赦なく斬り捨てた。
いや、家族はあえて皆殺しにした。
残された者は辛い思いをするという理屈で。
しかしながら、殺したのは
城の家臣を殆ど皆殺しにした頃だったので、都合が良かった。
王子は鳶色の眼をした家臣たちをとても大切に扱った。
金色の眼をした民は簡単に殺すのに、鳶色の眼をした民には懇切丁寧に接した。
鳶色の眼をした従者たちは彼に混沌を見ていた。
悪魔は鳥の姿になることが無くなっていた。
執事の姿で城の従者たちの総締めとなり、右腕としていつも王子の傍らにいた。
王となった王子のため、忙しなく働き、尽力した。
やがて王子は言った。
「千の民を殺す」
千とは永遠を意味する数だ。
悪魔は人間のあいだでまことしやかに囁かれていた噂を思い出した。
『ベリアル様』
「ん?」
『ベリアル様は悪魔に成るおつもりですか?』
「なんだ、それは?」
『千の民を殺せば悪魔に成れる――耳にしたことはございませんか?』
「無いな……それは真か?」
『……いいえ。しかしながら、人間の世界では真なのでしょう。千も殺せば、それはもう人でなしです。人間にとっては悪魔のようなものだ。実質的な話ではないのでしょう』
「ふうん……ならば余は生まれついての悪魔だ。今更過ぎてつまらぬ」
鼻で笑い、王子は退屈そうに欠伸をした。
目の前で平伏し、懇願を続けていた男にやっと意識を戻した。
「命乞いを聞くのも飽きた。殺せ」
王子は無情にも傍らの兵士へ処刑を命じた。
兵士は無表情を保ったまま男を槍で貫き、絶命させた。
白亜の床が赤く、赤く染まる。
「これで何人目だ?」
悪魔は正確な数字を述べる。
『五百八十七人目です、ベリアル様』
「ふうん。なかなか千というのは骨が折れるものだな」
◆◇◆
王子は以前のように笑うことがなくなった。
醜く歪んだ笑みを浮かべることは多々ある。
中庭や彼の自室、図書室で語らった頃に見せてくれた笑みは失われて久しい。
それどころか感情の起伏さえ乏しくなりつつあった。
どんなときでも始終つまらなそうな顔をしていた。
精神と肉体。
共に苦痛を強いられる環境は皆無になっていたため、泣くことも無かった。
無感情な態でいることが常となっていて。
悪魔はそれが酷く悲しかった。
王子はもう、悪魔に昔話をねだらない。
本の話を自らすることも無い。
もちろん、二人で他愛も無い話をすることも無くなっていた。
そうなってからやっと悪魔は好きだったのだと思った。
王子と過ごしたあの日々が。
王子の純真さが、とても好きだったのだと。
そうして自覚して、驚くと同時に酷く後悔した。
あの虫も殺せないような、心優しい王子はもう失われてしまった。
何百という人間の血を浴び、今やその身はその瞳よりも赤く、血まみれだ。
笑みは絶望で歪み、尊い宝石のように美しかった涙は枯れてしまった。
今も変わらないのはその美貌だけだ。
こんな姿を見続けるくらいならば、いっそ自分が殺してやれば良かった。
そんなふうにさえ、たびたび思うようにもなっていて。
それが確信に変わったのは、とある晩のことだった。
「……リュクス。私が、今も尚、お父様に逢いたいと思っていると言ったなら――お前は笑うか?」
寝台に横たわった王子は傍らに控える悪魔に訊ねた。
『――いいえ』
深紅の双眸は珍しく悲しそうな色を湛えていた。
狂気は成りを潜めているように見える。
ああ、あの頃の王子が少しだけ帰ってきている――悪魔はそう感じていた。
「確かに私がお父様を殺した。……それにお父様と過ごした日々が辛かったのも確かだ…………でも……お父様やお母様、妹たちを殺して、皆がこの世界からいなくなってしまって、以前よりもずっと、ずっと辛い……。特に――特にお父様に触れて貰えないことが……酷く辛いのはどうしてだろう…………」
昔だったなら、その深紅の瞳は濡れていたはずだった。
しかし今は滲みすらしない。
確かに心は泣いているのに、その双眸は乾ききっている。
悪魔は寝台の縁へ腰かけた。
そして王子の冷え切った手を取る。
ぎゅっと握ると、王子は少しだけ口角を上げて言った。
「殺すと皆、冷たくなる。――でも、お前は生きていても冷たいのだな」
手を握り返された。
王子に触れられた箇所が酷く熱く感じられる。
『――お望みとあらば……慰めて差し上げますよ……?』
思ってもみなかった言葉が吐いて出た。
悪魔は自分で自分に酷く驚いていた。
そんな悪魔の心情を知ってか知らずか、王子は小さく笑った。
「ふふ、人間の真似事は大そうつまらないのだろうな」
そうしてすっと手を放されてしまう。
悪魔は残念な気持ちになった。
もっと触れていたい。
そう思った自身を自覚して、悪魔は再び驚く。
王子が眠ってしまったのを確認してから王の寝室を出る。
長い廊下を歩きながら、思考する。
悪魔は純真無垢で、哀れな魂が好物だった。
哀れであればあるほど、憎しみや悲しみといった負の純度が高い。
芳醇な味わいがするご馳走だ。
王子は申し分が無いほど哀れな魂だった。
だが、哀れだと鼻で笑う前に、その手をただ握ってやりたいと願う自分がいた。
それこそ王子が安心して、穏やかに微笑むまで。
何をするでもなく、ただ抱き締め続けてやりたいと思っている自分がいた。
そしてついに、とうとう、確信に至る。
あの時、自分の手で殺してやれば良かったのだ、と。
ああ、まさか。
まさか悪魔が人に心を奪われるなど!
そんなことは有り得ない!
有り得ないはずなのに――……!!
悪魔は王子に触れられた手を血が滲むまで強く噛んだ。
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