王妃

「あの子、目が見えなくなったんですってね。いっそ死んでくれたら良かったのに」

 組み敷かれた王妃の口から物騒な言葉が飛び出す。

「御安心ください、王妃様。王子様の視力はいずれ回復なさいます。いつ、とははっきりと断言できませんが」

 医師の言葉を受けて、ふうん、と王妃は興味の無さそうな声を上げる。

「貴方はあの子が怪我をするたびに診ているでしょう? 何か気付くことがなくて?」

 王妃の試すような言葉。

 医師はふむ、と少し考える素振りをする。

「あの子、王とね……分かるでしょ?」

 王妃は自らの痴態を指し示して厭らしく笑う。

 医師と王妃は今、一つに繋がっている。

 医師が腰を少しでも揺さぶれば、王妃は愉しそうに声を弾ませた。

「もっと、もっとよ。奥まで…………そうよ、やはりお前は素敵だわ。あんな化け物を相手にしている王とは大違い」

 王妃の老いて弛んできた太腿を持ち上げながら医師は思う。

 己の実子を毒牙にかける王。

 目の前で情欲を貪る色狂いの王妃。

 双眸が深紅の、『災いの子』として生まれた王子。

 三者を並べて比べてみれば、誰が清廉潔白なのかは明らかだ。

 なのに、実際に忌み嫌われているのは、瞳が深紅であるだけの心優しい王子で。

 一体、罪はどこにあるのだろう。

「今度、王子のを確認してご覧。お前ならこの話が嘘か本当か、すぐに分かるはずよ」

 王妃が意地悪く笑う。

「ああ、そうだわ。次に王子の診察をするときは、王子の中に唐辛子がたっぷり入った軟膏を塗り込めておいで。王子は元より、その晩には王も痛い目に遭うことでしょうよ。――ああ、想像しただけでも面白おかしいわ!」

 王子を身籠る前、王妃は苦境に立たせられていた。

 国民の支持の厚い王と自分とのあいだに子がなかなか授からなかったからだ。

 自分たちは勿論だが、家臣たちも民たちも世継ぎを強く望んでいた。

 国の期待が王妃の身の上に重く、重くのしかかっていた。

 けれど子ができないのにも理由があった。

 王は夜の営みに、実に淡白な男だったからだ。

 子ができにくいのなら尚更、励まねばならない。

 だが、王は義務程度に床を共にするだけで、かなり非協力的だった。

 とは言え、そんな王の側面を咎める者などいようはずもない。

 王妃に対する期待だけが日々高まっていった。

 そうしていよいよ重圧に押し潰されそうになった頃に王妃は身籠った。

 順調に命を育み、そして国中が心底待ち望んだ子が生まれた。

 それも世継ぎとなる王子だった。

 苦境から一息に逆転。

 そのはずだった。

 それなのに。

 待望の、王妃の希望そのものであったはずの王子の瞳はあかかったのだ。

 他国から嫁いできた王妃とて、『災いの眼』についてはよく知っていた。

 生まれてすぐに間引かれる命。

「やっと子を成したと思えば、こともあろうに『災いの子』を産み落とした!」

 加わる心無い誹謗中傷。

 勿論、それらは陰で流れる『空気』だ。

 そんな言葉を表立って、実際に王妃へ投げつける者はいない。

 だが、王妃は奈落へ突き落されたかのような絶望感を強く味わっていた。

 王が王子を殺さないと決めたとき、王妃は人知れず胸を撫で下ろした。

 そのときは王妃も王と同じ気持ちだった。

 双眸が深紅だからと言って、やっと授かった我が子をどうして殺せようか?

 だが、『災いの眼』であることからは逃れられない。

 彼女は次の子を望んだ。

 そうして望み通り身籠ったのが双子の姫たちだった。

 しかし、その子らが彼女にとって最後の子となってしまった。

 産後の肥立ちが悪く、王妃は二度と子を産めない身体となっていたのだ。

 最後の子が姫だったことから、王妃は次第にある思いを強くした。

 王子の双眼さえ金色こんじきだったなら。

 繰り返し、繰り返し、まるで呪いのように何度も思った。

 けれど、どれだけ強く思ったところで王子の眼の色は変わらない。

 世継ぎを産めなかったという彼女の劣等感は未来永劫消え去ることがない。

 そう決定付けられてしまった。

 再び絶望感に苛まれ始めた王妃は、陰鬱な日々を送り続けた。

 そしてとうとう、王子が六つを数えた頃に気付いてしまったのだ。

 王が幼い王子に対して行っていた、あの悍ましいことに。

 その瞬間、王妃の中で合点がいった。

 王は――王はそういう癖の持ち主だったのだ。

 私という女を愛していたわけではない。

 ただ名君の筋書きに沿って自分を娶っただけで、女になど興味が無かったのだ。

 そうして王妃は、それまでに抱いていた王への愛情を全て失ってしまった。

 心から王を尊敬し、愛していたからこそ、子を成せぬ自分を恥じていた。

 常々申し訳なく思っていたそれなのに、それらの感情は全て覆って。

 彼女が新しく抱いた感情はどす黒い憎悪が一色だった。

 女としての自尊心を粉々に打ち砕かれ、心の中を憎しみで満たした。

 それでも王妃は、なんとか自分の感情を抑えようとした。

 この国の民は、以前の自分を含めて皆、王に盲目だ。

 異を唱える者こそ異とされる。

 民や家臣たちが異端者に科してきた苛烈な加虐の数々をよく知っていた。

 王はその光景に心を痛めることはあっても、彼らを強く制止することはしない。

 自分だってそうだったのだから、それを今さら非難することもできない。

 ここで王への憎しみを露わにするのは酷く恐ろしく、また愚かでしかない。

 そうして王妃は気を紛らわせるため、城の男を手当たり次第に自室へ招いた。

 その一方では気まぐれに双子の姫たちを可愛がって。

 王子の存在は完全に無視している。

 そうすることで王子を否定し、拒絶し続けていた。

 あんな汚らわしいものは、初めから存在しなかった。

 そして、それは深紅の眼を持って生まれた王子に対する無言の復讐でもあった。

 絶対に言葉をかけてやるものか。

 ましてや触れるだなんて有り得ない。

 視線の一つだってくれてやるものか。

 お前はとっくにこの世から消えたはずの子供なのだ。

「早くくたばれば良いんだわ」

 王のことか。

 それとも王子のことか。

 その判別はつき難い。

 だが、少なくとも医師は王妃が王も王子も憎んでいることを知っていた。

 きっと両者のことだろうと、そう考えて。

 それから窓辺にじっと止まってこちらを眺める鳥に気が付いた。

 鳥は深紅の眼を持っていた。

「なんて不吉な……向こうへ行け! お前が見るようなものじゃない!」

 怒声を浴びせても、鳥は動じない。

 やがて嘲笑うようにさえずり、赤眼の鳥は窓辺から飛び去った。

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