その意味を知る

 ──即死だった。


 誰かも忘れたその大人から、告げられた僕の顔は一体、どんな風だったろう。

 きっと、人間の顔をしていなかった。化け物が人間の皮を被ったような、いびつな顔をしていたと思う。


 彼女の命を奪い去ったのは、誰だ。例えば、あの後僕がバスに乗らず、彼女を家まで送っていれば、そうはならなかったのだろうか。或いは、早めのホワイトデーだとプレゼントを渡して、彼女を更に浮つかせたのが、いけなかったのだろうか。彼女の遺体の手の中には、僕がプレゼントしたイヤリングが、包装されたまま大事に握られていたという。

 だから、僕のせいで彼女が死んだと言っても、過言ではないだろう。そうだと思わせてほしかった。


 けれど、けれどもそれは結局、確かにそれが要因であったのに。ああだったら、こうだったらという自問自答の中に、彼女の命の所在はなかった。運命の悪戯だったのだと、誰かに笑われた気がした。人の命の儚さとか、そんなことを説く気にもなれない。もう、彼女が居ないという事実ばかりにひたすら、押しつぶされそうになって堕落した。

 彼女が死んだ日に、貰ったマロングラッセを紅茶と共に、一つ食べてみた。甘くて、その甘さでまだ、いつまでも浮かれていられそうだった。

 だから僕は、あのマロングラッセを、食べ進めることが出来なかった。代わりに、アプリコットを何杯も浴びたのだ。


 ○


 薄暗いリビングをさ迷って、リモコンを拾い上げテレビをつける。煙草が盛られた灰皿、度数の高い酒の空き缶が散乱しているのが、その光に暴かれた。俯瞰して、乾いた笑いが零れた。

 案の定、バレンタインの特集ばかりやっていた。気分が悪くて、電源を消そうとした。

 けれど、僕は手を止め凝視した。見覚えのある、琥珀の煌めきをしたあの形が、液晶に映し出されていた。

 彼女が作ってくれた、マロングラッセの作り方のコーナーがやっている。さっきまで嫌悪していた、バレンタイン特集の一環で。

 食い入るように、それを見た。思い出に浸るように、そこに彼女を見出すみたいに、虚しさで何度も電源ボタンに触れそうになりながら見た。僕は何をやっているんだろうと考えた。何もしたくなかったんだけど、とも考えたりした。

 その番組自体は五分程度で終わった。

 大変な工程がたくさんあった。不器用な僕なんかじゃ、到底作れないと思う。


 そんな作業をこなして、彼女があれを僕にくれたこと。その意味を考えた。でも考えて、それで彼女が復活するわけじゃない。そういう虚無感と、悔恨が湧き上がってきて、泣いた。嗚咽を漏らした。悲しみに暮れて泣いていると、どこかで止まっていた自分の欠片が息を吹き返したような感覚があった。痛みを感じなくなった心が、とても簡単に、痛みを受け入れ始めた。それを喜んでいいものなのか、果たして、と僕は悩んだ。痛みを受け入れるというのは、過酷で、辛いことだ。なのに、こんなにも満たされている。この不思議を解き明かすのに、今の僕は欠けていた。痛みを切り開いて、原因を解剖することを、僕はまだしていないからだ。



 コーナーの最後に、お菓子言葉なんて話をしていた。


『ヨーロッパでは、「永遠の愛を誓う証」として、男性からマロングラッセを贈る習慣がある』


 男性から、という部分を聞いて、悔恨は深まるばかりだった。

 あの日、彼女は僕に誓ってくれたつもりだったのだ。その先、未来が途絶えることも知らずに。

 涙が止まらなかった。泣いて、彼女を必死に思い出した。記憶の奥底から掻きむしるみたいに、ひたすらに。


 ○


 それから、くすんだ琥珀の腐塊を、一つ一つ噛み砕いて食べた。

 不味いけれど、美味かった。彼女の悲しむ顔が思い浮かぶ方がよっぽど、不味い思いをする。

 酷く腹が下るか、食中毒で死ぬかもしれない。死ねたならそれも一興だが、死ぬほどの腹痛に苛まれる方が多分、御免だ。思いながら、貪る。琥珀の中から、化石になった思い出を手繰るように。


 ○


 僕はそれから、忙しく動いた。マロングラッセの材料を大量に買ってきた。時間があまりないから、失敗したら即行捨てて次を作れるように、沢山買った。


 そして、実際に作ってみた。案外上手くいかなくて、作り直しはとんでもない回数こなした。

 形の不細工さに目を瞑って、包装する。彼女と同じ、ビニールの簡素な包装を選んだ。


 ○


 行きつけだった、モダンなカフェまで来た。二人用の席に、アプリコットティーを二つ頼む。

 席に座って、対面には誰もいなかった。周りを見渡せば、あの日と同じような顔をして浮かれた、男女の二人組が沢山あった。

 対面に置かれたアプリコットの奥に、不敵に笑った彼女を少し思い出してみる。

 記憶の中でなら、彼女はいつでも僕の傍に居てくれた。


 彼女を真似て、遠いものでも見るように、周りの人並みを見ていた。実際僕からは、もう遠いものだった。


 ○


 我ながらバカをやったと思う。アプリコットティーは結局二人分飲んだし、店員の怪訝な顔といったらちょっと耐えられなかった。


 けれど、そんなバカをやるのだって、はばかられなかった。今、僕は崇高な巡礼をしているのだ。そんな気持ちで、なんだって、例えば犯罪だとしても、やらかして構わないと思っていた。


 放課後の教室に、無断で侵入してみる。彼女の席を見つけて、そこに寄っていく。机の縁を優しくなぞって、また思い出す。夕日の茜が滲んで溶け落ちるのに合わせて、僕もその景色に溶けてしまいたかった。


 ○


 そして、辿り着いた。彼女の墓は、僕の住む街からはかなり離れた場所にあった。

 バスを使って来てみたら、おそらく今日中には家に帰れなさそうな時間になった。それで構わなかった。今日、この日が終わってしまうまでは、彼女のそばに居たくて、行きたくて、たまらなかった。


 墓地の中で、特別な存在感も無く、沈黙した、彼女の墓があった。ようやく会いに来れたのに、空虚しか、そこに無かった。こんな無機質な石に彼女を思えというのは、無理な話だった。

 墓石の前に、形の整ってないマロングラッセと、店で買ってきたオリジナルブレンドのホットコーヒーを置く。それから手を合わせて、あの日彼女を腕に抱いた時のように、静かに語りかける。宛て所のない言葉ばかりが、闇に消える。僕は誰にも語りかけてなんかいないことに、本当は気がついていた。


「続かなかったな、僕たち」


 だから、彼女がもうただの思い出になるのかと言われたら、違うと思った。彼女が心の中に居ると、もう一生誰とも、関われなくなって、付き合えない気がした。


「もし、君に出会わなければこんな、こんなさ......」


 J-POPにありがちなフレーズを吐きそうで、嘘くさくてやめる。一年経っても、僕は大詩人なんかにはなれなかった。


「青春の、一ページにするよ」


 堕落はまだ、抜けないだろう。そんなすぐに、立ち治れるわけがない。

 それでも、笑顔の君が僕の中から消えてくれなければ、思い出になってくれないのなら。


「君のこと、忘れない。一ページだけ、手放さないで持って行くからさ」


 空が闇を吐き出して、朝になる準備を始める。


 僕は本当の意味で、彼女と別れた。


 2月14日が過ぎていく、その最中で。



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