ブラッドサッカーは放たれる 1

 シンと静まり返ったファミレス店内で、周囲を見回し呆然とする。

 客や店員問わず、そのほとんどが灰色の石像と化してしまった。それは手に持ったコップや皿までも巻き込み、細部まで緻密に石にへと変えている。あたしと、隣に立った男の人を除いて。

 店の外の様子を確かめようとガラス扉に近づこうとした時、肩に手が掛けられる。

『やめたほうがいいよ。連中に気づかれたら厄介だし』

 細身のポロシャツ姿に長い髪を雑に流した男の人は、無機質な電子音声でそう言った。厳密に言えばその人ではなく、左手に持っていたデバイスが言っていた。

 その光景に、どこかデジャヴを感じる。

 あたしは身構えながら、男の人に訝しんだ目を向けた。

「どちら様ですか……?」

『あぁ。そういえば、顔は見せたことなかったっけ?』男の人は開かない口をにこりと微笑ませた。『はじめまして。僕は機島護きしままもるって言って、ユキくん……黒雪の兄で、この前のバイクの運転手なんだけど』

 ようやく思い出した。先日の、日和の家から逃げ帰って、怪物に襲われた時のこと。

 そして、その後に聞いていた、件の『兄貴』のことを。

「ああ……機島の……」

『ユキくんが世話になってるみたいだね』

「ていうか、なんでここにあなたたちがいるんですか? あの様子じゃ偶然ってことはないでしょうし、もし尾行なら――」

『それはもういいじゃない。それよりも』

 まったく良くはないが、でも状況が状況だ。ここで呑気に与太話をしている場合ではないだろう。

 機島の兄貴なら、まあまあ信頼できるだろう。弟のあいつは悪ぶってはいるが、別に悪いやつではなさそうだし。

『少々まずいことになったね。僕もうかつに飛び出すわけにもいかないし、かといってバイクがなきゃ反誕もできない』

「というか、これ今なにが起こってるんですか?」

端末妖精デバイス・パーマー使い――つまり、君の先輩や友達やユキくんや僕みたいな、いわゆる〈ヒーロー〉になれる人間のことなんだけど。その中に、それをストリートギャングの抗争に使うような人間がいる。そんなのが集まったような連中が、いま外で暴れてるという感じかな』

「どうするんですか、それ……」

『外の様子は覗くわけにもいかないけど、この怪現象の上で帰ってこないあたり、おそらくはあまりいい状況じゃないね。僕たちにできることはないし、今はこの中のどこかに隠れる他になさそうだけど……』

「チャペック! 夜空夕実よぞらゆうみ! レストラン内に潜伏しているのは分かっています! 全員、大人しく投降してください!」

 ガラスを割るほど拡声機で増幅された声が、外から響く。

 先ほど三人が飛び出して、今は警告するほど敵に余裕がある。それがどういうことなのか。

「私たちはいま、このあたり一帯の一般人と、三人の端末妖精使いを人質に取っています! もし今すぐ降伏しなければ、ここにいる三人に傷をつけてしまうかもしれません! 最悪、あなた達も無事では済まされない!」

 途端、護さんが苦虫を噛み潰したような顔になる。

「あの、これどうするんですか?」

『今は大人しく降伏するべきかなぁ……』

「え?」

『君だって、あの中に傷つけられたくない相手がいるはずだよ。もしかしたら、この地区が元のままではいられないって可能性もあるだろうけど、知り合いを殺されてまで得られた命もそれはそれで嫌でしょ』

 彼自身も張り詰めた表情で出口の方を見る。この人も、やはり弟のことが心配なのだろうか。

 あたしも逡巡してうなずきかけたところで、背後から物音がした。

「その必要はありませんよ」

 振り返ると、黒い外套のフードに包まれた人がいた。右手には歯車付きのステッキを、左手にはアタッシュケースを提げている。

 右手でフードを払う。白い歯車の髪飾りを着けた、雪のように輝く銀髪と姿を現した。

 あたしはこいつを覚えている。あたしはこの前、この女に感情を揺さぶられ、妖精と呼ばれる怪物にされた。

「あんた……」

「先日は失礼しました。あの二人に試練を与えるには、あなたが最適だったのです」

 あの時の歪んだ笑顔を思い出す。

 思い出すとともに、とっさにその身が後ずさる。

『今さら来てなんの用だい? まさか、助けてくれるってわけではなさそうだけど……』

「もちろんです。確かにあんな雑魚連中、わたし一人でどうにか出来ますが。あまり奴らに情報を与えたくないですから」

「なにしにきたの? まさか、またあたしを――」

「いえ。妖精は通常、一人一体ずつしか宿りません。そして、前回の件であなたは妖精を使い果たしました」

 じゃあ、なんだっていうの?

 問い出そうとする前に、女は傍らのアタッシュケースを床に置く。そしてそのまま、中を開いてこちらに見せる。

「夜空夕実さん。今回はあなたに、デバイスと武器を用意しました」

 赤いビロードの上に埋められた携帯端末型デバイスと、日和と同じ歯車飾りのナイフの柄。それらを眺めてから、目の前の女を睨みつける。

 女の微笑みからは、まるで意図が読めなかった。




「……どういうつもり?」

「言ったでしょう、わたしは直接干渉できないと。そして、あなたはきっと、その役目を果たしてくれる」

 確かに、もし力になれるなら、あたしだってそうしたい。

 せめて戦えたら、と思っていた。

 日和が――日和だった怪盗の少女が――戦う姿をはたから見ることしかできない自分に、嫌気がさしていた。

 彼女の瞳が広野ひろの先輩の方に向くのはもう割り切っている。もちろん、諦めるつもりはないけど、それでも少しくらいは許すよう意識している。

 だけど、なにもできず見ているだけの状況だけは好きじゃない。そんな自分を許せない。日和はいままで、あたしが守ってきたんだから。

 もし守れる力があるのなら、それにすがりたい。

 戸惑いながらも手を出そうとしたところで、横合いから大きな手がさえぎる。

『ちょっと待った。ひとつ質問いいかな?』

「と、言いますと?」

 女は涼しい顔で護さんの方を向く。

 一体どうしたんだろうと思うなか、間もなくして護さんが訊く。

『さっき、君は「この子には妖精がいない」と言ったはずだね。それなのに、次はデバイスと武器を渡して「戦え」と言っている』口を動かさないまま、目つきだけが鋭くなる。『基本的に、自分に宿っていたベースとなる妖精がいないと、反誕は不可能のはず。じゃあ、君は彼女にどう戦わせるつもりなの?』

「簡単ですよ。あなたも知ってるはずの、基本的じゃない方法を使うんです」

 微笑みとは違う歪んだ笑みを浮かべて護さんを見る。いままでの胡散臭い微笑みより、悪意の感じられるこの笑顔のほうがしっくりきてしまった。

人工妖精レプリ・パーマーか? しかし、あれ単体では――』

禿鷲将軍ジェネラル・バルチャーのアレと一緒にしないでください。今回のは、あのお方に頭を下げてまでして頂いた試作品なのです」

「試作品……?」

「ええ。この世界とは別の世界、わたしたち妖精の元いた世界の〈帝王〉のデータをもとにした人工妖精を使います」

 女の言っていることは分からなかった。護さんに目配せしてみたが、分からないとでもいうように軽くかぶりを振られてしまった。

『大丈夫なの、それ?』

「そんなもの、できたての試作品ですからね。神のみぞ知る、というやつです。どうします?」

 正直、この女は信頼できない。

 だけど、このままでは日和は殺されてしまうかもしれない。それどころか、元通りの日常も戻らなくなるかも。

 ここで力を得るチャンスをふいにすると、なにもかもを失う。そんな予感がする。

 だから、あたしは――。

「分かった。やる」

 デバイスとナイフの柄をかすめ取る。踵を返して、デバイスを起動する。画面はただ、目がちかちかするほどに一面が真っ赤だった。

 一瞬だけ、記憶がフラッシュバックされる。

 大事な親友の身体を傷つけた、あの忌々しい日の記憶を。

「……鮮血ブラッド

 画面に親指で触れて、おのずと名前を口にした。あたしの忘れてはいけないものの象徴の名を。

 上部スリットからカードが排出される。それは鮮血で染められたように、どこまでも赤黒い。

 そのカードを引き抜いて、ナイフの柄のスロットに叩き込む。

反誕リ・バース!」

 血がたぎる。視界が赤く染められる。音が脈拍で支配される。

 腕が、足が、頭が、身体のすべてが、自分じゃない何かに変わっていく。意識が身体から遠くへ飛ばされそうな中で、ひとつの声を聞いた。

「期待してますよ、鮮血を啜る者ブラッドサッカー

 どこか楽しそうな声に不快に感じるのを最後に、あたしの意識がぷつりと切れる。

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