噛み合った歯車、ふたりのヒーロー 5

 見上げた空はとても澄んでいて、吹いたそよ風が髪を撫でるのが心地よく。

 まるで昨日の出来事が嘘みたいな穏やかな景色の下で、わたしは先輩といつものように、横に並んで屋上に座っていました。

「夕実、まだ来ませんねー」

「昨日の今日だし、やっぱり遠慮してるんじゃない?」

「いえ。わたしとの約束はちゃんと守る子ですから、それはないです」

「そっか。じゃあ、そのうち来るのかな」

 言って、先輩がナゲットを口に放り込みました。ふと、口を動かしている時の先輩は、目尻が下がることに気づきました。

 それでも、わたしはいつものように聞きました。

「どうですか?」

「……美味しいよ」

「いっつもそればっかじゃないですか」

「いや、本当に。なんか、ここ最近ずっと、お昼が楽しみなんだ」

 言葉よりも分かる先輩の緩んだ表情で、それが確かだと分かりました。

 いまでもヒーローというものに対して先輩ほどの熱を持っているわけでもないけど、それでもヒーローである先輩も、先輩とするヒーローも嫌いじゃなく。こんなわたしでも受け入れてくれる先輩だから、わたしも先輩のそばにいるのかもしれません。

 水筒のフタにこぽこぽとお茶を注いで、口の中を流し込むように口をつけてから。わたしはふと、言いました。

「先輩は、先輩の妖精を受け入れられましたか?」

「え、なにいきなり」

「どうなんですか?」

「……うん。もう大丈夫だよ。日和ちゃんのおかげで、後ろめたい気持ちもなくなってる。日和ちゃんの方は?」

 お弁当の手を止めて、先輩が聞きかえしました。

 もちろん、わたしの答えは決まっています。そして、それを言うのにためらう必要もありませんでした。

「わたしも大丈夫です。先輩がちゃんと、受け入れてくれましたから。だからわたしも、自分の中の妖精をちゃんと受け入れられます」

 言ってから、だんだんと恥ずかしくなってきてうつむきました。これはもう、先輩にそう言っているのと同じだなって、そんな気がしたのです。

 ちらと、先輩を見る。先輩はお弁当を横に置いて、ペットボトルのお茶を一気に飲みました。それからペットボトルもお弁当のそばに置いて、それからわたしの片腕にそっと触れました。

「……する?」

 触れた場所から、先輩の熱が全身に伝播しました。

 先輩は多分、自分のことをヒーローとして認めてくれる誰かが必要だっただけで、わたしの気持ちに付き合っているだけなのかもしれません。それでも、わたしはその先輩のその優しさについ素直にすがりたくなってしまうのです。

「はい。したいです」

 空いたお互いの手を絡めて、顔を近づけて、先輩の方から首を伸ばして。触れた唇は濡れていて、ほんのりとわたしとは違うお茶の味がしました。

 何度目のキスか分からないのに、いつの間にかこんな小さな違いに楽しみを見出しつつありました。先輩と出会ってから、こんな揺り動かされる日々が続いていて。だけど、そうやって過ごす日々が愛しいと、そう感じつつもあったり。

 先輩がゆっくりと顔を離して、その晴れた視界の端に、大きな弁当と水筒を提げた夕実が立っているのを見ました。

 呆れたような目つきで苦笑していて、わたしも先輩もすぐに戻るようにしました。

「ゆ、夕実! もう用事終わったの?」

「……まあ。それで、いまのは」

「な、成り行きで――」

「あんたら、いつも成り行きでこんなことしてんの?」

 夕実は頭痛でもするように頭を抱えながらも、わたしと先輩の前にハンカチを開いて置いて、その上に座りました。

 夕実は朝から、昨日のことなどまるでなにもなかったかのように振る舞っていて。だけど、それでもちょっとだけ変わったこと、もとい戻ったこともありました。

「別にいいけどね。場所はちゃんと考えなよ」

 それは、いつも通りの優しい夕実に戻ったことでした。

 夕実は朗らかな顔で大きなお弁当を開いて、手を合わせています。

「いただきます」

「あ……えっと……」

「気を使わなくていいって。わたしだってそんな子供じゃないんだから」

「うん。ごめん……」

「その代わり――」夕実がいたずらっぽい笑顔で、「広野先輩ともう付き合えないって時は、あたしと付き合ってよ」

 夕実はいまでも、わたしへの気持ちは変わらないというか、隠さなくなったというか。果たしてこれが良かったのか、悪かったのか。正直、いまは分かりません。

 だけど、夕実の先輩へ向ける視線は親しげになりました。だから、多分良いことなんだと、いまはそう思っておくことにしました。



 屋上入り口前の壁に、もたれかかる。

 いつものようにゼリー飲料の口を咥えて、小さいながらも扉の向こうから聞こえる声に耳を傾ける。

 先ほど身バレを防ぐべく夜空を説得してから、つい心配でついてきてしまった。

『そんなに気になるなら行けばいいじゃない』

 右手に持っていたデバイスから声が聞こえる。画面にはそれぞれに白いローブと黒いゴスロリを纏う、対照的な双子の少女が映っていた。

「馬鹿いえ。なんの接点もないのに、下手に接触するわけにはいかないだろ。だいいち、もう聞き出す情報もないんだぞ」

『じゃあ、なんでそこにいるのよ』

『チェリーこじらせてストーカーにでもなったか』

「なわけあるか」飲み終えたゼリー飲料を持つ手で頭を抱えて、「監視はまだ続いてるんだよ。一応あいつらも端末妖精デバイス・パーマー使いだし――」

 ため息をついて、デバイスの向こうの妖精たちに向けて続ける。

「今回の件で、妖精殺しがひと筋縄ではいかないことが分かってしまったからな」

 衝動のまま、左手に持った容器を握り潰して歯ぎしりする。アタッシュケースとバイクを寄越したあの男は、助けたわけでもなんでもなく、最初から仕組んでいやがったかもしれなかったからだ。

『結局、あのシング・スノウとかいうやつはなんだったのよ?』

「あるお方直属の端末妖精使いだと言っていたが。とりあえず、この地区に来たからには、まずはあの女を調べていく必要がある」

『それで、調べてどうする?』

「詳しい目的と妖精を根絶させる方法を聞き出し、それから殺す。いままで通り、それは変わらない」

 そうだ。どんな理由であれ、死んだ命は戻らない。

 だから、命を失わせたら命で償わせる。それは絶対に揺らいではいけない。

 その過程にいる妖精も、必要とあらば端末妖精もまた例外ではない。これからも人でなくなったものは、同じ力を与えられた俺と兄貴が潰していくつもりだ。

 そのはずだった、が……。

『でも、あいつらはどうするつもり? あの、シャインとシャドーは――』

『あいつら、宿主の意識を殺さずに妖精を回収してた』

「……それだ。本当に、どうすっかなぁ」

 俺たちとあいつらでは、きっとスタンスが異なる気がする。だから、この街で妖精狩りを続けている限り、いつかは本格的に対立することになるのかもしれない。

 だけど、シャインはともかく、シャドーは――。

 いや。

 そうならないうちに妖精を根絶させられるよう、手を尽くせばいいだけだ。ただ、それだけ。

 デバイスの電源を切って、バレないようにとそのまま階段を下りることにした。

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