離れないでフォール・フォール・フォール 3

 リビングに来て、あたしと日和と先輩はコップを持ってテレビの前に集まった。日和がリモコンを取ってる間にあたしが真っ先にソファの真ん中に座ると、先輩は少し怯えたように左側に座った。

 勝ち誇ったように一瞥して鼻を鳴らしてみる。さっきまでの苛立ちが晴れて、非常に気分がいい。

 目の前で見せつけられるような光景はとても気分が悪かったから。あたしだっていつも成績はトップだし、学年がひとつ下ということしか違いがないのに、日和がいつもより楽しそうにしていたのが気に食わなかった。

 それに、やっぱりこんなわけのわからないやつを彼女の隣に置いてなんかおけない。彼女に悪影響が出てしまうかもしれないから。

 こいつが日和に近づく魂胆が分かったら、すぐに引き剥がそう。言葉に出さず、そう決めた。

 そんななか、日和が目の前で立ってリモコンを持って悩んでいるのに気づく。

「確かお父さんが見放題サービスに入ってて、テレビで繋いでるから見れるはずなんだけど……えーと、あれ――」

 忘れてた。なんで日和にこれを任せてしまったんだろう。

 あたしは立って、彼女の前に手を差し出した。

「貸して。あんたこういうの苦手でしょ」

「違うよ。機械がわたしのこと勝手に嫌ってるんだよ」

「んなもんいいから。早く貸して」

「大丈夫だから。もうすぐ手懐けられる気がするし、夕実は座ってて――」

「貸して」

「……じゃあ」

 日和が観念してリモコンを渡す。あたしは受け取って、いくつか操作して配信サービスのページにアクセスした。散々苦労してるように見えた割にとても簡単な操作で、逆に拍子抜けしてしまった。

 結局、なんだったんだろう。呆れながら振り返る。

「それで? なに見るの――」

 あたしが座っていた位置に、日和が座ってコーラを飲んでいた。

「そこ、あたしが座って……」

「あっ、ごめん。もしかしてここ座ってた?」

「いや、なんでもない。どこだろうと同じだしね」

 なるべくなら彼女に気を使わせたくなくて、とっさに嘘をついてしまった。

 そんなあたしのことなんか構わず、日和がにやにやと笑みを浮かべながら見つめて、

「先輩と仲良くなるつもりなら、席移るけど?」

「いいから。ないから」

 これ以上追求されないように、さっさとソファの右側に座る。ちらと見えた先輩の顔がどこか申し訳なさそうなのが、とても気に食わなかった。

 日和が先輩に出会ってから、ずっとイライラしている。なんだって彼女は、こんな根暗で受動的でチキンっぽくてよく分からないこいつを選ぶんだろう。やはりなにか騙されているんじゃないか。

 知らないことは、イライラする。このイライラが晴れたらと、いつまで思い続けなければいけないんだろう。

「で? 結局なに見るの? ホラー?」

「夕実、もしかして分かってて言ってる?」

「私はホラーでいいけど……」

「ホラーは却下、と。日和は恋愛映画とかが好きだったよね」

「うん」

「じゃあ、そこらへんにしよっか。探すから、なんか興味あるやつ言って」

 タイトルを聞いて、検索してページに飛ぶ。ポスタービジュアルを見ただけでベッタベタに甘ったるそうな映画で、心の中で苦笑した。

 実際、あたしはこういうものよりホラーとかサスペンスとかの方が好きだった。だけど、ここ最近の付き合いで、日和と出かける時にそういうものを見たりする。正直、連れられて何度か見たところで、特に好きになれるものでもなかった。

 あとは、彼女はホラーの他に、ホームドラマの類が苦手だと言っていた。日和に出会ってから亡くなる前までに日和のお母さんを何度か見て、日和からお母さんについての話を聞いていたから、なんとなく納得できる話だった。

 お母さんに愛されていなかったなら、あたしがその代わりになりたい。小学生の頃に、そんなことを決意した気がする。

「『夏の夜の夢をさまよって』っていう映画で、身体が入れ替えた二人とそれぞれの恋人のあいだで繰り広げられる四角関係の三日間を描いたラブコメらしくて。前から見たかったんですよね」

「シェイクスピアなんかにもあるよね。『真夏の夜の夢』ってタイトルなんだけど――」

「映画かけるから黙っててくださいねー」

 間髪入れずに再生ボタンを押す。さっきまでビクビクしてたくせに、どうして突然語りだしたのか。本当になんなんだこいつは。

 映像が始まってスポンサーのロゴ出し映像が流れるあいだ、あたしは先輩を見た。ちょうどその先輩との視線が合ってしまって、なにもなかったように前を向いた。本当に、どういうつもりなんだろう。

 映画の内容は、SFだかファンタジーだかの絡んだ、ジュブナイル青春群像劇といった感じのものだった。

 プロキシマの惑星オベロンから来た工作員グッドフェローがビー玉のような精神転換装置を落としてしまい、二人の女子高校生が偶然にもそれを拾って起動させるところから始まる。精神を入れ替えた二人はこのことが気づかれないようそれぞれの彼氏のもとに向かい、お互いにそれらしく振る舞っていくが、そのままお互いにその友人の彼氏に惹かれてしまう。

 やがてそのことを片割れの彼氏が気づいてしまい、ついには二人の前にグッドフェローが現れて元に戻す方法を明かされる。二人はかつての彼氏と今の彼氏の間で悩みながらも、それぞれの言葉を聞いて元に戻ることを選ぶ。そして、元は友人の彼氏であり三日ものあいだの自分の彼氏だった相手に別れの言葉を告げて、それぞれの場所に戻っていく。

 あたしの印象としては「なんだこれ……」という感想だった。しかし、隣の二人はそうでもなく、見終えた後にそれぞれ語っていた。

「なんかSFって感じでしたけど、良かったですね」

「やっぱりこれ、『真夏の夜の夢』がベースになってるっぽいね。こういう恋愛ものはなかなか見たことなかったけど、結構面白かった」

亜梨野空ありやそら監督の映画、実は他のも見たことあったんですけど、色々撮ってる人なんですよね。基本はちゃんとした青春もので、たまにこういうSFっぽい話だったり、ファンタジーだったり……」

「多分その監督知ってるかもしれない。確か『宇宙戦争』とか『スキャナー・ダークリー』とかをベースにした作品があった気がする」

 そこから、どこが良かったとか、誰々の表情がなんたらとか、ここの演出が良かっただとか、とてつもなく興味のない会話が続く。

 会話に入り込む余地がない。そもそもあたしはいちいち映画監督の名前なんか覚えない。なんだってそこまで一、二時間の映像ひとつでだらだら語れるのか、とても不思議でならなかった。

「コーラついでくる」

「あっ、私も……」

「それなら、わたしが代わりについできますけど」

「いや、大丈夫。座ってて」

 あたしの後から先輩がついてくる。日和の好意を断ってまで、なんのつもりだろう。あたしの態度がどこか気に食わなかったとか?

 訝しげに一瞥してから台所まで歩いて背の高い冷蔵庫を開ける。中には弟に無理やり飲まされると日和がちょくちょく愚痴っていた、噂の大容量のコーラがあった。

 ぷしゅっと間抜けに気の抜けるそれを開けてコップに注いでいると、先輩がすぐそばに立ってうなだれていた。

「私、やっぱり夜空さんの邪魔してるかな」

「なんです、いきなり?」

「私がいると、明らかに機嫌が悪くなってるから。もしかしたら、そういうことかもって」

「胡散臭いアタッシュケースを持った不良生徒の先輩が親友に絡むようになって、気分がいいと思えるほうがどうかと思いますけどね。ほら、ついでに注ぐから、コップ出してくださいよ」

 ペットボトルを傾けて準備すると、先輩は手を横に振って拒む。仕方なく、あたしは舌打ちしながら元に戻して、ペットボトルを雑に押し付ける。

 先輩は身を引きながらそれを受け取って、自分のコップに注ぎ始めた。

「明らかに悪意を感じる目つきしてたから、ちょっと警戒してたんだ。ありがとう」

「へっぽこだけど良い人と聞いてたはずなんですけど、先輩って結構嫌なやつですね」

「君だって言えた義理じゃないと思うけど」先輩が余裕のある口ぶりで苦笑する。「……まあいいや。とにかく、日和ちゃんのためにも、言いたいことがあるなら言ってほしい。ただそれだけ」

「……別に。あたしは先輩が大嫌い。それがすべてですよ」

「そっか」

 見透かしたような笑顔。なんでも分かってますよと言いたげな口元。やっぱり、こいつは大嫌いだ。

 コーラを注ぎ終えた先輩がペットボトルのキャップを閉めて、そのまま冷蔵庫に戻す。あたしがコップを持ってそのまま通り過ぎようとした時、冷蔵庫の扉を閉めるとともに先輩が声をかける。

「せめて私くらいには本音をぶつけてほしかったかな。大っ嫌いな私くらいには」

「……なにが言いたいんですか」

「別に、言いたくなかったらそれでいいけどね。ただ、本音を言わないままでいると、きっと夜空さん自身がつらいと思うから。言ってくれなきゃ、こっちだってどうしようもないし」

「夕実ー! 先ぱーい! まだですかー?」

「ごめん! いま戻るから!」

 リビングからの日和の声が聞こえて、立ち止まっていたあたしをよそに、先輩が先にテレビの前に戻る。一瞬だけ、あたしを見る目に気がかりそうな色が見えたような、そんな気がした。気がしただけかもしれない。

「あんまり本音を隠してると、自分が自分じゃなくなっていくよ」

 去り際の背中が独り言のように、そうつぶやく。それはまるで、自分にとってはすでに過ぎ去ったことで、あたしの抱えるものを見透かしたようだった。

 きっと日和と先輩はあの屋上で出会って、そしてお互いを変えたのだろう。だけどあたしはそこにいなくて、その向こうにも行けなくて、だから日和を連れ去ることもできない。それはあたしの抱くものの正体を晒すということだから。

 分かっている。あたしの抱いているものは、醜い独占欲だ。あの日あの時に救ってくれた彼女がどこにも行かず何者にも変わらないように、飼い殺しのペットにしようとしていただけ。

 あの頃、あたしに嫌がらせをするやつらの家を次々に放火したのは、おそらく日和だ。それに気づいてから、それだけ想われていることを嬉しく思った。それなのに、彼女はいつの間にかあっさりと屋上扉の向こう側に行ってしまった。

 どこにも行かないで。なにひとつ変わらないで。あたしだけを見ていて。

 日和のために、あたしは日々努力して生きてきたんだから。

 醜い感情が、今にも吐き出されようとしている。これ以上は、耐えられそうにもない。あたしがあたしでいるためには、今のあたしはあまりにも心が揺らいでいた。

「……好き」

 あたしを待たずして、リビングから違う映画が始まる音を聞く。誰にも聞こえない言葉をつぶやき、右の手のひらで目元を押さえて冷蔵庫にもたれ込みながら、その場にゆっくりと崩れ落ちる。

 落ち着くまで、きっとここから動けないな。そう思いながら、溢れ出る感情を声に出さないように努めるばかりだった。




「もう帰っちゃうの?」

 帰ることを伝えて、部屋で荷物をまとめてから玄関で靴を履いていると、背後で日和が声をかけてきた。

「……ごめん。なんか今日は、気分じゃなくて」

「そっか……いや、こっちこそ勝手に押しつけちゃって、ごめん」

「気にしないで。別に日和が悪いわけじゃないんだから」

 扉を開けて、逃げ出すように陽の下へと駆けていく。まだ夕方にもなっていなかった。

 一体、なにをやっているんだろう。どうしてこうなっちゃったんだろう。あれだけ心配かけないって誓ったのに、あたしが拗ねたようにして心配かけちゃった。

 最低だ。

 消えてしまいたい。あの二人の距離が近くなればなるほどに、あたしの距離が離れていく。日和があたしの手の届かない遠いところへ連れ去られてしまう前に、この醜悪な心をなにもかも塵に変えてほしい。

 日和の消えた日常が、脳裏に再現される。会話はいつだって空虚で、日常は無味無臭で、景色は味気ない作り物のセットのようで、未来はただ空白で。空白を埋めようと走ろうとしても、過去の足枷が未来へ進ませることを許さない。

 つくづくあたしが彼女に救われていたことを、いまになって感じる。だけどもう、どうしようもない。

 息切れがどこか心地よい。この痛みが、あたしを殺してくれるかもしれないから。

 胸の痛みが全身に走って死に至るまで走り続けよう。そうしてペースを上げようとした時だった。

 カマキリのような見た目をした筋肉質の人型の怪物が、空から降って目の前で着地した。突然でわけがわからないまま、両手の代わりについた長刀を見て、死にたいと思っていた脚が恐怖で足を止めてしまう。

「よう。先生に早く帰れって、言われなかったのか?」

 刃を構えて首元に突きつけられる。逃げようとすると崩れてしまいそうで、一歩も動くどころか引き返すこともできなかった。

「まあいいや。案外早く済んじまったな」こっちが動けないのを見て、怪物は野太い声で雄弁に語る。「しっかし、何斬ってもいいけど人だけは斬るなだとか、このガキを待ち伏せて殺さず足止めしろだとか、くそつまんねえことばかり命令しやがって。こっちが傭兵だからってなめてやがるぜ」

 鼻で嗤って、突きつけていた片刃を首に近づける。首の皮が切れて、血が首筋を垂れるのを感じた。これからどうなってしまうのだろう。

 もしかして、学校で噂になっていた不審者ってこれのことだろうか。こんな非日常の怪物が、街を徘徊していたのか。だとしたら、日和の家なんかに寄っていないで早く帰るべきだった。

 いや、どこに行ってもこのカマキリの怪物は現れたのかもしれないし、下手をすれば誰かを巻き込んだ可能性だってある。だったら、日和やお兄ちゃんを巻き込まなかったことはむしろ幸運だったかもしれない。

「……なんのつもり?」

 震える声を、絞り出すように吐く。

「そんなもの、こっちが聞きたいね。あの女がなに考えているかなんて、俺が知るわけがない。俺はただ、あのお方の手伝いになるからとやってるだけだ」

 振り絞った勇気は、この屈強な生き物の前で無残にも砕け散った。

 死ぬのが怖い。人を斬らないようにと言われたらしいけど、こいつが本当にそれを守るとは限らない。死ぬ前にちゃんと言うべきことは言っておけばよかった。

 覚悟を決めて、目をつぶる。どうせ人生が終わるなら、なにも見ないまま人生を終えらせたい。すべてなかったことにしたい。

 死を待って、そして。

 バイクのエンジンが唸る音、そして火薬の弾けるような音がした。

 怪物の辺りを震わすような呻き声が響いて、思わず目を開ける。怪物が光の粒子を放出する複眼を刃の峰で押さえて、くずおれていた。

「ったく。出歩くなって散々言われていただろうが」

 振り返ると、グレーの大型バイクに相乗りした二人。後部に座っていたひとりがフルフェイスメットを片手で運転手に放って、ショットガン片手にその場に降りる。

 あたしと同じ学校の制服を着て、赤いネクタイをつけた男子生徒。この前、あたしのクラスに転校してきた機島黒雪きしまくろゆきとかいう生徒だった。

 降りた機島はショットガンを持った右手を押さえて、その場にくずおれた。

「……ってえ」

『だから言ったじゃないか。ピストルでもアレなんだから、人間態でショットガンを片手で撃つのはやめたほうがいいって。ターミネーターじゃないんだぞ』

 もう片方のフルフェイスメットの運転手が軽快な身振りで話す。いや、実際に声を発しているのはその運転手ではなく、バイクの方だった。

『これならアクセルチャペックで突撃した方がよかった気がするね。ユキくん、同級生の女の子の前でめっちゃかっこ悪いことになっちゃった』

 バイクが流暢な機械音声で語る。声の調子は機械っぽいのに、抑揚が完全に人間のそれだった。

「うるせえな! それだと人ごと轢くじゃねえか!」

『片手ショットガンも大概だと思うけどな。外れたらあの子の頭に当たるんだから』

「外してないから結果的にいいだろ!」

『しかも最高にかっこ悪い』

「だいたい、兄貴がベルト付ける時間さえ用意してくれれば、俺もこうはなってねえんだよ!」

妖精パーマー相手に悠長にしていられると?』 

 突然の漫才みたいな会話に、呆気に取られてその場に立ち尽くしていると、機島がそれに気づいて声をかける。

「なにしてんだ、夜空! さっさと走れ!」

 機島は学校で見た時とは違って、粗暴な口調だった。あいつ、いままで猫被ってたのか。

 言われて怪物から距離を取るように、全速力で走る。やけっぱちに走ってて、すでにへとへとになっていたけど、それでも死にたくなかったから。

「てめえ……!」

「お前ら妖精の相手は、俺たちがさせてもらう。覚悟しろ」

 なにが起こっているのか気になったまま、そこから遠ざかる。

 相手からだいぶ距離を取ったところで、歩みを止める。無我夢中で走っていたから、逆に家から遠くなってしまった。

 息を切らして塀に手をついてその場にしゃがみ込む。先ほどの非現実の光景を、いまだに受け入れられない。この街に、あんな怪物がいたなんて。それに、あのショットガンで立ち向かった転校生と、バイクで喋る運転手。この街になにが起こっているのか。

 目の前に影がさして、ふと見上げる。フード付きの外套を纏って、歯車の柄のついたステッキを持っている人。先ほどの怪物か、転校生の仲間か。

「安心してください。わたしはあなたの味方です」

 綺麗に澄んだような声でそういって、右手をさしのべる。指先からは銀色の粒子がかすかにこぼれていた。

 あたしは思わず手にとって立ち上がる。その指先はひんやりしていた。それから、その人はフードを外して、あたしに向けて優しそうに微笑んでいた。

 雪のような銀色の輝きを放つ髪の女の人。肌は雪のように綺麗で、髪は外套の中まで長く、白い歯車の髪留めを着けている。またも、非現実の存在だった。

『あの女がなにを考えているかなんて、俺が知るわけがない』

 ふと、カマキリの怪物の言葉を思い出す。

 まさかね。これはなにかの偶然だろう。そう思って、考えを振り払う。

 銀髪の女の人は外套の中から、スマホとは違う大型のデバイスを取り出す。いくつか操作すると、デバイスの上部スリットからカードを出して、それを指先で挟んで抜きだした。

 そのカードの表には、何も描かれてはいなかった。

「わたしはあなたを救いに来たのです」

「救い……?」

 救いに来たって、なにから救うんだろう。嫌な予感とともに、期待感が湧き上がる。

「あなたにもあるでしょう。こうなりたいとか、これが欲しいとか――」途端、女の人の口角が不気味に曲がる。「あの子を自分だけのものにしたい、だとか」

 あたしのなかで、日和の顔が浮かんだ。それとともに、女の人はあたしの胸元にカードを押し付ける。カードは体内に呑み込まれていって、脳裏に怪物の姿が映し出される。それはコウモリの姿をした、先ほどと同じような人型の怪物だった。

 あたしの視界が、遠くなる。あたしという意識が、沈んでいく。

 あたしはどうなってしまったんだろう。あたしはこれから、どうなるんだろう。どうしてこうなってしまったんだろう。

 まあ、いいや。

 あたしの願いが、泡となって溢れ出す。沈んでいくあたしとは対照的に、泡となった黒い願いがぶくぶくと浮き上がる。それは集まって漆黒のコウモリの怪物に変わり、空に飛び立っていく。

 意識が、ぷつりと切れる。

 『あたし』は『私』になった。

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