離れないでフォール・フォール・フォール 2

 金曜のあの日、先輩と初めてのキスを交わしてから、およそ一週間が経って。

 なんてことのない日常が、大きく変わりました。

『初陣だけど大丈夫?』

『頑張ります!』

 トイレの個室に座って、外の喧騒が騒がしいなか、わたしはヒカル先輩とSNSで連絡を取り合っていました。

 先輩が泊まった時に交換した連絡先。お互い慣れてなくて、今まで交換していなかったことにようやく気づいて交換したもの。妖精パーマーという怪物が出た時に備えてのものでしたが、それでも単純に嬉しいものでした。

 わたしはスマホをブレザーのポケットに入れて、入れ替えるようにデバイスとナイフの柄を取り出すと、画面に触れて呟きました。

「シャドー」

 デバイスの上部スリットからカードが飛び出しました。カードには、タキシードに仮面を着けて前髪にシルクハット型の髪飾りをした怪盗少女が映しだされています。

 デバイスをポケットに戻してナイフの柄に飾られた歯車を回すと、あわせて内部が半回転して、カードを差すスリットが晒されました。そこにシャドーのカードを叩くように差し込み、元に戻して呟きます。

反誕リ・バース

 ナイフの柄から黒い鱗粉が噴き出し、わたしの身体を覆うように拡散していきました。身体全体に馴染ませるため、わたしはすぐにトイレの個室から飛び出して走り出しました。

 走るなかで鱗粉がナイフの黒い刃を形成して、『わたし』から『ボク』へと変わりました。

「いきなり呼び出すのはやめてくれ!」

 ――だってシャドー、普通に頼んだって嫌がるでしょ。

 わたしはシャドーの衝動をコントロールして、トイレの外へと飛び出しました。

「いいかい? ボクはかつて世界を震撼させた大怪盗であって、君の都合のいいパシリじゃない!」

 ――天下の大怪盗さまの腕を見込んで、頼ってるんだけどなあ。それに、あなたはわたし自身でもあるから、別にパシリでもないし。

「ボクは別に認めたつもりはないんだけど……あー、分かったよ! すぐに終わらせてやるよ!」

 ようやくシャドーが観念して、わたしへの抵抗をやめる。

 わたしとシャドーとの強い繋がりは『欲望』にある。わたしが強く欲すれば、シャドーは必ず応えてくれる。わたしの『欲望』はヒカル先輩に受け入れられて、ためらう理由もなくなって、わたしはシャドーを受け入れられるようになりました。

 廊下を抜けて階段の踊り場に着くと、純白の魔法少女のような姿のシャインがステッキを提げてちょうど駆け下りるところでした。

「ナイスタイミング、ですね!」

 合流して階段を駆け下りながら、シャドーに笑いかけました。

「別に来たくはなかったんだけどね。君らのヒーローごっこに巻き込まないでほしかった」

「つれないですねー。わたしたち、向こうで一緒に国家の支配に立ち向かった仲じゃないですか」

「んで、その結果がこのザマ。気の迷いで協力したこと、今でも強く後悔してる」

 その時、わたしのなかで胸が締めつけられるようになって、シャドーの記憶の断片が流れこんできました。

 この世界とはどこか違うところの、シャインとよく似た少女との記憶。シャインに初めて手を貸した時、押しに負けて気を許した時、楽しげに会話を交わしあった時、謎の集団に捕らえられて寂しげに笑いあった時。

 それぞれが、苦くもあって、懐かしくもあって。

 ――嘘つき。

 シャドーがわたしの言葉に答えないうちに、目的の階の踊り場に下りて廊下に出ました。左手側に妖精の姿を確めて、お互いに武器を構えます。

 妖精は緑を基調とした体色で、両手を長刀にして、顔に複眼と長い触角を備え付けた細長い身なり。それはいわゆる、カマキリの姿をしていました。両手の刃を払って研ぐような動作をして、待ち構えていたようでした。

「カマキリですか。それなら、さしずめマンティス妖精パーマーといったところでしょうかね?」

 シャインの声に、そのマンティス妖精はぎろりとシャドーたちの姿を確かめました。それから、その怪物は両の片刃を下段に構えました。

「待ってたぜ。お前らが例のヒーロー野郎か?」

 カマキリ妖精の嘲笑じみた声に、シャインの表情が曇りました。

「わたしがヒーローなのは事実ですが、その言い方は気に食わないですね!」

「ボクはヒーローでもないし、野郎でもないんだけどな」

 シャドーも内心で不快な思いを抱えて、二人はほぼ同時にマンティス妖精に向かって駆け出しました。間近の教室内はいたるところをずたずたにされていましたが、さいわいにも逃げ遅れた人はいないようでした。

 シャインが大仰にステッキを振るいます。しかしそれはマンティス妖精によって華麗にかわされて、ステッキの歯車が勢いのままに教室側の壁に向かいました。ぶつかると思ったその時、シャドーの身体がすぐに動きました。

 シャドーは黒いナイフを挟んでステッキの勢いを相殺して押し戻し、二人で身を退き、マンティス妖精から距離を取りました。

「相っ変わらず、勢いまかせな攻撃だな!」

「昔からこういう戦い方をしていたもので。しかし、さすがはかつての相棒さん。よく止められましたね」

「……後悔するのは自分だろ。いい加減、学習してくれ」

「まあ、壁が壊れなくて良かったです。わたしとしても、感謝します」

「どうやら、お話する余裕があるみたいだなぁ!」

 マンティス妖精の両腕の刃が振るわれるのをシャインがステッキで一度に受け止め、そのままステッキごと蹴り込みました。妖精を弾き返し手元のステッキを引いて、巧みに宙で回転させます。

 シャインはこちらにウィンクして、微笑みを浮かべました。

「なんだかんだ、わたしのことを心配してくれているみたいで安心しました」

「さっきのは、君の宿主の話だからな」

「どちらにせよ、ですよ。……本当に、ありがとうございます」

 わたしの心のなかで、嬉しい気持ちが溢れていました。わたしのものではない、シャドーから溢れる感情。だけどシャドーは、この気持ちを素直に出す気持ちはないみたいで。

 もったいないなって、思ってしまう。

 だから、少しお節介かと思いながらも、わたしは言葉を強く意識して。

「――シャインのこと、大好きだから」

 口走ってしまったシャドーが、すぐに左手の甲で口元を押さえました。それから、どっと熱が湧き上がるような感覚が身体を支配していきます。

 シャインのほうもなにも言わず、ただこっちから少し顔をそらすだけでした。

 二人の――わたしたちの――見る先は、おのずと目の前の妖精になる。

「お前ら、真面目に戦う気あんのか?」

 言いながら、マンティス妖精は両腕の刃で見せしめのように、窓ガラスと壁の両側を斬りつけました。

 ――あっ。

 お互いに気まずいものを感じながら、わざとらしく武器を構え直す。

「……さっき言ったことは忘れろ。さっさと終わらせるぞ」

「……そうですね。何も聞きませんでした」

 ともかく、想いはちゃんと伝わったのかな。

 ここからは、真剣にやろう。先輩とわたしを繋ぐ、大切な時間なのだから。

 これから先、きっと危険なことだってあるかもしれない。それでも、わたしはこれからの日々が楽しみで、わたしの足を止めさせない。

 先輩がヒーローであるために、わたしは隣に寄り添うと誓って。

 わたしのヒーローとしての時間が始まりました。




「……これ、結構まずいんじゃないですかね」

「まさか逃げられるとは……」

 下校中、先輩と小声でやり取りを交わす。

 結局、マンティス妖精には逃げられてしまいました。トドメをさせる状況でわたしがシャドーの身体でシャインを止めたのが原因で、妖精はその隙にどこかに消えてしまいました。

「本当に、すみません……やっぱり、あのとき止めちゃいけなかったですよね」

「まあ、うん……次、頑張ればいいって」

 そんなこんなで、あの非常識な怪物の出現は「刃物を持って学校に紛れ込んだ凶悪な不審者」という形で強引に片付けられ、授業は中止になりました。担任の先生には「寄り道せずに早く帰れ」と言われましたが、こういう時は逆にワクワクしてしまうものです。

「それで、これからなにします?」

「それより、あの妖精――」

「夕実に聞かれちゃまずいじゃないですか。それは後で考えましょうよ」

「なにヒソヒソやってんの?」

 夕実がわたしの左袖を引いて、語気強く言いました。二日前から三人で登下校するようになって、夕実はどこか苛立っているように見えました。聞いても理由を教えてくれず、それが最近のわたしの悩みになりつつあります。

「あ、えと……なんでもないから。気にしないで」

「あたしの悪口とか?」

「いや、言ってない! それはないから!」

「……なんて、冗談。日和がそんなこと言うはずないもんね」

 夕実がふふっと表情を緩ませたのを見て、ほっと胸をなで下ろししました。夕実とは長い付き合いだけど、時々どこかよく分からないと思うことがあります。

 先輩ともいまだにぎこちない様子で、それがちょっとだけ息苦しいと思ったり。

 先輩のことは好きだけど、夕実のことだって親友として好き。だから、この二人が仲良くして、この三人で楽しくやっていければと、今でもそう願っています。

「そうだ。せっかくなので、先輩の家に行ってもいいですか?」

「ダメに決まってるでしょ。先生に早く帰れって言われてたじゃん」

「でも……」

 わたしの提案に、先輩も苦い顔を浮かべていました。

「……ごめん。あんまり家には上げたくない」

「そういうこと。本来あった授業も潰れたし、大人しく家に帰って勉強するのがいいよ」

「でも、家帰っても誰もいないし……」

 実際、仕事や学校でお父さんも日向もいない家は心細くて、どこからかお母さんが幽霊として現れるんじゃないかと気が気じゃなくて。だから、誰かに一緒にいてほしいというのは本当のことでした。

「……分かった。あたしが日和ん家に行くから」

「良かった。それで、先輩は?」

 ちらと先輩の方を見ると、先輩は目を丸くしたようにしていました。

「良いの?」

「ダメなんですか?」

「あー、そうじゃなくて……じゃあ……私も」

「良かったです。それじゃあ、行きましょう!」

 ちゃんと三人揃うとは思ってなかったから、それがとても嬉しくて。気分が高揚して、その勢いのまま、わたしは両手でそれぞれ先輩と夕実の手を繋いで走りました。

 振り回されたようになった二人は困惑していて、それがあまりに面白くて、軽い足取りで駆けながら思わず噴き出しそうになっていました。




 コーラの入ったコップ三つを乗せた盆を持っていって部屋に入ると、ヒカル先輩と夕実がとても気まずそうに丸机に向き合って座っていました。

「おまたせです。コーラしかなかったんですけど、大丈夫でしたか?」

「あっ、うん。ありがとう」

 先輩、夕実、わたしの順番でコップを置いてすぐに、先輩はちびちびと、夕実は一気に半分くらいまで飲みました。

 お父さんが弟の日向ひゅうがに気を使って大容量のものを買ってくるやつで、いつも日向が飲み切る前に炭酸が抜けるからと、わたしも減らすよう言われたものでした。実は麦茶もあるのですが、こっちの方がそろそろ炭酸抜け切りそうだったからという事情は、黙っておくことにします。

 コップを乗せていたお盆をベッドの上に置いて、わたしもクッションに座って勉強道具を出しました。

「どうです? 夕実となにか話とかできました?」

「いや、特に……」

「相変わらずですか。……ていうか、夕実もなにか話を切り出さなかったの?」

「あー……ごめん。どういう話題を出すか悩んでたところだった」

 夕実はこういう時に上手くやってくれる子だから、先輩がダメでもなんとかしてくれると思っていたのですが、夕実にもどうにも難しいようでした。

 仕方ない。これから、気長に見守っていくしかないようです。

 わたしの好きな先輩と、わたしの好きな夕実。このふたつは少し違う好きだけど、この二人にはやっぱり仲良くなってほしい。

「そういえば先輩って、前のテストで全教科トップだったんですよね」

「……そうだけど」

「色々と忙しそうだと思うんですけど、いつ勉強してるんですか?」

「まあ……隙を見てやってる感じかな。結構大変だよ」

「そういえば、夕実もすごく頭いいんですよ。スポーツだってできるし、人当たりもいいし。親友のわたしには身に余るくらい」

「私のは頭いいとかじゃなくて、カナデお姉ちゃんの真似をしてただけだから――あっ、ここ間違ってるよ」

 先輩はわたしのノートを取って、分かりやすく優しく教えてくれました。勉強はあまり得意ではなかったのですが、教える時の先輩の声がやっぱり好きで、すらすらと入っていくようでした。

「すみません。これ、逆に先輩の勉強の邪魔してますよね」

「気にしないで。普段一人でしかやらないし、こういうのも楽しいから」

 先輩の笑顔につられて、わたしも笑顔が浮かぶ。それは愛しい時間でした。

 そんななかで、左をちらと見ると、夕実は黙々と勉強を進めていました。こういう時、普段はもっと話しかけてくれるのに。やっぱり、先輩がいるせいなのでしょうか。

「夕実?」

「…………」

「ねえ、夕実!」

「……なに?」

 夕実が不機嫌そうにぎろりと睨みつけました。

「なに、じゃないよ。さっきから、黙々と勉強ばかり……」

「悪い? ていうか、家に来て勉強するんじゃないの?」

「違うよ! わたし遊ぶもの持ってないから、なんとなく勉強って言っただけで……」

「だったら、弟の部屋からなんか借りてくりゃいいじゃないの」

「日向、特撮関連とネットで繋いで遊ぶゲームしか持ってないんだよ。先輩はいいかもしれないけど、夕実はそうじゃないでしょ」

「じゃあしょうがない。そのまま勉強ということで」

 言いよどんでいるうちに、夕実が勉強に戻る。最近の夕実はなんか冷たい気がして、それがちょっと落ち着かない。

「日和ちゃん、どうしたの?」

「あっ、なんでもないです」

「分からないところあったら教えるけど」

「そういうのじゃなくて……」

 夕実のこの態度の原因が先輩との不和にあるのは分かっていました。しかし、なぜ夕実がここまで先輩に対してよそよそしいのか、いまだに分かりません。私の前での先輩はどう見ても不良に見えないし、警戒する必要もないはずなので。

 そういえば、夕実がいままでわたしに出会ってから、誰かと親しくしているのを見たことがないことを思い出しました。一応友達は多いはずなのに、それもどこか表面上だけといった感じで、わたし以外はほとんどクラス替えや卒業とともに縁が切れていたような。今でも、わたし以外の夕実の態度はどこか乾いて見えました。

 わたしだってあまり友達はいないけど、だからこそ心配だったりします。もしこれからわたしが先輩と仲良くして、それで夕実が先輩との気まずさでわたしから離れるのだとしたら、やっぱりそれは悲しいから。

 ノートに袖が擦れる音とシャーペンの踊る音のなか、わたしはコーラを飲みながら、落ち着いて考えました。なんか他に、できること……。

「……っんぐ」

 こういうのを確か、「惜しまれる」と言ったと思います。端的に言うなら、「むせる」という言葉でしょうか。そんなことをふと思い出しながら、わたしはコップを置きました。

 そのまま抜けきってない炭酸で盛大にむせて、手を押さえながらうつむいて咳き込んでいると、夕実と先輩がほぼ同時に駆け寄りました。

「ちょっと! 大丈夫?」

「っすみません……」

 夕実が軽く背中を叩いてくれて、先輩がハンカチを差し出してくれました。そのハンカチを受け取ってから、わたしは一瞬だけためらいました。

「それ、未使用だから……使って……」

「すみません! 洗って返します」

「まったく、いきなりどうしたの?」

「ちょっと考え事してて……」

 すぐさま手と口元を拭い、どうにか調子を取り戻してから、深呼吸して。

 ごまかすように何か言おうとして、ふと思いつきました。

「……映画見よっか」

 わたしのつぶやきに、元の位置に引き返そうとする二人が足を止めて振り返りました。

 ちょっといきなりすぎたかもしれない。それでも、このまま勉強しているよりは良いかもって、そう思うから。

 二人の反応を、息を呑んで待ちました。

 先輩も夕実も、くすっと表情を緩ませて、

「うん。いいかも」

「……しょうがないな」

 そう言って、それぞれに自分の席に戻って、勉強道具を片付けはじめました。

 やっぱり、この三人で仲良くできたらいいな。そんなことを思いながら、わたしもすぐに片付けはじめました。

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