私とわたしのコンプレックスについて 1
小さい頃から、私はあまり人と馴染めないような性格をしていた。
あの日だってそうだった。幼稚園にいたくらいに、「ヒーローなんかいない」と言われて頭にきて、口より先に手を出してしまったことがあった。なかば一方的な暴力で圧倒することが正しいと、あの時の私は本気で信じていたのかもしれない。
もちろん、今はもうそんなことを思わないし、それが自分の好きなヒーローを曲解して生まれた恐ろしい思想だって分かっている。
結局、帰って母親に怒られた。その時の母親の顔は、おおよそ理解に苦しむなにかを見るような目をしていた。結局、幼い私の理屈は伝わることなく、私は癇癪を起こして家を飛び出し、隣のカナデお姉ちゃんの家に行った。
カナデお姉ちゃんは当時中学二年で、泣きべその私を温かく迎えて自分の部屋に手を引いてくれた。部屋にはテレビで見たようなヒーローのフィギュアやおもちゃがたくさんあって、ここに来るたびいつもワクワクしていた。
「ここで待っててね」
話を聞いたカナデお姉ちゃんはアタッシュケースを持って部屋を出た。何があるのかと待っていると、少しして扉が開き、手に歯車を飾るステッキを持つ、綺麗な銀色の光の粉を放つ魔法少女が立っていた。
「カナデお姉ちゃん……?」
顔立ちも見た目もぜんぜん違うのに、私はすぐに分かった。とても優しくて、私の憧れたカナデお姉ちゃんなら、たとえ魔法少女であってもおかしくないと思っていたからだ。
目の前の魔法少女は、満面の笑みをたたえて言った。
「はい、正解です」
この時、私は現実にヒーローというものが存在することを確信した。疑っていたわけではなかったが、この出来事がなければ、今頃はヒーローの背中を追うことをやめていたかもしれない。
私はあまりに興奮して、銀色の衣装にすがりつくように訊いた。
「カナデお姉ちゃんはどうやって魔法少女になったの? どうやったら私もヒーローになれる?」
カナデお姉ちゃんは身をかがめて私を優しく抱いて、小さく呟いた。
「時が来れば、ヒカルちゃんにもきっとなれますよ」
「本当に?」
「はい。しかし、これだけは覚えておいてください」
少し身を離して、私をまっすぐ見つめた。それは何かを経験したような、強い説得力を持ったような瞳だった。
「本当にヒーローになりたいと願うのなら、ヒーローであるために力を使うのではなく、誰かを――」
その先は、聞こえなかった。とても大切なことだったはずなのに、今の私にその言葉は届かない。
懐かしい夢を見た。
ベッドの上で伸びをして、部屋を見回す。ラックに並んだヒーローのフィギュアやおもちゃの数々。思えば、今こうしているのもカナデお姉ちゃんの影響があるのだと分かった。
カナデお姉ちゃんはいなくなったわけじゃない。誰も知らないところで、今もヒーローを続けている。ヒーローを心から信じていたあの頃みたいに、私はそう確信している。
それに、昨日はカナデお姉ちゃんの姿を見たという後輩の子の話を聞いた。まさか私以外にアタッシュケースを渡された子がいるなんて思ってなかったけど、消息が知れただけでも嬉しかった。
こんな性格だから、家族と
私より少し身長が低くて、一年の赤のリボンタイと肩に少しかかるくらいの髪に交差したヘアピンを飾った、とても人当たりがよくて優しい女の子。アタッシュケースのことを聞きに来たみたいで、その短い時間でもむしろ先輩である私のほうが情けなくなるくらいに気をかけてくれた。
最後の申し出も、もしかしたら気を使わせてしまったのかもしれない。いきなり「一緒にヒーローをやらない?」なんて思わず口走ってしまった。
ひとりでも寂しくないって思ってたはずなのに、飛田さんのことを惜しむ自分がいて、気がつけばその衝動は先走りしていたのだ。
これからもこんなことが続いていくのだろうか。億劫であるとともに、少しだけ気が浮かれてしまいそうだった。
布団から這い出て寝間着をしわくちゃに脱ぎ、引っ張り出したホルスターのベルトを右大腿に巻いてから着けたブラジャーのホックを留める。ラックに掛けたブラウスをハンガーから取る途中に見た姿見に、今の自分が映し出される。
乱れた長い髪に、細身の身体。特に面白みのないシンプルな下着。隠さなければやけに目立つ、黒のホルスターと銀色のデバイス。
ヒーローではなく、何も着飾ることのない、平凡な私。
カッコイイではなく、可愛い。飛田さんに言われた私の印象を思い出した。
違う。私はカッコイイヒーローでいるつもりなのに。可愛いというのは、それだけ私の本当の姿は情けなく見えたってことだ。
むしゃくしゃしたまま姿見に背を向けて、すぐさま着込んだブラウスのボタンを一番上まで留めていく。青いリボンタイを結んで、そのままスカートを履いてブレザーも着込んでいって、黒いソックスを履く。そうして、本当の自分を隠していく。
この締め付けるものにも、もう慣れた。まるで自分が何者にもなれないと、そう突きつけられるような服装には。むしろ、本当の自分を隠すのに都合がいい。
ブレザーのボタンを全て留めて、ホルスターからデバイスを取り出す。起動すると、汚れひとつ見えない純白を纏った私の
「おはよう、シャイン」
「おはようございます。髪がとても乱れてますよ」
「それはいつものことだっての。あとで直すから」
「今日からより一層気を使わないといけないですからね。また可愛いとか言われたくないですし」
「うるせえ」
デバイスを切って、ホルスターに戻す。スマホをポケットに入れて、鞄とアタッシュケースと寝間着を持って、部屋を出る。
廊下を通って階段を下りた先のリビングは、いつも通りに父親と母親がいて、いつも通りに食卓に朝食が並んでいた。荷物をまとめて置いてから洗面台に向かい、寝間着を置いてから櫛で長い髪を整える。そのまま、先に歯も磨いていく。
準備を整えて、リビングに戻る。この時間はいつも落ち着けない。
ご飯をよそって、食卓の席に座る。白ご飯と焼鮭の切り身と豆腐の味噌汁。雑に骨を除けて、身をほじくって、ご飯に乗せて黙々と食べていく。
誰とも目を合わせないまま手元の料理を減らそうとするところで、母親が話しかけてきた。
「あんた、まだヒーローになりたいとか夢見てたりする?」
「は?」
うざったいなと思いながら、一瞬だけ睨みつける。
「そのアタッシュケース。ヒカルのことだから、おおかたヒーローのおもちゃとかでしょ」
私は無視して味噌汁を啜る。おもちゃではないけど、それを否定しても意味はないから黙っておく。
「カナデちゃんはもういないんだし、ヒーローだなんだなんて言う歳でもないんだから。あんたもいい加減そういうのやめなさいよ」
うるさいな。私がヒーローをやっていなければ、あんたらだって今日まで生きてこれなかったかもしれないくせに。
「俺も、やっぱり年頃の女の子としては、もう少しオシャレとかそういうものに興味持ってくれないとって思うんだよ。まあ、やりすぎるのもアレだけどな」
別に私が女であることを選んだわけじゃない。なんでこいつにそんなことを言われなきゃいけないんだ。仕事して家帰って酔っ払ってだらけるくらいしか能がないくせに。
まだご飯と焼鮭が残ってたけれど、なんだか気分が悪くなってきた。味噌汁だけ飲み干して箸を置いて荷物を取り、玄関に向かう。
「ちょっと、まだ――」
今日にでも
そんな言葉を呑み込みながら、革靴を履いて家を出た。
*
少し早めにスマホに設定したアラームが鳴って、目を覚ましました。
寝間着を脱いで、ブラジャーのホックを留めて、姿見の前に立つと、いたって普通の女の子がそこにいます。
背丈が低くわずかにふくよかな感じがあり、昨日知り合った先輩に比べるとなんだかみじめに思えてきたり。
わたしも先輩みたいに髪を伸ばしたら、ああなれるのかな。そんなありもしないことを考えながら、ブラウスを着込んでボタンを着けていきました。
赤いリボンタイを結んで、黒のソックスとスカートを履いて、ブレザーを着込んでボタンを全て留める。もう何度繰り返したか分からないいつも通りの流れで、姿見の自分を見ながら身なりを整えていきました。
いつかの変身した先輩のことを思い出しながら、くるりと回って姿見の自分を見つめて、思わず小さく噴き出しながら荷物の準備をしました。
鞄はもう準備して、あとは。ベッドの下のアタッシュケースを取り出して、留め金を外しました。
中のデバイスとナイフの柄を確認して、手に取ります。デバイスを起動すると、以前と同じように黒ずくめのタキシード姿の少女がそこにいました。
「よう。この前はよくもボクを無視してくれたな?」
デバイスの向こう側の声は、少し腹立たしげでした。
「あなたって、本当にわたしなの?」
「ボクはボクだよ。君みたいなクルクルパーと一緒にしないでくれ」
「クルクルパー……」
「この世界で肉体を得るために君の願望の姿を借りただけで、ボクは今でもボクのつもりさ。しかし、まさかこんなブタ箱に閉じ込められるとは思ってなかった」
「先輩の話だと、ロカク? とか何とかされたみたいらしいけど……」
「知ってるよ。知らないとでも思ったか? 自由を求めてこの世界に来たのに、まさかここでもこんなペットか何かみたいな扱いを受けるとは思わなかったっての」
何があったのかは知りませんが、文句を垂れるその妖精は心底憎々しげな様子でした。
というか、とても口が悪いのですが。本当にこれがわたしの内側を写し取った姿なのかと考えると、自分のことながら気が沈んでいくようになります。
「本当にわたしの願望の姿を借りたの?」
「まあ。だからといって君と同じってわけではないけど、君の内面の願望がボクの特性と合致したのは確実だよ」
つまり、この性悪な怪盗とわたしの願望は同じ性質を持っているということ。
こんなもの、とても先輩に見せられません。ますます気分が沈んでいき、思わずため息をついてしまいました。
「まったく、ため息つきたいのはこっちの方だよ。よりによってこんな腹黒に引き寄せられるなんて、ボクの自尊心はズタズタだ」
「は、腹黒って……!」
どうしてこんな煤けたような相手に、そこまで言われなければならないのか。
そう言い返したいのに、どこかにある後ろめたさが邪魔をして、思わす口をつぐんでしまう。
「ほら、そうやって本音を隠す。ボクは君の願望を知っているから、何もかもお見通しだぞ。そうやって何もかもに遠慮しながら、心の中では黒い欲望が――」
発作的に側面のスイッチを押して、目の前で語りかけるものの姿を消しました。わたしはそれを聞きたくなかったのです。
わたしは気を取り直して、すぐさま手に持つそれらを鞄の奥に入れます。さすがに、アタッシュケースを持って登校する気にはなれませんでした。
寝間着を畳んで、鞄と一緒に持って部屋を出ました。すぐ先のリビングでは、お父さんと弟の
「おはよう」
「ああ、おはよう……どうした?」
「あ、ええと……ごめんなさい、朝ご飯も作らなくて……」
そう言うと、お父さんは優しく微笑みました。
「いいって。いつも通り、日向だってやる気だったんだから」
「そうだよ姉さん。それに、今日はいつもより上手くできたんだから」
「うん。ありがとう、日向」
わたしは洗面所で少し髪を整えて、ヘアピンを両側に交差するよう着けてから、歯を磨きはじめました。
あの日からずっと、お父さんも日向も優しくて、だけどわたしはいまだにその世界に馴染めずにいました。かつての日々より今のほうがずっといいはずなのに、わたしの内側に染み込む本能がそれを許さないのです。
お母さんが亡くなった日。それは、家族からの「お姉ちゃん」という呪縛から開放された日でもあります。だけど、わたしはいまだに、自分で自分に呪縛をかけていました。こういう時、お姉ちゃんのわたしが優先して負担を担うべきだ。そういう声が、無意識に自分の内側から発せられるようになっていたのです。
鏡から目を逸らして考えを振り払い、口をすすいでから洗面所を出ました。それから食卓の椅子を引いて座り、軽く手を合わせて「いただきます」と言ってから、わたしは日向に言いました。
「晩ご飯はちゃんと、わたしがやるから」
「わかった。だけど、困ったら頼っていいんだからね、姉さん」
「そう。母さんが亡くなった分も、残されたみんなで頑張らないといけないからな」
優しいな。むしろその優しさが、わたしにはつらいのですが。
今日は白ご飯とハムエッグとオニオンスープ。塩と胡椒をかけて、先にハムと白身をご飯と一緒に食べて、後から割れないよう黄身を一気に口に放りこみました。
ご飯を美味しいと感じられるこの平穏な日々に、今でも実感が湧かなかったりします。
うちの家族からお母さんが欠けて、わたしにかかる重圧はあっという間に消えました。あまりにも容易く、苦痛の日々は終わりを迎えてしまったのです。
しかし、だからといってせいせいしたとは割り切れるわけでもなく。お母さんだって、別に悪意があったわけではなかったのでしょう。ただ、わたしより日向の方に向ける愛情の方が大きかっただけで。
わたしが今でも自分を抑え込むのは、そうしなければいけないから。己を律しなければ、わたしの中の醜いわたしが氾濫し、今ある世界が簡単に崩れ去ってしまう気がするから。
オニオンスープをすぐに平らげて、カウンターに置いてあったお弁当と水筒を鞄に入れて、そのまま家に出る準備を整えました。
「行ってきます!」
お父さんたちにそう言って、軽い足取りで家を出ました。
先輩は今日も遅刻しているかな。また屋上に行けば会えるかな。
先輩のことを考えると、わたしの曇っていた気分が、あの日の空みたいに晴れるようでした。
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