先輩とのファーストコンタクト 3
放課後、わたしはすぐさま約束通りに校門前に向かうと、先輩がすでに待っていました。右肩に鞄、両手にアタッシュケースを提げてそわそわしながら立っていて、門を出る他の子たちのほとんどは二度見して通り過ぎていきました。
わたし自身もなんだか気まずくなってきて、もうこのまま通り過ぎようかなと思わず考えてしまいました。こういうものはこっちが先に来てしまうものだと思っていたので、まさか先輩がこんな早くいるとは思ってなくて、どう声をかけたらいいものか悩みました。
そんなこんなで考えているうちに、先輩の方からわたしに気づいて軽く手を振ってくれました。
「ここだよ」
わたしはどうしようもなく、ぐっと覚悟を決めて歩いていきました。
「すみません! まさか、わたしの方から待たせてしまうとは思ってなくて!」
「いいよいいよ。不安がらせたくなくて、こっちが勝手に早く来たんだから」
「でもわたし、声もかけられなくって……」
「そりゃ、私だし。こんななかで声はなかなかかけづらいよね」
そう言って先輩は踵を返し、わたしを先導するように、幾度か後ろを振り返ってからゆっくり歩きはじめました。
相変わらずのギャップに、その背中を追いながらずっと笑みをこらえるのに必死になっていました。
「それで、どこに行くんです?」
「公園。良いとこ知ってるから」
先輩はどこか上機嫌に鼻を鳴らしていました。
「そういや、君の名前を聞いてなかったね?」
「あっ、すみません。一年の
「飛田日和……うん、よろしく。飛田さん」
先生や友達に呼ばれてもなんてことのない自分の名前が、先輩の優しい声によってなにか耳あたりの良いフレーズに聞こえたような気がしました。しかし、もう一度聞きたいなどと言い出せるはずもなく、わたしは何もなかったかのように平静を装っていることにしました。
「先輩のこと、聞いてたイメージと全然違くて、正直今でも面白……困惑してます」
「そっか。私もね、こんなに人と接するのは久しぶりで、自分でも驚いてるんだよ」
「……ねえ、先輩。どうしてわたしにそこまで優しくしてくれるんですか?」
先輩がぱっと振り返りました。その瞳はまっすぐにわたしを捉えていて、突然で思わず一瞬照れてしまいました。しかしその顔からは、からかった様子もない、どこか真剣な狼狽えが見えます。
本当、見れば見るほど先輩は色々な顔をする。
「優しい?」
「はい。わたしはそう感じましたけど……」
「そっか……」
先輩は落ち着かなげに指で口元をさすり、少し考えて、そして答えました。
「なんでだろ。アタッシュケースのこともあるけど、飛田さんは安心できる、というのもあるのかな」
安心できる、か。
わたしに対して安心してくれていることに、嬉しく思いました。いつものわたしが先輩にとって心地よいというのなら、このわたしも悪くない気がしたのです。
本音を隠して保たれる、今のわたしのことを。
前に向き直った先輩の背中から目をそらしました。先輩のことをもっと知りたい。色んな顔が見たい。しかし、そんなことをわたしから言えるはずもなく。
今はあのアタッシュケースのことを訊くだけ。そう心の中で何度も唱えながら、わたしはわたしを落ち着かせました。
「飛田さん、着いたよ」
そんなわたしのことを知らない明るい声が、振り返った先のわたしに投げかけられました。わたしはただいつも通りの笑顔を返して、自分の内側が見えないよう努めるばかりでした。
二人で並んでブランコに座ると、先輩はさっそく手に持っていたアタッシュケースを開けてわたしに見せてくれました。
中には先ほど分割されたステッキが収まっていました。
わたしはなにか間違えたのかもしれないと思い始めていました。わたしのそれの内容物とこのアタッシュケースの内容物が全く違うからというのもあるのですが、確信するためにもうひとつ必要なものがないことに気づいたのです。
「あの……」
「ん? どうかした?」
「もうひとつ入ってませんでしたか? なんか、大きなスマホみたいなものというか……」
「ああ、これのこと?」
言いながら、先輩はスカートの下をまさぐって見覚えのあるデバイスを取り出しました。わたしは少しだけたくし上げられて晒される白い大腿から目をそらしながら、デバイスの方を注視することに努めました。
「なんてところから出してるんですか」
「いや、カッコイイかなって……」
「とりあえず、スカート戻してくださいよ。そのまま公衆の面前にさらけ出すつもりですか」
「そうだね。ごめんごめん」
ふふ、と笑いながらスカートを直すのを、目端にとらえながらため息をつきました。
先輩はスカートを整えて気を取り直し、わたしにデバイスを見せました。
「まずは、これが
「あの、それ以前に妖精のことが分からないです」
「あっ、そういやそうか。ごめん」
先輩が軽く謝ってからデバイスの横のスイッチを押すと、そこには先ほどのシャインと呼ばれる魔法少女の姿がありました。デバイスの画面がわたしに向けられると、シャインは私に笑顔を向けて手を振っていました。
「どうも、シャインっていいます」
「まあ簡単に言えば、人に取り憑く幽霊みたいなものかな。私の場合は、こうやってデバイスに捕らえているから完全に乗っ取られることはないんだけど」
「……ヒカル、それは端折りすぎではないですか?」
「いや、だって分かりやすく説明しないと……」
「わたし達は、人間の内にある憧れや願望を写し取って人の身体に宿るのです。つまりわたしは、このヒーローの姿はヒカルの憧れの姿そのものなのです」
「ちょっ、バカ……」
先輩は狼狽えた様子でデバイスを黙らせようとするかのように必死に手で覆っていました。
そういえば、昼休みにもヒーローがなんだと言っていたのを思い出しました。なるほど、これが先輩の憧れるヒーロー像であるのかと思うと、やはり可愛いと思ってしまいます。
そんな思わず笑みをこぼしたわたしに、先輩は世界の終わりでも来たような深刻そうな顔でうつむいて訊きました。
「そ、それで、飛田さんの妖精はどういうやつだったの?」
「さっきの説明の上でそれ訊くんですか?」
「別にバカにはしないよ。もしそんなことでもしたら、私のこと言いふらしちゃっていいから」
「そんな……」
先輩のこんな姿を見たことあるのがわたしだけならば、それはとても嬉しいことだし、叶うならばこのままそれを独り占めしちゃいたい。
なんて言うわけにもいかず、先輩だけ明かすのはちょっとだけ申し訳ないなと思いながら、わたしも話すことにしました。
「別に憧れてたわけではなかったんですけど、わたしのデバイスには、おそらく怪盗? の姿が映っていました」
「怪盗……」
「まあわたし、物盗ろうなんて思うどころか、いつもいつも人に譲ってばかりなんですけど」
「別におかしいことでもないですよ。深層心理でそうなりたいと願っているものの形を取るパターンはよくありますしね」
デバイスからのシャインの声は、特に面白がる様子もなく語りました。
「だから、その人の自覚して望んだものと反する姿になるということもあり得るのです。たしか、このことに関して光さんが面白い喩えを見出していたのですが……なんでしたっけ?」
妖精の言葉に、物思いに耽っていた先輩がわれにかえりました。
「……ああ、うん。あれ、『ジキルとハイド』の話だっけ?」
「そう、それです!」
「それって確か、二重人格の人の話ですよね。妖精のそれと何の関係あるんですか?」
妖精はその人の憧れた姿を取って、昼休みのあの時みたいに宿主を変身させる存在のはずです。しかし、今の話は二重人格のそれとは違うはずなのです。
そんな考えを先輩は見透かしているかのように、少しだけ得意げに話し始めました。
「確かに『ジキルとハイド』の一般的なイメージとしては二重人格の男の話なんだけど、実際はそれとはだいぶ違っていてね。作中ではジキル博士は薬によってハイドという性格どころか身なりまで真逆の存在に変身するし、どちらかといえばそれは人の持つ二面性として描かれている」
「二面性……ですか?」
「うん。それは、否定しながらもジキル博士が心の内では望んだ姿であり、そんな自らに潜む悪性を薬によってハイドという存在に分離して理性を保っていた。だから、妖精もそんな存在になり得るし、実はそんな存在だったりするのかなって話」
つまりその話の通りだとすると、わたしは今まで心の内に怪盗の存在を秘めていたということになることに気づき、途端に怖くなりました。その結論はわたしのひた隠しにしてきた本心をさらけ出したも同然だったのです。
先輩は息を整えてから、わたしをどこか心配そうに見つめました。
「まあ、飛田さんはそんな物盗りなんて欲深なこと考えそうに見えないし、もしかしたら何かの間違いとか妖精の曲解や誇大解釈だったりするのかも。だからあんまり、そのことで気に病まなくてもいいからね」
「ヒカルのヒーロー願望は割とそのまま写し取りましたけどね」
「それ、このタイミングで言う?」
「どさくさに紛れてそこまで否定されても癪ですし」
「いやまあ、実際そうなんだろうけどさ……」
やはり先輩は何も隠したりしていないように見えました。自覚的にヒーローになりたくて、後ろめたいこともなく実際にその通りになった。
だけど、わたしは、わたしの望むことは――。
「ねえ、先輩」
「ん?」
「もし本当のわたしが、欲にまみれたような、そんな薄汚い人間だとしたら、どう思いますか?」
本当のわたしを知ってしまったとしたら、先輩もきっと、わたしを見る目が変わってしまうだろう。それも、あまり良くない方向に。
先輩は少し考えてから、答えました。
「いいんじゃない? 今の飛田さんとは違うだろうけど、それでも相手が飛田さんだったら、それはそれで受け入れられるかもしれないし」
そんなことを、先輩はいとも簡単に言ってのけました。
「失望するかもしれませんよ」
「……まあ、可能性はあるかも」
「だったら――」
「でも、私だって同じようなものだから。それにやっぱり飛田さんだし、きっと大丈夫だよ」
同じというのはどういうことなのか。どうして大丈夫なのか。
それを訊ねようとしましたが、先輩の表情にどこか影のさすようなものがあって、結局それを口に出すことができませんでした。
先輩はデバイスをホルスターに収め、アタッシュケースからステッキの各パーツを取り出しました。それを組み立てていき、大きな歯車型の柄がついたステッキを完成させると、閉じたケースを横に除けて立ち上がりました。
「じゃあ、次は武器の説明だね」
公園の広いところへと歩いていき、器用にステッキをくるりと回して、柄の歯車を動かします。歯車の内部機構が口を開き、大腿のホルスターに手をかけて、そこから先輩はちらとわたしを見つめました。
「そういえば、飛田さんのもらった武器って私と同じものなの?」
「いえ、わたしのはナイフの柄みたいなものでした」
「なるほどね。他にも違う武器があるのか……」
「あの、勝手に使って大丈夫なんですか? 先輩のそれも、フードの人からのよくわからない貰い物ですよね?」
「ああ、いいのいいの。使ってだいぶ経つけど、あの人――本人が返してって言いに来ないんだから。それに、せっかくこんなものを貰ったんだから、使わない手はないだろうしさ」
先輩はどこか懐かしいものを思い出しているように言いました。やはり、フードの人と先輩は知り合いなのでしょうか。
自分のスカートに手をくぐらせて、ホルスター内のデバイスに触れて、低く呟きました。
「シャイン」
先ほどの女の子の全身が映ったカードを引き抜いて、それをわたしにひらひら見せてきました。
「まずは自分に宿っていた妖精の名前を呼んで、デバイスの画面に触れる。こうすると、妖精がカードとして出てくる」
「えっ、あれカードなんて入ってるんですか?」
「カードといっても、そのまま紙が入ってるわけじゃないらしいんだ。実体のないものを実体のようなものに変換してるだけというか。カードの形を取った幽霊? って感じかな」
聞いても、あのデバイスからカードが出る仕組みはよく分かりませんでした。しかし、電子機器の詳しい仕組みなんかも、特に知らなくても操作方法だけ知っていれば動かせるみたいなところはありますし、まあこれもそういうものなんだと思うことにしました。
先輩はステッキを少し掲げて、なおも説明を続けます。
「それで、さっきのこれが武器なんだけど、同時にこれが――」
何かためらっているようで、少し間が空きました。
わたしはその理由がよく分からず、訊きました。
「あれじゃないんですか? あの、ヒーローとかの使う変身アイテム」
「……いや、そうなんだけど。説明しても通じなかったかなって」
「いや先輩、昼休みにも変身してたじゃないですか。それに、弟が日曜の朝によくそういう番組見てたりするんですよ」
「あっ……弟さんね……」
もしかして、わたしが知らないと思って合わせようとしてくれたのでしょうか。だとしたら、とても申し訳ない気持ちになってきました。
「わたしも隣で見てたりしますよ。そこまで詳しくはないんですけど」
「……そうなんだ。うん、説明に戻るね」
先輩は少しだけうずうずしながら、それを振り切って話を続けます。
「それで、カードをこのステッキのスロットに差すんだけど、飛田さんの武器もカードを入れるスロットとかあった?」
「あぁ、はい。ありました」
「そっか。じゃあ、あとは――」
カードをスロットに差し込んで、歯車を戻しました。すると、カチッという音とともに、昼休みの時のように先輩はまたも光の粒子に包まれていきました。
「
言葉とともに、周囲を漂う光の粒子は凝縮していき、先輩を魔法少女――ヒーローに変えていきました。
純白のドレスと、芸術品のように輝く銀髪と、凛とした顔つき。そこには先ほどの先輩とは違う存在がありました。
彼女の名前はシャイン。先輩自身ではないけど、先輩の憧れた姿を使って生まれたもうひとりの先輩。
「これで変身は完了です。ちなみに、さっきの変身時に使った光の粉のようなものは、
「じゃあ、昼休みに犬の耳とか尻尾が生えたのは――」
「その話はいいですから!」
シャインの中の先輩の部分が見えて少しだけホッとしました。やはり姿が変わっても、先輩は先輩なのです。
シャインが歯車を動かしてスロット横のスイッチを押すと、元の先輩の姿に戻りました。
先輩はわたしに優しく微笑みかけます。
「あとは、スロット横のスイッチを押したら変身解除できる。まあ、そんなところ。実戦する時のあれこれは、また次の機会に説明するから」
「あの、実戦って……」
先輩は息を呑んで、手を差し伸べました。
「……ねえ、飛田さん。よかったら、一緒にヒーローやらない?」
唐突だし、ちょっと意味が分からないなと思いました。
だけど、断ろうという気は全く起こらず、先輩に出会う前までのアタッシュケースへのためらいが嘘のように、わたしはすぐに手を伸ばして、その手をぎゅっと掴みました。
ヒーローなんかにあまり興味はなかったけれど、先輩と一緒にいられるのならそれだって悪くないかもしれない。そして、この人なら、もしかしたら本当のわたしを明かしてもいいのかもしれない。なぜだか、そんな気がしてきたのです。
先輩の細長の指の繊細さを手のひらに感じながら、わたしはただただ、先輩とのこれからに期待を膨らませていました。
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