先輩とのファーストコンタクト 2
わたしには、最近気になっている人がいます。
名前を
しかし、そんなことはわたしが先輩のことを気にする理由にはなりません。わたしが気になっているのは、先輩が常に持ち歩いているアタッシュケースのことです。別にアタッシュケースを持ち歩いてるのが怪しいだとか、危ない商売でもしてるんじゃないかと疑ってるだとか、そういう理由からではありません。先輩の持っているアタッシュケースに心当たりがあるかもと思ったからです。
一昨日のこと、わたしが家に帰っていた途中、目深のフードの外套を纏って顔を隠した人からアタッシュケースを渡されました。あまりに強引だったために押しに負けて、結局それを受け取ることになってしまいました。
そこから、どうしようか悩みながら、とりあえず家に帰って開けてみました。中には大きなナイフの柄のようなものと、スマホよりは少し厚めで上部にスリットの入った無骨なデバイスが赤いビロードの上に収納されていました。
ナイフの柄は歯車型の大きな飾りがついていて、それを回すと側面が開いて細長のスロットが晒される仕様でした。しかし、スロットが何を差し込むためにあるのかは分かりませんでした。
次いで、デバイスの方を確かめるべく側面のスイッチを押すと、ぼんやりと画面が明るくなり、タキシードを着て舞踏会でするような仮面を付けた女の子が現れました。女の子は腕を組みながら言いました。
「ボクをここから出してくれ」
新手の飼育ゲームかな。そういえば、わたしも小さい頃にその手のものをやっていたなあ。それにしても、最近のやつはだいぶ進化したんだなあ。デバイスを見ながらそんなことを思っていました。
しかし、なぜあんなに物々しくていわく付きみたいなアタッシュケースから、こんな小学生のするようなゲームが出るのでしょう。しかも、ナイフの柄とともに。
もしかしたら、新しいおもちゃなのかも。日曜朝にやるヒーロー番組の新しいおもちゃが流出したとか。しかし、それにしてはやたら凝った作りをしているような。
考えてる間にも、デバイスの中の女の子は額に手を当てて唸っていました。
「あっ、ダメだ聞いてないなこの子。完全にボクをゲームキャラか何かと思ってる……」
この手のおもちゃにしてはやけにメタなこと言うなあと思いながら、そのまま側面のスイッチを押して電源を切って、とりあえずアタッシュケースに戻しました。とりあえず、怪しいし下手に弄らない方がいいなという判断のもと、そのままベッドの下に滑り込ませました。
結局あれはなんだったのか。どうすればいいかも分からないまま悩んでいたところに、先輩の話を聞きました。
もしかしたら何か知っているのかもしれない。そう思って、すぐに親友に詳しく話を聞いて、お昼休みはいつも学校の屋上に一人でいることを知りました。親友には「なんの用かは知らないけど、行っても無駄だと思う」というような真面目に忠告されましたが、とりあえず一度だけ話を聞くことにしました。
そうして今に至ります。早く昼食を終えて屋上に来て、出入り口の扉を少しだけ開けて覗くと、長い黒髪の女子生徒がこちらに背を向けて立っていました。床に開いたアタッシュケースが置いてあることもあり、おそらくあれが噂の広野先輩なのでしょう。わたしが渡されたものと同じかどうかは、近くで見てみないと分かりませんが。
先輩はうつむいた様子で言いました。
「今日手に入ったこの
「いやあ、期待しないほうがいいですよ。あの鉤爪だけが自慢のチンピラオオカミですし、せいぜい爪が長くなるくらいでしょう。試すだけ無駄ですって」
「でも一応確認しておかないと! 使える手札は多いに越したことはないし!」
「いいですけど、わたしはあまり期待できませんね」
先輩の他に違う声がありました。他に誰もいそうにないですし、スマホでビデオ通話をしている、というところでしょうか。
それにしても、何の話をしているのでしょう。その相手は誰か。
「じゃあ、やるよ」
「まあ、はい。どうぞ」
何をやるというのでしょう。さっきの会話といい、今のところは何も掴めそうにありません。
「シャイン、ウルフ」
先輩はそう言って、手元を動かしたようでした。背後からであるために、何をしているかまでは分かりません。
そこから先輩はスカートの裾を少し上げて、大腿に見えたホルスターのようなものに何かを入れて、すぐにガチャッと何かを動かす音が聞こえました。一瞬だけでしたが、その間に、カードのようなものと棒の端のようなものが見えました。
「
先輩はそう言って、文字通りの光に包まれました。黒髪や制服の周りに光の粒子がふわりと漂い、そこから先輩は舞うようにくるりと回りました。
その光景は、とても綺麗でした。ステッキのようなものを持った先輩は粒子の中で漂白されていき、膝丈ほどのスカートのフリルが舞う純白のドレスを纏った、テレビで見るような魔法少女に変わりました。
こんなことって、現実にあるのでしょうか。あながち現実も馬鹿にできないなと、そんなことを思っていると、先輩は突然なにかに驚いたように振り返りました。
「そこにいるのは誰ですか!」
わたしは思わずびくっとなって、そのまま扉を開いて勢いよく飛び出してしまいました。その時の先輩の声はどこか高くなっていて、先ほどの先輩の話し相手の声をそっくりそのままにしたようでした。
気まずいまま立ちすくむわたしに、先輩はただひたすらに冷めた眼差しを向けていました。
「えと、すみません! あの――」
言いかけて、先輩の両耳や手の甲に光の粒子が残っていることに気づきました。そして、わたしが見ているなかで、粒子はひとつの形を取っていきました。
先輩の耳は犬のような尖った耳に変わり、手の甲には輝く鉤爪が備わり、スカートの下からはもこもこした尻尾が生えました。
「……へ?」
緊迫したなか、先輩の口から気の抜けたような声が発せられました。
「うわっ、わ、わわ……」
「あの、それは……」
「何しに来たのですか!」
先輩はすぐさま両手で耳を隠して、後じさりながら言いました。
わたしは手をぶんぶん振って弁解を試みます。
「あっ、違うんです! そんなつもりじゃなくて! わたし、ただ広野先輩に聞きたいことがあって!」
先輩はなおも鋭く睨みつける。わたしは怖気づいて言い出せなくなる前に、早口で言いました。
「その、アタッシュケースのことで!」
その時、一瞬だけ先輩が目を丸くなったようでした。しかしすぐに、またわたしを睨みつけて言いました。
「後ろ向いててください」
「……はい?」
「元に戻るので、後ろ向いててください!」
「あ、はい! すみません!」
わたしはすぐに後ろを向きました。
クールでミステリアスと噂の広野先輩。その正体はなんと魔法少女で、わたしの目の前で華麗に変身し、犬の耳や尻尾まで生やしてしまう。そして、これを知っているのはわたしだけ。そして、そんな先輩の顔には、恥ずかしそうな表情が浮かんでいた。
わたしのなかに、高鳴るものがありました。
日常の中のファンタジーからか、わたしだけが知っている先輩のギャップからのものか。今ある高鳴りは、果たしてそのどちらなのでしょう。
この間じゅう、わたしは誰に見られるわけでもない照れを隠すように、ひたすら口元を押さえていました。
先輩は元の黒髪に戻りました。近くで見て気づいたのですが、どうも先ほどの魔法少女とこの先輩では、顔がまったく違うらしいのです。
しかし、元の先輩も儚げな可憐さがあり、何故この人が昼休みに一人で屋上にいるのかと少しだけ疑問に思ってしまいます。
先輩は黙々とステッキを分解してアタッシュケースに片付けていきながら、こほんと軽い咳払いで先ほどの恥じらいを払拭して、わたしをちらと見やりました。
「それで、なにが聞きたいの?」
元からまつげ長いんだな、とかそんなことを思いながら、わたしはよこしまな考えをぶんぶん振り払って、そして答えました。
「一昨日、わたしもそれと同じようなアタッシュケースを貰ったんです。そのことで」
ケースの留め金がぱちんと小気味良い音を立てて閉まり、ようやく先輩が身体ごとわたしの方へ向きました。
「それ、本当?」
「はい。フード付きの外套を被った人に貰って……」
わたしがそう言うと、先輩は口元を押さえて小さくこう呟きました。
「やっぱり。カナデお姉ちゃん……」
「はい?」
「ああ、いや。こっちの話。とりあえず、続けて」
先輩、さっきと口調が違ってる……?
しかしまあ、もしかしたらそういうロールプレイングとかかもしれないですし、気にしないほうがいいのかもしれません。はいやめ。
察するところによると、おそらくあの女の人は先輩のお知り合いなのでしょう。そのことについても気になりましたが、とりあえずわたしは本来聞きたかったことについて訊くことにしました。
「アタッシュケースに入っていたデバイスと武器のようなもの。あれは一体、何なのでしょう?」
わたしの方のアタッシュケースには機械仕掛けのナイフの柄、先輩の方は組み立て式のステッキ。そして、先輩はそのステッキを使って姿を変えていた。
もし本当に、わたしの持つアタッシュケースと先輩の持つそれの出処が同じだとしたら。あれはおもちゃでも何でもなく、なにか重大な使命を孕むものなのかもしれない。そんな気がしてきました。
そして、先輩は困ったように苦笑しました。
「私だってそこまで詳しくないよ?」
「でも、先輩はあれを使いこなしてるように見えました」
「私はたまたまああいうものを貰って、シャインの話に乗って、そのままちょうどいいと思ってヒーローを始めただけ。実際にあれが何なのかなんて、知らないし知る気もない」
「シャイン?」
「私に宿っていた妖精のこと。今はデバイスで鹵獲されてる状態らしいけど、むしろ彼女には好都合みたいだよ」
もしかして、先輩とは違う声と口調で話していたあの声の主のことでしょうか。しかし、なぜ姿を変わったときに、そのシャインという相手の声に変わっていたのかは分からないですが。
「まず先輩の言う妖精という存在のことが分からないですし、先輩がやっているヒーローのことも、先輩が変身した原理も、なぜ犬の耳と尻尾が生えたのか――」
「それは忘れて」
先輩はまた恥ずかしそうに咳払いして、仕切り直すように調子を戻す。
「とりあえず、デバイスと武器と妖精について、簡単な説明ならしてあげられるけどね。さて……」
先輩はそう言って、コンビニの小さなビニール袋とアタッシュケースを持って立ち上がり、屋上の扉に向かって歩きだしました。
「あの、どこに……」
「今話してたら時間ないでしょ。放課後まで待っててよ。放課後に用事とかあったりする?」
「ないですけど……逃げたりしませんよね?」
「逃げないよ。同じケース持った子なんて、私も初めて見るんだし。私が信用ないのはしょうがないけどね」
振り返ったその顔は、どこか自嘲を含んでいて寂しそうでした。
それが放っておけなくて、今すぐ引き止めたくて。わたしはまだ先輩のことを知らなかったから、どうにもしようがなかったのです。
そう頭では考えていたのですが。
「じゃあ、また放課後。校門前で待ち合わせってことで。あっ、私がヒーローだってことはみんなに隠して――」
「あのっ!」
「……何?」
「わたし、先輩が近寄りがたいとか、今見てそんなふうには思わなかったです! 今の先輩は、もっと親しみやすくて、綺麗で、とても可愛らしい人でした!」
言った後で、言わなくていいことまで言ってしまったと、思わず先輩から目をそらしてしまいました。いくらなんでも初対面で踏み込みすぎたと、後悔がどっと溢れ出すようでした。
こわごわと視線を戻すと、先輩は一瞬だけ困惑した表情を見せてから、それからふっと吹っ切れたようにふっと笑みを浮かべました。
「何いってんの!」
「あっ、えとあの……」
「私はヒーローだよ! 可愛らしいんじゃなくて、カッコイイんだよ!」
先輩は軽快にくるりと翻し、校舎の屋内に入っていきました。
結局、屋上でひとりだけぽつんと残ってしまいました。
ヒーローなんだ?
先輩にとってはカッコイイんだ?
わたしが見たのは、綺麗で、カッコつけで、どこか情けなくて、可愛らしい先輩だけだったんだけどな。
……面白い先輩だったな。
そんなことを思いながら、伸びをして空を見上げました。
そこには白い雲が綺麗に入り混じる、奇跡的なコントラストを描いたような青空が広がっていました。わたしはそんな光景になにか神秘的なものを見出して、約束通りにまた先輩に会えるよう何度か心の中で祈ってから、先輩の後に続くように屋内に戻りました。
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