第1部 ヒーローであるためのふたつの歯車
先輩とのファーストコンタクト 1
けたたましい雄叫びがあたりを震わせ、直後に数多もの悲鳴が重なった。
それは登校中の私の耳にも届いていて、大きな破砕音でそれを確信した。私はシルバーのアタッシュケースを置き、大腿に巻いたホルスターから無骨な金属製のデバイスを取り出して、側面のボタンを押して言う。
「シャイン、
画面が灯ると、白を基調とした動きやすそうなドレスの銀髪の少女が姿を現す。私は彼女をシャインと呼んでいる。シャインは待ってましたとばかりに、画面の外に乗り出そうとするような体勢になった。
「出番ですね!」
「うん。お待ちかねのヒーローの時間だ」
言って、デバイスを持った右肩をぐるんと回す。アタッシュケースを拾い直して、あらかじめ把握していた手近な路地裏に入り、一緒に持っていた鞄を除けて、ケースの留め金をぱちんと指で弾いて開ける。
中には三本に分割された短い鉄パイプのようなものと歯車型の大きな部品が、敷かれたビロードの上に詰められていた。
歯車の部品は内部に入り組んだ小さな歯車の機構を露わにしていて、表面の金属の光沢が何かお高めの装飾品を思わせる。しかしこれは、私達が戦うための、ヒーローのための武器だ。お守りでも飾り物でもない。
路地に響く破砕音はどんどん大きくなる。喧騒もさっきよりも増して、警邏車両のサイレンまで混ざり、まさに音という音の混沌とした大合奏が続く。
急がなければ。
分割されたステッキを慣れた手付きで組み立てていく。短い鉄パイプのような部品を繋げると腕ほどの長さの棒状になり、それを歯車の部品のジョイントと接合していく。すぐに歯車型の柄を飾ったステッキに変わり、まさにヒーローの振りかざすような魔法のステッキが完成した。
デバイスを見ると、待ちわびたシャインが『認証待ち』のウィンドウを掲げていた。
「準備完了だよ」
シャインはウィンドウを下ろした。
「今週はどんな妖精でしょうかね?」
「前回出たのは三日前だけどね」
「……やっぱり、週一とかちゃんと決めてくれないと、収まりが悪いですって」
「敵さんがいちいち都合なんか合わせてくれるわけないでしょ。行くよ、シャイン!」
デバイスの画面中央に触れると、上側面からカードが弾き出される。抜き取ったカードにはシャインの全身の姿が写し出されていた。
デバイスをホルスターに戻してから柄の歯車を時計回りにずらし、横側面の機構が開いてふたつのスロットを晒す。その片方に取り出したカードを差し込んだ。
「
掛け声とともに、柄の歯車を戻す。内部のスロットが半回転して、内部の小さな歯車たちがせせこましく回転しはじめる。
歯車のいくつかの歯の部分から
鱗粉が身体にまとわりついて、シャインの纏っていたものと全く同じ衣装に姿を変わっていく。そのなかで、もうひとつの意識が私に語りかけた。
「ヒカル!」
――何?
「ここは狭くて鱗粉が分散できないので、表出ていいですか!」
――ああ、そっか。
私はシャインの意識に合わせて走り出す。いや、私の意識が彼女に合わせて走り出す、という方が正しかった。
私の身体は、彼女の身体に替わっていた。
シャインは走り出して路地裏からスライディングで飛び出すと、身を翻しながら立ち上がり、全身に付着した鱗粉を巻き上げる。鱗粉は衣装に確かな形を持たせて、ステッキを横一文字に振るうとともにフリルがふわりと舞い下りた。
目の前の車道には、停止させられた自動車たちをかばうように停まった警邏車両。その奥に、拳銃を持った警官に囲まれる狼男がいた。これがこの街に、おそらくは世界規模にもはびこっているのかもしれない
発砲する警官の前で、狼男は撃たれた部分がかすかに輝くだけでもろともしていない。シャインと同じ鱗粉が銃弾を邪魔しているのだ。
「悪党め! 今週のマキナ・シャイン、活動開始です!」
私のもうひとりの意識である彼女は、あの狼男と同じ妖精という存在だ。
妖精は人間の身体を乗っ取って怪物にする肉体のない精神体で、シャインは他の妖精と違ってデバイスに鹵獲して制御されている。だから、今この状態の『私』は完全に乗っ取られているわけではなく、いわゆる共生状態というやつだ。
そして今から始まるのは、『わたし』のヒーローショーの一幕。
「そこまでです!」
「あぁ?」
片端から警官を殴り飛ばしていた狼男がこちらを向く。私は狼男に向けて、改めてびしっとステッキの柄を突きつけた。
「名をマキナ・シャイン! 悪しき妖精を捕らえるべく、わたしはここに現れました!」
「……なんだこいつ」
「問答無用! お前みたいな輩には、制裁こそふさわしい!」
「いやだから、お前誰――」
有言実行、すぐさま踏み込んで狼男に肉薄する。ステッキを大きく振りかぶって、勢いをつけながら脳天に向けて歯車を振り下ろす。
狼男が背後に退いて間一髪にかわし、そのまま勢いのついた歯車がアスファルトを砕く。無数の礫が飛び散り、砕いたところを中心に無数のヒビが走った。
警察はいつものように恐れおののきながら、誰もかもが私から離れて、民間人への避難誘導を促しはじめた。
しまった。また「逃げてください!」を言い忘れてしまった。これではまるで、通り魔みたいじゃないか。
心の中で反省しながら、すぐさまめりこんだ歯車をアスファルトから抜き、ステッキを上げて間合いを取る。狼男も獲物を狙うような腰を落とした体勢で身構える。
「危ねえ! いきなり何しやがる!」
「名前と目的は言ったでしょう!」
「言えばその、なんだ――メイスで殴りかかってきてもいいってのか!」
「魔法のステッキです!」
「うるせえ何でもいい! よし話は結構だ! 喧嘩売ってるみてえだから、爪とぎにして黙らせてやるよ!」
狼男の両手に長く頑丈な銀の鉤爪が出現した。すぐさま鉤爪は、私の目前に迫る。すれすれのところでどうにかステッキで弾き返したが、もう片方からも鉤爪が続く。次々と切り裂こうとする鉤爪を全ていなして後ずさりするのを何度か繰り返した。
「おいおいおい! さっきまでの威勢はどうした?」
「……急かさないでくださいよ」
「は?」
「……見せ場は焦らさないと、つまらないじゃないですか!」
鉤爪の軌道が微妙にずれた。頃合いだと思いながらステッキで鉤爪を思い切り弾き、足元のバランスを崩す。
狼男にできた間隙を見計らい、歯車を回して再びスロットを出す。スカートに隠したホルスターのデバイス画面中央に人差し指で触れて、呼ぶように言った。
「ハリケーン!」
再びデバイスからカードが排出される。人型の竜巻が描かれたカードを抜き出し、残りのスロットに差し込む。
「
歯車を戻すと、歯車から少し離れてもうひとつ半透明の歯車が生成される。半透明の歯車は高速回転して風を生み、その中心に向かっていくつかの小さな稲妻を帯びていて、まさに極小の竜巻を生み出していた。
「お前、さっきのカードは――」
「それでは! マキナ・シャイン、今週の必殺技!」
ステッキを振りかぶり、狼狽えた狼男の胴をまっすぐ払い飛ばして叫んだ。
「ギアフィニッシュ・ハリケーン!」
竜巻が毛むくじゃらの大柄な体躯を抉り、傷口からは血ではなく光の粒子のような鱗粉が溢れ出す。三振りしたところで鳩尾に向けてまっすぐ突き込み、回転し続ける竜巻と稲妻で傷口の内部を引き裂き、弱ってきたところを見極めてステッキを引いた。
狼男は絞り出すような唸り声を上げながらくずおれて、鱗粉を撒き散らすうちに普通の青年に姿を変える。正確には、人間に戻った、というべきか。
こうして妖精から戻った元の人間の意識は、基本的に戻ることはない。というより、戻った前例を見たことがない。
輝く鱗粉が完全に消えないうちに、青年の身体にデバイスをかざす。デバイスには大きくオオカミのアイコンが映り、そのまま画面に吸い込まれていった。
私は青年に目をそむけながら、出てきた路地裏に戻ろうと歩く。しかし、いつの間にか手すきの警官たちが、私を囲むように拳銃を構えていた。
「敵ならもう倒しました」
「マキナ・シャイン! お前にも手配書が出ているのを知っているだろう!」
「こんな脅しは効きませんよ。撃ったところで、弾の無駄なのです」
「お前が大人しく連行されてくれれば、弾だって節約できるだろうがな!」
「嫌です。ヒーローからお金をせびるおつもりですか?」
「お前、今までどんだけ街のもの壊してると思ってるんだ!」
「わたしが毎回来なかったら、街はもっと酷い有様になってたでしょうね」
ステッキの歯車を回して戻す。カードを入れ替えるのは手間かかるし、これで事足りるか。
竜巻は再び生成され、周囲で礫が踊り始める。
「おい! 何をするつもりだ!」
「わたしの用事はこれで終わりなので! また来週!」
円を描くように地面に竜巻を薙いでいく。礫が舞い上がって警官たちの目を眩ませ、その隙に路地裏に入る。鞄とアタッシュケースを取って左右の壁を交互に蹴って跳び、そのまま建物群をいくつか越えていった。
先ほどとは別の路地裏に下りて、ひと気を撒いたことを確認して、歯車を回してスロット横の二つのスイッチを押す。これでスロット内のカードはデータに戻り、瞬時にデバイスに転送された。
姿が『わたし』から『私』に戻る。
純白のドレスはいつもの制服に戻り、紺色のブレザーやスカート、白のシャツに飾る細い青のリボンが戻ってくる。意識だって顔だって完全に私のものに戻っていた。
さて、ここからは学校だ。ヒーローと学校の両立は難しい。わざわざ学校で学ぶまでもないくらいの成績は維持しているし、このままヒーロー活動の方を専念させてほしいところだけど、世間はそうも許してはくれない。
ステッキを分解してアタッシュケースの中に納める。
全てが終わったところで、スマホを取り出した。もう授業が始まっている時間だった。
今日も遅刻か、とひとりごちながら、先ほどの警官を避けて歩いて学校に行く。姿だって違うし、さすがに私の顔を見たからといって即逮捕はしないだろうが、朝っぱらからこれ以上に警官の顔を見るのはごめんだった。
警察はシャインに対して厳しい。それは私のヒーローとしての姿であるシャイン自身も妖精であるからで、警察としては怪物同士の抗争として扱われるからだ。事実、ちょくちょく公共の場を破壊してしまうことは事実だし、そこまで被害者ぶって文句は言えないけれど。
こんな不満だらけでも、私がヒーローであり続けているのは、カナデお姉ちゃんの影響だった。かつて近所に住んでいたお姉さんで、私の憧れるヒーローだった人で、今はどこにいるか行方が知れない。どこかに引っ越して疎遠になったとかではなく、五年前に突然失踪したのだ。
両親やカナデお姉ちゃんの家族はもはや死んだものだと思っている。しかし、私はそう思っていない。なぜなら、このアタッシュケースはカナデお姉ちゃんから渡されたものだからだ。
これを渡した人は外套のフードで目元を隠していたが、私にはそれがあの人だと分かっていた。
あの人はきっと、今もどこかで生きている。あのデバイスとステッキの入ったアタッシュケースを渡したのがカナデお姉ちゃんだとすれば、あの人だって私と同じようにヒーローとしてどこかで活動しているのかもしれない。
だから、次にあの人に会う時までに、あの人の前にいて恥じないようなヒーローでありたい。それが今の私の目標だった。
学校に着くと、当然校門は閉まっていた。しかし、私はそれに構うことなく校門を越えて、何事もなく学校に入っていく。
結果として、いくら私の成績が良かろうと、もちろん教師のお咎め無しということはなかった。しかし、もはや常習犯ではあるので、怒られるのを通り越してもはや呆れられた。
教室に入って、クラスメイトの視線を浴びながら、何事もなかったように荷物を整える。ちょうど一時限目が始まったところだった。
担当の教師は苦い顔で見て言った。
「涼しい顔をしているが普通に遅刻だぞ」
「大事な用があったもので」
「それは授業より大事なことか?」
「まあ、そうですね」
教師もクラスメイトも、きっとあまりいい印象は持っていないだろう。私は誰の顔もうかがうこともなく、授業の準備をした。
ヒーローが学業を優先していたら、この人たちは今ごろ呑気に授業どころではなかっただろう。恩着せがましくするつもりはないが、私が授業に遅れることで平穏な生活が送れていることに、もう少し感謝してほしい。
学校の人間とはほとんど話さない。こっちだって話すことがなかったし、向こうも私のことは近寄りがたいと思っているだろうから。
別に寂しくはなかった。どのみちヒーローとしての私のことなんて誰にも話せるはずもなかったし、それを誰かが理解してくれるとも思っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます