第50話 闇の眷属
屋内にしても薄暗い闇の中――
「魔将、ザルク……魔族……」
彼の者曰くラフィートルン城の地下らしい場所で、僕は反芻するように呟いた。
――魔将とは魔族の軍を率いる将軍を指す言葉だ。
多種多様な魔物を兵隊として操る狡猾な指揮官。
かつてサラと一緒に読んだ絵本ではそういう風に描かれていた。
他にも魔族には色々と肩書きがあったように思うけど、その代表格が魔将だ。
でも――
「な、なんでスロールラバンの外交官に……」
それは単純な疑問だった。
魔族、その将軍が人間の治める国の外交官に成りすましていたということは、僕たちの国であるハイリタ聖皇国のみならず他国も何らかの深刻な問題を抱えていることになる。
どうやら、そんな僕の訝しむ視線に気づいたようで、
「なに、奴らと少しばかり協定を結んだまでのことよ」
魔将と名乗ったザルクは何でもないといった様子でそう答えた。
協定……?
それは、一体どういう?
まさか、スロールラバン連合帝国と手を組んでいる……ということか?
だけどスロールラバンは人の国だったはず……。
人が、魔族と、手を結ぶ……?
そんなことがあり得るのか?
「……それよりどうして分かった。少年」
さっきの事柄に多くは語りたくないらしい魔将たるザルクは、僕が正体を見破った理由を訊いてきた。
唐突なその問いにさっき抱いた思わぬ考えを振り払う。
「何となく……人の気がしていなかったから」
そう言うしかなかった。
実際、僕にもなぜそう思ったのか論理的に説明することが難しい。
ただ、いうなれば……いつも感じているサラの雰囲気、いや気配? それと真逆なものを無意識に感じ取ったから……と言えるかもしれない。
何処か怖くて薄気味悪い。自身の力や大切な何かを吸われて奪われるような……そんな得体の知れない感覚をザルクから感じた。
「ほう。なるほどな。少年ならではの勘の良さと言うところか」
僕の簡潔な返事を聞いたザルクはやや視線を落とし、渋々納得したように口角を上げる。
「まあ、致し方あるまい。それよりも、仕事をさっさと済まそう」
そう言うとザルクはすぐさま僕に背を向けた。
仕事と口にした魔将が向いた先には……鋼鉄の扉がある。
先程、スロールラバンの外交官に変装……と言っていいのか分からないけど、身分を偽っていたザルクが言っていたことが正しいとするなら、その扉は聖賢の間へ通じるものだ。
「一体、何をするつもりだ」
僕は、扉を狙い澄ますように見据えた魔将に目的を問う。
子どもなのもあるだろうけど……唯一の武装であった木剣を此処に連れて来られた拍子に落としてしまった僕に対して、魔将からは警戒心など欠片も感じない。
これなら、目的くらいは溢してくれるかもしれない。
「はじめに言っただろう? ここをぶち抜くと」
僕の希望通り、大して事も無げに、そして、冷淡にザルクは言い放った。
――ぶち抜く……?
僕がその言葉の意味を測りかねている間に――
彼の者は屈強そうな豪腕を大振りに動かし、大げさに手の平を扉に向けて構えた。
そして――
「万能にして虚構なる天の光に宣告す。神が造り給いし偽りの世を幽遠と隔絶せしとき、必ずや我が魔の闇に染め上げん」
何処かで聞いたことのあるような呪の詩を諳んじ――
「闇の槍、魔が望むままに、貫穿せよ!」
言い終わるや否や魔将の手に力が込められた。
そして、同時に巨大な槍が宙に浮かぶようにして顕現した。
魔将の近くに現れたそれは禍々しい虚ろな闇を湛えており、恐ろしく強い力を感じる。
そう思った刹那、闇の槍が鋼鉄の扉へと射られ――
物凄い速さで鉄格子に守られた鋼鉄の面に――ビシンッ!
槍が畏れ多くも聖域を穢し、貫かんとしたとき……間一髪といった位置で流麗な紋章を象った結界らしきものが現れ、凄まじい音を立ててそれを食い止めた。
見たところ、現れた結界に刻まれた紋章は――聖陽紋。
太陽の光を表したこの国を象徴するもの。
唐突に始まった光と闇の攻防。光の結界が、じりじりと闇の槍を押し返していく。
しかし――
「はあああああああああああああああああああ!」
耳が痛くなるほどの叫び声を上げながら、魔将が槍に力を込める。
それと合わさるように――びきびき……と、何かが軋み、割れるような音がし始めた。
「や、やめ――!」
僕が急いで止めようと声をかけた瞬間――槍が結界を貫けて、鋼鉄の扉に突き立った。
同時に、割られた光の結界の破片がカランと軽快な音を立てて床に落ち……粉を散らすようにして砕けると空中にすっと溶け消えてしまった。
その光景を目にして闇なる力を放った者が僅かに笑みを浮かべ――
「槍よ、砕け散れ――!」
――その呪文と共にザルクはさらに力を込め――扉に突き刺さった槍を破裂させた。
刹那、槍だった黒く禍々しい力の素が四方八方へと一瞬で飛び散り、厳重に扉を守っていた鉄格子を強引に捻じ曲げ――
暴虐に、粗暴に、乱雑に、
――外から扉を打ち破った。
「ふん、思いのほか簡単であったな」
見事というべきかどうなのか……凄まじい威力の術で聖賢の間をぶち抜いた魔の将軍、ザルクは満足げに意気揚々と肩を揺らしながら中に入っていく。
息を飲み、そして頭を振って、僕は後に続く。
(このまま見過ごすわけにはいかない)
破られた結界にあった聖陽紋。
それが護っていた聖賢の間。
このまま魔の将軍の意のままに進んでもらうわけにはいかないだろう。
そう思い、破られた扉を越えて中に踏み入れた瞬間――
強い光が注がれる。
手で
どうやら、照明として備えられた光系統の神聖法理術のようだ。
罠ではなさそうだと安堵し、早速歩を進めようとすると……パシャ。
足に冷たい何かがかかるのを感じた。
これは……?
光に目が慣れて辺り一帯を見てみると……ステンドグラス調に古き蒼い時代――神話の物語を絵で表したような美しい石造りの壁から等間隔に水が流れ出ている。
そんな小さな滝がいくつもあり、それらが絶え間なく注がれることで石が綺麗に敷き詰められた床は一面清々しい水に満たされていた。
しかし、少しだけ、一段ほど高くなっている部分がありそこは水位より上だ。
どうやら水辺を渡るための飛び石のように、通り道として意図的に置かれているもののようだ。
また、これだけたくさんの水があるのに、不思議とコケや藻のようなものはなく、天井からの神々しい光を水で満たされた床が優しく照り返している。
まさにこれ以上ない程の神秘的な雰囲気を湛えていた。
此処が――聖賢の間。
「これが、破魔の剣か……」
僕が聖賢の間の美と威容に圧倒されつつ道に戻り歩き進んでいると、前の方から彼の者の声が聞こえた。
急ぎ足を止め、前を見る。
すると、聖賢の間の入り口から中心中央までを貫くようにしてあるらしい等間隔に置かれた飛び石……その途切れ途切れ道の終わりには、仰々しい台座があるのが見て取れる。
よく見ると何かが刺さっているらしいその台座近くに魔将ザルクはいた。
なるほど……そういうことか。
「お前の目的は……破魔の剣の破壊か?」
ここに来るまでの間には、破られてしまったとはいえ聖陽紋の結界が張られていた。
そして、あの台座は開帳の儀で見たものとよく似ている。
だとすれば、ここ聖賢の間は本来、破魔の剣を守るための部屋ということだろう。
なぜ破壊されたはずの破魔の剣がここにもあるのか詳しくは分からないが……武具――特に剣には
高名な鍛冶職人らしいおじいちゃんが言うには……鍛冶屋は大事な依頼が来たとき剣を複数打つらしい。その中で出来の良い剣一振りを真打とし、その他を裏打、或いは影打と呼ぶそうだけど、ここに安置されているアレこそがいわば真打のような存在なのだろう。
魔将であるザルクがわざわざここを目指し、聖賢の間に侵入したことがその証拠だ。
本当に神器にもその概念があるのか分からないが、不思議と僕のこの予想はそんなに外れてはいないという確信がある。
だとしたら……不味いぞ。
ここで神器の真打まで壊されたら……本当に神器の一角を失い、取り返しのつかないことになる。
「いや、少し違うな。私の任務は破壊ではなく奪取だ。我々魔族が有効活用するために掠め取りにきたのだよ。忌々しい神器をな」
僕の懸念を読み取ったかのように、魔の将は背を向けたまま顔だけで振り向いて淡々と目的を明かした。
――奪取!
つまり、盗みに来た!?
「さて、早速頂戴しよう」
若干の高揚が窺える声を上げながら魔将は破魔の剣に向き直った。
瞬間、僕は魔将に向かって駆け始める。
破壊にせよ、奪取にせよ、神器を脅かそうという点では変わらない。
何としても阻止しなければ!
だが意地悪なことに、飛び石の置かれた距離が子供ではなく大人のそれだ。
中々子供の足では飛び石を跨ぐのが難しく思うように走れない。
そして、僕が足を取られているうちに魔将が破魔の剣に触れた。
「――ッ!」
間に合わなかったと思ったその刹那。
目の前から眩い閃光が走った。
同時に風が巻き起こり、魔将の呻く声が耳に届く。
否応なく足が止まり、目を閉じてしまう。
数舜の後、眼前で起こった事態を確認するべく、急いで目蓋を押し上げて前方を見る。
そこには、手から白い煙を上げている魔将と――青白い光が明滅し、まるで天が怒る雷のような稲妻を帯びる破魔の剣の姿があった。
(剣が拒絶した……?)
事実どうなのか分からない。
だけど、目の前の状況を考えると、そう考えるのが自然だ。
サラはあまり神器については教えてくれなかったから詳しくはないが、神器は自らの主を選ぶという言い伝えを聞いたことがある。
もしかしたらそれかもしれない。
「……予想通りだ。フ、そっちがその気ならこちらも強引にいかせてもらおう!」
怒れる剣の雷撃を身に浴びながらも、魔将ザルクは焼かれた手で再び柄を握った。
再び閃光が瞬き始める。
びりびりという音と共に、魔の存在を排しようという神器の存在意義ともいえるその力を迸らせていた。
それに抗うようにザルクは叫び声を上げながら、決して柄を離さず、台座から引き抜き続ける。
――くそ!
なにか……何か僕にできることは!
必死に考えを巡らせるが、武器もなく神聖術も使えない僕にできることなど体当たりくらいしか思い当たらない。
子供のそれで魔将が倒れるなんてことは全くもってあり得ない。
思考が鈍り、神器の存亡というあまりの窮地に絶望しかけたそのとき――
「――な!」
ここ一番で剣の閃光が激しくなった。
びりびりという雷鳴も轟き、強烈な風が辺りを包む。
――ビキ。
ぺキ……ペキペキベキ――
異様な音が混じり始めた。
徐々にそれは激しさを増し……破魔の剣の剣身に一際光が強い部分が線状に現れ始めた。
刹那、目を覆うような強烈な風が襲い――その烈風と共に剣が纏っていた青白く輝く光が四方八方に飛び散った。
次の瞬間。
――カラン……ばしゃん。
甲高い金音と、水の弾ける音が聖賢の間に響き渡った。
そして、聖賢の間の壁の端から微かに聞こえる……せせら鳴く小さな滝の音だけが虚しくこの場を支配した。
あり得ない。
だが、奇しくも僕はこの光景とそっくりなものを見たことがある。
それもついさっき……神聖剣開帳の儀で。
「神器が壊れる……だと? そんな馬鹿なことが……」
さっきまでの勢いを忘れたかのように、声を震わせながらおずおずと後ずさるザルク。
それでやっと僕にも何が起こったのか――詳細な状態を確認することができた。
御剱と称されていた破魔の剣は、剣身の丁度半分の位置でぼっきりと折れ、柄のある方は台座の麓の水底に転がり……残りの切っ先までの部分は台座に刺さったままという神器にあるまじき無残な姿を晒していた。
「――ユウ! ここにいたのね!」
あまりのことで息さえ止まっていたところに、突然聞き慣れた声が聞こえた。
我に戻り、声の聞こえた後ろ側へと振り返る。
そこには案の定の声の主と、護衛らしい木剣を携えた一人の付き人がこちらに近づいて来ていた。
「――サラ! ダメだっ! ここに来ちゃっ――!」
式典の装いそのままの幼なじみ――魔将の近くへと迫りくるサラをいち早く止めるため、僕は叫びながら等間隔に置かれた例の飛び石を渡って入り口の方へ踵を返す。
「え? ――っ!」
疑問の声を上げたサラは、僕の背の向こうを見つめると急に足を止めた。
そして、すぐに両手で口を覆う。
あれはサラが心底驚いたときにする仕草だ。
「破魔の剣が……」
サラの側で一緒に走ってきたお付きの人――父さんも驚愕の声を溢している。
立ち止まってくれた隙に二人の近くまでこれた僕は、魔将のいる方向に再び振り向く。
そして、一歩前に出てサラを守る位置に陣を取った。
またそれに対抗するように魔将も身を翻し、僕らの方を見つめ返してきた。
突如折れた神器に驚き冷めやらぬのか、一方は切れ長の赤黒い瞳を震わせながら、一方は美しい空の色を映す綺麗な瞳を大きく見開かせながら――対する両者の視線が交錯する。
間もなく確かに符号していたその視線が、少しだけ上にずれ――ある一点に向けられた。
ずれたのは――魔将の瞳。
その先にあるのは――サラの頭上で光る小冠だった。
「貴様は王族の姫……ふ、そうか。斯くなる上は其方を我が故郷への手土産としよう」
不穏な言葉を呟きながら不敵な笑みを浮かべた魔将は、表情を元の凶悪なそれに戻すと、大きく広げた片手をこちらに構えて――
「――虚ろなる光よ。我が闇に染まれ――」
神聖法理術の詠唱起句にも似た禍々しい口上を述べ切った。
それに呼応するように円形の形をした赤黒く光る何か……不可思議な幾何学紋様が特徴の円陣が魔将の手に浮かび上がった。
その奇怪な円陣からは見たこともない黒い粒子が多数出現し、次々と地面に落ちていくと何かを象るように形を成し始め……黒い塊を作っていく。
もの凄い速さで積み重なっていく黒い粒子は、僕……いや、父さんよりも高く高く聳え立ち、段々と僕が知るある存在に酷似した容姿へと変わっていく。
この素早い変容に僕たちは為す術なく――突如魔将の手から出てきた一際大きな赤い塊が先ほど構築された黒い塊の中心にすっぽり埋まった瞬間、粒子全体が黒く光った。
どうやら完成したらしい。
完成形を見るに、やはり、コイツは……――
「ゴーレム、だと?」
父さんは訝しむように目を細めると、僕と同じ予測、そして答えを漏らしている。
幸か不幸か僕の予測は当たっていたようだった。
――ゴーレム。
巨大な身体と硬い鎧を持つ屈強な魔物。
魔族が支配下に置く魔物の中で、最も手強い部類に入る猛者だ。
目の前のヤツも屈強そうな鎧を纏い、大きな腕を備えた巨躯の魔物……ゴーレムの特徴に相違ない。
「さあ、我が闇の眷属よ。見目麗しく幼き姫をいただいてこい」
満足気に魔将はすっと口角を上げると、出現したゴーレムにそう命令する。
「え、ええ?」
驚くサラの声などお構いなしにゴーレムは冷ややかな鉄の足を動かし、のそりのそりとこちらに向かって歩き出す。
太い足が地につく度に、床に満たされた水が逆巻き、力強く迸る。
たとえようもないその威容に、ただただ圧倒される。
――魔将の言葉通りならゴーレムはサラを攫う気だ。
そんなこと絶対にさせない!
間違いなくそう思っている。思っているのに。
足が動かない。
それどころか細かに震えている。
なんでだ。
どうして。
あ、そうか。
この感覚は身に覚えがある。
僕を支配するこの感覚は……生き物が死を予期したとき無慈悲に迫り訪れる感情の壁。
たとえようもないほど単純で純粋な――
――恐怖。
それが僕の心と身体を締め付け、前触れもなく染め上げていた。
それでも動きがゆっくりなゴーレムからサラを抱えて走って逃げるのを一瞬考えたが、震えるこの足ではやはり無理そうだ。
こうなれば……身を挺して物理的な壁になるしかないか。
そう悲観的なアイデアを考えていると、ゴーレムが突如として動きを早めた。
逆巻く水の轟音が駆け巡り、ゴーレムがサラ目掛けてこちらに迫り来る。
瞬間、僕はサラの前で何とか動く手を広げた。
訪れる衝撃に備え、目を固く閉じる。
しかし――
カンッ――――!
(……あ、あれ?)
来るべきモノが一切来ず、代わりに異様な音が聞えた。
まるで、木が鉄を打ったようなお腹にずっと響く音。
それに目を開けると、目の間には――父さんがいた。
さっきまでサラの隣にいたはずなのに、いつの間にか僕の前に躍り出て、ゴーレムを横に構えた木剣で受け止めている。
「……ぐッ」
「父さん!」
唸るような苦い声を出しながらも、父さんは自分より大きな身体をしている強靭なゴーレムをサラに及ぶ前に押し留めている。
な、なんて力だ。
「ユウト、今のうちに姫様を安全なところに……!」
「う、うん!」
いつになく焦った強い口調と凄まじい力を発揮する父さんの姿に触発されてか、手足の震えは止まっていた。
急いで身を翻し、
「サラ、逃げよう」
と後ろにいるサラに避難を急かす。
「でもセドさんが」
「父さんは強いから大丈夫だよ。サラが逃げなきゃ父さんが危ない」
ゴーレムを押し留める父さんを案じるサラに、僕は早口でそう言いながらすばやく手を差し出す。
実際、サラがここを離れない限り父さんはゴーレムを制し続けなきゃいけない。
いくら強い父さんだって手にしている武器が木剣だ。
鎧も盾もないし、足場も滑りやすい水で溢れている。
それに相手は魔物の中でも一段と強いとされるゴーレムだ。
今だって、父さんはゴーレムの拳や蹴りを剣の腹でいなしながら応戦している。
でも攻勢にはとても出られていないみたいだ。
この様子を見ると持久戦はとても望めない。
「……ええ。分かったわ」
僕の気持ちを察してくれたのか、でも、と続きそうなサラにしては早く僕の手を取ってくれた。
サラに小さく頷いて、僕はそのままサラの手を引いて逃げ始めようと一歩踏み出した。
のだけど……、
「ぐッ!」
後ろで父さんの声が聞こえた。
ちらっと振り返って見ると……ゴーレムの両拳の打ち下ろしと力比べ――鍔迫り合いのような形になっており、そのせいで木剣にヒビが入ったみたいだ。
不味い。
そして、不幸は重なりゴーレムが放った蹴りを父さんは飛び退いて大きく躱してしまい――着地時、足を水で滑らせて体勢を崩してしまう。
その隙を突くためか続け様に振るわれたゴーレムの豪腕を直に受けて、父さんは身体を大きく宙に浮かばされた。
空中で、姿勢を整え受け身を取って、水の床を転がって跪くような恰好になった。
父さんは無事そうだ。
だけど、ゴーレムを止める者がいなくなった。
ほんの一瞬の間のできごとに、僕は面を食らい、硬直する。
「くっ。ユウト!」
鬼気迫ったような父さんの声。聞くや否や、急いでがむしゃらに走り出す。
僕と一緒に父さんの様子を窺っていたサラの手を強く握り、聖賢の間を駆ける。
ただひたすら必死に足を動かす。
しかし、ばしゃばしゃという足音が追ってくる。
恐怖の権化であるその音は、離れるどころか、どんどん近づいてきて――あと少しで出口というところで――
「きゃあ――!」
悲鳴。
それが聞こえると、繋いでいたはずの手の感覚がするっとなくなる。
振り返る。
そこには、ゴーレムの大きな手に掴まれた僕の幼なじみの姿があった。
「サラ……!」
「姫様……!」
鍛冶屋の親子の声が合わさる。
それと同時に僕を見つめていたサラの蒼い瞳は急に閉じられた。
すぐに取り返そうと思ったとき、巨大な腕で払われ、僕は大人ふたり程の距離を軽く吹き飛ばされた。
冷たい水と硬い石の床の感触。そして、打ち付けられた痛みを覚える。
それと合わせて、何かが僕の目の前に落ちてきた。
青くて、白い……?
ああ、そうか。
これは僕が式典を遮ってサラにあげた聖竜の剣だ。
さっきの拍子にサラが提げていた聖竜の剣が金具が壊れるか外れるかしてこっちに飛ばされたのか。
水に沈んだ剣を見る僕を嘲笑うように一瞥したゴーレムは、すぐに聖賢の間を後にした。
「急いで追うぞ!」
「う、うん!」
跪いた状態から立ち上がりつつの父さんに、僕はしどろもどろながら答える。
だけど、それを許してはくれないらしく――
「ふ、そう慌てるな。神器が奪えぬなら神器を扱う力を持つ姫を攫うまでのことよ。いや、それ以上の価値がある。……ただ、邪魔をされるのは癪だな」
父さんと僕をおちょくるようなことを言う魔将は少し考えるような仕草をすると、またも黒い粒子を手の平に出現させた。
それは細長く伸びていき一通り形になると先ほどと同じく黒く光った。
斯くして魔将の手に現れたのは――鞘に収まった豪勢な作りの長剣だった。
「暫し、お相手を願おうか」
爛々と赤黒い瞳を輝かせながら、魔将は剣を抜き放つ。
どうしてか黒い刃を持つ禍々しい剣身が露わになる。
それに父さんは応えるよう木剣を身体の正中線に沿えて構える。
父さんの小慣れた様子に何か思うところがあったのか魔将は目を細める。
「……? 先の戦いでも感じたが、お前は何処かで見覚えがあるな」
「人違いだ。生憎、俺は鍛冶屋なものでね。魔族に知り合いはいない」
――
はぐらかすような答え方をした父さんは、小さく低い声――呟くように式句を唱えた。
すると、段々父さんの持つ木剣に入ったヒビが塞がっていく。
たぶんヒビの入った木剣をどうにかして強化する類の神聖術だ。
「ふむ。何にせよ、中々腕が立ちそうだ。まあいい。神器奪取の目的を達せずしてすぐに逃げ帰ったとあらば魔族の名折れというもの。人の首の一つでも取って帰らねばな」
魔族の将軍らしい猛者の台詞と共に、魔将ザルクも抜いたばかりの剣を構え、双方一騎討ちのような間合いを取った。
そんな眼前の由々しき状況に、さっき見つけた聖竜の剣を見つめながら考える。
僕は……父さんのほうを手伝うべきか?
いや、でも、サラを攫ったままのゴーレムを野放しにはできない。
それに、魔将なんて、僕はとても相手にならないだろう。
ゴーレムは倒さなくても、サラさえ助けられたらこちらの勝利だ。
――それなら。
そう思い、サラに献上した蒼白い剣を水から拾い上げて、立つ。
意気込んだ勢いそのままに出口に向かおうとすると……、
「ユウト……姫様を頼むぞ」
剣を構えて背を向けたままの父さんの声が聞こえた。
「うん……!」
僕は拾った聖竜の剣をズボンのベルトに無理やり差し、急いで聖賢の間から駆け出した。
待ってて。サラ。
今、助けに行くから!
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