第51話 破邪の烙印
暗き曇天が皇都を覆う。
清き風は荒み、鳴いていた小鳥は散り、蒼き草葉が騒めく。
ああ、空と大地が揺れている。
それはまるで今日という日がこの世界の
皇都城下町・平和の広場・時計の門の上。
蒼翼会改め特例皇国議会の議決により皇王陛下直属の護臣軍と相成った我ら近衛騎士団は、各地を統べる四方領主殿と共に陛下に随伴し、城下町の中心となる此処に陣を敷いた。
一言陣と言ってもまだ仮のもので、城下の詳細な状況はまだ掴めていない今の段階では駐屯司令部と言った方がいいかもしれない。
そして、東方領主殿と西方領主殿が各要所の防衛を目的として前線へと赴かれている。
近衛騎士団としても騎士を派兵し、詳細の把握に努めているが未だ
……指揮を執る団長として不甲斐ないばかりだな。
と至らない自分を責めていると――
「――詳報を伝達しに参りました! 斥候調査によれば皇都城壁及び大門は健在! しかし……皇都の結界は破れ、魔物の軍勢は未だ勢力衰えず……増加の兆しあり!」
ひとりの団員が現れ、状況を報告してきた。
若干煤けた鎧を纏っているところを見るに、派兵していた騎士が戻ったようだ。
あと少し遅ければ私が出撃しようかと思案していたが、踏みとどまって正解だったな。
「……臣民の避難はどうなっている?」
跪礼で詳報を述べる騎士に正対された皇王陛下は、民の安危についてお尋ねになる。
「平和の広場周辺は掃討完了し、安全を確保致しました。皇都外へ避難させる馬車は現状ありません。そのため広場前にある城下ハイリタ大聖堂を利用し、ここに近隣の住民を避難させております! 他にも商会本部、各ギルド会館、貴族邸宅などの公民施設の使用許可をいただき、ここにも避難路を形成中であります」
焦りをひた隠すような表情を浮かべながらも、問われた近衛騎士は的確に答えた。
ふむ。それで少しばかり遅かったわけか。
商会本部、ギルド会館、貴族邸宅――
大聖堂は言わずもがな、いずれの施設も雇いの神聖術師が配置され、ある程度の魔物を退ける結界を展開できる比較的広大な建造物だ。
臨時の避難所としては申し分ない。
「しかし依然として魔物の対処に追われているため、全住民の避難までは時間がかかると思われます」
「分かった。引き続き魔物の掃討を頼む」
「は!」
皇王陛下直々への詳報という大役を終えた騎士は我々の眼前から恭しく下がり、魔物の排除を完了した平和の広場へと急ぎ戻って行った。
そして、騎士が更なる前線に戻るために広場からいなくなるのを見届けると……、
「……増加の兆しか」
陛下は悲観するように呟きながら、目を細くされる。
それを合図と捉え、
「門が健在。ということは……侵入の線は薄いと見えます」
私は近衛騎士団の団長としての見解を述べる。
先の詳報によると皇都内外を繋ぐ唯一の道である四方の大門や、皇都全体を守る城壁は無傷らしい。
だとすると――
「未知なる魔法。古の時代にあったとされる召喚術の類かもしれぬの」
唐突に老人の声が私の思考を遮った。
この非常時に於いても慌てず騒がず……穏やかな声質を保ち、そこには生まれてこの方幾星霜を閲した時長き齢から発せられる特有の安心感がある。
それも――我々が陛下と共に城下に赴く折に、御自ら先陣を切り城区の城門からこの場、時計の門までの道をたったお一人で作られた御方なのだから当然だ。
皇国議会貴族院議長・フィレーネ地方南方領主――
重臣の肩書きを連ねられる皇王陛下切っての
――シベリタ卿。
先の大戦で数多の魔物に囲まれながら形勢を立て直し、南方領主館を最後まで陥落させなかった護臣軍の猛者。
此度の戦でもそのお力をお貸しいただかなければならない。
私はシベリタ卿の仰せになった召喚術という言葉に頷き、
「これだけの魔物を生み出すとは……魔族一人や二人の魔力ではとても足りないでしょう。となると、魔法の源となる力が何処かにあるということになります」
知り得た現状での推論を述べた。
勇士たる皇都の民で構成された自警衛士団。
皇国総ての騎士団の頂点に君臨する――皇都近衛騎士団。
機動力に優れ、各地から精強無比であると選抜された剣士たち――サラ皇女親衛隊。
それらに皇王陛下が篤く信を置かれる四方領主の東方と西方の領主殿を加えた――実に屈強な戦力を揃えながらも戦線は動かず、未だ避難路を形成するに留まっている。
それだけ魔物の強さと数が尋常ではないということの証左だ。
或いは……十年前よりも剣士の質が落ちている、か。
そして、驚くことに私の言葉を繋ぐように――
「皇都の壁を乗り越えられる魔物はいない。四方の門も健在である現状から外から攻撃を受けているようにも思えぬ。魔族の侵攻があったとしても先の大戦を鑑み一人ないし数人が限界だろう。最有力として考えられるのは……其方たちの言うように魔法だ。その力の源の特定を急ぐ必要がある」
と皇王陛下が
――畏れながら私も同意見だ。
無論、神器の
現れた魔物は、コボルトやゴブリンなど通常地を歩く種がおよそ全てを占めている。
また、四方の門や城壁は健在であり、そこから魔物が流入したとは考えにくい。
これらを鑑みると、先のシベリタ卿及び陛下の
古来に存在したと伝わる魔法のひとつ、召喚術に近しい物を用いた攻撃――
「その線で攻めましょう」
私はそう結論付けると、皇王陛下とシベリタ卿閣下も同調され小さく頷かれた。
そうと決まれば……と行動に移そうとした矢先――
「――伝令! 司祭猊下より結界の再構築についてです!」
危機迫った声を轟かせながら鎧を着た騎士が現れ、目の前に跪いた。
白銀に瞬くこの鎧は……親衛隊の隊員だ。
機動力に優れる彼らは此処から幾ばくか離れた城区との連絡の任に就いてもらっている。
「申せ」
端的に仰せになった陛下の言葉に、
「先刻、司祭猊下及び助従教士殿、数名の大高神官殿と共に結界再構築術式を展開、数回執行するも……術式が崩壊し、何れも結界の構築叶いませんでした」
「失敗した要因は?」
「それが……現況では見当がつかないとのこと。とにかく破魔の剣が呼びかけに応じないと……」
「そうか。引き続き再構築を図れと伝えよ」
「はっ!」
大きな声で答えた隊員は先の近衛騎士と同じ所作で時計の門を後にした。
向かう先は創世ハイリタ大聖堂がある城区で騎士とは反対方向になる。
その背が目指す先を遠くに見ながら……、
「術式が崩壊……あの司祭猊下がですか」
思わず私はそう溢していた。
「神聖法理術に最も長けた司祭、それを支える大高神官らがいて失敗……か」
耳に届くのは陛下のお声だ。その声は悲嘆に満ちていた。
「司祭猊下の呼びかけに破魔の剣が応えない……何故でしょう」
破魔の剣は皇王陛下とお声を交わし、魔を排するという聖なる力を引き出すことでその真価を発揮するらしい。
それは我々のように音や形になる言葉ではなく、胸に抱く思念のような曖昧なもので交わされると聞く。
そして、通常なら意思を交わすことができない破魔の剣も、皇王陛下が認めた者なら術式を介して声を届けることができるようになるらしい。
皇王陛下のように相互にやり取りを行うことはできず、一方的なものになってしまうらしいが……。
「平時、王族以外の者の呼びかけには難があるとはいえ、火急の折に皇王陛下の重臣たる神官の声に剣が応えないのは初めてだろう」
これまでいつもと変わりなかったシベリタ卿もこれには驚かれた様子だ。
若干声が上擦り、震えていらっしゃる。
かつて結界の強化を行うため力の糧となる神聖力を奉献し、何度か剣に呼びかけたことがあると神官から聞いたことがあったが……その際は確かに結界の強度が上がったと記憶している。
つまりこれは……非常に不味い事態だ。
「我が拒絶されておらねば……」
結界の再構築失敗――その事実を知った皇王陛下は眉間に皺を寄せ、握り拳を作られた。
そのお姿からは深い悔恨が滲み出る。
――魔族大戦終結の折、突如として皇王陛下は神器を扱うことができなくなられた。
その原因は未だに分かっていない。
司祭猊下によると、恐らくは神器の破魔の剣が陛下の意思を恣意的に退けていると推察された。
戦の最中、不能となった理由が不明とあって――神器を有する皇室、皇王の果たすべき義務という重責に苛まれ、
……それが酷く、惨く、陛下の心中に突き立つ刃となった。
この事実は皇国の威信に関わる最上位機密として断定され、四方領主や教会司祭、一部の貴族や高官を除いて固く封じられている。
しかしながら、人の口に戸は立てられない。
結界の領域縮小を危疑する下位の貴族は無論、魔物との遭遇が増え始めた結界付近に住まう民の間でもまことしやかに皇王神器不能説は囁かれ始めている。
だが、それは――
「陛下だけの責めではありますまい。ここに集いし者は、皆同じ罪を背負っております」
「先の大戦。決着を見たあの局面に於いて、セドリックにすべてを委ねてしまった……皆同じ立場でありましょう」
シベリタ卿と私は、それぞれ沈痛に擁護の弁を述べる。
――皆が思い描くは今より十年前。
皇王、貴族、大臣が席に着いた
通称・
皇一号と題し、皇都転進作戦と称した内容は、民の避難もそこそこに皇都から撤退し、元は皇王の御用邸だったらしい皇都のほど近くにある南方領主館を最後の砦と定め籠城。そこで反撃の機を窺うというものだ。
その後、皇二号として、皇都奪還を懸けた全軍突撃の総力戦を敢行する皇都奪還作戦も予定されていた。
あのとき中央騎士隊の騎士長の階級だった私に、連理蒼翼会の決定を反故にするような権限などありはしなかったが、枢密院御前会議の決定に従ったシベリタ卿を含め、我々は命を懸けて守るべき民を見捨てる決断に従ったことに弁解の余地はない。
しかし、もしかしたら……と最後の希望を見ていたのも事実だ。
常に前線にあって、劣勢に立った部隊を悉く救う――時には我が耳を疑った無双を誇る齢二十余りの若い剣士。
事実、当時の皇都に侵入した魔物をたった一人で討ち滅ぼし、魔の軍勢を率いる敵将をも屠ったというあの青年。
後に救国の英雄と謳われる――
熾る鍛冶屋の子、セドリック・クロスフォードに。
そして、いま、このときも。
「……」
過去の自分、そして今でも英雄に縋り自分を責める私の想いが伝播してしまったのか、苦い沈黙が訪れた。
それを打破すべく、誰ともなく、声を出そうとしたとき――
「――遅くなりました」
沈んだ空気を
「ステラ君、どうだね」
ひらりと軽い所作で私の近くに寄って来たのは――近衛騎士団・副騎士団長を務めるステラ君だ。
顔を合わせ、互いに短く立式の敬礼をすると――
「魔物の戦力調査が完了しました。正直かなり手強いです。我が騎士団の団員であっても最下の剣士階級は少々危ういでしょう。また、騎士学院を出たばかりの新米や地方出身の剣士の混成部隊では厳しいかと……現兵力ではそう長く持ちません」
特命で頼んでいた魔物の戦力について報告してくれた。
強い、か。
やはり危惧していたことが正解だったのかもしれない。
だが……混成部隊というのは恐らく親衛隊の隊員たちのことだろう。
彼らには先ほどの連絡役の数名を除いて皇都の防衛任務に当たってもらっている。
ステラ君は近衛騎士団に仇なし得る存在を敵視するあまり、王族親衛隊を低く見る傾向があるからな。
近衛騎士団の団員にしても新米にとことん厳しい。
そこも勘定に入れておかねば見誤る。
とにかく、彼ら親衛隊も重要な戦力だ――それを伝えようと口を開くが、
「ラフトル。お前は近衛騎士団を率いて広場の中心、噴水の近くに陣を敷け」
ステラ君の報告を聞いていらっしゃった皇王陛下が突如、時計の門の下を指差しながら命じられた。
その指先を辿ってみると、今でもささらめく水が出ている噴水――平和の願いが清水の波紋を象って世界に広がらんことを、という祈りの意味を持つ広場の象徴があった。
「ハイリタの地中心に湧く魔を退けるとされる聖なる水の加護がお前に味方するはずだ」
なるほど……水の加護。
確か皇都ハイリタの地下には広大な水源が広がっており、そこから湧き出る水は魔物を退ける効力を持つ、だったか。
そのため教会では聖水と呼び敬っており、大精霊の泉の水と同等の力を持つとしているらしい。
このありがたい聖水は聖賢の間にも満たされており、破魔の剣に力を与えているらしいが、神官曰く詳細はまだ明らかにはなっていないそうだ。
それはともかくとして、
「しかし、陛下が……」
現状、一番安全な場所は此処時計の門の上だ。
ここを離れると皇王陛下を近くでお守りできなくなる。
「ここにシベリタ卿がおる。我の守りはひとりで十分だ」
私の心配を察しておいでなのか、陛下はシベリタ卿を見やると高らかに宣言なされた。
「うむ。皇王陛下は私が責任を持ってお守りする」
シベリタ卿も強く頷かれた。
であるなら……仕方あるまいな。
「――了解致しました。いくぞ、ステラ君」
「はっ!」
そもそも皇王陛下の御命令だ。従わないわけにもいくまい。
何よりシベリタ卿もいらっしゃるのだ。
近衛として主君の指針を信じねば。
自分にそう言い聞かせ、陛下の御命令通り噴水付近に陣を敷くため、長年従ってくれている副官たるステラ君を連れて、私は時計の門を後にした。
――セドリック。無事か? お前は今、どうしている?
かつて私の直属だった――
【近衛騎士団・中央騎士隊・対魔族諜報戦哨戒班・特務剣士長】
――救国の英雄を想いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます