第47話 虚ろの使者

 痛い。暗い。寒い。


 三つ揃ったその感覚が、僕の心と身体を完全に支配していた。


「お目覚めですかなぁ?」


 そんな混濁する意識の中、不気味なほど軽い口調の声が聞こえる。


「……う」


 不快な声に呼応するように、僕は呻き、意識を取り戻そうと藻掻く。


 しかし、


「おやおや困りましたねぇ……ここで伸びていてもらっては、あなたを連れてきた意味がないのですよぉ……? 起きてくれませんかぁ――ねぇ!」


 疑問符の付いた呆れるような声色に続き、一拍入れた後――


「かはっ――!」


 大きな衝撃が身を襲った。


 その容赦ない――恐らく蹴り上げられた蹴撃の力に押されて、僕は壁に叩きつけられる。


 瞬間、鋭い痛みが走り、呼吸が一瞬止まった。


 だけど、幸か不幸か先ほどまで酩酊のような状態にあった意識はこれで完全に回復した。


 当然にして身の危険を感じた僕は、覚醒したばかりの自分を必死に鼓舞すると、打ち付けられたときに痛めたお腹を押さえながら、よろよろと力なく立ち上がる。


「おお! 良かった良かった! これで安心してぶち破れますねぇえ!」


 僕の様子を見ていた何者かが、喜色の声を震わせる。


 薄暗く、未だにぼやける視界に捉えた――うんうんと何度も頷く仕草がどことなく異様な雰囲気を湛えており、ハイリタ聖皇国正教会の神官の服にも似た袖口の広い装いも相まって常人ならざる何かをひしひしと僕の五感に伝えていた。


「お前は……いったい……?」


 思わず吐いていた誰何すいかの言葉。

 しかし、出たのは枯葉が擦れる音にも似た掠れた声だ。


 いつも聞いている自分の声が、こんな風になっているとは……どうして。


 ……ああ、そうか。思い出した。


 そういえば僕は首筋をやられたんだ。

 それで、連れてこられた。

 恐らくはコイツに。


 だとすれば、なおさら何者かを訊かなければいけない。


「おやぁ? ご存じでない? もう、仕方ないですなぁ。ええ、仕方ないでしょう」


 さっきよりも不気味な声と仕草で頷く影。


 そして「ふひっ!」と奇怪な笑い方をしたかと思えば、急に大きく腕を振り、片膝をつく大仰な所作を見せ――


「――私はスロールラバン連合帝国外交顧問官……フォラス・レベリオと申しますです」


 唐突に、以前サラに教えてもらった通りの正式な型に則った名乗りをした。


「スロール……ラバン……」


 やっぱり、そうか。


「ええ、そうです。本日はお日柄も良く、サラ皇女殿下の皇女戴冠の儀に於かれましては格別のご高配を賜り特等席をいただきましたのです! 此度はその連合帝国へのお土産をいただきに参りましたですよ! 外交特権的な意味で!」


 フォラスと名乗った外交官は大仰に首肯すると跪いたまま大きく両手を広げる。


 ……覚醒したばかりだからか、僕には言っている意味がよく分からない。


 とにかく、今できることをしなければ。


「ここは……? どこだ?」


 僕は段々冴えてきた眼を頼りに辺りを見回しながら、ひとまず現在位置の特定にかかる。


 見た感じ、どうやら此処は長い廊下の途中……みたいだが、壁に備えられた蝋燭の火が唯一の光源であり、窓は一つも見当たらない。


 だが、そんな何もない第一の印象を大きく変えるものがあった。


 それは僕の目の前。


 今まさに講釈を述べていたフォラス外交官が立つ――その向こう側。


 そこには、仰々しく古びた大きな扉があった。


 よくわからない、見たことのない装飾と彫刻が施され、幾重にも鉄柱が格子状に並んでいる。


 如何にも普通ではない威風堂々とした門扉の構えだ。


「無視ですかぁ? 人が一生懸命話しているのにぃ? それはひどくないですかなぁ?」


 訝しむ僕の様子を見ていたフォラスは首を不自然なほど大きく傾げると不気味な明るさを持った声で咎めてくる。


 しかし、それはほんの少しの間だった。


「まあ、いいでしょう。教えて差し上げます」


 こほんと、咳払いをするとフォラスは、


「此処は極東の果てと称される島、ハイリタ聖皇国のラフィートルン城地下中央に位置する聖域です。……またの名を聖賢の間。まさにその扉の前に我々はいる……のですよぉ」


 先ほどとは打って変わって一段と声色を下げ、そう述べた。


 声は最後の方には元に戻ったが……妙な違和感がある。


 聖域が云々はよくわからないが、一つだけある単語が耳に残った。


 聖賢の間……サラと水浴びをしたとき、そんな言葉を聞いた気がする。


 だが、それよりも――


「どうして僕を此処に……?」


 僕は眉を顰めて、僕を連れてきた目的をフォラスに尋ねる。


 が、それが可笑しかったようでフォラスは肩を竦めて妙な笑い声を上げた。


 何が可笑しい、と聞きたい気持ちを抑え、フォラスを睨む。


 一頻り笑うと、満足したのか真顔になり、


「決まっているじゃないですか。私がここをぶち破るためですよぉ。人類史を彩るまさに歴史的な場面にはそれを証明する者――証言をする傍観者がいなければなりませんからなぁ! 偽証防止的な意味で!」


 なるほど。


「……言っている意味が分からない。お前は、一体何者だ?」


 先の言葉と身のこなし、その他からある程度の確証を得た僕は思った通りの言葉で再度尋ねる。


「言ったはずですよぉ? 私は外交顧問官、フォラス・レベリオだと」


 外交官フォラス・レベリオ。目の前の男は再度そう名乗った。


 だけど、それは……それはきっと――


「――違う。お前は……人間じゃない……」


 震える声で、僕は、真理を崩す。


 それは、最後まで僕があり得ないと信じていたことだった。


 けど、この感じはきっと、そうなんだ。


 意を決し、喉元で飲み下しかけた言葉を口にする。


「……人ならざる何かだ!」


 力強くそう宣言した。


 僕のその宣言に、フォラスと名乗った者は、不健康そうな目を見開き吃驚すると、


「ほぉう……? 良く気づきましたねぇ……抜かりましたかなぁ?」


 面白そうなモノをみるように、高らかな調子で先と同じく首を傾げた。



 にやり。



 さっきの、不気味だったものとは少しばかり違う――不敵な笑みを浮かべて。



「――その通りだ。私の本当の名はザルク。いや、人の子にはこう名乗るべきかな」


 僕の推理を認めたその者は自らの声を明瞭なものに変容させると、含み笑いを浮かべながら、負のオーラを帯びていく。


 いや、正しくは開放し始めた――と言った方がいいのかもしれない。


 唐突に滲み出てきたそれが、その者の姿を覆っていく。


 どんどん、どんどん、どす黒く、どす暗く、すべてを隠していく。


 日の光を遮る暗雲のように。光あまねく世界に影を落とし闇に染めるように。


 忽然とそれは霧と化し、冷たい風の圧が僕を撫でると同時に、その者が身を包んでいた何かを解き放ち、鋭く散らせた。


 瞬間、現れたのは、フォラスとは違う者。


 姿を大きく変えたその者は、切れ長な目で僕を見据えた。

 

 闇と良からぬ何かを象徴するような赤黒い瞳を覗かせ、さっきの神官服とは違う蛇や雨に濡れた蜘蛛の巣を彷彿させるようなおぞましい曲線を描く鎧らしきものを纏っている。


 如何にも禍々しい姿になったその者は、にやりと口角を少し上げる……さっきと同じ含み笑いを受かべると――





「魔将ザルク」





 再度、そう名乗った。




   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 ――皇都城区内近衛騎士団中央本部営陣・蒼翼会そうよくかい


 それはハイリタ聖皇国の民、そして皇の王をお守りする近衛騎士団の最高意思決定組織。


 通称、蒼翼会と呼ばれるそれは大きく三つに大別できる。


 近衛騎士団剣士、その雛形の育成を主眼とする聖レべリタ騎士学院に於いて成績優秀な生徒たちを集めた第一学部統率室修剣士生徒組織――学徒蒼翼会『片翼の集い』


 それを指導し率いることを旨として、延いては近衛騎士団全体を統制し統率する最高機構として君臨する――教務蒼翼会『蒼天の茶会』


 そして、危地と相対したときにのみ置かれ、それらを統合し、共同した作戦、すべての最終意思決定を担う最上位の司令塔――連理蒼翼会。


 またの名を――円卓の集いと言われる。


 合議の場にて皇国の安危を憂い、策を講じる勇姿の集会。


 蒼翼会とは通常この円卓の集いを指し、近衛騎士団の主力部隊である中央騎士隊は此処の直下に属する。


 ――かつて、魔族大戦で大きな活躍をみせた救国の英雄……先輩セドリックもそうだった。


 その栄えある蒼翼会のひとつ、連理蒼翼会『円卓の集い』が今まさに聖レベリタ騎士学院のとある一室に置かれた。


 本来なら蒼翼会の構成員ではないはずの皇王陛下と、ひとりを除いた四方領主様方、そして司祭猊下の肩が並ぶ。


 皆、席に着き、一様に浮かない顔を突き合わせているようだ。


 斯くいうシベリタ卿のお側に控えている私もその一人なのだが……。


 ちなみに自分を僕というべきか、私というべきか迷う日々だが、今は私でいこうと思う。


 閑話休題。


 先の件――式典を遮られ、攻撃に見舞われた混沌の中、四方領主様のご加勢の元、何とか皇王皇后両陛下、司祭猊下を伴って安全なこの場に避難することができた。


 しかし、剣呑な空気は冷めやらず。皇王陛下の避難を最優先に行動していたため、依然として詳細な状況は分からず仕舞いという近衛騎士団としてあるまじき情勢だった。


 また、皇后陛下には別室にて待機していただいている。


 このような事態となろうとも毅然となされるお姿には、感服するほかない。


「ハーヒル」

「何でしょうか殿下」


 不穏と緊迫の空気が立ち込める中、突如それを憚らず声を上げる方がいた。


 共にあの式典の場にいらっしゃった海を挟んだ隣国の貴公子、ラルス王子殿下だ。


 金の髪と碧の瞳。ところどころ齢に似合わない眉目秀麗な容姿を備えたラルス王子は、ご自身の世話係らしいお爺さんに声をおかけになる。


「フォラスを見ていませんか? どうも姿が見えないのだけど……」

「私も式典の最中から見ておりません……」


 不安そうな眼差しで室内を見回すラルス王子だが、世話係らしいお爺さん――ハーヒルは力なく首を振る。


 その反応に、ラルス王子は項垂れるように俯かれてしまわれた。


 フォラスという人物は知らないが、恐らくお付きの誰かのことなのだろう。


 異国の地で戦乱に巻き込まれ、かつ、その最中臣下が行方不明ともなれば、その心苦は察するに余りある。


 あのとき、ラルス王子が呼びかけても兵は見向きもせず、攻撃を続けた。


 お顔からして、もしかしたらそれについてもお考えになられているのやもしれない。


「まさか――」


 そう溢された瞬間、部屋の扉が規律正しいノックの音を響かせた。

 直後、儀仗隊の式典礼装を解いたらしい鎧姿の騎士が入室し、囲む私たちの近くで直れの姿勢を取る。


「状況は?」


 厳しい顔をしたままのラフトル団長の問に――


「はっ! 城内に出現した敵兵はスロールラバン連合帝国の兵士と推定致します。銃兵はおらず、近接戦闘に特化した槍兵と剣士が確認されており、中距離攻撃隊として弓兵も見られます。そして、敵兵は相当な手練れです!」


 簡潔に応える騎士だが、額から汗の玉が流れている。


「どうして……ッ!」


 近衛儀仗隊所属騎士の詳報に、ラルス王子が下唇を噛まれる。


 私は皇都と南方領土の間を往来する情報の管理と伝達、及びシベリタ卿の警護が主任務であるため、恥ずかしながらあまり外国の内政事情について詳しくはないが……ラルス王子のこの反応を見るに、どうやらそれは事実らしい。


 襲撃者は、スロールラバン連合帝国の兵士。


 自国の王子が来訪している最中、攻め入ってくるとは……。


 それに神聖術にしても、海を渡ってまで転移できるようなものではないはずだ。


 いや、そういえば……我が国は技術面に於いても他国に劣っていると外国にも赴かれていた殿下が仰っていた。


 もしかしたら他国には、そんな術があるのやもしれない。


「……神聖術使用の恐れは?」


 ずっとそれについて思案なされていたらしい司祭猊下がお尋ねになる。


「弓兵の装いが祭服のように見えるため、矢が尽きれば恐らくは……」

「ほう……数は?」

「敵総数は未明なるものの、優に百は超え中隊規模と推定しております。これに加えて、北方領主様の配下たるアルベント聖騎士団が敵方に回り、現時点で城内に於ける我が方の戦力を凌駕しつつあり……!」


 矢継ぎ早にくる質問に、儀仗隊の騎士は適時適切に応える。


 確か城区近衛騎士団宮廷付き儀仗隊の総員は百名と少し……中隊規模を相手にするには、些か無理がある。そもそも彼らは容姿や所作、教養など私たちとは違う特別な課程を経て選抜された、いわばだ。


 実戦ともなれば、というのは些か無礼かもしれないが……信を置くには無理があるかもしれない。


「うむ……儀仗隊の武装で対応は難しいか……城下の団員はどうだ?」

「そ、それが……未だ連絡が取れず――」


 俯いて策を考慮なされる団長閣下の再度の問に、儀仗隊騎士が汗を額に滲ませ始めたとき――


「――伝令だッ! すぐに通してくれ! 時間がないんだ!」


 扉の奥から、怒鳴り声にも似た大声が響いた。


 一拍を置いて、ノックも無しに扉が開かれる。


 そして、先の声の主らしい者は儀仗隊騎士の隣に肩を並べ、厳然と控えた。


「君は……親衛隊の……」

「サラ皇女親衛隊々長、ラル・ソラゲルです!」


 驚く団長の声に、新品の鎧姿で敬礼をするのは――サラ皇女殿下の親衛隊……創設されて一時も経っていない新進気鋭の部隊の隊長、ラルだった。


 なぜ、こんなところに親衛隊々長が来るのだろう?


 サラ皇女殿下のお側にいるはずではないのか?


 いや、今の今まで騒乱で気が付かなかったが、そもそも殿下は何処いずこに……。


「伝令と聞こえたが、何かあったのか?」


 私の思考を団長の問が遮る。


 そして、ラルはその問に、



「はっ! 皇女殿下の命により城下町の状況確認に赴いたところ――魔物が出現し、民を襲っております!」



 衝撃の詳報を打ち上げた。


「なんだと――っ!」


 ラルの詳報に大高神官ハルネス助従教士が席を立つと声を荒げ、続け様にローレア司祭猊下が目を見開く。


 殿下の命で城下に赴いたという親衛隊々長の言葉に、私を含めたこの場にいる全ての者に驚愕と緊張の糸が張り詰める。


「それは本当か?」

「はい! 伝達の兵も総出で対処しており、事は急を要するかと! 城下にて出現せし魔物は……ゴブリン、オーク、リザードマン、ガーゴイル、スライム、コボルト――」

「嘘だっ! そのようなことあるはずがない!」


 続く団長の問に厳然と応え続けるラル隊長の言葉を、ハルネス助従教士が叫ぶような声で遮った。


「魔物が城下に現れただと……形代かたしろが破壊され結界が喪失したとしても……よもや、そのようなはずが……!」


 ぶつぶつと呟きながら頭を抱え狼狽えるハルネス助従教士に、横に席に座っていた司祭猊下が目を窄められた。


 どうやら、助従教は状況が飲み込めていないらしい。


「しかし、私はこの目で――」


 胸に手を当てるラルの必死な説得も、


「うるさい! 黙れ!!」


 とハルネス助従教士は眉を吊り上げて昂ぶり、激高なされる。


 剣幕迫るそれに、新人のラルはすっかり萎縮してしまった。


 ……にしても些か様子が変だ。


 動揺するのは無理もないとは思うが、あんな風に怒鳴りつけるまでするものだろうか?


 いや、かつて前線にいた自分の物差しで人を測るのは良くないか――などと思っていると……、


「ラルス王子。このようなことをお願いするのは大変心苦しいのですが……暫しの間、席を外していただけますか?」


 突如、皇王陛下と目配らせをして頷かれた司祭猊下は、同じ場にいた異国のラルス王子にお願いされた。


 ハルネスではない大高神官を呼び、何やら小声で話している。


 恐らくは、避難場所の部屋を手配しているのだろう。


 司祭猊下のお願いを聞いたラルス王子殿下は、世話係ハーヒルと目を合わせ頷かれた。


 そして、席をお立ちになると、


「……分かりました。我が国の兵が乱入し、聖なる式典を穢すが如き振る舞いをしたこと、ここに謝罪致します。統帥権は王子でしかない僕にはありませんが、考えるまでもなく、これは許されざる罪でしょう。何よりも、無実な民までもが……。事ここに至っては、僕の処遇はあなた方に委ねます」


 そう粛々と心意を述べられ、お傍付きのハーヒルと共に一礼なさる。


 皇敵と相成った敵国の王子。


 とはいえ、口ぶりからしてラルス王子殿下はこのことを知らなかった様子だ。


 我々をかたろうという眼差しではなさそうであることも加えると、彼を責める由はない。


 他の者がどうかは分からないが、少なくとも今の私はそう思う。


「申し訳ありません」


 一国の王子の謝罪を受けた司祭猊下は瀟洒しょうしゃに一礼する。


 それを碧の瞳で認めると「行きましょうハーヒル」と指示し、部屋の扉の許へ歩み出る。


 家臣を思う優し気な王子殿下は部屋を出る刹那――扉が閉まる寸前に、ほんの小さな声でフォラスと呼んでいた。

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