第3話 『天使(小悪魔)』

 


「で、結局夕ご飯はどうすんのよ」


 ソファテーブルに吹いてしまったコーヒーを拭いている俺に、愛姫が聞いてくる。


「んー……じゃあ、めんどくさいし食べに行くか」



 正直、今日はもう疲れた。

 そりゃあ、愛姫と一緒に入れることは紛うことなく嬉しいに決まっている。

 嬉しいのだが、いきなり今日から義姉ですって言われても、未だにどこかふわふわしていて実感が湧かないのも事実だ。



 もちろん、三年ぶりに会ったので少し緊張しているというのも否めない。

 だから夕ご飯なんて作る気力ない。それなのに―――



「いやよ、あんたが作りなさい」


「……ん?」


 テーブルを拭く手が自然と止まる。


「えっと、俺今食べに行こうって言ったよな?」


「だから、あんたが作れっていってんの」


「いや、愛姫さん、俺に決めろって言いませんでした?」


「言ったけど、それが何か?」


「えーっと、それじゃ、俺が決めた意味は……」


「ないわね。元からあんたにそんな権利はないわ。さっさと作りなさい」



 ぬおおぉぉぉぉ!

 じゃあ俺、決定権もないのに決断を迫られて、決定権のある愛姫に決断を委ねたのに『マジうざい』って言われたってことですか!?

 無駄に心に深い傷を負ったんですけど!?

 俺は愛姫が好きだけど、決して愛姫のおもちゃではない!

 そう思って少しだけ睨んで―――



「……なに?わたしの言うこと聞けないの?」


 あ、やっぱ無理です。


「えーっと、今日はもう疲れたからさ、やっぱ食べに行こうぜ。その方が早いだろうし」


「…………」


「愛姫?」


「…………」



 どうしたんだ、後ろ向いて突然黙り込んで……

 はっ、もしや愛姫を怒らせた!?まずい、足指の一本や二本じゃ済まなくなっちまう!

 これはすぐに謝らねば、と思ったのも束の間―――



「……わたしには、作りたくないの?」


 少ししゅんとした愛姫が潤った目で上目遣いに聞いてきて、


「ぁはん」


 心臓を撃ち抜かれた。


「かわいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


「うっさい」



 会心の一撃きちゃったよこれ!

 もうダメ、胸のドキドキが収まらない!幸せ過ぎて逝っちゃう!もう昇天しちゃう!


 そんな顔も出来たんだね!さっきのゴミを見るような視線とのギャップが激し過ぎて、春奈の心はまるでJet Coaster!

 え?Jet Coasterは和製英語だって?そんなん気にすんな!

 愛姫の可愛さの前にはすべて無力なんだよ!愛姫さまマジ天使!パクったって良いじゃない!



「今すぐに作らせて頂きます!そりゃあもう腕によりをかけて最高の料理を約束いたしますよ!」


「……ほんと?」


「えぇ、えぇ、本当ですとも!ささ、何でも言ってください!例えこの身が朽ち果てようとも、命に変えて作って見せますよ!」



 全身で動きをつけながらやる気をアピールする。

 きっと今なら愛姫の為に命を捨てられる、そんな気がするほどにハイになってる。

 俺にとっては下手なクスリよりもよっぽど君の方が危険だよ、愛姫たん。

 まぁ、少し危険な愛姫も天使なんだけど!



「そうね……じゃあ、ナムトックが食べたいわ」


「納豆ックですね!畏まりました!すぐに―――ん?なっとうっく……?」


「ナムトックよ!」



 なむとっく?なにそれおいしいの?ていうか食べもの?

 納豆にあの赤いもじゃもじゃのム○クでもぶち込めばいいの?

 でも俺、ム○クがどこで売ってんのか知らないし、野生のム○クの生息地も知らないなぁ……



「えっと、作れないの……?」


「ぁふん」


 そんな潤んだ瞳で見つめないで!

 もうやめて!とっくに春奈のライフはゼロよ!


「作ります作ります!この命に代えてもム○クを狩って、なむとっくをお届けします!」


「はぁ?ム○ク?なに言ってんのあんた」


「ひと狩り行こうぜ!」



 待ってろよ、ム○ク!今すぐに俺が討伐してやる!

 そう決意し、拭きかけのソファテーブルを放置して財布とスマホだけ握りしめて俺は家の外に出た。



「……ほんとチョロいわね、あいつ」


 リビングに一人残された愛姫がソファテーブルに目薬を置き、立ち上がる。


「……ていうかム○クってなんなのよ」


 呟くと同時に、おもむろに拭きかけのソファテーブルを拭き始めた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 時刻は夕方、まぁまだ少し明るいくらいの時間帯だ。

 とりあえず、スーパーのある駅前に向かって歩き出した。もしかしたらム○クもいるかもしれないし。



「なむとっく、と」


 歩きながらスマホで検索する。良い子は真似しちゃダメよ?


「豚肉のサラダ……スパイシーな炒め物……結構辛そうだけど、へぇ、たしかに美味そうだな」



 どうやらタイの料理らしい。

 結構お手軽に作れるみたいなので、材料さえあれば作れるだろう。

 お酒に合うようだが、生憎俺も愛姫もまだ未成年だ。



 納豆もム○クも関係ないじゃん。

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