Episode 11 「ヴァンパイパイア・ハンター」

そして天道誠は

「なるほどね、それが事の顛末ってわけか。てか誠くん。大変じゃないのかい? 家の事とか忙しいんだろ?」

「まあね。でも、ようやくひと段落ついたところさ。父さんのことも……そしてユーリのことも」


 誠はそう言って、眼の前に座る尺取さだめに微笑んで見せた。

 衣替えも終わり、学生が真っ白なワイシャツに袖を通すようになった六月初頭。

 誠は生徒会資料室を訪れ、尺取に事の顛末を語り終えたところだった。


 天道昇の死。そしてユーリの行方不明。


 天道家での事件は世間に知れ渡ることになったものの、その内容に警察は首を傾げるしかなく、政治家一家で起きた奇怪な事件として世間では注目を集めたが、次第に人々の記憶から忘れ去られていった。むろん誠も警察に本気で説明してみたものの、いっこうに信じてくれることはなく、事件の調査に当たった刑事の井上理沙だけがその話を真摯に聞いてくれただけだった。


 すると尺取が「それで」と心配そうな顔になる。


「誠君はこれから……一人で生きていくことになるけど……その辺は大丈夫なのかい?」

「大丈夫だよ。父さんはそのあたりのこと……つまり自分が突然死んでしまったときの準備はしていてくれてたからね。いまは弁護士の人と……色々と話し合ってるよ」

「そっか。なら、大丈夫だね。でも、何かあったら相談しなよ。誠くん」

「ありがとう尺取。それじゃあ、僕は行くよ。大切な人を待たせてあるからね」


 誠はそう言って席を立ち、生徒会資料室の出口へと向かう。

 今日はこれから、あの事件の一番の被害者となった女の子と色々な話をしなくてはい。今まで隠していた、あの緑髪の女の子にまつわる全てのことを。そういう約束なのだ。


「ねぇ。誠君」


 と、誠の背中に声がかかる。振り向いてみれば尺取が口を開く。


「一つ忘れていることがあるんじゃないのかい? 君は私のおっぱいから母乳を噴出させた。それについて」

「ああ、ごめん。そうだった。まず、それを言うべきだったね」


 誠はいたずらっぽく笑う尺取に振り返り、軽く頭を下げた。


「尺取、ごめんね。母乳を噴出させるだけさせて、飲まなかったことを謝るよ。次はちゃんと飲むからさ、今度、おっぱい飲ませてもらってもいいかな?」

「うん、いいよ。誠くん。ほかでもないおっぱいの友の頼みだ」

「ありがとう。それじゃ」


 誠は生徒会資料室を後にして、廊下を進む。

 渡り廊下を経由し昇降口で靴に履き替え、校舎の外へ出た。

 ふと誠が空を見上げてみれば、数週間前に見たどんより雲の空模様とは打って変わり、初夏らしい空模様が広がっていた。


「――結衣」


 誠の口から、その女の子の名前が出た。

 小鷹結衣との許婚の関係は、父である天道昇の死にともない解消されてしまった。結衣の両親からそれとなく、そういう申し出があったのだ。

 だが、誠はそれも仕方ないと納得している。結局、結衣との関係は両親という存在があったからこそ、許婚の関係でいられたのだと。だけど、


「恋人から始めればいいさ」


 誠はそう言って、走り出した。今しがた腕時計を確認してみれば、待ち合わせの時間に遅れそうになっていたのだ。


 誠はしばらく走り、井ノ原町の古い区画を抜け、ある場所でピタリと足を止めた。否、止まってしまった。そこにあるのは、建設途中の廃ビル。全てが始まった場所だった。


 だけど、今日は母乳の香りはしない。


『――誠』


 と、誠の頭の中に声が響いた後、足元に出来た影がうごめき、中から緑髪の少女が這い出てきた。金髪の双眼に、腰まで伸びた緑の髪。吸乳鬼の女王たる、


「ラミアさん。大丈夫なんですか? まだ太陽が――」

「昼間は寝ているだけで、影から出られないわけではない。それより、誠」


 ラミアは誠を見定める。


「お前はあの日。私と出会ったあの日。そのビルの中で契約を結んだ。そして一度は契約は反故にしたが……乳仮面を一つ手にしてくれた」


 ラミアはそう言って、何もない空間に手を突っ込み、乳仮面を取り出して見せる。あの事件の犯人たる乳仮面所持者、ユーリが持っていた乳仮面を。


「それでこの数週間、私はお前に気を使って、その話をしてこなかったわけだが……どうだ、誠? お前は再び、私と一緒に――」

「わかってます。ラミアさん」


 誠はラミアの言葉を遮るようにして、先んじて口を開いた。ラミアが聞きたがっている問いの答えを。


「僕はラミアさんの願い……つまり、ラミアさんが死ぬことの手助けには、やっぱり前向きになれません。だけど」

 

 誠はラミアを見据え、


「世の中には、僕が守りたいおっぱいを蔑ろにする存在がある。それが乳仮面と吸乳鬼。それだけで、僕はラミアさんに協力する理由になります」


 少しばかり微笑んでみせた。


「これからも一緒に、乳仮面を集めていきましょう。残りは、あの7つです」

「……よかろう。ではお前は今日から吸乳鬼を狩る者、ヴァンパイパイア・ハンターだ。お前の先祖も、自らをそう名乗っていた」

「はい!」


 ラミアはそう言って微笑み返す。そして、


「ところで、これから大切な用事があるのだろう? なら、景気づけに飲め」


 胸部を差し向けるラミア。対して誠は迷うことなく言った。


「はい。いただきます。ラミアさんのおっぱい」


 ガブリ。誠はラミアのおっぱいにかぶり付いた。


 ――美味しい。美味しい。おっぱい美味しい。


 早く結衣の元へ向かわないと。そう誠は思いながらも、ラミアのおっぱいに夢中だった。ただただ母乳の味を噛み締めていた。


 おっぱいは正義。おっぱいを吸うのも正義。おっぱいはおっぱいというだけで正義。


 ――おっぱい。

                                 

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