隙を突き、刹那を攻めろ
誠は息を殺し、襖の影に身を潜めていた。
僅かに開けられた襖の隙間から、隣の部屋の様子を窺えば、そこには仏壇が備え付けられている。三方を襖に囲まれ、残りの一方が障子の戸になっている仏間だ。そんな仏間の隣の部屋にて、誠は身をかがめ、その時を待っていた。
「――おーい。誠ぉ。こんなかくれんぼになんの意味がある? 遊んでいるわけじゃぁないんだぞ?」
と、仏間からユーリの声がして、畳を踏み鳴らす足音が聞こえた。
「そら。早く出てこないと、お前の許婚がどうなっても知らんぞ?」
ドサッと鈍い音が鳴った。まるで、なにか重たい物を放り投げたような音だ。
誠が襖の隙間から仏間を覗いてみれば、そこには地面に横渡る結衣の姿があった。恐らく、ユーリがわざわざここまで運んできたのだろう。
ギリッと、誠は奥歯を噛み締める。だが、飛び出すわけにはいかなかった。
「おいおい、出てこないつもりか。なら、この許婚のおっぱいをここで吸ってやろうかぁ?」
ユーリは地面に横たわる結衣に手を伸ばし、胸を揉みしだき始める。
「……小さい胸だと思っていたが、ここまで小さいだと憐みすら覚えるよ。まるで僕の母さんのような胸だ。全く、貧乳とは悲しいことだ」
――ユーリッ! 誠は口から出掛けた言葉をなんとか抑え込み、さらに強く歯を噛む。
押さえろ。これはユーリが僕を怒らせて、飛び出させるための罠だ。相手の手に乗るな。ここで飛び出せば結衣を救えないっ。
その後、しばらくの間ユーリは結衣の胸を揉んでいたが、突然、ピタリそれを止め立ち上がった。
「やれやれ。まあいいさ。そもそもこんなことをしなくても、お前の居場所なんて……」
と、ユーリが右脚を振り上げた。
「まるわかりなんだよ! 誠ぉ! 母乳の匂いがするプンプンするぞぉ!」
ガコン! ユーリが襖を蹴破った。
だが、その蹴破られた襖の先に、誠は潜んでいない。ユーリが蹴破ったのは、仏間を囲む三方の襖のうちの一つ。それも、誠が潜んでいない襖だった。
――いまだ!
誠は瞬時に飛び出し、隣の仏間の部屋に躍り出た。
視線の先にあったのは、こちらに背を向け、見当違いの襖を蹴破っているユーリの姿。そしてユーリが蹴破った襖の先にあるのは、地面に撒かれた大量の母乳。
デコイ、囮、揺動、不意打ち。
誠がやったのは、予め自身の母乳を大量に撒いておき、その匂いでユーリを誘うということ。吸乳鬼だからこそ母乳の香りには敏感だ。それを逆手にとった。
誠は仏間の中を突っ切り、ユーリの背中に殺到する。
両手の拳を握り「ひっひっふー!」と呼吸を繰り返す。ブオオオオオオオン! 誠の身体が小刻みに揺れ出した。
「くらぇユーリ! その邪悪な搾乳衝動が君の敗因だ!」
バツン! 誠はユーリの背中に抱き着くようにして腕を回すと、グニュ! ユーリの乳房を握りしめた。
――一気に仕留める! そのために直接乳房打ち込むのみ!
「狂うほど母乳をまき散らせ! 圧搾伝導共鳴!」
「にょおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
バチイイイイイイ! 凄まじい音と共に、誠は両手に生暖かい液体が流れるのを感じた。そして鼻孔をくすぐる甘い香り。それは、紛れもない母乳だった。
――やった。やったぞ。ユーリの乳房に伝導共鳴を叩き込んだ。これなら――。
「――これなら、僕を倒せた。そう思ったのか……誠」
ゾクッと冷たい針が背中を貫き、全身の毛が逆立った。
誠はユーリの背中に抱き着く形で、動けなくなる。
「――なっ。えっ。え」
「お前は今、僕の搾乳衝動が敗因だといったなぁ。だが、僕はこう言ってやろう。お前の敗因は、お前が持つその力の制約によるものだ」
そう言ってユーリは、ゆっくりと誠に振り向いてゆく。頬が裂けるような笑みを浮かべ、そうして、伝導共鳴が撃ち込まれたはずの胸元を誠に向けた瞬間――
「う、うわああああああああ! なんてことだ! こんなぁ!」
誠は一歩二歩とよろめき、後ずさる。
「そんなっ! 父さん! 父さんっ」
そこにあったのは、ユーリが身体の前に抱きかかえられた、天道昇の姿だった。まるで二人羽織りのようにして、抱きかかえていたのだ。
「阿呆が! お前がどんな策を用いようが、僕の乳房を狙う必要があることは分かっていたさ! いままでのお前が闘った吸乳鬼との戦闘で観察済みだぁ!」
「そんな! それじゃあ僕が噴出させて母乳は!」
「そうだ! お前は自らの手で自分の父親の母乳を噴出させたっ! とんだ変態だな! 親子揃ってとてつもない変態だ! そしてぇ!」
瞬間、ユーリは昇を放り投げ、誠に向かって突っ込んだ。
「また隙が出来ているぞ誠! 今度こそ母乳を吸ってやる。白目向きながら母乳を撒き散らかせ。お前の父親のようにな!」
ガブリ! ユーリは誠の乳房にかぶりつき、母乳を啜り上げた。
「んひぃ! あへぇ!」
「ははっ! 美味いぞ! 美味い! おっぱい美味い!」
ビシャビシャ! 誠の左乳房から母乳が流れ出し、その身体を真っ白に染めてゆく。凄まじい勢いの搾乳だった。
「美味過ぎて吸い尽くしてしまったじゃないか! 誠!」
ガン! ユーリは誠の腹部を蹴り込んだ。誠は吹っ飛ばされ、障子の戸を突き破り、縁側から庭に転がってゆく。そして最後は、庭の池の中に突っ込んだ。
誠はそれでも意識を保ち、池から這い出てゆくが、出てすぐの場所に座り込んでしまう。
ジャリ! 地面を踏み鳴らすその音に顔を上げてみれば、わずか数メートル先。不気味な笑みを携えたユーリが佇んでいた。
「おいおい、誠。まだ終わりじゃぁないぞ。お前の右の乳房の母乳が残っている」
ユーリは地面に向かって、白濁色の液体をペッと吐き捨てた。
「だが安心しろ。全ては吸いつくさん。昇の前で、お前の母乳を吸わねばならない。そしてその前に、お前の前であの許婚のおっぱいを吸う必要があるからなぁ。それが僕の復讐だ!」
そう言ってユーリが足を踏み出そうとした。だが、
「なぜ……だ。なんでだ、ユーリ……」
その、弱弱しい声がユーリの動きを止める。ユーリがスッと眼を細めれば、その先には、どうにか立ち上がろうともがく誠の姿があった。
「どうしてこんな、おっぱいに酷いことをする! それに‥‥‥」
誠は虚ろな眼をユーリに向けた。
「どうして君はあの事件で、大きなおっぱいの女の子ばかりを狙ったっ。僕にはそこが分からない。復讐のためになぜあんな事件を起こした! 復讐のためなら、父さんと僕だけを狙えばよかっただろう!」
「ギャーギャー騒ぐんじゃない。誠。僕はこの世の中から……巨乳という存在を無くさなければならない」
その言葉に誠は眉を潜めた。
「巨乳の存在を……なくす?」
「ああそうだ。分かるか誠。貧乳とは虐げられている、巨乳という存在によって。巨乳があるから貧乳は苦しむことになる」
「なにを分けのわからないことをっ!」
「貧乳だったから……‥僕の母さんは天道昇に眼を付けられた」
ユーリ歯を噛み締め、怒りを滾らせた眼を誠に向けた。
「僕の母さんは恐ろしく貧乳だった。それこそ、お前の許婚と同じくらいにな。だからこそ母さんは、お前の父親に母乳を吸われることになったっ! あの貧乳好きに!」
「ひ、貧乳好きだって?!」
誠は大きく首を振った。
「そんなっ! 父さんは、死んでしまった僕の母さんのことを愛していた! おっぱいが大きな母さんを愛していた! 家の端っこから端っこまで移動して『このくらい好き』とか言って愛情を表現していた! なのに!」
「お前の家庭の事情なんて知らんわ! 僕は巨乳という存在を滅ぼす! そうすれば母さんのように、昇のような男の被害に合う貧乳はいなくなるだろうからな!」
瞬間、ユーリは誠に飛びかかった。
誠は身体を動かそうとする。だが、脚に力が入らない。
――ちくしょう! このままじゃ! このままじゃ!
思わず誠は眼を瞑った。しかし、そのとき。
「誠!」
という声が響き、ビシャビシャ! と音がした。直後、甘い母乳の香りが鼻孔をくすぐる。ところが誠は、搾乳時の快感を覚えなかった。
――なぜ? どうして? 誠がゆっくりと眼を開く。
「とっ、父さん!」
眼の前にあったのは、ユーリに乳房を吸われる天道昇。
すぐさま誠は理解する。割って入ったのだ。自分を助けるために。
「そんな! 父さん! 父さん!」
「ま、誠ぉ……んひょ!」
突然白目を剥き、恍惚の表情を浮かべる昇。その表情の変化を眼の前で目撃する誠。
「はん。息子を助けるためにご苦労なことだ。だが、おかげで吸い尽くしてしまったじゃないか」
ユーリは昇を乱暴に掴み、誠に向かって投げつけた。
誠は、胸の中に飛び込んだ昇を抱き上げ、顔を覗き込む。
「なんで、父さんどうしてっ」
「なぜ……だなんて。当たり前だ。私は誠の父親なのだから……くっ」
昇は咳き込み吐乳する。
「ゆ、許してくれぃ。誠。私のせいだ…‥‥私があの……ユーリのお母さんの母乳を吸ったばかりに……」
「そんなことは分かっています! 全て父さんのせいです! 『そんなことはありません!』なんて口が裂けても言えません! でも……でもなんで!」
誠はキッと昇を睨みつけた。
「なぜですか。あなたは母さんのことを愛していたはずだ! おっぱいの大きな母さんのことを! なのにどうしてーー」
「愛していたさ。私は妻のスイが大好きだった。でも……」
昇は唇をかんだ。
「私は……小さなおっぱいが好きだった。小さなおっぱいからあふれ出てくる母乳を見ると無茶苦茶興奮した。自分の性癖を押さえられなかった。しかし私は……この天道家の婿だ。一族や家のしがらみがあって妻と結婚した。妻は愛していたが……同時に貧乳も愛していた。だから……私は、ユーリの母親のおっぱいを吸わせてもらった。見返りに……金を払って」
「クソぉ! あえて言います! クソ野郎です父さんは! あああああっ! 尊敬していたのにっ!」
「ま、誠……」
昇は震える手で、誠の頬を優しく触った。そして、少しだけ微笑み。
「貧乳は……いいぞ」
ガクリ。昇はこと切れるようにして、首をうなだれた。
「父さああああああああああん!」
誠は昇を何度も揺するがなんら反応はなく、母乳にまみれた顔がそこにあるだけだった。ただただ、母乳まみれの顔で微笑んでいた。
「うわあああああ! なんで! なんで!? 最後の言葉が『貧乳はいいぞ』だなんてどうにかしてる! 父さん! あなたはただの変態だ! 変態野郎だ!」
「お前だろ! この変態野郎!」
耳をつんざくような大声が、誠の動きをピタリと止めた。恐る恐る顔を上げてみれば、そこには見下すような眼のユーリが立っている。
「お前もだ誠ぉ! 自分は違うみたいに言うんじゃない! 貴様はあらぬ顔で、そのヘンテコな力を使って女の母乳を噴出させているが、お前も可笑しいんだよ!」
「え……えっ」
「え? じゃあない! それに知っているぞ僕は。君がその許婚に母乳を吸わせてもらっていたことまで!」
驚愕の表情を浮かべる誠に対し、ユーリは睨みを利かせた。
「だからお前も変態野郎だ。お前は、小さなおっぱいだから小鷹結衣が好きなのだろう? 許婚のおっぱいが小さいから、小鷹のことが好きなのだろう? 父である天道昇のようになぁ!」
「違う! そんなこと! だって僕はただただおっぱいのことを――」
「愛してるとでも言いたいのか? だから重すぎるんだよ! お前のおっぱいへの愛は!」
そのユーリの言葉に誠は、スッと視線を地面に落とした。
――おっぱいへの愛が重い。 そんな言葉をつい先週にも言われた。そしてそれは、自分の価値観を根底からひっくり返すものだった。
と、そこで誠の視界が暗くなる。ふと顔をあげれば、すぐ眼の前にユーリが佇んでいた。
ユーリは自分の胸元に手を入れ、そこから何かを引っ張り出す。
「母さん。見ててくれ。僕は復讐を果たすよ」
その手の中に握られていたのは、月の形をしたペンダントだった。ユーリはそのペンダントに軽くキスをして、眼を瞑った。まるで、墓の前で亡き者に独白するかのような表情だった。――だが、それも数秒。
ユーリはパッと眼を開き、誠に手を伸ばしてゆく。
「さあ、終わりだ誠。おっぱいを……吸わせろ」
ゆっくり、ゆっくりと手が伸びてくる。母乳まみれの手が伸びてくる。肩を掴まれ、尖らせた唇が、自分の乳房に近付いてゆく。
誠は母乳を吸われるのをただただ待っていた。もうじき、波のような快感に身体を支配され、白目で母乳を撒き散らかすことになるだろう。そのときを待っていた。
――やっぱり、おっぱいを吸うのは……おかしい。
視界が閉じかけた――その寸前。
真っ黒な空間に、ある人物が浮かび上がった。
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