Episode 10 「乳の贖罪」
父と乳の罪
ガコン! バリバリ! 誠は自宅に到着すると屋根付き門の戸を蹴破り、勢いそのままに突き進んでゆく。土足で玄関を抜け、廊下へ突入し、そして居間に繋がる襖を弾き飛ばした。
「ユ―リィィィィィ――――――っ!!」
誠は居間へと飛び込んだ。
「君が乳仮面所持者――なっ!」
誠の身体が硬直する。思わず右足が後ろに引いてしまい、上体がのけぞった。視線の先の、その先にあったのは。
「父さん! 結衣!」
天道昇。小鷹結衣。その両名が、天井から伸びる鎖に、両腕を繋がれ吊るされていた。自由を奪われた2人は一様に首を垂れ、ぐったりとして動く様子はない。肩の上下の動きだけが、2人の生命はまだそこにあることを示していた。
だが、誠の呼びかけに応じる素振りすら見せず、虚ろな眼をしているだけだった。
「――遅かったじゃぁないか。誠」
と、薄暗い居間の奥。僅かに開けられた襖が動き、暗い影の中から、ぬっと姿を現した。
「この男と、お前の許婚を痛めつけてやろうかと思っていたところだ」
夜神・ユーリエヴァナ・進。
薄く開かれた口が作り出す、不適な笑み。
誠は思わず、コクリと喉を鳴らしてしまった。
堀の深いユーリの顔に出来た影が陰影を生み出し、浮かべた表情をより不気味なものへとさせていたからだ。
いつものユーリと違う。本当に……ユーリなのか?!
誠にとって兄弟のような存在であるユーリ。誠のために手を焼いてくれるあの優しい笑みはどこにもない。
「ユーリ……っ。父さんと、結衣になにをしたっ!」
「なぁに。ちょいとコイツで大人しくなってもらったのさ」
ユーリが何かを放り投げる。誠の足下に転がって行ったソレは、黒色をした携帯電話サイズの凶器だった。電流によって人の身体の自由を奪う道具。
「……知ってるかぁ? 誠。スタンガで人が気絶するなんてことはない。ただ‥‥‥ぐったりとするだけだ」
「ユーリィ!」
「――おおっと!」
瞬時に突っ込みそうになった誠を、ユーリが右手を掲げて制した。
「動くんじゃぁない。誠。動いた瞬間、二人がどうなっても知らんぞ」
「――くっ。ちくしょうっ!」
ギリッ。と、誠の奥歯が鳴った。強く噛み締め過ぎて、誠は頭がくらくらする感覚に陥る。
「ユーリっ。君はどうしてこんなことを! それにっ、なんで乳仮面なんかを使って……っ」
「はん。気になるようなぁ誠。その話をしてやってもいいが……」
と、ユーリが拳を振りかぶった。
「眠ったままじゃ困るだよぉ!!」
ガコン! ユーリは振り向き様に、昇の胸部に拳を打ち込んだ。
「――がっ! おげぇっ」
昇の眼が一気に開かれ、身体を大きく揺れた。両手に繋がれた鎖がジャラリと音を立てる。
「父さん!」
「うっ……ぐっ。ま、誠……か」
額に汗を浮かべる昇は、虚ろな眼を誠へと向ける。
「に、逃げるんだ。誠。ユーリに襲われた。彼は今、錯乱状態に――」
「喋らないで父さん! 僕いまが助けるから!」
「だ、ダメだ誠。逃げ――」
「やかましい!」
ユーリが昇の頬を殴る。昇の口から「うぐっ」という苦悶の声が漏れた。
「ペラペラと無駄口を叩くんじゃない。それに誠! お前もだ! 余計なことをすると、この男をもっと痛めつけるぞ!」
「ちくしょう! ユーリ! なぜこんなことをする!」
「はっ! なぜだって?! それは全てお前の父親、この男のせいだ! 誠ぉ!」
ユーリは怒りを滾らせた眼を昇に向ける。すると昇は咳き込みながらも、口を開く。
「な、なぜだユーリ。どうして君は……?」
「シラを切るな! この変態が! お前が母さんにしたことを忘れたとは言わせんぞ!」
ユーリは懐に手を突っ込んだ。
「なあ、誠。全てはコレから始まっているんだ。この男の罪。それは全て――!」
バッ! とユーリは懐からソレを取り出した。
「これが全ての始まりなんだよぉ! 誠」
瞬間、自身に向かって突き付けられたソレを見て、誠は確信する。
仮面。ユーリの右手に握られたあの仮面。
人間をおぞましい怪物へと変化させてしまう、あの道具。それまで心のどこかにあった、ユーリを無実だと願う気持ち。だが、ユーリがソレを自ら取り出したことで、その気持ちは消え去った。
誠は恐怖に顔を歪めながら、口を突いた言葉。
「そ、それは、乳仮面!」
「そ、それは、変態プレイ用の仮面!」
誠の言葉に別の声が被さった。
「え?」
「え?」
またも、誠の言葉に別の声が被さる。
誠が恐る恐るそちらに顔を向けてみれば、そこには驚愕の表情を浮かべる天道昇の姿。
誠と昇はお互いをジッと見つめ合い、眼を見開く。
「え? ……父さん。変態プレイ用の……仮面?」
「え? ……誠。チチ……仮面?」
と、そのとき。
「--ふっ、ふははっ!」
ユーリが身体を丸め、大きく笑い出す。
「ははっ! ははははっ! ははははははっ! 聞いたか誠! この男はいま自分で白状したぞ! ふははははっ!」
「なぜだ……ユーリ」と、昇はユーリに近付こうとする。だが両腕を縛る鎖がその行動を止めた。
「なぜユーリがそれを持っている?! どうしてだ? 蔵の奥底に隠していたはずなのに?!」
「ははっ! 掃除していたとき、たまたま見つけだんだよ!」
「馬鹿な! ――はっ! まさかユーリ。それじゃあ君は知っているのか?!」
「ああその通りだ、天道昇! そしてコレこそ! 俺がこんなことをした原因を作った道具だぁ! 誠!」
突如、名前を呼ばれた誠は眉を潜める。
「原因……? ユーリ。君は言ったいなにを言って――」
「――なあ、誠。僕がどうして、この家に来ることになったのか知っているよな?」
「そ、それは。君の両親が亡くなって――」
「そう、母さんが死んだからこそ僕はこの家に来た。この男の家に引き取られた。だが誠。僕の母さんが死んだ理由の一部が……」
ユーリはスッと眼を細めた。
「この、天道昇にあると言ったら、お前はどうする?」
「ユーリのお母さんが死んだ理由だって? どういうことですか! 父さん?!」
誠はサッと昇に視線を移す。だが昇はスッと視線を逸らし、地面に顔を向け「馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な」と繰り返すだけだった。
「僕が説明してやろう。誠」
ユーリは右手に持った乳仮面を持ったまま前に出た。
「そう。あれは……あれは僕が小学生一年生の頃の話だ」
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