Episode 9 「母乳の海」

再び進路を北西へ

「ユーリ。父さんの箸ってコレだっけ?」

「ああ、そうだ。その青いヤツさ。あと、食器も並べておいてくれ」

「うんオッケー。わかった」


 誠はテーブルに置かれた4つの箸置きに、それぞれ箸を並べてゆく。父である昇の箸。自身の箸にユーリの箸。そして……


「これが……結衣の箸」


 誠は桜色の箸を箸置きに添え、その後で食器を並べ始める。

 金曜日の夕方。天道家の居間。

 誠は学校から帰宅後すぐ、ユーリと共に食事会の準備に取り掛かっていた。

 と言っても誠は料理がロクに作れないために、ほとんどユーリの補佐として働いている。


 ――いよいよか。誠は腕時計を見る。

 今日は兼ねてより予定していた食事会。昇と誠、ユーリ。そしてゲストである小鷹結衣。この4人の食事会。そして同時に、誠が父である昇の前で、結衣をどれだけ好いているかを伝えるための食事会。


 ちゃんと伝えられるといいな。誠は浮つく気持ちを抑え、長く息を吐き出した。


「なあ、誠」


 と、ユーリは火に掛けられた鍋の前に立ち、誠を手招きする。


「ちょっと味見をしてくれないか? これは初めて作る料理だから心配なんだ」

「ああ、いいとも。でも、ユーリが作るんなら、どんな料理でも美味しいに決まってるさ」


 誠はユーリの元まで行き、スープの入った小皿を受け取ろうとした。が、そこでユーリはピタリと手を止め、誠の全身を見る。


「待った、誠。君は先にその制服を着替えて来いよ。また汚すだろう?」


 誠は自分の着ている服を眺める。帰宅後すぐに準備に取り掛かったせいで、制服のままだった。だけど、


「ユーリだって制服じゃないか。別に構わないよ」

「いいや、ダメだ。それに僕はエプロンを着ているからね。さあ、早く着替えておいでよ」


 誠は「ははっ」と笑った。


「わかったよ。まったく、ユーリはお母さんみたいだ」


 誠がそう言って台所を後にしようとした、そのとき、ピーンポーンと、甲高い音が家の中に響いた。来客を知らせるインターホンの音だ。


「あれ? 父さんもう帰ってきたのかな?」


 誠が首を傾げると、ユーリが首を傾げた。


「いや、さすがに早すぎないか? それに小鷹さんはまだ部活だろうし……。というより誠。昇さんなら、なんで自分の家なのにインターホン鳴らすんだよ。しっかりしてくれよ……」

「ははっ。確かにそうだね。じゃあ、お客さんか。僕が出るよユーリ」


 誠は台所を後にして、玄関へと向かう。そして靴を履き替え、屋根付き門までやって来て、戸を開けた。


「はい、なにか御用で――あっ」

「久しぶりだな。天道くん」


 吊り上がり気味の目に、シュッと肩まで伸びた髪。そしてたわわに実ったおっぱい。誠が視線を上げた先にいたのは、あのビルで出会った、刑事の井上いのうえ理沙りさであった。


「理沙さん。どうして僕の家に」

「急に済まない。近くを通りかかったので、あの日の礼を言おうと思ってな」


 あの日の礼。それは恐らく、あのビルで起きた事件のことを言っているのだろう。ただ、例を言われるようなことは何もしていない。

 誠は首を横に振った。


「いえ、僕はなにもしてません。ただ、警察の人に電話しただけです」

「いいや、それでも助かったよ。私はあの時のことを殆ど覚えていないが、君が私を助けてくれたのだろう? 少なくとも、周りの人間からそう聞いている」

「……ええ、まあ。そう……ですね」


 ――そういうことになっているのだろう。誠はなんとなくそう思った。

 あのビルでの事件の直後、警察に事情を話してはいるが、おおよそ信じてくれているような雰囲気ではなかった。だから恐らく、警察の間ではそれらしい話にすり替わっているのだろうと。

 誠は視線を上げ、「それで」と呟いた。 


「結局、あの事件は解決しそうですか? 最近は……学校でも話題に上ることが少なくなってきて、みんな忘れていっている気がします」

「ははっ。まあ、世間とはそういうものだ。テレビや新聞が報道しなくなれば、自然と話題に上がらなくなる。だが、だから言って警察が捜査に力を入れてないってことはないよ」

「それは、そうでしょうけど。でも実際……僕は思うんです。たぶん、犯人は捕まらないじゃないかと」


 誠が唇を軽く噛むと、刑事の理沙は「そうだな」と小さく溜息を洩らした。


「……まあ、刑事がこうことを言うのはアレだが。こういう変わった事件……というより、未成年の学生が関わった変わった事件で、その原因や犯人不明な場合…‥集団パニックや、集団ヒステリーのような理由で片付けられることが多い」

「それじゃあ……」

「ああ、ここだけの話にして欲しいが、警察はそういう結論を出すんじゃないかと私は思う。まあ、私の勘だから絶対ではないがね」


 そう言った理沙は肩を竦め、少しばかり呆れたような顔になる。


「やれやれ、犯人は絶対に『巨乳が嫌いな人間』だと思っているのだが……。まったく。私の考えに取り合ってくれる人間がなぜ警察にいなんだ」

「え?」


 その、理沙が言った言葉に誠は眉を潜めた。

 ――あれ? 理沙さんは犯人が巨乳を憎んでいることが知っている?


「理沙さん。なんで犯人が巨乳を嫌っていることを知っているんですか?」

「え? ああ、簡単な話だよ。今まで被害にあった女の子の胸は、なぜか異様に大きかった。そこに私は違和感を……ちょっと待て。天道くん。なんで君はこのことを知っているんだ?」


 スッと眼を細めた理沙を見て、誠は自分が疑われていることに気が付き、首を振った。


「ち、違います。僕はおっぱいも母乳も好きですが犯人じゃありません。ただ、個人的にあの事件を調査する過程で気が付いたんです。襲われた女の子は、僕の学校に通う、おっぱいが大きい順に狙われているって」

「おっぱいが大きい順だって?!」


 理沙が眼を見開く。


「まて、天道くん。どうしてわかった? なぜ、おっぱいが大きい順だと分かったんだ?」

「いや、だから調べている過程で――」

「そうじゃない! どうして君は『君の通う学校の女の子の、おっぱい大きいランキングが分かったのか』と聞いているんだ!」

「そ、それは僕の友達が――」


 瞬間、氷で出来た針のようなものが、誠の背筋を駆け抜けた。

 あの事件では、心学館高校に通う女の子のおっぱいが大きい順に襲われていた。だが、なぜ犯人にそれができた?

 パッと顔を上げ、理沙を見据えた。


「ごめんなさい。理沙さん。僕の勘違いです。可能性で話を進めてしまいました。捜査の邪魔をしてすいません」


 誠が深々と頭を下げれば、理沙はあっけにとられたような顔になった後、肩の力を抜いた。


「そ、そうか。すまない。こちらこそ。熱くなってしまった。

「いえ。それでは僕はこれで。ちょっと用事がありますから」


 誠は理沙と別れ、玄関に向かう。靴を脱ぎ、廊下を歩き、考える。


 ――どうしてだ? どうしてあの事件の犯人は、心学館高校でおっぱいが大きな女の子を順番通りに襲えた? たしかに、乳原さんは襲われなかった。でも、乳原さんを抜きにしたとしても、それ以外は正確に、おっぱいが大きい順に女の子を襲っている。なぜそんなことができるのか。それは……


「犯人も、女の子のおっぱいが大きいランキングを……知っていた……っ」


 突如、誠の脳裏にある人物の影がよぎる。


「まさかっ‥‥‥そんなことができるのは!」

 と、そのとき。

「――おい、誠。さっきは誰が来たん……どうした? 変な顔して」


 誠が振り向けば、そこに居たのはユーリ。


「まあ、いいさ。どうせセールスかなにかだろうしね。ああ、そうだ誠。学校から帰ったとき、ポストに君宛ての手紙が届いていたのを忘れていたよ」

 ユーリは懐から真っ白な便箋を取り出し、それを誠に差し出した。

「宛名は書いてないんだが……」

「手紙……?」


 ゾクリと寒気が走った。誠ひったくるようにしてその手紙を受け取り、急いで中を取り出す。するとそこには


『小鷹結衣ヲ預カッタ。欲シテホシクバ、玉城公園ヘ来イ』


 そして一番下にある差出人の名前、


「尺取……さだめ……」


 グシャ! 誠は手紙を握りつぶした。


「――尺取。尺取さだめぇぇぇぇぇぇ!!」

「お、おい。誠いったいどうし――」


 瞬時に誠は駆け出した。


「君が! 君が! 君が乳仮面所持者かぁぁぁぁぁぁぁぁ‼‼」


 乱暴に靴を履き、屋根付き門を抜け、道路に飛び出した。進路を玉城公園へと向け、井ノ原町を北西へと突き進む。

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