受け継がれなかった宿命

 小鷹こだか結衣ゆいが眼を見開き、そこに立っていた。カタカタと歯を震わせ、まるで誠との間に壁でも作るようにして、両腕を胸の前で抱いて。


「ねぇ……なに‥‥‥してるの? 誠君。 なんでっ! なんで母乳まみれになって、その女の子はおっぱいを丸出しにしているの?!」

「おっぱい……丸出し? 母乳まみれ――はっ!」


 しまった! 誠はすぐさま立ち上がる。


「ち、違うんだ! 結衣! これはこの子を救うためであって、僕が好んでこの子のおっぱいを噴出させていたわけじゃ――」

「うるさい! 何が違うの! この変態! 女の子の母乳を飲むならまだしも、噴出させるなんて酷い!」

「聞いてくれ!」


 誠は結衣に詰め寄って行こうとする。だがそのタイミングで、


「――黙りな。天道くん 」


 結衣の後ろから、乳原ちちはらはるかが現れた。はるかの目も、結衣と同様に嫌悪感を示していた。


「天道くん。あなた、本当にまずいと思ってたけど……まさか、ここまでしていたなんて」

「違う! これは女の子のおっぱいを守るためなんだ。この間の乳原さんのおっぱいを守らせて欲しいっていったときと同じで――はっ!」


 結衣の顔が一変した。その眼は恐怖の感情に染まっている。


「ちょっと……どういうこと。 誠くん。はるかちゃんのおっぱいに……なにをしたの?」


 結衣の問いに、はるかがあきれ顔を向けた。


「私のおっぱいを守らせて欲しいって言って、校門前から追っかけられたの。あの、観光客が多い……あの道で!」


 はるかは何かを隠すようにして、肩を抱き込む。すると結衣の表情が、憎悪を滾らせたものに変化してゆく。


「可笑しい……おかしいよ。やっぱり可笑しいよ! 誠君!」

「な、なにが可笑しいっていうんだ! 僕は普通だ!」

「なら、…………でしょ?」

「え?」


 誠は眉を潜めた。その、結衣が絞り出すようにして放った言葉が聞き取れなかった。


「だから、……噂になってる。誠君が最近、おっぱいについて学校の生徒に聞きまわってるでしょ! それが普通なの? 人におっぱいのことについて聞くのが普通なの? 誠君のおっぱいへの愛は、重すぎるんだよ!」


 ――おっぱいへの愛が、重い。


 その言葉が誠を貫いた。まさか、そんなことを結衣に言われるだなんて。

 誠は震える手を押さえ込み、結衣に近付いて行こうとする。


「違う。僕はおっぱいが好きで……好きで。おっぱいが、おっぱいが。おっぱいがああああ」

「イヤぁ! 来ないで! そんな母乳まみれの手で私を触らないで!」


 結衣が駆け出した。公園の中を突っ切り、出口に向かってゆく。


「まってくれゆっ――」

「――待った」


 走り出そうとした誠を静止させたのは、乳原はるかだった。はるかは、誠の前に佇んだ。


「どいてくれ。乳原さん。僕は結衣と――」

「ねぇ、天道くん。結衣をどれだけ傷つけたか分かってる?」

「……」

「ここで結衣が育乳体操をしてたのは、天道くん。あなたのためなんだよ」

「……僕の、ため」

「そう。天道くんのため。結衣はあなたのために、胸を大きくしたいって私に相談してきたの。だからここで、結衣みたいに貧乳の子を集めて、私が育乳体操を教えてあげてた」


 ――天道くんのため。

 誠はその言葉に思い出す。何日も前、それこそ最後に結衣のおっぱいを吸ったあの日。結衣は自分の乳房の大きさを気にした発言をしていたはずだ。

 誠は唇を噛み締めた。


「ねえ、天道くん。なのに、あなたは他の女の子の母乳をまみれにさせてた。それが……結衣をどれだけ傷つけたか分かってる?」

「……」


「いまの天道くんには、結衣を追いかける資格すらないよ。あと、それから」

 はるかはきびつを返したのち、肩越しに振り返る。

「一応言っておくけど……おっぱいを吸うなんておかしいから」


 はるかは小走り気味走り出し、公園の出入り口に消えていった。

 誠はぼうっとした意識のまま、立ち去ってゆくはるかの背中を眺める。

 すると、右手に持った携帯電話から音が聞こえてくる。誠は尺取との通話を思い出し、携帯電話を弱弱しく耳に当てがった。


『誠くん……。いま聞こえてきた会話で、だいたいなにがあったのは……予測はついたよ』

「……尺取。君はこの件から……手を引いてくれ」


 受話器の向こう側から、スッと息を飲む音が誠の耳に届く。


『そんな! 誠くん。君は――』

「手を引いてくれ。君も危ない。当分の間、電話もなしないでくれ」

『ちょっと待ってよ! 誠。まこ――』


 誠は通話終了ボタンを押した。地面に座り込み、地面に横たわる波風さらを眺める。


 ――僕のせいだ。僕のせいで、関係のない人を巻き込んでしまった。


「ちくしょう!」


 握り込んでいた携帯電話を勢いよく振り上げ、地面に叩きつけようとして、


「おい、誠」


 と、その声に誠は動きを止める。視線を上げれば、肩で息をするラミアが立っていた。


「ヤツに巻かれた。おそらく、逃走経路も念入りに計画していたのだろう。誠、今日のこの出来事は乳仮面所持者に仕組まれているぞ」

「……分かっています。ラミアさん。この女の子は……波風さんでした。乳仮面所持者は僕のことも知っていた。だから、脅迫しにきたんです」


 誠は振り上げていた右手をストンと地面に落とした。その様子を見ていたラミアが、眼を細めた。


「どうした誠? これからすぐにもでも対策を立てなければ、また新たな吸乳鬼が――」


「もう……やめましょう」

「は?」


 ラミアが怪訝そうな顔になる。


「だから、もうやめましょう。こんなこと。これ以上は無理です。僕が行動すれば、関係のない人が被害に合います」

「……なあ、誠。お前がやらなければ、吸乳鬼の被害は広がるぞ。乳仮面は野放しになる。それにお前……」 


 ラミアが誠に冷たい眼を向けた。


「お前は私と契約したはずだ。乳仮面を8つ集めると。その契約はどうした」

「ごめんなさい。ラミアさん。でも、僕にはもう……どうしようもうありません。もう立ち上がれません……それにっ」


 誠は地面の土を手ですくい上げた。白濁色の液体と交じり合ったその土を握り潰す。


「僕のおっぱいへの愛が……重すぎます。重すぎるから、こんなことになった。おっぱいを吸うのは、おかしいことなんです!」


 誠は拳で地面を叩く。するとラミアは誠を睨みつけ、舌打ちをした。


「誠。お前……お前はおっぱいを愛していると言っていただろう。お前のおっぱいへの愛はそんなものか!」

「そのおっぱいへの愛が重いからこんなことになっているんだ!」


 その言葉を聞いたラミアは、ジッと誠を見つめた後、視線を地面に落とした。


「……そうか。なら、もういい。お前には期待しない」


 ラミアは誠に近寄って行く。


「誠、さっきの話の続きを教えてやる。あの男の息子が私を拒絶した理由、それは」


 ラミアは誠の足下に出来た影を踏み付けた。


「おっぱいを吸うのはおかしい…‥‥そう言って、私の力を使うことを拒んだ。お前も結局は…‥‥そういう奴か。私と真剣に向き合ってくれたのは……あの男だけだったようだな」


 ラミアはキッと誠を睨みつける。


「もう、会うことはないだろう。お前のおっぱいへの愛は、偽物だ」


 そう言い残しラミアは、誠の影の中に消えて行った。後に残るは、かすかに届く街灯の光によって作られた薄い影。


「おっぱいを吸うのは……おかしい」


 誠は自身の影を、ただただ見つめているだけだった。

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